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act-21 レコーディング
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「ハルさん、1曲目行きますか?」
スタジオにマイクを通した声が響いた。ミキシングルーム(録音スタジオの調整室)のエンジニアだ。ストレッチの反復運動を続けていたハルは、スタジオ内のフロアーに向けられた固定カメラへ向かってカメラ目線で頷くと、ボーカルブースに向かった。その姿をハンディで追った九条は、ハルがブースに入るとスタジオを離れ隣のミキシングルームへと移動した。
ミキシングルームでは、ミキサー卓(音の調整などをする卓)に今日のエンジニアとそのアシスタント、その後ろのソファに鴨志田が座っていた。卓の上にあるモニターにはボーカルブースにいるハルが映っている。九条がそのモニターにカメラを向けた。ハルがヘッドホンをする。
「まずはテストという感じで軽くいってみましょう」
ミキサー卓のマイクに向かってエンジニアが言った。が、ブース内にいるハルはそれに答えず、じっと目を閉じている。それを見た鴨志田はソファから身を乗り出しエンジニアの耳元で言った。
「申し訳ない。一発目から全開でくるかも」
エンジニアは鴨志田の言葉に一瞬困惑の表情を浮かべたが「わかりました」と答え、着ていたジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくって小さく息を吐いた。
「では、音出します」
鴨志田とエンジニアのやり取りを追っていた九条は、ドラムのカウント共にカメラをボーカルブースのハルに向けた。予め録音されたオケ(楽器のみの音源)が流れ、そのイントロに続いてハルのボーカルが入った瞬間、九条のカメラがわずかにブレた。それほどハルの第一声は衝撃的だった。ゼロから100へ一気にメーターが振り切れたかのような声‥
レコーディングの1曲目。ハルの姿は勿論、スタジオ全体の様子、鴨志田の表情など曲に合わせ九条は様々なカットを稼ぐつもりでいたが、ボーカルブースで歌うハルの姿以外映すことができなかった。ハルを離れ他にカメラを向けることができなかった。それくらいハルの声にはインパクトがあった‥
歌い終わったハルがミキシングルームにやって来た。エンジニアが興奮気味に「いやー、驚きました」と言う。ハルは小さく「どうも」と答えると、鴨志田が座るソファの隣に腰掛けた。
「プレイバックします」
エンジニアがそう言って、今歌ったハルの声がミキシングルームに流れた。九条はソファで目を閉じて聞いているハルをカメラで捉えながら、今になってようやくこの曲が、鴨志田の事務所で聞いたボサノヴァ調の曲だということに気づいた。アレンジは完全にロックだった。
「かなりイイ感じだと思いますよ」
エンジニアの言葉と同様な印象を九条も感じていた。ぶっつけ本番、ファーストテイクでよくここまで集中できた。が、ハルは「もう一回お願いします」と言い、ミキシングルームを出て行った。九条がカメラを振ると、ファインダーの中でカメラ目線の鴨志田が「ここから長いよー」と言って笑った。
***********************************
2時間後、休憩時間。九条と鴨志田は、スタジオの端に設置された喫煙ブースにいた。
「鴨さん、今日の目標は何曲ですか?」
「今2曲でしょ?今日中にもう1曲録りたいなぁ」
「1曲目のファーストテイクが全然イケてたから、これは早いと思ったんですが、ハルはねばりますね」
「妥協しないからね。スタジオ費がどんどん出ていきますよ~って」
鴨志田の言葉に笑った九条は、思い出したように言った。
「アスカのこと、すみませんでした」
「えっ?なんで謝るの?」
「いや、鴨さんに許可も得ず‥勝手に決めちゃって」
「そんなの関係ないよ。アスカは俺の事務所の子じゃないし」
「いや、でも」
「どこが気に入ったの?九条ちゃん」
「何ですかね‥」
改めてそう聞かれると、よく分からない。
「あいつ、本当に映像好きなんですよ」
