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act-4 母親
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翌日、西新宿の公園。
指定された場所に行くと、ベンチにポツンとミチルが座っていた。彼女の隣には、ハンドルが伸びたままの小さなキャリーバッグが置いてある。まるで都会で迷子になった家出少女のようだ。
「ミチルちゃんだね」
九条が近づき声をかけるとミチルは顔を上げこくりと頷いた。九条を見上げた大きな瞳の光は弱々しく、長いまつ毛は濡れていた。
「隣、いいかな?」
ミチルが小さく「はい」と言って目を伏せると、九条は担いでいたバッグを足元に置き彼女の隣に少し間隔を空けて腰掛けた。バッグの中にはいつでも撮影が始められるようにカメラが入っている。だが、こいつを今日使うのは今まで以上に細心の注意が必要だ。
「どうして俺の連絡先を知ってたの?」
「事務所に遊びに行った時、鴨志田さんの机の上に名刺が置いてあって」
ミチルは目を伏せたまま弱々しく答えた。
「名刺‥俺の?」
「ごめんなさい。自分でもよく分からないけど‥気づいたら、九条さんの名刺写メで撮ってたの」
そしてもう一度「ごめんなさい」と付け加えた。
「でも、なんで俺に連絡くれたのかな?」
「‥」
「何か話したいことがあるとか、困ったことがあるとか?」
ミチルが無言で頷く。
九条の胸中を葛藤が渦巻いた。
このドキュメンタリー、ハルは読める。最大のキーとなるのは “いかにハルの周りに集まってくる女の子たちを取材するか?” だ。どのように彼女たちとコミュニケーションを取り、その姿をカメラに記録していくかが問題だった。
今、その被写体が向こうから近づいてきたのである。しかも、九条が狙いをつけた子だ。が、こうして彼女たちに深入りしていって良いのだろうか?芸能人にカメラを向けるのとはワケが違う。少なくともミチルは何か大きな問題を抱え、純粋に九条を頼ってきた。もしかするとかなり状況は深刻かもしれない。その被写体にカメラを向け、関わり、責任が取れるのか?
「ハルや鴨志田さんに連絡しようとは思わなかったの?」
「ハルちゃんや鴨志田さんに迷惑かけたくなかったし」
「‥」
「九条さんなら話聞いてくれるかなって思って」
ミチルの言葉を聞き九条は腹を括った。そして賭けに出た。
「俺にできることがあればしてあげたい。相談にも乗る。でも、俺からもひとつお願いがあるんだ」
俯いていたミチルが顔をあげ、そして九条を見た。怯えた眼差しが九条を突き刺すが怯まず続けた。
「ミチルちゃんの言葉を記録しておきたいんだ。だから‥カメラまわしてもいいかな?」
思い切って聞いた九条にミチルはしばらく考え、そして「はい」と答えた。
大きな瞳に貼りついた怯えはそのままに‥
***********************************
15分後、タクシーの後部座席。
九条が構えるカメラのファインダーには、隣に座り窓外の景色をぼんやりと見ているミチルが映っている。タクシーは今、ミチルの自宅に向かっていた。
取材を了承したミチルは、バッグからカメラを取り出した九条に言った。
「ここは人がいるから‥九条さん、私の家に来ませんか?」
九条にとっては願ってもない申し出だ。ドキュメンタリーの取材はパーソナルな空間であればあるほど良い。被写体の匂いや空気感が感じられるからだ。
15分ほど走り閑静な住宅街についた。タクシーが走り去ると、ミチルはキャリーバッグをゴロゴロと引きづりながら大きな門構えの家に入って行く。
-ふーん、やっぱりいいとこのお嬢じゃないか-
九条はカメラをバッグにしまい彼女の背を追った。ミチルがドアホンを押す。しばらくすると扉が勢いよく開かれ、華やかな女性が出迎えた。
「ミチル?」
「ただいま」
彼女はすぐ「あら、こちらは?」と、九条に視線を向けた。
「九条さん。ハルちゃんの取材をしてるディレクターさん」
「ハルちゃん?誰」
「私の好きな歌手」
「へー、そうなの」
「突然すみません。九条と申します」
「ミチルの母です」
警戒されることを覚悟していた九条はやや拍子抜けしたが、慌てて名刺を取り出し母親に渡した。彼女はそれを受け取ると「ホントにディレクターって書いてある!」と、聞き様によってはやや失礼な言い方をした。が、彼女の言葉は不快ではなかった。その言い方があまりに無邪気だったからだ。
それにしても若い。薄手の白いワンピースを着た彼女は、言われなければミチルの姉だと思っただろう。
