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第1話 婚約者と偽りの私
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私を構成する全てが嘘。私は嘘でできている。
だから、私は今日も偽りの姿で、嘘を吐く。
でもこれだけは私の本当の言葉。心からの言葉。
「貴方が好き」
これだけは、本当の私の心。
―本当に? 本当にその想いはお前の想いなのか? それすらも作られた物とは疑わないのか?―
「こちらに、いらしたのですか?」
奥まった庭園の更に奥。鬱蒼と茂った木々の間にぽつんと建つ古びたカゼボがあります。
石造りの白い柱には緑の蔦が巻き付き、円形の屋根は元は何色であったかわからないほど黒ずんで、木々から張り出した枝に覆われてしまっています。
その中のベンチにポツンの黒髪の人物が腰を下ろしているのです。
その人物は私を一瞥したあと、すぐに手元に視線を戻してしまいました。そこには分厚い本が膝の上に広げられています。
またこんな薄暗いところで本を読んでいるなんて、ここなら、図書館の方がまだ明るいですわ。
「シオン様」
私は名を呼んで、ガゼボの中に立ち入り、シオン様の隣の席……一人分開けて、座ります。
秋口になったとはいえ、まだ日差しが痛く感じる日中の太陽の強い光を、遮るのにはいいかもしれませんが、あまりにも人の目がなさすぎます。
「昼食を持ってきましたのよ?」
そう言って私はシオン様との間に昼食が入ったバスケットを置きます。編み込まれた蓋付きの大きなバスケットですので、二人分の昼食など余裕で入ります。
「私の愛情をたっぷり入れて作りましたの」
すると顔を上げたシオン様の漆黒の瞳が私を捉えます。
はぁ……今日もシオン様は素敵ですわ。
「普通に作れ」
「昼食は変わり映えしない、いつものサンドイッチですわ」
これは聖女様が広めた食べ物なのです。片手間で食べられると、今では一般庶民まで広がって食べられている料理です。
はい。シオン様は、本を持ってお昼休みは何処かに消えられてしまいますので、簡単に食べられるサンドイッチを毎回私が用意しているのです。
「ですが、シオン様への愛はたっぷり入っていますわ!」
私はにこりと笑みを浮かべて宣言しますと、シオン様はフイッと顔をそむけて、また視線を下に戻されてしまいました。
シオン様が本に没頭する前に、私はバスケットの蓋を開けて、お皿を取り出します。
上に乗っているホコリよけの布を取りました。
そこには白いパン生地に具材を挟んで、食べやすいように一口サイズに切ったサンドイッチという料理があります。
私のおすすめは卵を混ぜて焼いた、卵焼きというものを挟んだサンドイッチです。最初はぐちゃぐちゃになっていましたが、今ではシェフに自慢できるほどキレイにできています。
次はハムカツサンドに、次が野菜を挟んだサンドイッチです。
これらは全て聖女様が考えたとお聞きしました。流石、聖女様と言うべきなのでしょう。
私はおすすめの卵焼きを挟んだタマゴサンドをシオン様に向って差し出します。
「シオン様。あーん!」
すると横目で私に視線を向けて、サンドイッチを見るシオン様。
「今日も卵焼きの出来は完璧ですわ。シオン様への愛情が入っていますもの」
「はぁ。ヴィオラ。毎回言っているが、自分で食べる」
そう言ってシオン様は私の手からサンドイッチを取って口の中に入れました。
あ……口角が少し上がったのでお口に合ったようです。
ぶっきらぼうなところがあるシオン様ですが、お優しいところもあるのですよ。
本を読みながら、サンドイッチをパクパクと食べだしましたので、私も安心して自分の昼食がとれるというものです。
これは私の料理がまずいというわけではなく、この場所に問題があるのです。
ここは王都の中でも貴族の子女が集まって勉学をともにするという名目の学園になります。
シオン様はシオンクラウス・アスティルという名のアスティル公爵子息様なのです。
普通であれば、ご実家のアスティル公爵家から学園に通うべきなのですが、公爵様と折り合いが悪く、学園の寮棟に住まわれているのです。
この学園生活で問題が起きているのです。
最初は体調を崩す程度だったのですが、意識を失うまでいき、学園としても国としても動かなくてはいけない状況になったのです。
