甘い温度でふれて満たして

春密まつり

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04.密室の誘い

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「おはようございまーっす」
 今日もオフィスに元気よく三ツ橋くんの声が響く。続いて、他の社員が彼に挨拶を返す。
「……」
 私は、返せない。無視をするなんてことは社会人としてしてはいけないのはわかっているし、そんなつもりはなかったのに、身体が硬くなって口を開くことができなかった。
 その代わりに頭をぺこりと下げる。
 正面の席に座った気配がしても、そのまま顔を上げることができなかった。三ツ橋くんも私に挨拶を強要したりしなかったことに安心と、少しだけ落ち込んだ。
 三ツ橋くんは朝一で会議があるらしく、支度をするとすぐに席を立った。三ツ橋くんがいなくなるとすぐに真里奈に声をかけられた。
「三ツ橋、あんたのことじっと見てたよ」
「知らない」
「……あらら」
 真奈美が彼三ツ橋くんの様子を見ていたらしいけど、頭に入ってこなかった。
 私は昨日のことばかり考えて、三ツ橋くんの気持ちばかり考えて、目の前にいる三ツ橋くんのことは考える余裕がない。
 とはいえ仕事はしなければいけないので、昨日のミスの処理をしなければいけない。昨日終わらせる予定だったものも終わっていないので、ひとまず部長に報告をすることにした。期日は先だけれど部長に確認してもらう作業が遅れてしまうのはよろしくないだろう。
 部長が忙しすぎないタイミングで、デスクに向かった。
「部長今お時間大丈夫ですか」
「はいはい」
 部長はいつも忙しそうにしているのに、とても冷静だ。
 たまにイライラして人にあたっている上司を見ると気分が悪くなるものだが、うちの部長に関しては一切見たことがない。
「すみません、昨日修正箇所をいくつか発見してしまったので、書類が遅れそうです。今日の定時までにはお渡しできると思うのですが……」
「了解。焦らなくても大丈夫だから。期日は先だろ?」
「は、はい!」
 あっさりと了承を得られたのでほっと胸を撫で下ろした。
 これで今日はじっくり取り掛かることができる。他の仕事もあるし、今日の午前中までと言われたら厳しいものがあった。自業自得だけれどほっとする。
 デスクに戻り、気を引き締めた。いくら正面に三ツ橋くんがいたとしても仕事に集中しなければいけない。それが社会人というものだ。私は気持ちを切り替えて、目の前の仕事を片付けていった。

