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04.勢い
しおりを挟む仕事は順調だ。
都合のいいことに、残業が必要なほど毎日が慌しくなってきたので栞は忙しくも淡々と毎日仕事をこなす。
経理と営業は仕事上話をすることが多いのがネックだったが、それは仕方のないことだ。今までだって同じ。栞は悠介に用があれば話かけるし悠介も仕事の話で栞を呼ぶ。
ただそれだけ。
栞は今度こそこの恋は終わったのだと確信があった。
悠介が以前のように話しかけてこないというのがなによりの事実だ。最近、どうしてそんなに話しかけてくるの、やめてよ、と思っていたからちょうどいい。なのに、どうしてこんなに気持ちが沈んでいるのだろう。ちょっと振り回されて疲れていただけだと思いたい。
連日の残業を終えて栞は会社を出る。そういえば今日悠介の姿を見なかったな、などと考えてしまってまだ気にしている自分に落胆した。
オフィスを出てエレベーターホールへ向かうと人影があった。まだ7時だ。残業をしている人はいるだろうとなにも考えずにその人を見た。
「……っ」
目が合って、栞は固まった。
悠介だ。
彼の姿を見て動揺してしまった。もう終わったと思っていたのにまだ彼の姿を見るとこんなに心が揺れるのかと、悲しくなった。しかも今日はオフィスで姿を見ていなかったのにどうしてこんなところで二人きりで会ってしまうのだろう。エレベーターが来るまで一緒に待たないと行けないのもつらい。
「お疲れさま」
挨拶をして悠介の横を通り過ぎ距離をとって、エレベーターを待つしかなかった。心臓が鳴っている。
「栗原」
悠介に声をかけられても平気は振りをした。あくまで大人でいたかった。
「……なに?」
「話がある」
いつになく真剣な表情。栞は迷っていた。このまま無視をして帰るべきか、彼の話を聞くべきか。できることなら、無駄に傷つきたくはない。高校生のように若いわけでもないからがむしゃらに人を好きになることもできない。
だから諦めたのに。
「エレベーターが来るまでならいいよ」
「わかった」
はやく来て、と願う。普段は混雑しているエレベーターだからなかなか来ないけれど、この時間だったらすぐ到着するだろうと思うのに、なかなか来ない。階数表示もないので、いまエレベーターが何階に到着しているのかわからなくて内心焦っていた。表示もないのにひたすらエレベーターを眺めて、悠介を見ないようにしていた。
「……栗原、好きだ」
静かなエレベーターホールに悠介の声が響いた。
何を言い出すものかと思っていたので栞は呆気に取られる。
「冗談言わないでよ」
「っ、冗談じゃねえよ」
「嘘。信じられない」
ようやくエレベーターが到着した。急いで乗ると彼も乗り込む。他には誰も乗っていなくて結局悠介からは逃げられなかった。狭いエレベーター内で対角線上に距離を取る。
「……どうしたら信じてくれる?」
悠介はどこまでふざけるのだろうか。栞は怒りすら覚えていた。今度こそもう振り回されたくはない。傷つきたくないし失敗もしたくない。
「……なにもしなかったら」
「なにも?」
「そう。前と同じ状況になって、あんたが何もしなかったら、信じる」
それでも信じる理由にはまだ足りないくらいだ。
「前も俺はなにもしなかった」
「でも私下着姿だったし、その日のあとだって、いろいろしたっ」
エレベーターが一階に到着し、ドアが開く。
「……わかったよ」
なにをわかったのか気になるところだけどとりあえずは納得してくれたみたいだ。栞はほっとして悠介より先に歩き出した。
「じゃあ飲み行くぞ」
「は?」
強い力で手首を掴まれる。
「前と同じ状況だろ? やってやるよ」
「ちょ、ちょっと」
