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act-18 ハルの涙
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鴨志田とハル、そして九条を乗せたタクシーは市ヶ谷に向かっていた。
-ユリアさんに会って来る-
ハルの言葉を聞いた鴨志田は「俺も行くよ」と言い「九条ちゃんもどう?」と続けた。
「でも、ユリアさんには私一人で会うよ」
鴨志田も九条も、もちろんそう思っている。状況が分からない今の段階で、オヤジ二人がのこのこ顔を出すべきではない。
だが九条は頭の中で、何とかこの事態をカメラで撮る方法はないか考えていた。どんな理由があろうと自殺未遂は痛ましい。軽々しく取材なんかするものではない。それは分かっている‥が、自分はディレクターだ。そして今ドキュメンタリーの取材をしているのだ。100%傍観者にはなれない。プロとしての責務が九条の胸を突き上げる。
「ユリアに会って、何て言うつもり?」
助手席の鴨志田が振り向いて、後部座席に座るハルに言った。
「分からない。とにかく顔を見て‥それからかな」
もうすぐ病院に着く。九条は頭をフル回転させていた。
どうする?どう出る?
不用意な出方をすれば、せっかく築いたハルとの信頼関係も崩れてしまうかもしれない‥
「まあ、俺と九条ちゃんは外で待ってるから、長引くようならメールしてよ」
鴨志田の言葉にハルが頷いた時、タクシーは病院の玄関口で停まった。車を降りたハルに九条は意を決して言った。
「ハル、ここで一言もらえないか?」
ハルは無言で九条を見ている。
「今どういう事態かは俺も分かっているつもりだよ。番組で使うか使わないかは後回しだ。でも、記録はしておきたい」
ハルは少し考え、そして頷いた。九条はカバンから素早くカメラを取り出す。
<病院前でハルのインタビュー1>
「ここは病院だけど、何をしに来たの?」
「私のファンの子が、ここに入院してる」
「それは何でかな?」
「昨日の夜、睡眠薬を飲んじゃって‥」
「理由は?」
「分からない」
「ハルは何をしに来たの?」
「その子の無事な顔を見て、自分がホッとしたいのもあるけど‥」
「うん」
「でも、なんか腹が立って」
「どうして?」
「その子にはその子の理由があるんだと思うけど‥で、それはもしかするとすごく辛いことなのかもしれないけど」
「うん」
「でも、私は死ぬのは嫌。死ぬのは簡単だから」
九条がレンズから目を外し、ハルに「終わりだよ」の合図を送った。ハルはくるりと振り向き病院の中に入っていった。その後ろ姿をファインダーにおさめると九条はカメラのスイッチを切った。
「さすがの俺も、ここでカメラまわすとは思わなかったよ」
鴨志田の言葉に、カメラをしまいながら九条は「すみません」と答えた。
「いや、感心してるんだ。不謹慎かもしれないけど二度と撮れない映像だし、やっぱりプロは逃さないんだなと」
「使えるか分からないですけどね」
「まあね。でも、さっきのハルの言葉は重かったなぁ。死ぬのは簡単‥なんて死ぬ手前まで行ったやつにしか言えないと思うよ」
「実は最初、ハルにマイクを仕掛けて病室での会話を録音しようかと考えていたんです。でも、それは良くない。後でユリアを傷つけることになる」
「そういう判断ができるのが九条ちゃんのいいとこだよ」
そう言って煙草を口に咥えた鴨志田を「ここ病院ですよ」と九条は制し、近くの自販機から缶コーヒーを2つ買い、一つを鴨志田に手渡した。二人でベンチに腰掛ける。
「ユリアって、どんな子なんですか?」
「俺もよく分からないんだ」
「ハルのファンにしては、ちょっと年上ですよね?」
「うん。俺が聞いた話では、設計会社で働いてるらしく‥あ、そうそう、何でも昔タレントっぽいこともしてたらしいよ」
「タレント?」
「高校卒業してプロダクションに入ってたって」
「音楽系ですか?」
「いや、グラビアとか。ユリアって綺麗だしスタイルもいいでしょ。雑誌やイベントのモデルじゃないかな」
その時、鴨志田の携帯が鳴った。
「お、増渕さんだ。ちょっと失礼」
鴨志田は携帯を耳にあてながらベンチを離れた。
空を見上げると雲がゆっくりと流れている。九条は、以前取材した時に見かけたユリアの顔を思い浮かべていた。先端を巻き巻きした茶髪のロングヘアー。綺麗なお姉さんではあるが、言い方を変えれば水商売っぽい感じだ。十代の若い子たちに混ざって、少し浮いている気もした。
そのユリアが自殺未遂‥
いったい何が原因なのか?そして、これは番組で放送できるようなことなのだろうか‥?