そう、シオン様に毒が盛られるようになったのです。
そこはアスティル公爵家が動くべきなのですが、公爵様のシオン様への当たりが強いのは貴族社会では有名なことですから、国王陛下が動くことになったのです。
その聖女様の唯一のお子様がシオン様なのです。
黒髪の黒目。少し鋭い視線に、この辺りでは見かけないミステリアスな容姿。
はぁ、今日もシオン様は素敵ですわ。
そして、公爵様の当たりが強いのは、シオン様がお生まれになったことで、聖女様の体調が悪くなり、シオン様が五歳の時に儚くなられたからだと、噂されています。
「ヴィオラ。手が進んでいないがどうかしたのか?」
あら? 回想していましたら、いつの間にかシオン様はサンドイッチを食べ終わっていましたわ。
「味見でいくらか食べたので、お腹がいっぱいですの。まだ足りなかったら、如何ですか?」
私は私の分のサンドイッチをシオン様に差し出します。
味見でお腹がいっぱいだなんて嘘。
するとシオン様は自分の分のお皿と私の膝の上にあったお皿を交換し、タマゴサンドを手にとりました。
あ、やっぱり今日の出来は最高だったようです。
「ヴィオラ。昼からも授業があるのだから、一つぐらい食べておけ」
ぶっきらぼうに言いながら、シオン様は私にタマゴサンドを……え? これはこのまま食べていいということですか!
「シオン様が手ずから食べさせてくださるなんて……あーん。いっ!」
私がシオン様に向って口を開けると、デコピンをいただきました。額が痛いです。
「自分で食べろ」
「はい。とても残念ですわ」
額を押さえていた手を差し出すと、手が取られました。
え? なんですか?
シオン様の大きな手で手首を掴まれてしまいますと、ドキドキしてきます。このまま抱きついてもいいと?……でも、それはあまりにもはしたないですわ。
「この傷はどうしたんだ?」
傷ですか?
私の腕にはドレスの袖に隠れるように包帯が巻かれています。
「不思議なことに、包丁が空を飛んだのです」
これも嘘。
「包丁は空を飛ばない!」
「それが、置いてある包丁を触ると、ぴょんと跳ねたのです」
「それは置いてある場所が悪いというものだ。毎回刃物の置き場所には注意しろと言っているだろう!」
イライラ感を出したシオン様は、手に持っていたサンドイッチを口の中に放り込んでしまいました。
「ああ、シオン様が食べさせてくれるはずだったサンドイッチ!」
「自分で食べろと言っただろう! どうして包丁で右手を怪我するんだ!」
「不思議ですわね」
私が首を傾げて笑みを浮かべていますと、冷たい視線を私に向けて、腕の傷に治癒の魔法をかけてくれています。
聖魔法。それは素質がなければ使えない魔法です。
使い手のレベルもありますが、シオン様のように傷を無かったように治したり、穢を祓ったり、瘴気を浄化したりできる人は、ほんの一人握りの方々だけなのです。
これが聖属性の使い手が重宝される理由です。
「キレイになったぞ。何度も言うが、包丁の扱いには気をつけろ!!」
「治してくださってありがとうございます! シオン様! お礼にチューしていいですか?」
「しなくていいから食べろ!」
シオン様の方に身体を傾けますと、私の唇に柔らかい触感が……パンのいい香りがしますわね。
口を開けてぱくりとかぶりつきます。
ふふふ。シオン様から食べさせていただきましたわ。
私は頬に手を当てて、サンドイッチの味を噛み締めます。
このタマゴサンド、試食のときより美味しい気がしますわ。
遠くの方から、昼休みが終わる予鈴が聞こえてきます。
あ、このひとときの幸せの時間が終わってしまいました。
「ヴィオラ。美味しかった」
「よかったですわ」
この時間が終わってしまうのは残念ですが、仕方がありません。
シオン様は空になったお皿を私に返してくださいました。
そして、立ち上がって私を見下ろしてきます。
「一緒に戻るか?」
「私は片付けてから戻りますわ」
私はにこりと笑みを浮かべて、返事をします。
「そうか。午後の授業に遅れないようにしろ」
そう言ってシオン様はここを立ち去るかと思えば、私を屈んで見てきました。
え? 何ですか? こんなに近づいてきたら、抱きついちゃいますよ。
すると口の端をペロリと舐められる感覚が……
・
・
・
・
・
・
え? 舐められました?