あまりに強くてほどくことができない。ぐいぐいと引っ張られるままに進んでいく。歩幅があまりにも違うから栞は小走りにならなければいけない。会社のビルを出ても、悠介が手を離してくれないから、栞の手首には痕がついてしまいそうだった。
「……水曜日に何してんだろ私」
「俺と勝負だろ?」
結局最後まで手を離してくれず、お店に着くとようやく離してくれた。やっぱり手首にはうっすらと赤く痕がついていた。
入ったお店はオシャレなレストランなどではなく、大衆居酒屋だ。前の飲み会とは別のお店だった。水曜日だというのに満席とまではいかないが店内は賑わっていて、誰か知り合いに会ってしまうんじゃないかとひやひやした。通されたところは個室で、なぜか二人きりで飲んでいる。初めてのことだった。
悠介は一杯目のビールを飲み干し、次のお酒を注文していた。栞はまだカクテル一杯だけだ。それでもちょっと顔が熱い。
「なんの勝負よ……」
「お前ペース遅すぎ」
「私はもうあんな失敗はしたくないの!」
いまだにどうしてあんなことになってしまったのかわからないし、悠介を憎んだし、なによりお酒が弱い自分を恨んだ。弱いけれど、嫌いなわけではないからまたタチが悪いと自分でも思う。
「失敗ねえ……お前が酔わなきゃ再現できねえじゃん」
「再現しなくていいっ」
「お前が言ったんだろ? 俺の告白を信じてくれねえからさ」
「……もう冗談はやめてよ……」
ぐい、とカクテルを飲み干した。
「おっ、その調子」
それからは他愛無い話ばかりだった。さっき悠介に告白されたことを忘れてしまうくらいに、告白なんかなかったと思うくらいに、彼は普通だった。仕事の愚痴を話したり、休みの日の話をしたり。思えば、もう長いこと同じ職場にいるのにここまで話をしたことはなかった。
きっかけがアレだと思うと辟易するがそれはそれでもう忘れることにした。
一夜の過ちなんか、大人になればあるだろう。
相手が悪かっただけだ。
「……お前酔った?」
どれくらい飲んでいるのか把握できていない。話をしながらお酒を飲んで、気づいたらけっこう進んでいたのか、身体が熱い。
「酔ってない」
「でもほっぺた赤いぞ」
手の甲で頬をさらりと撫でられた。
「さわらないでっ」
手を払いのけても悠介はへらへらと笑っている。
「はいはい。行くぞ。俺の家」
「やだ。帰る」
「だめ。ほら」
悠介が手を上げると、タクシーが止まった。ふらふらとした足取りで乗り込む。栞はふわふわと気持ちがよくて、酔っているけれどかろうじて意識はあった。今は悠介と一緒にタクシーを乗っていて、これから悠介の家に行く。それはわかっていた。それでも帰ろうとしないのはやっぱりどこかで期待しているのかと、栞は途切れそうな思考をつなぎとめながら考えていた。
タクシーが到着し、またしても悠介に引っ張られながら降りてマンションの部屋へと向かう。
「ったく、なんであれだけでこんなに酔うかな。イメージ変わりすぎ」
「イメージ?」
「なんでもないなんでもない」
ガチャリとドアが開く音、どさりとカバンを落とす音。パチ、と電気をつける音。視界がぼやけているので音ばかりが耳に響く。どこかの部屋に連れて行かれて、悠介の体温が離れる。やわらかいところに下ろされた。
「はいベッド入ってー」
「……んー服……シワになる……」
「脱がすとお前怒るだろうが」
ふかふかしたベッドが気持ちよくて、ゆるやかに思考が落ちていく。がさがさと慌しかったが、やがて静かになった。パチリと音がして、暗闇がおとずれる。
「よし。はい、じゃあおやすみ! ちゃんと覚えてろよ!」
隣から体温を感じた。わずかに肩や腕がふれている。
「ん……おやすみ」
「このバカ」
静かな部屋に悠介の声が響いた。
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