九条Dの完パケ -傷だらけの天使たち-

麻美拓海

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act-33 ワンマンライブ②

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ハルが会場に到着すると、すぐにサウンドチェック(ライブにおける楽器やマイクの調整)が始まった。今日のバックバンドは九条が初めてハルのステージを見た時と同じ、鴨志田を中心とする中年のオヤジバンドだ。あの後、鴨志田は若いメンバーをかき集めバンドを固めようとしたが、うまくいかなかった。ハルとの相性‥と言うより、良いメンツを集めるだけの資金が鴨志田には無かったのだ。今となっては九条が冗談で言った映画LEONのようなバンドの見た目が、ハルには合っているようにも思えてくる。しかも年齢はさておき、鴨志田のギターを始めベースもドラムもテクニックは一流だ。
一通り楽器系のサウンドチェックが終わると、ハルがボーカルマイクを持ってステージに立った。

「ワン、トゥー、ワン、トゥー。チェック、チェック‥」

最前列の客席でカメラをまわしていた九条は、ステージに上がりマイクチェックを繰り返すハルに近づいた。レンズを通し大映しになったハルの表情を追う‥真剣な彼女の息遣いを間近に感じながら、九条は時々味わうドキュメンタリーならではの感覚に襲われていた。それはある一定の期間、被写体と時間を共有することで生まれる親近感だった。一回り以上年下のタメ口を使う生意気な少女ハル‥そんな彼女が一瞬愛おしく感じられてしまう。
カメラをまわし続けた日々の中で、ハルは九条の内へとどんどん入り込んで来た。が、これはハルに限ったことではない。今までどんな被写体であっても、大なり小なり九条の心は被写体に侵食されてきた。被写体と距離が近くなればなるほど、それは九条の日常をも脅かすほど強力に膨れ上がった。だが、九条はそんな被写体への感情移入をあえて追い払う。冷静な判断ができなくなるからだ。作り手は常に客観的でなくてはならない。いや、むしろもっと残酷な感情すら持ち合わせねばならない場合もある。分かりやすく言えば、被写体の不幸だ。追いかけていた人物を思いがけないトラブルが襲う‥その不幸は多くの場合ドキュメンタリーのクオリティを上げ、番組の中で最大の見せ場になる。
例えば、追いかけていたスポーツ選手が大会前にケガをする‥芝居に打ち込んでいた劇団の主役が公演直前にスランプで失踪する‥小説ならよくある設定でも現実にはなかなか起こらない。そんな事態が生じた時、ディレクターは秘かに舌なめずりをする。神が降臨したかのような偶然に手を合わせ、表面上は被写体に寄り添いながらもカメラはまわし続ける。そして、その不幸をどのように料理するか頭をひねる。それがプロフェッショナルであり、出来るディレクターほどそこがうまい。下手な温情が作品を良くすることは決してない。
無論、九条もそこは心得ているし、実際今までも遠からぬ感覚で番組を作ってきた。が‥最後の最後、いつも九条は一線を越えられなかった。非情に徹することが出来なかった。被写体に芽生えた親近感が九条を邪魔する‥そうまでして番組を作る意味があるのか?むしろ、そんな疑問が浮かんでくる。たかが流れては消えて行くテレビじゃないか!
その葛藤が九条から牙を奪った。所詮俺は二流だ‥いつしかそんな自虐が言い訳にもなっていった。
しかしこの日、思いがけずそんな瞬間がやってきた。

サウンドチェックに続き、リハーサルが始まる。
本番さながら照明がグルグル回り、オヤジバンドを従えたハルが歌う‥と、その時だ。まるで糸が切れた操り人形のように、パタンとハルが倒れた。九条は思わずファインダーから目を外す。ボーカルが途切れたステージ中央、ハルに駆け寄る鴨志田の姿が見えた。
何が起きたのかは分からない。が、ディレクターの本能がカメラをまわせ!と叫んでいる。九条はRECしながらステージ中央へと向かった。鴨志田に支えられたハルが起き上がり「ごめん。何でもないよ」と言ったが、その笑顔は弱々しく言葉に力はない。鴨志田はスタッフ全員に聞こえる声で叫んだ。

「申し訳ない。ちょっと休憩」
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