「口の端にケチャップがついていたぞ。俺の婚約者なのだから、身なりはきちんとしておけ」
「……は……い……」
シオン様はニヤリとした笑みを浮かべて、立ち去っていかれました。
つぅぅぅぅ! 惜しい! もうちょっとでキスできたのではないのですか!
「今日はとても素敵な日です! シオン様からサンドイッチを食べさせてもらいましたし! もうちょっとで、チューできました!今度は絶対に私からチューします……だから、私の余韻を邪魔しないでください」
バスケットに手を入れて、振り向きざまに手に持ったものを背後に向って叩きつけます。
「『雷刃!』」
私が座っているベンチの後ろには黒い外套をまとった怪しい人物がいました。ですが、アイスピックのような物で脳天を突かれ、雷の刃を放たれた者は痙攣しながら、白目を向いて倒れていくところでした。
「私の余韻を邪魔するなんてムカつく」
腹の虫がおさまりませんので、もう一発、崩れていっている者の首に、太い針のような武器を打ち込みます。
これは『エランビィー』という大型の毒蜂の針を武器にしたものです。
人なんて一刺しであの世に行けるほどの猛毒が仕込まれています。
倒れている者を見おろしながら、辺りを警戒しますが、他は去ったようですね。
愚かしいことこの上ないですわ。
私のシオン様を狙うなど。
そうシオン様は狙われているのです。
シオン様の存在に価値を見出し攫おうとする奴らは、見る目があると内心褒めて差し上げますが、シオン様の存在が邪魔だという奴らは、この世から抹消していいと思います。
はい。私は国王陛下の命により婚約者に充てがわれた者です。
その役目はシオン様の命を守ることと……
「相変わらず素晴らしい腕ですね」
シオン様を利用しようという者達をあぶり出し、上に報告することです。
「まぁ、これは帝国の御方。お恥ずかしいところを見られてしまいましたわ」
私は暗器を袖の中に隠しつつ、振り返ります。そこには、銀髪の長身の青年が立っています。
歳は確かシオン様と同じ十八歳でしたわね。
シュテンバルテン帝国の第三皇子を名乗っているアルバート殿下です。
「ヴィオラ嬢。その腕を帝国の為に奮ってみませんか?」
「まぁ? 何度も言っておりますが、私はシオン様の婚約者ですから、無理ですわ」
「そうですか? 貴女が頷いてくださると、我々としても動きやすいのですよ。ヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢の偽物さん?」
「ふふふ。何度も繰り返しますが、私はシオン様の婚約者ですのよ。アルバート殿下の偽物様」
「クククッ」
「ふふふっ」
互いが互いを偽物と呼び合い笑い合う。
帝国はシオン様の価値を重く見ているのは称賛に値しますが、私を取り込もうとしているのは愚策だと申しておきます。
私は所詮、いっときの『シオン様の婚約者』でしかありませんから。
そう、私を構成している全てが嘘です。
ヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢という名は私にとって私を示す記号のようなもの。
よくある亜麻色の髪も榛色の瞳も、全てがヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢を示すものですが、【私】を示すものではないのです。
「午後の授業に遅れてしまいますが、よろしいのですか?」
「クククッ。これもいつも言っておりますが、勉学など私には不要ですので」
それは私にも言えますわね。この学園に在籍してシオン様の婚約者を演じておりますが、ここの経歴は本当の私には何も影響を与えないのです。
「今日は貴女に耳寄りな情報を持ってきたのですよ」