そんなことをぼんやりと考えていると、不意に肩をポンと叩かれた。
「年末のライブ、ハコ(会場のこと)が決まった。何と!渋谷のDだよ」
鴨志田の上気した顔が目の前にある。セカンドシングルを出して年内にいいハコでワンマンライブ、そして年が開けたらアルバムリリース‥鴨志田は増渕とそんな青図を描いていた。増渕というのは、先日のインストアライブに来ていた代理店の男だ。九条は、この増渕という男があまり好きになれなかったが、Dと言えばメジャーなアーティストも出演するデカい会場だ。やはり、増渕はそれなりに手腕のある人物なのだろう。鴨志田が頼るのも分からないでもない。
「やったね、鴨さん」
「おお。悪いことばっかりじゃないね。俺、急に元気が出てきたよ」
その時、ハルが戻ってきた。九条は慌ててカメラを手にする。
「一言いいかな?」
ハルが頷く。
<病院前でハルのインタビュー2>
「会えた?」
「うん‥会えたって言うか」
「ん?」
「ユリアさん、ずっと布団に潜って泣いてたから‥顔見てない」
「そうなんだ」
「でも、私が布団の中に手を入れたら握ってくれた」
「何か声はかけたの?」
「ううん、それだけ」
「そうか」
「だから、手紙を書いた」
「病室で?」
「うん。それで付き添っていたお母さんに渡して来た」
「何て書いたの?」
「それは教えられないよ」
「うん、分かった」
九条は「ありがとう」と言って、カメラのスイッチをオフにした。
病院の入り口だ。すでに好奇な視線がちらほら向けられている。今日は取り敢えず、ハルが病院に来たことが記録できていればいい。すぐに鴨志田が駆け寄って来る。
「ハル、年末のワンマンDに決まったぞ」
そして「へぇー」と素っ気なく答えたハルに鴨志田は「これから増渕さんの会社に行って打ち合わせだ。一緒に行こう」と言いながら列を作るタクシーの先頭に乗り込んだ。運転手に行き先を告げる鴨志田にハルが言った。
「鴨さんごめん。今日はパス」
「えっ?あー、そうか。分かった。俺の方でやっておく。駅まで送って行くよ」
「ありがと。でも、ちょっと歩きたいからいいや」
「そう。九条ちゃんは?」
「俺も次の撮影があるんで、駅から電車で」
「そう‥」
鴨志田の情けない顔を窓枠に残し、タクシーは走り出した。
九条はハルと並んで駅に向かって歩き始める。思えば、初めて楽屋で会った時以来、鴨志田抜きでハルと二人だけになるのは二度目だ。だが状況も状況で、何を話しかけたら良いのか分からない。ハルも無言で歩いている‥駅が近づいて来た。
「俺は南北線に乗るけど‥ハルは?」
「渋谷に行きたいんだ」
九条は有楽町線からの乗り継ぎをハルに説明すると、改札口の手前でこう言った。
「これからアスカの取材に行くんだ」
ハルは九条の顔を見て「お手柔らかに」と言って笑った。
初めてハルに会った時、楽屋で鴨志田が九条に言った言葉と同じだ。が、ハルの笑顔はすぐに崩れ、大きな目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。そしてその涙を見せまいとするかのように、ハルは踵を返し改札を足早に抜けて行った。
人混みに小さくなるその後ろ姿を見送りながら、九条はあの時に見たハルの手首の傷を思い出していた‥
-ユリアさんに会って来る-
ハルの言葉を聞いた鴨志田は「俺も行くよ」と言い「九条ちゃんもどう?」と続けた。
「でも、ユリアさんには私一人で会うよ」
鴨志田も九条も、もちろんそう思っている。状況が分からない今の段階で、オヤジ二人がのこのこ顔を出すべきではない。
だが九条は頭の中で、何とかこの事態をカメラで撮る方法はないか考えていた。どんな理由があろうと自殺未遂は痛ましい。軽々しく取材なんかするものではない。それは分かっている‥が、自分はディレクターだ。そして今ドキュメンタリーの取材をしているのだ。100%傍観者にはなれない。プロとしての責務が九条の胸を突き上げる。
「ユリアに会って、何て言うつもり?」
助手席の鴨志田が振り向いて、後部座席に座るハルに言った。
「分からない。とにかく顔を見て‥それからかな」
もうすぐ病院に着く。九条は頭をフル回転させていた。
どうする?どう出る?