「へぇー、アスカがねぇ。全然知らなかった」
その時、「レコーディング再開するみたいですよ」という声がした。振り向くとアスカがいる。九条と鴨志田は煙草をもみ消し、スタジオに向かった。
***********************************
この日、鴨志田の言うノルマは一応達成された。時計を見ると21時‥約6時間かけハルは3曲の新曲を録り終えた。
「上々だよ。明日はちょっと喉をお休みして、明後日この続きをやろう」
鴨志田の言葉にハルが頷く。そのやり取りを撮影していた九条は、カメラをハルに向けてこう聞いた。
「今日の出来は?」
「100点じゃなけりゃ、まだ歌ってるよ」
ファーストアルバムのレコーディング、その緊張から解放されたのかハルはいつもの悪戯っぽい表情でそう言った。その言葉に「そう言うと思った」と答え、九条はカメラのスイッチをオフにしながら「お疲れ様」と笑った。ハルは「着替えて来る」と言って控え室に向かう。
今日も取材が終わった。心地よい疲労感とともに、カメラをしまい始めた九条に「あの‥」背後からアスカの声がした。
「これ」
小さな紙切れを九条に手渡す。
「何だこれ?またラブレターか?」
「ううん。ハルちゃん、たくさんテイク録ってたから一応メモしておいたの」
「えっ?」
九条が見ると、今日の1曲目からのデータが詳細に書かれている。OKテイクが何曲目かは勿論、細かく何曲目の何テイクがどんな理由でNGになったかも記されていた。
レコーディングの間、九条は全くアスカのことを忘れていた。撮影に集中していた。そんな九条のワークエリアを尊重し、アスカは距離を置いて邪魔にならぬよう気配を消していた。そして自分に出来ることを探しこのメモを記録していたのだ。
-こいつ‥-
ムチャクチャ褒める言葉をアスカに言ってやりたい‥が、それがうまく見つからない。その九条の肩をポンと叩き、鴨志田が言った。
「九条ちゃんがアスカを気に入ったワケ、よく分かったよ」
そこにハルが帰ってきた。が、なんだか様子がおかしい。
「どうした?ハル」
鴨志田の問いかけにハルが答える。
「ユリアさんからメールが来てた。明日会えないかって」
九条と鴨志田は顔を見合わせた‥
スタジオにマイクを通した声が響いた。ミキシングルーム(録音スタジオの調整室)のエンジニアだ。ストレッチの反復運動を続けていたハルは、スタジオ内のフロアーに向けられた固定カメラへ向かってカメラ目線で頷くと、ボーカルブースに向かった。その姿をハンディで追った九条は、ハルがブースに入るとスタジオを離れ隣のミキシングルームへと移動した。
ミキシングルームでは、ミキサー卓(音の調整などをする卓)に今日のエンジニアとそのアシスタント、その後ろのソファに鴨志田が座っていた。卓の上にあるモニターにはボーカルブースにいるハルが映っている。九条がそのモニターにカメラを向けた。ハルがヘッドホンをする。
「まずはテストという感じで軽くいってみましょう」
ミキサー卓のマイクに向かってエンジニアが言った。が、ブース内にいるハルはそれに答えず、じっと目を閉じている。それを見た鴨志田はソファから身を乗り出しエンジニアの耳元で言った。
「申し訳ない。一発目から全開でくるかも」
エンジニアは鴨志田の言葉に一瞬困惑の表情を浮かべたが「わかりました」と答え、着ていたジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくって小さく息を吐いた。
「では、音出します」
鴨志田とエンジニアのやり取りを追っていた九条は、ドラムのカウント共にカメラをボーカルブースのハルに向けた。予め録音されたオケ(楽器のみの音源)が流れ、そのイントロに続いてハルのボーカルが入った瞬間、九条のカメラがわずかにブレた。それほどハルの第一声は衝撃的だった。ゼロから100へ一気にメーターが振り切れたかのような声‥
レコーディングの1曲目。ハルの姿は勿論、スタジオ全体の様子、鴨志田の表情など曲に合わせ九条は様々なカットを稼ぐつもりでいたが、ボーカルブースで歌うハルの姿以外映すことができなかった。ハルを離れ他にカメラを向けることができなかった。それくらいハルの声にはインパクトがあった‥
