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6 食事会からのお母様との対話
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支度が早めに終わり、部屋にいても落ち着かなかったので、半時ほど早く食卓へ向かった。
すると、ほどなくしてお母様が現れた。久しぶりに見るお母様は、記憶より若く見える。
私は何も見えていなかったが、お母様はいつも手を抜かず、きちんと着飾って食事会に臨んでいた。
相変わらずの無表情だが、私がいるのに気づくと、少しだけ驚いたように目を見開き、私のリボンやブローチに視線を移す。
そして、唇の端がわずかに上がった。気のせいかと思うほどの微笑。
けれど、侍女長の話を聞いた今の私には、それが確かな喜びの証に見えた。
「お母様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
そうしていると、父も入ってきた。半時も早く来たはずなのに、二人とも、もともと早くから待っていてくれたのだろうか。
「お父様、ごきげんよう」
声をかけると、父もまた、私の姿に驚き、ブローチに目を留め、目を細めた。
感情の読みにくい父だが、もしかすると、喜んでくださったのかもしれない。
やがて光矢も入ってきて、食事が始まった。
「お父様、お母様、私、光矢と一緒に体術を習うことにしました。お許し願えますか?」
二人とも、わずかに驚いた表情を見せる。
「いいだろう。ただし、他のことがおろそかになったら、すぐやめるように」
父の低い声が響く。
母は何も言わなかったが、よく見なければ気づかないほどに、また唇の端が上がっていた。
「ありがとうございます。もちろん、他のことにも手は抜きません」
光矢が笑顔でこちらを見ている。
食事の最中、父と母の様子をそっと窺ってみると、どうやら二人とも相手のことを気にしているようだ。
その雰囲気は、冷めきった夫婦というより、むしろ思春期の両片思いのようだ。観察しているうちに、食事会はあっという間に終わった。
「光矢、なんだかお父様とお母様の様子、可愛らしく見えたのだけれど、気のせいかしら」
「あの二人はいつもあんな感じだったよ。姉さまは、あまり見ないようにしてたから気づかなかっただけだと思う」
——えっ。
「光矢、あなたから見て、お父様とお母様はどういう人?」
「うーん……お互いすごく不器用な感じかな」
六歳児にそう言われる大人とは……。
「光矢は怖くはないの?…その、黒いもやもやは出ていない?」
「もやもやはあるけど、心底性根が腐った人のそれじゃなくて……ずっと苦悩している人のもやもや、って感じかな」
「悩みがあるのね」
「うん、そんな感じ。僕は両親のことはとくになんとも思わないな……姉さまがずっと一緒にいてくれたから、寂しくなかったし」
その言葉に胸が熱くなる。
「私、まずはお母様と話してみる」
「それがいいと思うよ」
お母様は食事会の日の夜だけは、うちに泊まる。さっそく部屋を訪ねることにした。
「お母様、瑞葉です。今よろしいですか?」
中で、ぱりん、と何かが壊れる音がした。
「……少し待っていなさい」
しばらくして、何かを片付け終えた様子の使用人が、にこやかに出てきた。
この屋敷ではあまり見ない顔だ。お母様の側付きの者なのだろう。
「さあさあ、お嬢様、お入りください」
「失礼します」
——こうして正面から話すのは、生まれて初めてだ。途端に緊張する。
「あの……」
「体術を習うことにしたのね」
言い淀んでいたらお母様の方から、話しかけてくれた。
「……はい。もし神気が封じられたら、何もできなくなると思いまして」
「そう」
会話が途切れる。
「……このリボン、可愛くてとっても気に入っています。ありがとうございます」
お母様はすっとリボンを見て、少し嬉しそうに微笑む。
「やっぱりよく似合ってるわ」
この言葉だけで、十分だ。たとえ侍女が選んだものであっても。
「青玉の産地の瑞ヶ原へ行く機会があったときに見つけて、あなたによく似合うと思って買ったの」
——衝撃だった。
「えっ……お母様ご自身で?」
お母様は一瞬、寂しそうな表情を浮かべた。
「そう思われても仕方ないわね」
