そんな目で見ないで。

春密まつり

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6 誤解の拒否

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 夜、司が選んでくれたお店はイタリアンバルだ。最初のレストランほど高級ではなく、真子が選んだ店ほどラフでもない。まわりを見ると女性同士や、恋人同士らしき人たちでいっぱいだ。駅から少し歩く場所にあるけれどこれほど人が入っているということはある程度人気があるんだろう。メニューを選ぶのにも気合いが入る。

「好きなの頼んでください」
「君島くんは? なにか食べたいのあったら言って」
「……これ、とか」
 司が指さしたのは、ラクレットチーズだった。
「チーズ好きなの?」
 聞くと、こくりとうなずいた。何度か一緒に食事をしていたのに、司の好きな食べ物を初めて聞いた気がする。最初は、真子の好きなものでいい、としか言わなかったのに。司も少しずつ心を緩ませてくれているのだと考えたら、くすぐったくなった。
「じゃあラクレットチーズ頼んで、温野菜とかソーセージにかけてもらおうよ」
「……すみません」
「どうして謝るの?」
 司は言いにくそうに視線をさまよわせたあと、口元に手を当てて小さな声を出す。
「普通は彼女の好きなものを選んでもらうべきですよね」
「そんなことないよ。私は君島くんのこともっと知りたいし、好きなもの共有したいよ」
 黙ったままの司がいまどう思っているのかはまだわからない。

 ラクレットや、温野菜にソーセージ、それからアヒージョなどを注文した。それに合うようなワインも選んだ。
 すぐに運ばれてきたそれぞれを見て、めずらしく司が目を輝かせた。そんな顔は初めて見た。もちろん、目線はラクレットチーズへ向いている。店員さんが大きなチーズの表面を温め、とろけたチーズを鉄製のスキレットに入れてくれる。スキレットも温かいのでなかでくつくつとチーズが揺れていて、こくりと喉が鳴った。司をちらりと見ると、彼は真子以上に釘付けになっている。
「あったかいうちに食べよう」
 これはワインにも合いそうだ。適当にお皿に取り分けた温野菜などのうえに、チーズをとろりとかけるとそれだけで豪華だ。ほんわりと湯気の立ったそれを口に入れると野菜やお肉の淡白な味に、濃厚なチーズが絡んで口の中に広がる。

「……うまい」
 真子が口にする前に、司がうれしそうにつぶやいた。彼の見たこともない表情につい笑ってしまう。
「カレーが好きなんだと思ってた」
「っ、カレーも好きですけど、チーズには勝てません」
「そうなんだ」
 くすくすと笑い続ける真子に、司は不思議そうな顔をする。こういう顔がもっと見たい。会社では知らない顔を、もっと見せてほしい。
「君島くん、仕事大変だったら私に愚痴っていいんだからね」
 先輩であり、恋人だ。少しでも彼の負担や疲れを取れたらいいと思う。
「忙しいから疲れてるって思ったら溜め込む前に話してね」

 司は出会った時から弱音や愚痴などを吐いたことがなかった。それは相手が真子だからそうなのか、普段もそういう人なのかはまだ掴めていないけれど、社内でも無口で有名なので、きっと社内に相談する相手もいないんだろう。真子自身も仕事上の愚痴などは社内では加奈にくらいしか話すことはできない。

「……仕事は、好きでやってますから」
 自分が恥ずかしくなってくる。真子も好きでこの仕事を選んだとはいえ、人間関係や社内事情など、どうしても疲れや不満が出てくるものだ。勤務年数が重なるほど、自分のやりたいこととずれたりもするけれど、根本的なことを忘れがちだ。好きだからこの仕事をやっている。だからこそ司は企画力があり、みんなからも信頼されているんだ。

「そっか。余計なお世話だったかな、ごめんね」
 先輩なのに情けない。そう思ったとき。
「でも、正直疲れたなって思う時もあります」
 ほんの少し垣間見えた弱音。
「……そういう時はどうしてるの?」
「糸井さんです」
「え?」
「俺は、糸井さんの顔を見てるだけで癒されてます」
「……っ、」
 思わぬ発言に真子の顔は熱くなっていく。もともとストレートな物言いをするけれど、不意打ちには弱い。
「ありがと……」
 熱くなった頬を確かめるように両手で包んだ。
「こちらこそありがとうございます」
 穏やかな表情で微笑まれて、真子は咄嗟にうつむいた。ごまかすように固まりかけているチーズを口の中に放り込んだ。