歌い終わったハルがミキシングルームにやって来た。エンジニアが興奮気味に「いやー、驚きました」と言う。ハルは小さく「どうも」と答えると、鴨志田が座るソファの隣に腰掛けた。
「プレイバックします」
エンジニアがそう言って、今歌ったハルの声がミキシングルームに流れた。九条はソファで目を閉じて聞いているハルをカメラで捉えながら、今になってようやくこの曲が、鴨志田の事務所で聞いたボサノヴァ調の曲だということに気づいた。アレンジは完全にロックだった。
「かなりイイ感じだと思いますよ」
エンジニアの言葉と同様な印象を九条も感じていた。ぶっつけ本番、ファーストテイクでよくここまで集中できた。が、ハルは「もう一回お願いします」と言い、ミキシングルームを出て行った。九条がカメラを振ると、ファインダーの中でカメラ目線の鴨志田が「ここから長いよー」と言って笑った。
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2時間後、休憩時間。九条と鴨志田は、スタジオの端に設置された喫煙ブースにいた。
「鴨さん、今日の目標は何曲ですか?」
「今2曲でしょ?今日中にもう1曲録りたいなぁ」
「1曲目のファーストテイクが全然イケてたから、これは早いと思ったんですが、ハルはねばりますね」
「妥協しないからね。スタジオ費がどんどん出ていきますよ~って」
鴨志田の言葉に笑った九条は、思い出したように言った。
「アスカのこと、すみませんでした」
「えっ?なんで謝るの?」
「いや、鴨さんに許可も得ず‥勝手に決めちゃって」
「そんなの関係ないよ。アスカは俺の事務所の子じゃないし」
「いや、でも」
「どこが気に入ったの?九条ちゃん」
「何ですかね‥」
改めてそう聞かれると、よく分からない。
「あいつ、本当に映像好きなんですよ」
「へぇー、アスカがねぇ。全然知らなかった」
その時、「レコーディング再開するみたいですよ」という声がした。振り向くとアスカがいる。九条と鴨志田は煙草をもみ消し、スタジオに向かった。
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この日、鴨志田の言うノルマは一応達成された。時計を見ると21時‥約6時間かけハルは3曲の新曲を録り終えた。
「上々だよ。明日はちょっと喉をお休みして、明後日この続きをやろう」
鴨志田の言葉にハルが頷く。そのやり取りを撮影していた九条は、カメラをハルに向けてこう聞いた。
「今日の出来は?」
「100点じゃなけりゃ、まだ歌ってるよ」
ファーストアルバムのレコーディング、その緊張から解放されたのかハルはいつもの悪戯っぽい表情でそう言った。その言葉に「そう言うと思った」と答え、九条はカメラのスイッチをオフにしながら「お疲れ様」と笑った。ハルは「着替えて来る」と言って控え室に向かう。
今日も取材が終わった。心地よい疲労感とともに、カメラをしまい始めた九条に「あの‥」背後からアスカの声がした。
「これ」
小さな紙切れを九条に手渡す。
「何だこれ?またラブレターか?」
「ううん。ハルちゃん、たくさんテイク録ってたから一応メモしておいたの」
「えっ?」
九条が見ると、今日の1曲目からのデータが詳細に書かれている。OKテイクが何曲目かは勿論、細かく何曲目の何テイクがどんな理由でNGになったかも記されていた。
レコーディングの間、九条は全くアスカのことを忘れていた。撮影に集中していた。そんな九条のワークエリアを尊重し、アスカは距離を置いて邪魔にならぬよう気配を消していた。そして自分に出来ることを探しこのメモを記録していたのだ。
-こいつ‥-
ムチャクチャ褒める言葉をアスカに言ってやりたい‥が、それがうまく見つからない。その九条の肩をポンと叩き、鴨志田が言った。
「九条ちゃんがアスカを気に入ったワケ、よく分かったよ」
そこにハルが帰ってきた。が、なんだか様子がおかしい。
「どうした?ハル」
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