「申し訳ありません。……ある人から、贈り物はすべて侍女が選んでいると聞かされたことがあって」
悲しげだった表情が一変し、
「誰がそんなデタラメを?」
神気が漏れ出し、扇がメキメキと音を立てた。
「従姉妹の花蓮です」
お母様はすっと無表情に戻り、
「ああ、あの女狐の娘ね。親子揃ってろくでもない」
と小さく呟いた。
——氷の淑女と呼ばれる母の表情が、この数刻でずいぶん豊かになった気がする。
「……あの親子の言うことは、真に受けてはだめよ」
なぜ、こんな人と距離を置いていたのだろう。
お母様はただ不器用で、子どもとどう接していいかわからなかっただけ。実家も上大位の家格で、格式が高いほど家族の触れ合いは薄いと聞く。
ふと、サイドテーブルに目をやると、開封済みのワインの瓶があった。半分ほど減っているが、グラスはない。
もしかして、先ほどの音は、ワインを嗜んでいるところに私の声がして、驚いてグラスを落としたのかもしれない。
そう思うと、妙に親しみが湧く。
「お父様とは、お話されていますか?」
少し踏み込みすぎたかと思ったが、お酒の勢いがある今なら、と。
お母様は悲しそうに、
「結婚以来、必要な報告以外は話していないわ」
と答えた。
「お母様は、お父様をどう思っていらっしゃるのですか?」
「……とても素敵な方だと思っているわ。結婚相手が蒼一さんだと聞いたときは、本当に嬉しかったの」
と、頬を染めて微笑む。
「でも……蒼一さんはそうではなかったみたい。家格の高い家からの申し込みに断れなかったそうよ。好きな人がいたのだとか」
「それは、お父様から?」
「言ったでしょ? 必要な報告しかしないって」
お母様はソファにもたれ、まぶたが落ちかけている。
そろそろお暇しようと立ち上がろうとしたとき——
「あなたのことも、光矢のことも愛してるわ。でも……愛し方がわからないの。私も、親から愛された記憶がないから」
そう呟いて、すうっと眠りに落ちた。
その顔は、とても穏やかだった。
そばにあった金糸を織り込んだ薄絹をそっと肩に掛け、部屋を出る。
廊下でちょうど側付きの者に会ったので、お母様が眠ってしまったことを伝えた。
——この勢いで、お父様の部屋にも行ってしまいましょう。
すると、ほどなくしてお母様が現れた。久しぶりに見るお母様は、記憶より若く見える。
私は何も見えていなかったが、お母様はいつも手を抜かず、きちんと着飾って食事会に臨んでいた。
相変わらずの無表情だが、私がいるのに気づくと、少しだけ驚いたように目を見開き、私のリボンやブローチに視線を移す。
そして、唇の端がわずかに上がった。気のせいかと思うほどの微笑。
けれど、侍女長の話を聞いた今の私には、それが確かな喜びの証に見えた。
「お母様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
そうしていると、父も入ってきた。半時も早く来たはずなのに、二人とも、もともと早くから待っていてくれたのだろうか。
「お父様、ごきげんよう」
声をかけると、父もまた、私の姿に驚き、ブローチに目を留め、目を細めた。
感情の読みにくい父だが、もしかすると、喜んでくださったのかもしれない。
やがて光矢も入ってきて、食事が始まった。
「お父様、お母様、私、光矢と一緒に体術を習うことにしました。お許し願えますか?」
二人とも、わずかに驚いた表情を見せる。
「いいだろう。ただし、他のことがおろそかになったら、すぐやめるように」
父の低い声が響く。
母は何も言わなかったが、よく見なければ気づかないほどに、また唇の端が上がっていた。
「ありがとうございます。もちろん、他のことにも手は抜きません」
光矢が笑顔でこちらを見ている。
食事の最中、父と母の様子をそっと窺ってみると、どうやら二人とも相手のことを気にしているようだ。
その雰囲気は、冷めきった夫婦というより、むしろ思春期の両片思いのようだ。観察しているうちに、食事会はあっという間に終わった。
「光矢、なんだかお父様とお母様の様子、可愛らしく見えたのだけれど、気のせいかしら」
「あの二人はいつもあんな感じだったよ。姉さまは、あまり見ないようにしてたから気づかなかっただけだと思う」
——えっ。