不用意な出方をすれば、せっかく築いたハルとの信頼関係も崩れてしまうかもしれない‥
「まあ、俺と九条ちゃんは外で待ってるから、長引くようならメールしてよ」
鴨志田の言葉にハルが頷いた時、タクシーは病院の玄関口で停まった。車を降りたハルに九条は意を決して言った。
「ハル、ここで一言もらえないか?」
ハルは無言で九条を見ている。
「今どういう事態かは俺も分かっているつもりだよ。番組で使うか使わないかは後回しだ。でも、記録はしておきたい」
ハルは少し考え、そして頷いた。九条はカバンから素早くカメラを取り出す。
<病院前でハルのインタビュー1>
「ここは病院だけど、何をしに来たの?」
「私のファンの子が、ここに入院してる」
「それは何でかな?」
「昨日の夜、睡眠薬を飲んじゃって‥」
「理由は?」
「分からない」
「ハルは何をしに来たの?」
「その子の無事な顔を見て、自分がホッとしたいのもあるけど‥」
「うん」
「でも、なんか腹が立って」
「どうして?」
「その子にはその子の理由があるんだと思うけど‥で、それはもしかするとすごく辛いことなのかもしれないけど」
「うん」
「でも、私は死ぬのは嫌。死ぬのは簡単だから」
九条がレンズから目を外し、ハルに「終わりだよ」の合図を送った。ハルはくるりと振り向き病院の中に入っていった。その後ろ姿をファインダーにおさめると九条はカメラのスイッチを切った。
「さすがの俺も、ここでカメラまわすとは思わなかったよ」
鴨志田の言葉に、カメラをしまいながら九条は「すみません」と答えた。
「いや、感心してるんだ。不謹慎かもしれないけど二度と撮れない映像だし、やっぱりプロは逃さないんだなと」
「使えるか分からないですけどね」
「まあね。でも、さっきのハルの言葉は重かったなぁ。死ぬのは簡単‥なんて死ぬ手前まで行ったやつにしか言えないと思うよ」
「実は最初、ハルにマイクを仕掛けて病室での会話を録音しようかと考えていたんです。でも、それは良くない。後でユリアを傷つけることになる」
「そういう判断ができるのが九条ちゃんのいいとこだよ」
そう言って煙草を口に咥えた鴨志田を「ここ病院ですよ」と九条は制し、近くの自販機から缶コーヒーを2つ買い、一つを鴨志田に手渡した。二人でベンチに腰掛ける。
「ユリアって、どんな子なんですか?」
「俺もよく分からないんだ」
「ハルのファンにしては、ちょっと年上ですよね?」
「うん。俺が聞いた話では、設計会社で働いてるらしく‥あ、そうそう、何でも昔タレントっぽいこともしてたらしいよ」
「タレント?」
「高校卒業してプロダクションに入ってたって」
「音楽系ですか?」
「いや、グラビアとか。ユリアって綺麗だしスタイルもいいでしょ。雑誌やイベントのモデルじゃないかな」
その時、鴨志田の携帯が鳴った。
「お、増渕さんだ。ちょっと失礼」
鴨志田は携帯を耳にあてながらベンチを離れた。
空を見上げると雲がゆっくりと流れている。九条は、以前取材した時に見かけたユリアの顔を思い浮かべていた。先端を巻き巻きした茶髪のロングヘアー。綺麗なお姉さんではあるが、言い方を変えれば水商売っぽい感じだ。十代の若い子たちに混ざって、少し浮いている気もした。
そのユリアが自殺未遂‥
いったい何が原因なのか?そして、これは番組で放送できるようなことなのだろうか‥?