この銀髪の青年のニヤニヤとした笑みから推測するに、ろくでもない情報なのでしょう。
「マルディアン聖王国の第四王女との縁談が整いそうですよ」
その言葉にとうとうこの日が来たのかと思いました。シオン様は、今年学園を卒業します。
このままですと私と結婚することになるのですが、国としてはそれは絶対にありえません。
何故ならシオン様の聖属性を引き継ぐ子を望んでいるからです。ですから、シオン様の結婚相手は聖属性を持つ者と決められていると聞いています。ただ前述の通り聖属性を持つ方は希少なのです。
私はヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢を演じることで、聖属性の婚約者を宛がう時間を稼ぐという役目を負わされているのです。
「どうです? 帝国にいらしてくれる気になりましたか?」
目の前の銀髪の青年は、私が王国を裏切って帝国に寝返るように、そそのかしているのでしょう。
ですが、私が王国を裏切ることはありません。
何故なら私の全てが嘘で塗り固められた存在だからです。
「帝国の御方。私はまだ、シオン様の婚約者ですわ」
「そうですか。気が変わったら、いつでも声をかけてください」
そう言って、アルバート第三皇子の偽物の方は去っていきました。よくもまぁ、あの方が単独行動ができるものだと、関心します。
ですが、それが帝国の強みなのでしょう。
私はベンチに再び腰を下ろします。
「私には元から自由などないのです。だけど、心だけは自由。この想いだけは私だけの物です」
シオン様が好き。それだけは、偽りのない私の想いです。
だから、私は今日も偽りの姿で、嘘を吐く。
でもこれだけは私の本当の言葉。心からの言葉。
「貴方が好き」
これだけは、本当の私の心。
―本当に? 本当にその想いはお前の想いなのか? それすらも作られた物とは疑わないのか?―
「こちらに、いらしたのですか?」
奥まった庭園の更に奥。鬱蒼と茂った木々の間にぽつんと建つ古びたカゼボがあります。
石造りの白い柱には緑の蔦が巻き付き、円形の屋根は元は何色であったかわからないほど黒ずんで、木々から張り出した枝に覆われてしまっています。
その中のベンチにポツンの黒髪の人物が腰を下ろしているのです。
その人物は私を一瞥したあと、すぐに手元に視線を戻してしまいました。そこには分厚い本が膝の上に広げられています。
またこんな薄暗いところで本を読んでいるなんて、ここなら、図書館の方がまだ明るいですわ。
「シオン様」
私は名を呼んで、ガゼボの中に立ち入り、シオン様の隣の席……一人分開けて、座ります。
秋口になったとはいえ、まだ日差しが痛く感じる日中の太陽の強い光を、遮るのにはいいかもしれませんが、あまりにも人の目がなさすぎます。
「昼食を持ってきましたのよ?」
そう言って私はシオン様との間に昼食が入ったバスケットを置きます。編み込まれた蓋付きの大きなバスケットですので、二人分の昼食など余裕で入ります。
「私の愛情をたっぷり入れて作りましたの」
すると顔を上げたシオン様の漆黒の瞳が私を捉えます。
はぁ……今日もシオン様は素敵ですわ。
「普通に作れ」
「昼食は変わり映えしない、いつものサンドイッチですわ」
これは聖女様が広めた食べ物なのです。片手間で食べられると、今では一般庶民まで広がって食べられている料理です。
はい。シオン様は、本を持ってお昼休みは何処かに消えられてしまいますので、簡単に食べられるサンドイッチを毎回私が用意しているのです。
「ですが、シオン様への愛はたっぷり入っていますわ!」
私はにこりと笑みを浮かべて宣言しますと、シオン様はフイッと顔をそむけて、また視線を下に戻されてしまいました。
シオン様が本に没頭する前に、私はバスケットの蓋を開けて、お皿を取り出します。