 午前中は集中できたおかげで、なんとか終わりが見えてきた。
 お昼はゆっくり休んで午後からまたがんばれば終わりそうだ。昼食を食べ終えて、トイレで歯磨きやメイク直しを終えると、洗面台の所にピンク色の携帯電話が置きっぱなしになっていることに気がついた。今この場所には私以外誰もいない。ということは、忘れものだろうか。
 仕方ないな、と息をつきながら総務に届けることにした。フロアは広いので、どの部署の誰が落としたか自分で見つけるには大変だ。総務に届けてメールでお知らせしてもらうのか正しい対応だ。
 階が違うのでちょっと面倒だけれど、落としものを持ってエレベーターに乗った。
 閉まる直前。
「待って、オレも乗る!」
「……っ」
 三ツ橋くんが乗ってきた。
 その声に反射的に「開く」ボタンを押したけど、閉めるにしてしまえばよかったと後悔した。申し訳ないけど顔を合わせづらい。せっかく午前中は調子よかったのに、これでまた動揺させられてしまっては集中できなくなる。
 私は三ツ橋くんの本心を知りたい気持ちを押し殺して、なるべく関わらないように背を向けた。彼は階数ボタンを押す気配なく、私のうしろに立っている。同じ階に行くのだろうか。確かに総務だったら行く機会もあるだろうけど、なんでこのタイミングで。
「……」
 無言の時間がつらい。はやく着いてほしい。二階からゆっくりと上昇していく間、一度もひらかないなんて神様は意地悪だ。
「……さっき藤森部長とさ、なに話してたの」
 突然話しかけられたと思ったらなんでもない話題にほっと息をついた。でも顔を見ることができないので振り向かずに答える。
「別に、普通の話だよ」
「普通って何」
「だから、仕事の話」
「部長を見るお前の目、きらきらしてるんだもんな」
 やけにしつこい。この前も部長のことを気にしていたみたいだし、何か気にかかることでもあるのだろうか。言ってくれなくてはわからないのに。
「だって、尊敬してるから」
「それだけ? 恋愛感情は?」
「恋愛って……ないに決まってるじゃん。奥さんもお子さんもいる人だよ?」
「でも不倫してるって噂あるけど」
「え、うそ!」
 思わず振り向いてしまった。
 あの真面目で紳士で家族を大事にしている人が?
 そんなのありえない。目をまるくしたまま三ツ橋くんを見ていた。彼からもっと詳しいことを聞こうと思ったのに、彼は弱々しく笑っただけで部長のことをそれ以上は教えてくれなかった。
「……やっとこっち見た。理由はひどいけど」
「……」
 正気に戻って、再び彼に背中を向けた。
 やっぱり三ツ橋くんの顔を見てしまってはだめだ。心臓がうるさい。胸が苦しい。呼吸がうまくできない。
「あの、さ……この前ごめん」
「……」
「無視すんなって」
 なにか言いたくても、口をひらくことすら難しい。謝られて、どうしたらいいかわからない。いいよ、と笑うこともできないしどうしてあんなことしたの、と問い詰める勇気もない。私はいつからこんなに臆病になったのだろう。
「話問いてよ」
 彼の手が肩を掴んだ。無理やり顔をのぞき込まれそうになったので、手で覆い隠す。
「み、三ツ橋くんの顔見れないから、ごめん」
「っ」
 彼の手が震えた。
「それ、煽ってるってわかってる?」
「え……っ、んんっ!」
 ぐい、と身体を開かされて、彼の正面へ向かされた。ボタンが背後にある状態で、三ツ橋くんが覆いかぶさってくる。すぐにくちびるを塞がれた。呼吸ごと食べられてしまうような、最初から激しいキスだった。くちびるを無理やり開かされて、歯列をなぞり咥内を彼の舌が這う。
「……っ、……ねえ、何階行くの」
 キスの合間に三ツ橋くんが訊ねる。
「……ん、ぁ……13階」
 総務は13階だ。三ツ橋くんも目的地は一緒だと思っていたら違ったらしい。
「なんだよすぐじゃん」
 ふてくされたように言うわりに、身体は覆いかぶさったまま離れてくれない。恐らく13階に着いた、到着の軽い音がした。
「着いたよ」
「え、あ、降りる」
「だめ」
 腰を掴まれて引き止められる。そうこうしているうちにエレベーターの扉は閉まる。彼の手が、閉まるボタンを押しているのだとなんとなく思った。だって、エレベーターは動かない。
「ちょっと!」
「もうちょい」
「……んっ」
 再びくちびるが落とされる。
 我慢の限界だ、という風に荒々しい動きで私の咥内を舐める。舌を絡めて、唾液をすすり、くちびるを食む。ここがどこだか忘れているんじゃないかと思うくらい激しいものだった。
「やばい、オレとまんない」
 耳朶を食まれて囁かれる。息が耳にかかり声が洩れた。
「だ、だめだってば。ここ会社……」
「へえ、会社じゃないならいいんだ」
 笑った顔が、余裕なく歪んでいる。
 こんな顔するんだ、とぞくりとした。三ツ橋くんの欲情している時って、こんな顔。今も余裕があるわけではないけれど、前にキスをした時は今よりももっと余裕がなかったのであの時もこんな顔をしていたのだろうか。もっとちゃんと見ておけばよかった。
「だめ、だよ」
 好きだから完全に拒否はできない。でもエレベーターなんか、誰に見られるかわからない。いつ動き出すかもわからない。
 監視カメラだってきっとついている。今さら気づいてしまった。
 三ツ橋くんの胸を押して、はっきりと抵抗を見せた。
「もう、だめ」
「……今は我慢するから、今夜、ウチ来て」
「……」
 彼の言葉の意図はわかっている。もう子供じゃない。ただこのまま流されていいのか迷っているだけだ。
「な? 来て」
「……ん」
 耳元で囁かれると、もううなずくしかなかった。
 13階でもう一度ひらいた扉の先に一歩進む。彼は残ったままだ。振り返ることはしなかった。エレベーターの中はやけに温度が高かった。エレベーターホールがひんやりとしていて気持ちがいいくらいだった。
 ぼんやりしながらも落し物を総務に渡して執務室を出る。
 ああ、何やってるんだろう。私はどうしたいんだろう。きっと彼は遊びなのだろう。私が抵抗しないから好きなようにしているんだ。だって抵抗できない。好きだから。
 今夜、部屋に行ったらきっとするんだろう。そしたらセフレになったりするのかなぁ。
 私はそれでも行くことをやめられない。
 彼の温度を知ってしまったから。

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