九条Dの完パケ -傷だらけの天使たち-

麻美拓海

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act-26 キリト

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店に戻った九条を「遅せーよ」という不機嫌な声が出迎えた。佐伯が一人、ソファでビールを飲んでいる。コウヘイ、ユウジ、そしてキリトの姿も見えない。

「他の連中は?」
「機材の撤収があるんで会場に戻った」
「帰ってくるのか?」
「いや、あいつら明日バイトだから直帰かな」

ちょっと待て、これは計算が狂った。ミチルの事で優先順位がずれたが、今日はユリアの一件でキリトと話をつけるためにここに来ている‥

「オマエは俺を待っていてくれたのか?」

九条は取り敢えずソファに腰を降ろしそう尋ねた。

「アンタが戻ってくるって言ったからさ」

ちょっと可愛いな、こいつ‥九条はそう思いつつ、任務遂行のための言葉を切り出した。

「頼みがあるんだが」
「言ってみな」
「キリトを呼び出してもらえないか?」

佐伯は一瞬驚いた表情をしたが、すぐにポケットからスマホを取り出した。

「俺。そっち終わったら店に戻って来てくんね?」

佐伯はスマホをテーブルの上に放り出すと「まー君の頼み、きいてやったぜ」と言ってニヤリと笑った。九条はカウンターに向かって「ビール2つ」と言うと煙草を取り出し自分で1本咥え、佐伯に向かってパッケージを差し出した。

「吸うか?」
「もらうよ」

そう言って煙草を抜き取りポケットをまさぐる佐伯に、九条はライターの火を近づけた。

「理由を聞かないのか?」

佐伯は火のついた煙草を咥え大きく吸い込むと、静かに煙を吐き出し九条をまっすぐに見て言った。

「そこはどうでもいい。でも、ミチルの件はちゃんと説明してくれ。俺は今、アイツに賭けてるんだ」

佐伯のバンドの音は聞いたことがない。が、ボーカルはバンドの顔だ。そのポジションをミチルに譲ってまで、佐伯は今回のチャンスをものにしたいと思っている‥そりゃそうだ。数多いる歌手志望、バンドマンにとってメジャーデビューという甘美な言葉に抗える者などいない。

「オマエのバンドに対して支障になることは何もない。そこは俺が保証する」

九条は、これまでの経緯と現状を手短に説明した。
ミチルはハルに心酔しているファンの一人であること。ハルのようになりたくて詞を書き始めたが思いがけず話が進みデビューが現実になってきた時、自分だけが抜け駆けをしてハルやハルのファンを裏切るようなことをしているのではないか、という不安があったこと。そんな時、佐伯と九条が一緒にいる場面に遭遇して、どうして良いか分からなくなって店を出た‥

「ふーん。まあ、とにかく状況はわかったぜ」

その時、佐伯の携帯が鳴った。九条は短くなった煙草を灰皿でもみ消し、携帯に相槌をうつ佐伯の横顔を見ながらビールを煽った。佐伯には華がある。それは見た目の良さもあるが、それを超えた人を惹きつける何かを持っていた。その佐伯がギターを弾く隣で歌うミチルを想像すると、これがピタリとはまる。映像の世界で例えるなら『絵になる』ということだ。

「ミチルからだ。デビューライブ、絶対成功させるってエライ鼻息だったぜ」

携帯を切った佐伯はそう言って「アンタの言う通りだな」と付け加えた。その時、あいつの声がした。

「どうしたんです?佐伯さん」

キリトだ‥キリトが戻ってきた。

「このオッさんがオマエと話がしたいってさ」

怪訝そうな顔をするキリトを横目に、佐伯は九条の耳元で「邪魔なら俺は消える」と小声で言った。九条は「その必要はない」と言いながら立ち尽くしているキリトを見た。

「忙しいのに悪かったな」
「何ですか?」
「ちょっと聞きたいことがある。まあ、座れよ」

腰を下ろしたキリトは、警戒心の塊のような‥それでいて、不思議に澄んだ川面のような目で九条を見据えた。

「単刀直入に言う。ユリアを知ってるな?」

九条の言葉にキリトは一瞬ハッとした表情になり、チラリと佐伯に視線を送ったが、その視線をすぐ九条に戻すと「はい」と答えた。

「元カノ‥という解釈で合ってるかな?」
「まあ、そうですね。驚いたな、九条さんの口からユリアの名前が出るとは思わなかった‥何で知ってるんです?」
「ハルを取材していて会った」
「そっか。ハルの番組作ってるんでしたよね。ユリアも彼女に夢中だったな。九条さん、ユリアは元気ですか?」
「知らないのか?ユリアはこの前、睡眠薬飲んで死のうとしたんだぜ」
「えっ??」

絶句しているキリトに向かい、九条は「あんな写真が晒されちゃあ、死にたくもなるよな」と続けた。

「あんな写真‥何のことです?」

こいつ、とぼけてるのか? キリトの表情を探ったが、その瞳に作為的な趣は見受けられない‥
九条はユリアの経緯を説明した。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。確かにそんな写真を撮った覚えはあるけど、何で俺がそれをユリアの会社に‥ていうか、俺はアイツの会社なんか知らない」

キリトが早口でまくし立てると、それまで黙っていた佐伯が「こいつは嘘つくようなヤツじゃないぜ」と低い声で割って入った。実際、キリトに詰め寄る形になっている九条にも同じ感覚があった。何より、今日キリトに会ってから感じていたが、彼がそんなことをするような男にはどうしても思えなかった‥
と、その時。九条の脳裏にユリアの言葉が蘇った。

-会社にすごく仲のいい結衣って子がいるんだけど、その子が気づいて私に連絡くれたの-

「キリト、結衣って女知ってるか?」
「えっ?」
「ユリアの同僚らしいが」
「九条さん、結衣のことも知ってるの?」
「知っているのか?」
「いやー、あの子マジしつこいんだよね」
「どういうことだ?」

九条が身を乗り出すと、キリトは「俺もビールもらっていいですか?」と言い、ポツポツと話し始めた。

「ユリアと付き合ってた時、親友だって紹介されたのが結衣です。三人で何度か飯食いに行ったりして‥でも、俺とユリアが別れたんで結衣ともそれっきりだったんですよ」

キリトはバーテンが持って来たジョッキを一気にあおると、話を続けた。

「でも俺とユリアが別れた後も、結衣は一人で俺たちのライブによく来てくれるようになったんです。で、俺と結衣は結構親しくなっていって。それで‥まあ、そういう仲になったっていうか。九条さん、怒らないでよね」

キリトの言葉に「俺は結衣って女は全然知らないから、気にしないで続けてくれ」と返しつつ、九条の胸中は波打っていた。ある不吉な予感がムクムクと広がりつつあった。キリトが続ける

「何度か結衣から “付き合ってほしい” って言われてたんだ。でもそれは断っていた。いつだったかあいつ、俺のスマホを勝手に見てて。そういう女、俺無理で。まあそれ以上に、なんて言うか‥」

キリトは少し言葉を区切り、そしてこう付け加えた。

「結局、俺はユリアのことが忘れられなかったんですよ」

九条はある事実を確信しつつある。が、それはユリアにとって最悪な現実でもあった。
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