上に乗っているホコリよけの布を取りました。
そこには白いパン生地に具材を挟んで、食べやすいように一口サイズに切ったサンドイッチという料理があります。
私のおすすめは卵を混ぜて焼いた、卵焼きというものを挟んだサンドイッチです。最初はぐちゃぐちゃになっていましたが、今ではシェフに自慢できるほどキレイにできています。
次はハムカツサンドに、次が野菜を挟んだサンドイッチです。
これらは全て聖女様が考えたとお聞きしました。流石、聖女様と言うべきなのでしょう。
私はおすすめの卵焼きを挟んだタマゴサンドをシオン様に向って差し出します。
「シオン様。あーん!」
すると横目で私に視線を向けて、サンドイッチを見るシオン様。
「今日も卵焼きの出来は完璧ですわ。シオン様への愛情が入っていますもの」
「はぁ。ヴィオラ。毎回言っているが、自分で食べる」
そう言ってシオン様は私の手からサンドイッチを取って口の中に入れました。
あ……口角が少し上がったのでお口に合ったようです。
ぶっきらぼうなところがあるシオン様ですが、お優しいところもあるのですよ。
本を読みながら、サンドイッチをパクパクと食べだしましたので、私も安心して自分の昼食がとれるというものです。
これは私の料理がまずいというわけではなく、この場所に問題があるのです。
ここは王都の中でも貴族の子女が集まって勉学をともにするという名目の学園になります。
シオン様はシオンクラウス・アスティルという名のアスティル公爵子息様なのです。
普通であれば、ご実家のアスティル公爵家から学園に通うべきなのですが、公爵様と折り合いが悪く、学園の寮棟に住まわれているのです。
この学園生活で問題が起きているのです。
最初は体調を崩す程度だったのですが、意識を失うまでいき、学園としても国としても動かなくてはいけない状況になったのです。
そう、シオン様に毒が盛られるようになったのです。
そこはアスティル公爵家が動くべきなのですが、公爵様のシオン様への当たりが強いのは貴族社会では有名なことですから、国王陛下が動くことになったのです。
その聖女様の唯一のお子様がシオン様なのです。
黒髪の黒目。少し鋭い視線に、この辺りでは見かけないミステリアスな容姿。
はぁ、今日もシオン様は素敵ですわ。
そして、公爵様の当たりが強いのは、シオン様がお生まれになったことで、聖女様の体調が悪くなり、シオン様が五歳の時に儚くなられたからだと、噂されています。
「ヴィオラ。手が進んでいないがどうかしたのか?」
あら? 回想していましたら、いつの間にかシオン様はサンドイッチを食べ終わっていましたわ。
「味見でいくらか食べたので、お腹がいっぱいですの。まだ足りなかったら、如何ですか?」
私は私の分のサンドイッチをシオン様に差し出します。
味見でお腹がいっぱいだなんて嘘。
するとシオン様は自分の分のお皿と私の膝の上にあったお皿を交換し、タマゴサンドを手にとりました。
あ、やっぱり今日の出来は最高だったようです。
「ヴィオラ。昼からも授業があるのだから、一つぐらい食べておけ」
ぶっきらぼうに言いながら、シオン様は私にタマゴサンドを……え? これはこのまま食べていいということですか!
「シオン様が手ずから食べさせてくださるなんて……あーん。いっ!」
私がシオン様に向って口を開けると、デコピンをいただきました。額が痛いです。
「自分で食べろ」
「はい。とても残念ですわ」
額を押さえていた手を差し出すと、手が取られました。
え? なんですか?
シオン様の大きな手で手首を掴まれてしまいますと、ドキドキしてきます。このまま抱きついてもいいと?……でも、それはあまりにもはしたないですわ。
「この傷はどうしたんだ?」
傷ですか?