「どんなお仕事をしてるんですか?」」
「僕はフリーなので、いろんなテレビ局から仕事をもらってやってます。今回ハルさんのドキュメンタリーを作ってまして、ファンの子たちにも取材をしてるんです」
「あら、あなたもテレビに出るの?」
母親は、キャリーバックを抱え階段を上りかけているミチルに声をかける。ミチルは「わかんない」と背中で答えた。
「どうぞ。階段上がって左がミチルの部屋です」
九条は「お邪魔します」と言いながら、促されるままミチルの後を追った。
「九条さん」
声に振り向くと、階下に満面の笑みがあった。
「珈琲でいいかしら」
「あっ、お構いなく」
「美味しい珈琲があるの。ミチルにもそう言っておいてね」
「すみません。じゃあご馳走になります」
『みちる』という木のプレートがかかった部屋をノックすると「はい」という声が聞こえた。ドアを開けるとハルの顔が目に飛び込んできた。所狭しとハルのポスターや写真が飾られた部屋‥ミチルはキャリーバックをベッドの脇に置くと振り向き、九条に「入っていいですよ」と言った。
「いいお母さんだね」
「どうしてですか?」
「いや、優しそうだし。今、俺とミチルちゃんに珈琲を淹れてくれるってさ」
「そうですか」
ミチルの言葉は素っ気ない。九条は「それに若くて綺麗でびっくりしたよ」と冗談ぽく付け加えた。
「九条さん。私、家に帰るの5日振りなんです」
「?」
「ずっとネットカフェにいたんで」
「だって‥お母さん何も」
「たぶんお母さん、私が家にいなかったこと知らないと思います」
「えっ?」
「それに私、珈琲飲めないし」
「‥」
「私のこと全然興味無いんで、お母さん」
瞬間、九条の脳裏でミチルと母親の会話がフラッシュバックした。
『ただいま』『ミチル?‥ミチル?‥』『ハルちゃん?誰』『私の好きな歌手』『へー、そうなの、そうなの‥』『美味しい珈琲があるの、ミチルにも言っておいて‥ミチルにも‥』
「お待ちどうさまー!」
不意に背後で声がして、振り向くと母親が立っていた。
「これ、先週お友達にもらった珈琲」
「ど‥どうも」
ぎこちなく礼を言う九条に母親は「マンデリンなの」と付け加え、そして「美味しいわよ」とミチルにマブカップを手渡す。一点の曇りもない笑顔に九条は背筋が寒くなった。
「じゃあミチル、私はお友達と約束があるから出かけるわね」
「うん、行ってらっしゃい」
「九条さん、ごゆっくり」
微かな香水の匂いを残し母親は部屋を出て行った。振り向いた九条の視線の先に、ポツンと取り残されたようなミチルがいた。この部屋を支配するハルと小さなキャリーバッグ‥まるでその二つだけが今のミチルの全てであるかのようだった。
指定された場所に行くと、ベンチにポツンとミチルが座っていた。彼女の隣には、ハンドルが伸びたままの小さなキャリーバッグが置いてある。まるで都会で迷子になった家出少女のようだ。
「ミチルちゃんだね」
九条が近づき声をかけるとミチルは顔を上げこくりと頷いた。九条を見上げた大きな瞳の光は弱々しく、長いまつ毛は濡れていた。
「隣、いいかな?」
ミチルが小さく「はい」と言って目を伏せると、九条は担いでいたバッグを足元に置き彼女の隣に少し間隔を空けて腰掛けた。バッグの中にはいつでも撮影が始められるようにカメラが入っている。だが、こいつを今日使うのは今まで以上に細心の注意が必要だ。
「どうして俺の連絡先を知ってたの?」
「事務所に遊びに行った時、鴨志田さんの机の上に名刺が置いてあって」
ミチルは目を伏せたまま弱々しく答えた。
「名刺‥俺の?」
「ごめんなさい。自分でもよく分からないけど‥気づいたら、九条さんの名刺写メで撮ってたの」
そしてもう一度「ごめんなさい」と付け加えた。
「でも、なんで俺に連絡くれたのかな?」
「‥」
「何か話したいことがあるとか、困ったことがあるとか?」
ミチルが無言で頷く。
九条の胸中を葛藤が渦巻いた。
このドキュメンタリー、ハルは読める。最大のキーとなるのは “いかにハルの周りに集まってくる女の子たちを取材するか?” だ。どのように彼女たちとコミュニケーションを取り、その姿をカメラに記録していくかが問題だった。
今、その被写体が向こうから近づいてきたのである。しかも、九条が狙いをつけた子だ。が、こうして彼女たちに深入りしていって良いのだろうか?芸能人にカメラを向けるのとはワケが違う。少なくともミチルは何か大きな問題を抱え、純粋に九条を頼ってきた。もしかするとかなり状況は深刻かもしれない。その被写体にカメラを向け、関わり、責任が取れるのか?
