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act-42 ハルとの時間
しおりを挟む「こっちがママの部屋で、こっちが私」
二間あるうちの一方の扉を開けハルは「どうぞー」と言った。九条はカメラをREC状態にしたままハルの部屋に入る。
そこは音楽の匂いしかしない空間だった。四方の壁はCDとアナログレコードに占拠され、小さなデスクの上にはプレイヤーが置かれており‥そしてベッドの上には、父親のギターがさっきまで弾いていたかのような感じで投げ出されていた。
「すごいな、アナログのLP(レコード)やプレイヤーまであるんだ」
「うん。全部パパのものだけど」
母親に音楽の匂いは何ひとつしない。ハルの音楽的な素養は間違いなく父親譲りのものだ。そばにいることのない父親の存在が、今のハルを作っている‥
「この部屋の中にある音楽で1番好きなものは何?」
「えっ?」
「難しい質問かな」
ハルは少し考えると一枚のLPを手に取り、デスクに置かれたプレイヤーに乗せ針を落とした。曲が流れ始めると、思わず九条は言った。
「意外!」
「そう?」
洋楽のロック、あるいは九条が聞いたこともないような最近流行りのJ-POP‥そう予想していた。が、ハルがかけたのは古いジャズだった。
「これ、誰?」
「チェット・ベイカー」
「なんで好きなの?」
「よく分からない。でも、なんか好き。ずっと前から」
ハルはそう言って手にしたジャケットを見つめている。父親が好きでよく聞いていた曲なのかもしれない。ハルの表情をカメラで追いかける‥チェット・ベイカーの哀愁漂うトランペットと、ハスキーなヴォーカルが流れている。
いい絵だ‥この雰囲気の中、ハルへインタビューしたいところだが、そうはいかない。映像と一緒に音楽があると編集の時に繋がらなくなってしまう。九条が思案しているとハルが聞いてきた。
「今日、私にもインタビューするの?」
「ああ、そう願いたい」
「じゃあ、外に行かない?」
***********************************
ハルが案内したのは近所の公園だった。すべり台と鉄棒、それにベンチが2つあるだけの小さな公園‥
「何でここなの?何か思い出があるとか?」
九条の言葉にハルは「別にー」と答え「外の空気吸いたかったから」と笑った。
本心なのか?いや、もしかすると母親の気配が照れ臭かったのかも知れない。だが自宅での撮れ高(撮影の収穫)は十分だ。であれば、この公園での取材は映像のバリエーションを考えれば大アリだった。
「そこに座る?」
「いいよ」
ハルはベンチにちょこんと腰掛け、九条はその隣に座って身体を捻ってカメラを向けた。ものすごく近い距離にハルの顔がある。
<ハルのインタビュー>
「まず、体調は大丈夫?」
「体調?あぁ、心配かけました。もう、大丈夫でーす」
「それは良かった。でも、腎臓が悪いって聞いたけど」
「誰に聞い‥って、アスカね」
「ああ、でもあいつは悪くない」
「分かってる。でも、本当に大丈夫。この病気は、気長に付き合っていくしかないから。ごめん、あんまり病気のことは‥」
「うん、これ以上は聞かない。ところで、今月いよいよデビューアルバムが出るけど自信のほどは?」
「自信?あるに決まってるじゃない。あ、でも‥それって私が私に対する自信っていうことで、質問の意味が ”売れるかどうか?” だったら、それは分からないなぁ」
「そこは自信が無い?」
「ある無しじゃなくて‥売れるか売れないかって、私を離れた話だから」
「意地悪な言い方だけど、プロなんだから売れないとダメなんじゃないかな?」
「うん、その意見は正しいと思う。でも‥じゃあ、何で売れる人って一握りなのかな?」
「どういうこと?」
「そういうこと全部分かってるプロの人たちがいる業界でしょ。でも、みんなが売れてるわけじゃない」
「うん」
「プロの人たちが考えて計算して‥それでも売れない人の方が多い。だったらもう分からないわけだから‥できることって自分の持てる力を全部出すことぐらいだよね」