私の腕にはドレスの袖に隠れるように包帯が巻かれています。
「不思議なことに、包丁が空を飛んだのです」
これも嘘。
「包丁は空を飛ばない!」
「それが、置いてある包丁を触ると、ぴょんと跳ねたのです」
「それは置いてある場所が悪いというものだ。毎回刃物の置き場所には注意しろと言っているだろう!」
イライラ感を出したシオン様は、手に持っていたサンドイッチを口の中に放り込んでしまいました。
「ああ、シオン様が食べさせてくれるはずだったサンドイッチ!」
「自分で食べろと言っただろう! どうして包丁で右手を怪我するんだ!」
「不思議ですわね」
私が首を傾げて笑みを浮かべていますと、冷たい視線を私に向けて、腕の傷に治癒の魔法をかけてくれています。
聖魔法。それは素質がなければ使えない魔法です。
使い手のレベルもありますが、シオン様のように傷を無かったように治したり、穢を祓ったり、瘴気を浄化したりできる人は、ほんの一人握りの方々だけなのです。
これが聖属性の使い手が重宝される理由です。
「キレイになったぞ。何度も言うが、包丁の扱いには気をつけろ!!」
「治してくださってありがとうございます! シオン様! お礼にチューしていいですか?」
「しなくていいから食べろ!」
シオン様の方に身体を傾けますと、私の唇に柔らかい触感が……パンのいい香りがしますわね。
口を開けてぱくりとかぶりつきます。
ふふふ。シオン様から食べさせていただきましたわ。
私は頬に手を当てて、サンドイッチの味を噛み締めます。
このタマゴサンド、試食のときより美味しい気がしますわ。
遠くの方から、昼休みが終わる予鈴が聞こえてきます。
あ、このひとときの幸せの時間が終わってしまいました。
「ヴィオラ。美味しかった」
「よかったですわ」
この時間が終わってしまうのは残念ですが、仕方がありません。
シオン様は空になったお皿を私に返してくださいました。
そして、立ち上がって私を見下ろしてきます。
「一緒に戻るか?」
「私は片付けてから戻りますわ」
私はにこりと笑みを浮かべて、返事をします。
「そうか。午後の授業に遅れないようにしろ」
そう言ってシオン様はここを立ち去るかと思えば、私を屈んで見てきました。
え? 何ですか? こんなに近づいてきたら、抱きついちゃいますよ。
すると口の端をペロリと舐められる感覚が……
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え? 舐められました?
「口の端にケチャップがついていたぞ。俺の婚約者なのだから、身なりはきちんとしておけ」
「……は……い……」
シオン様はニヤリとした笑みを浮かべて、立ち去っていかれました。
つぅぅぅぅ! 惜しい! もうちょっとでキスできたのではないのですか!
「今日はとても素敵な日です! シオン様からサンドイッチを食べさせてもらいましたし! もうちょっとで、チューできました!今度は絶対に私からチューします……だから、私の余韻を邪魔しないでください」
バスケットに手を入れて、振り向きざまに手に持ったものを背後に向って叩きつけます。
「『雷刃!』」
私が座っているベンチの後ろには黒い外套をまとった怪しい人物がいました。ですが、アイスピックのような物で脳天を突かれ、雷の刃を放たれた者は痙攣しながら、白目を向いて倒れていくところでした。
「私の余韻を邪魔するなんてムカつく」
腹の虫がおさまりませんので、もう一発、崩れていっている者の首に、太い針のような武器を打ち込みます。
これは『エランビィー』という大型の毒蜂の針を武器にしたものです。
人なんて一刺しであの世に行けるほどの猛毒が仕込まれています。
倒れている者を見おろしながら、辺りを警戒しますが、他は去ったようですね。
愚かしいことこの上ないですわ。
私のシオン様を狙うなど。
そうシオン様は狙われているのです。
シオン様の存在に価値を見出し攫おうとする奴らは、見る目があると内心褒めて差し上げますが、シオン様の存在が邪魔だという奴らは、この世から抹消していいと思います。
はい。私は国王陛下の命により婚約者に充てがわれた者です。
その役目はシオン様の命を守ることと……
「相変わらず素晴らしい腕ですね」