そんなことをぼんやりと考えていると、不意に肩をポンと叩かれた。
「年末のライブ、ハコ(会場のこと)が決まった。何と!渋谷のDだよ」
鴨志田の上気した顔が目の前にある。セカンドシングルを出して年内にいいハコでワンマンライブ、そして年が開けたらアルバムリリース‥鴨志田は増渕とそんな青図を描いていた。増渕というのは、先日のインストアライブに来ていた代理店の男だ。九条は、この増渕という男があまり好きになれなかったが、Dと言えばメジャーなアーティストも出演するデカい会場だ。やはり、増渕はそれなりに手腕のある人物なのだろう。鴨志田が頼るのも分からないでもない。
「やったね、鴨さん」
「おお。悪いことばっかりじゃないね。俺、急に元気が出てきたよ」
その時、ハルが戻ってきた。九条は慌ててカメラを手にする。
「一言いいかな?」
ハルが頷く。
<病院前でハルのインタビュー2>
「会えた?」
「うん‥会えたって言うか」
「ん?」
「ユリアさん、ずっと布団に潜って泣いてたから‥顔見てない」
「そうなんだ」
「でも、私が布団の中に手を入れたら握ってくれた」
「何か声はかけたの?」
「ううん、それだけ」
「そうか」
「だから、手紙を書いた」
「病室で?」
「うん。それで付き添っていたお母さんに渡して来た」
「何て書いたの?」
「それは教えられないよ」
「うん、分かった」
九条は「ありがとう」と言って、カメラのスイッチをオフにした。
病院の入り口だ。すでに好奇な視線がちらほら向けられている。今日は取り敢えず、ハルが病院に来たことが記録できていればいい。すぐに鴨志田が駆け寄って来る。
「ハル、年末のワンマンDに決まったぞ」
そして「へぇー」と素っ気なく答えたハルに鴨志田は「これから増渕さんの会社に行って打ち合わせだ。一緒に行こう」と言いながら列を作るタクシーの先頭に乗り込んだ。運転手に行き先を告げる鴨志田にハルが言った。
「鴨さんごめん。今日はパス」
「えっ?あー、そうか。分かった。俺の方でやっておく。駅まで送って行くよ」
「ありがと。でも、ちょっと歩きたいからいいや」
「そう。九条ちゃんは?」
「俺も次の撮影があるんで、駅から電車で」
「そう‥」
鴨志田の情けない顔を窓枠に残し、タクシーは走り出した。
九条はハルと並んで駅に向かって歩き始める。思えば、初めて楽屋で会った時以来、鴨志田抜きでハルと二人だけになるのは二度目だ。だが状況も状況で、何を話しかけたら良いのか分からない。ハルも無言で歩いている‥駅が近づいて来た。
「俺は南北線に乗るけど‥ハルは?」
「渋谷に行きたいんだ」
九条は有楽町線からの乗り継ぎをハルに説明すると、改札口の手前でこう言った。
「これからアスカの取材に行くんだ」
ハルは九条の顔を見て「お手柔らかに」と言って笑った。
初めてハルに会った時、楽屋で鴨志田が九条に言った言葉と同じだ。が、ハルの笑顔はすぐに崩れ、大きな目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。そしてその涙を見せまいとするかのように、ハルは踵を返し改札を足早に抜けて行った。
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