「ハルや鴨志田さんに連絡しようとは思わなかったの?」
「ハルちゃんや鴨志田さんに迷惑かけたくなかったし」
「‥」
「九条さんなら話聞いてくれるかなって思って」
ミチルの言葉を聞き九条は腹を括った。そして賭けに出た。
「俺にできることがあればしてあげたい。相談にも乗る。でも、俺からもひとつお願いがあるんだ」
俯いていたミチルが顔をあげ、そして九条を見た。怯えた眼差しが九条を突き刺すが怯まず続けた。
「ミチルちゃんの言葉を記録しておきたいんだ。だから‥カメラまわしてもいいかな?」
思い切って聞いた九条にミチルはしばらく考え、そして「はい」と答えた。
大きな瞳に貼りついた怯えはそのままに‥
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15分後、タクシーの後部座席。
九条が構えるカメラのファインダーには、隣に座り窓外の景色をぼんやりと見ているミチルが映っている。タクシーは今、ミチルの自宅に向かっていた。
取材を了承したミチルは、バッグからカメラを取り出した九条に言った。
「ここは人がいるから‥九条さん、私の家に来ませんか?」
九条にとっては願ってもない申し出だ。ドキュメンタリーの取材はパーソナルな空間であればあるほど良い。被写体の匂いや空気感が感じられるからだ。
15分ほど走り閑静な住宅街についた。タクシーが走り去ると、ミチルはキャリーバッグをゴロゴロと引きづりながら大きな門構えの家に入って行く。
-ふーん、やっぱりいいとこのお嬢じゃないか-
九条はカメラをバッグにしまい彼女の背を追った。ミチルがドアホンを押す。しばらくすると扉が勢いよく開かれ、華やかな女性が出迎えた。
「ミチル?」
「ただいま」
彼女はすぐ「あら、こちらは?」と、九条に視線を向けた。
「九条さん。ハルちゃんの取材をしてるディレクターさん」
「ハルちゃん?誰」
「私の好きな歌手」
「へー、そうなの」
「突然すみません。九条と申します」
「ミチルの母です」
警戒されることを覚悟していた九条はやや拍子抜けしたが、慌てて名刺を取り出し母親に渡した。彼女はそれを受け取ると「ホントにディレクターって書いてある!」と、聞き様によってはやや失礼な言い方をした。が、彼女の言葉は不快ではなかった。その言い方があまりに無邪気だったからだ。
それにしても若い。薄手の白いワンピースを着た彼女は、言われなければミチルの姉だと思っただろう。
「どんなお仕事をしてるんですか?」」
「僕はフリーなので、いろんなテレビ局から仕事をもらってやってます。今回ハルさんのドキュメンタリーを作ってまして、ファンの子たちにも取材をしてるんです」
「あら、あなたもテレビに出るの?」
母親は、キャリーバックを抱え階段を上りかけているミチルに声をかける。ミチルは「わかんない」と背中で答えた。
「どうぞ。階段上がって左がミチルの部屋です」
九条は「お邪魔します」と言いながら、促されるままミチルの後を追った。
「九条さん」
声に振り向くと、階下に満面の笑みがあった。
「珈琲でいいかしら」
「あっ、お構いなく」
「美味しい珈琲があるの。ミチルにもそう言っておいてね」
「すみません。じゃあご馳走になります」
『みちる』という木のプレートがかかった部屋をノックすると「はい」という声が聞こえた。ドアを開けるとハルの顔が目に飛び込んできた。所狭しとハルのポスターや写真が飾られた部屋‥ミチルはキャリーバックをベッドの脇に置くと振り向き、九条に「入っていいですよ」と言った。
「いいお母さんだね」
「どうしてですか?」
「いや、優しそうだし。今、俺とミチルちゃんに珈琲を淹れてくれるってさ」
「そうですか」
ミチルの言葉は素っ気ない。九条は「それに若くて綺麗でびっくりしたよ」と冗談ぽく付け加えた。
「九条さん。私、家に帰るの5日振りなんです」
「?」
「ずっとネットカフェにいたんで」
「だって‥お母さん何も」
「たぶんお母さん、私が家にいなかったこと知らないと思います」
「えっ?」
「それに私、珈琲飲めないし」
「‥」
「私のこと全然興味無いんで、お母さん」
瞬間、九条の脳裏でミチルと母親の会話がフラッシュバックした。
『ただいま』『ミチル?‥ミチル?‥』『ハルちゃん?誰』『私の好きな歌手』『へー、そうなの、そうなの‥』『美味しい珈琲があるの、ミチルにも言っておいて‥ミチルにも‥』
「お待ちどうさまー!」
不意に背後で声がして、振り向くと母親が立っていた。
「これ、先週お友達にもらった珈琲」
「ど‥どうも」
ぎこちなく礼を言う九条に母親は「マンデリンなの」と付け加え、そして「美味しいわよ」とミチルにマブカップを手渡す。一点の曇りもない笑顔に九条は背筋が寒くなった。
「じゃあミチル、私はお友達と約束があるから出かけるわね」
「うん、行ってらっしゃい」
「九条さん、ごゆっくり」
微かな香水の匂いを残し母親は部屋を出て行った。振り向いた九条の視線の先に、ポツンと取り残されたようなミチルがいた。この部屋を支配するハルと小さなキャリーバッグ‥まるでその二つだけが今のミチルの全てであるかのようだった。
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