シオン様を利用しようという者達をあぶり出し、上に報告することです。
「まぁ、これは帝国の御方。お恥ずかしいところを見られてしまいましたわ」
私は暗器を袖の中に隠しつつ、振り返ります。そこには、銀髪の長身の青年が立っています。
歳は確かシオン様と同じ十八歳でしたわね。
シュテンバルテン帝国の第三皇子を名乗っているアルバート殿下です。
「ヴィオラ嬢。その腕を帝国の為に奮ってみませんか?」
「まぁ? 何度も言っておりますが、私はシオン様の婚約者ですから、無理ですわ」
「そうですか? 貴女が頷いてくださると、我々としても動きやすいのですよ。ヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢の偽物さん?」
「ふふふ。何度も繰り返しますが、私はシオン様の婚約者ですのよ。アルバート殿下の偽物様」
「クククッ」
「ふふふっ」
互いが互いを偽物と呼び合い笑い合う。
帝国はシオン様の価値を重く見ているのは称賛に値しますが、私を取り込もうとしているのは愚策だと申しておきます。
私は所詮、いっときの『シオン様の婚約者』でしかありませんから。
そう、私を構成している全てが嘘です。
ヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢という名は私にとって私を示す記号のようなもの。
よくある亜麻色の髪も榛色の瞳も、全てがヴィオラローズ・サルヴァードル伯爵令嬢を示すものですが、【私】を示すものではないのです。
「午後の授業に遅れてしまいますが、よろしいのですか?」
「クククッ。これもいつも言っておりますが、勉学など私には不要ですので」
それは私にも言えますわね。この学園に在籍してシオン様の婚約者を演じておりますが、ここの経歴は本当の私には何も影響を与えないのです。
「今日は貴女に耳寄りな情報を持ってきたのですよ」
この銀髪の青年のニヤニヤとした笑みから推測するに、ろくでもない情報なのでしょう。
「マルディアン聖王国の第四王女との縁談が整いそうですよ」
その言葉にとうとうこの日が来たのかと思いました。シオン様は、今年学園を卒業します。
このままですと私と結婚することになるのですが、国としてはそれは絶対にありえません。
何故ならシオン様の聖属性を引き継ぐ子を望んでいるからです。ですから、シオン様の結婚相手は聖属性を持つ者と決められていると聞いています。ただ前述の通り聖属性を持つ方は希少なのです。
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「どうです? 帝国にいらしてくれる気になりましたか?」
目の前の銀髪の青年は、私が王国を裏切って帝国に寝返るように、そそのかしているのでしょう。
ですが、私が王国を裏切ることはありません。
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「帝国の御方。私はまだ、シオン様の婚約者ですわ」
「そうですか。気が変わったら、いつでも声をかけてください」
そう言って、アルバート第三皇子の偽物の方は去っていきました。よくもまぁ、あの方が単独行動ができるものだと、関心します。
ですが、それが帝国の強みなのでしょう。
私はベンチに再び腰を下ろします。
「私には元から自由などないのです。だけど、心だけは自由。この想いだけは私だけの物です」
シオン様が好き。それだけは、偽りのない私の想いです。
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「ビリョーク様」
「ララージャ、会いたかった」
侯爵家の子息は、婚約者令嬢ではない少女との距離が近かった。
婚約者に会いに来ているはずのビリョークは、婚約者の屋敷に隠されている少女ララージャと過ごし、当の婚約者ヒルデの顔を見ぬまま帰ることはよくあった。
「ララージャ…婚約者を君に変更してもらうように、当主に話そうと思う」
ララージャは目を輝かせていた。
「ヒルデと、婚約解消を?そして、私と…?」
ビリョークはララージャを抱きしめて、力強く頷いた。
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