「光矢、あなたから見て、お父様とお母様はどういう人?」
「うーん……お互いすごく不器用な感じかな」
六歳児にそう言われる大人とは……。
「光矢は怖くはないの?…その、黒いもやもやは出ていない?」
「もやもやはあるけど、心底性根が腐った人のそれじゃなくて……ずっと苦悩している人のもやもや、って感じかな」
「悩みがあるのね」
「うん、そんな感じ。僕は両親のことはとくになんとも思わないな……姉さまがずっと一緒にいてくれたから、寂しくなかったし」
その言葉に胸が熱くなる。
「私、まずはお母様と話してみる」
「それがいいと思うよ」
お母様は食事会の日の夜だけは、うちに泊まる。さっそく部屋を訪ねることにした。
「お母様、瑞葉です。今よろしいですか?」
中で、ぱりん、と何かが壊れる音がした。
「……少し待っていなさい」
しばらくして、何かを片付け終えた様子の使用人が、にこやかに出てきた。
この屋敷ではあまり見ない顔だ。お母様の側付きの者なのだろう。
「さあさあ、お嬢様、お入りください」
「失礼します」
——こうして正面から話すのは、生まれて初めてだ。途端に緊張する。
「あの……」
「体術を習うことにしたのね」
言い淀んでいたらお母様の方から、話しかけてくれた。
「……はい。もし神気が封じられたら、何もできなくなると思いまして」
「そう」
会話が途切れる。
「……このリボン、可愛くてとっても気に入っています。ありがとうございます」
お母様はすっとリボンを見て、少し嬉しそうに微笑む。
「やっぱりよく似合ってるわ」
この言葉だけで、十分だ。たとえ侍女が選んだものであっても。
「青玉の産地の瑞ヶ原へ行く機会があったときに見つけて、あなたによく似合うと思って買ったの」
——衝撃だった。
「えっ……お母様ご自身で?」
お母様は一瞬、寂しそうな表情を浮かべた。
「そう思われても仕方ないわね」
「申し訳ありません。……ある人から、贈り物はすべて侍女が選んでいると聞かされたことがあって」
悲しげだった表情が一変し、
「誰がそんなデタラメを?」
神気が漏れ出し、扇がメキメキと音を立てた。
「従姉妹の花蓮です」
お母様はすっと無表情に戻り、
「ああ、あの女狐の娘ね。親子揃ってろくでもない」
と小さく呟いた。
——氷の淑女と呼ばれる母の表情が、この数刻でずいぶん豊かになった気がする。
「……あの親子の言うことは、真に受けてはだめよ」
なぜ、こんな人と距離を置いていたのだろう。
お母様はただ不器用で、子どもとどう接していいかわからなかっただけ。実家も上大位の家格で、格式が高いほど家族の触れ合いは薄いと聞く。
ふと、サイドテーブルに目をやると、開封済みのワインの瓶があった。半分ほど減っているが、グラスはない。
もしかして、先ほどの音は、ワインを嗜んでいるところに私の声がして、驚いてグラスを落としたのかもしれない。
そう思うと、妙に親しみが湧く。
「お父様とは、お話されていますか?」
少し踏み込みすぎたかと思ったが、お酒の勢いがある今なら、と。
お母様は悲しそうに、
「結婚以来、必要な報告以外は話していないわ」
と答えた。
「お母様は、お父様をどう思っていらっしゃるのですか?」
「……とても素敵な方だと思っているわ。結婚相手が蒼一さんだと聞いたときは、本当に嬉しかったの」
と、頬を染めて微笑む。
「でも……蒼一さんはそうではなかったみたい。家格の高い家からの申し込みに断れなかったそうよ。好きな人がいたのだとか」
「それは、お父様から?」
「言ったでしょ? 必要な報告しかしないって」
お母様はソファにもたれ、まぶたが落ちかけている。
そろそろお暇しようと立ち上がろうとしたとき——
「あなたのことも、光矢のことも愛してるわ。でも……愛し方がわからないの。私も、親から愛された記憶がないから」
そう呟いて、すうっと眠りに落ちた。
その顔は、とても穏やかだった。
そばにあった金糸を織り込んだ薄絹をそっと肩に掛け、部屋を出る。
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——この勢いで、お父様の部屋にも行ってしまいましょう。
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