「おいしかった。ごちそうさまです。次は私が払うね」
「いえ、楽しかったんで」
「私も」

 まだ言葉は少ないけれど、だんだん司のことを知っている実感があった。発見があるたびうれしくなる。時計を確認すると、十時近くなっていた。まだ一緒にいたいところではあるけれど明日も仕事だと考えるとそうもいっていられない。特に司は朝から忙しいだろうし。
 バルを出てなんとなく歩いていると、駅が見えてきた。

「明日も早いし、帰ろうか」
「……糸井さん」
「ん?」
 司は立ち止まり、真子の正面に立つ。真剣な表情に胸が鳴った。
「抱きしめていいですか」
「……ここで?」
 頷く司に少し考えてから、「人目のつかないところなら」とこたえた。駅から少し離れた路地裏。駅前の喧噪が嘘のように静かだ。
「す、少しだけね」
「どうして」
「だって、もう夜遅いし」
 司は不満そうな顔で、真子に手を伸ばす。すぐにぎゅっと身体全身を包まれた。スーツの感触が頬でこすれる。体温が心地よくて、真子も司の背中に手を伸ばした。
「……これも、癒される」
「それならよかった」
 はあ、と大きな息を吐く司。少しでも弱いところを見せてくれるのはうれしかった。
「ん……」
 司の手が背中を撫でる。その動きに意図を感じて、身をよじった。
「嫌なんですか」
「だって、抱きしめるだけって」
「ガキじゃあるまいし」
「んんぅ」

 頬を撫でられ、上に向かされるとすぐにくちびるが降りてきた。上唇を食み、舌が入ってくる。ぞくぞくと背筋が震えた。真子はされるがまま、キスを受け入れていた。もちろん嫌なわけではない。司とのキスは気持ちいいし、ストレートなくせに言葉が少ない彼の愛情表現はうれしい。でも、この先のことを考えると、少し怖くなった。

「ん、ん」
「糸井さんの唇、気持ちいい」
 うっとりと告げられ、深く重なる。舌を絡めとられて水音を立てて吸い上げられる。頬を包む手が熱くて、頭がぼーっとしてくる。
 くちびるが離れると、司の指が真子のくちびるを拭った。またぎゅっと抱きしめられて、耳に司の息がかかる。
「俺の家、来ますか」
 低く艶めいた声に鼓動が跳ねる。荒い呼吸を整えながら司にしがみついた。

「……だめ」
「どうして」
「だって、帰れなくなるよ」
「いいじゃないですか」
「だめ」
 司を制止するためではなく、自分を制止するために繰り返した。あの時全身を襲った感覚は、忘れられないし、少し怖い。だから、この先はできない。
「どうして」
 司の体温が離れ、ゆっくりと顎を持ち上げられる。またキスするのかな、と思っていたらそれ以上近づくことはなく、司のひとみが真子を射抜いた。
「っ!」
 思わず両手で司を突き飛ばしていた。バクバクと心臓がうるさい。目をまんまるくした司にハッとする。

「……あ、ご、ごめん。なんか……ごめん」
「俺のこと嫌いですか」
「そうじゃなくて、えーっと」

 慌てて言い訳を考えようとするけれど、混乱していて何も思いつかない。あなたの目がだめなの、なんて正直には言えない。
 真子の気持ちなど知らず司は目をそらすことなくじっと真子を見つめる。もうあの色は消えているのに思わずうつむいていた。

「ごめん。あんまり見ないで」
 どう伝えたらいかわからなかった。司のスーツをにぎりながらじっとしていると、しばらくして司が口を開いた。
「……わかりました。帰りましょう」
「あ」
 淡々とした司の声は、離れていった。歩き出す背中を追いかける。
「すみません。俺強引でしたね」
「え?」
「無理、しないでください。付き合うのとかも」
 司は真子を振り返らないままだ。さすがに怒らせてしまったかと慌てて腕を掴むが、振りほどかれてしまった。

「君島くんっ!」
 ようやく振り返った司は「じゃあ、気をつけて」と切ない表情を浮かべていた。すぐに背を向けて、駅の階段を上っていく。
「……あ、うん」
 真子は混乱したまま手を振った。
 司とは目が合わなかった。
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