「でも、それはどの世界でも同じじゃないかな。成功はほんのひと握りの人しか得られない」
「そうだね。みんな成功目指してやってる。でも、私は売れるために歌を選んだわけじゃないし‥ね、九条さんはなんでディレクターやってるの?」
「俺?」
「うん。何で?」
「難しいこと聞くね」
「映画が好きだったから‥とか、カメラに興味があったからとか?」
「確かに学生の頃から映画は好きで、自主制作で映画撮ったりはしてたね」
「ふーん。じゃあ、何で映画を撮らないでテレビなの?」
「一言では言えないけど。映画なんて、チャンスは少ないし金は稼げない」
「それ、自主制作やってた頃も同じように考えてた?」
「いや、それは社会人になってからの話。学生時代はそんな現実知らないし、教職とってたから学校の先生もいいかと思ってた。映画監督には、なれたらいいなくらいだったかもね」
「九条さんには選択肢がいろいろあったんだと思う。私には歌しかなかった」
「歌しかなかった‥とは?」
「そこ、聞いてくるのね?」
「俺が一番ハルに聞きたいことだ」
「九条さん、どこまで知ってるの?」
「鴨さんからなんとなく聞いたぐらい。でも、話せる範囲でいいからハルからちゃんと聞きたい」
「私、高校辞めてるでしょ。いじめって括っちゃうとちょっと違うんだけど」
「どんないじめだったの?」
「そこは言いたくない。でも、なんか生きてるのが嫌になっちゃったのは確か」
「死のう‥と思ったとか?」
「九条さん、初めて会った時私になんて言ったか覚えてる?」
「ん?」
「私の手首の傷見て ”本気で死のうと思うやつはそんな中途半端な切り方しない” って言ったんだよ」
「あっ‥確かに、そんなこと言った。今思えばかなり失礼だったね」
「でしょ?」
「初対面であれはないな、スマン」
「ううん。私ね、ホントだって思ったんだ」
「どういうこと?」
「だって、自分の身体傷つけてみて‥死ぬのなんて簡単だってことが分かったから。だから、九条さんがいう通り私、本気で死のうなんて思ってなかったんだよ。それは自分が一番よく分かっていた。それを最初に会った時言われて‥ちょっとドキッとしたんだ」
「‥」
「死ぬのなんていつでもできる。いつでもできると思ったら、すごく悲しくなった」
「悲しくなった?」
「うん。あの時、私17歳だったけど、生まれてきてまだ何もしてなかった‥なんにもね。それはあまりにも私が可哀想だな、って思ったんだ」
「うん」
「せっかく生まれてきたんだから、死ぬにしても何かやってからじゃないと‥で、何ができるか考えて、ずっと考えて‥そしたらパパのギターがあったの」
「この先、ハルはどうするの?何か目標とかあるのかな?」
「ちょっと考えてることはあるよ」
「何?」
「まだ秘密」
***********************************
遮光になった陽の光が長い影を作り始めている。ハルへのインタビューはたっぷり1時間は続いた。ハルは意外なほど素直に何でも話してくれた。
公園を出て並んで歩いている時、九条はこう言った。
「今日はありがとう。ハルの考えてることが少しは分かった気がするよ」
「まあ、小娘の言い訳ってことで」
「そんなことない。でも‥」
「でも?」
「鴨さんはハルに賭けてるよ」
「うん、分かってる。けど、鴨さんのために歌ってるわけじゃないから」
「そうだろうけど」
「でも鴨さんがもし病気になって血が必要なら、私全部あげてもいいと思う」
「例えが極端過ぎてよく分からないけど、鴨さんが聞いたら涙流して喜ぶよ」
「そうだねー。だから言わないで」
ハルの家の前まで来ると、九条は「お母さんによろしく」と伝え駅に向かって歩き始めた。少し歩いた時、何気なく振り向いた。ハルが自分を見ている。そして、振り向いた九条に向かって大きく手を振った。麗かな陽光の中、手を振るハルが残像のように九条の瞼に焼きついた。
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