一度でいいから、抱いてください!

瑞月

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嬉しい転生【彩音の場合】

1.これは夢?

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「痛っ!……って、ヒール!!」

 終電までギリギリのところを改札に向かって走っていたその時、履いてたヒールが折れた…!

「あぁ、もう…!」

 今ヒールをどうこうする時間はない。私は折れたヒールを拾い上げると、つま先に力を込めて片方のかかとを浮かしたまま走った。

「はぁ…」

 なんとか電車に間に合った…。ドアガラスに映る顔は、我ながらひどすぎる…。

 今日も疲れたなーー。明日はどうにか休みだし、帰ったらバスタブにお湯ためてゆっくり浸かって速攻寝よう…。

 あ、そうだ昨日amasanから乙女ゲームの新作ドラマCD届いてたんだっけ…!
 前作からの一年ぶりのルイ先輩に会えるんですね…!!あぁ、それいい。生きる希望。
 その為に今の私はある。よし、生きよう。

 電車のドアにもたれかかると、ふ、と目を閉じた。



 ◇◇◇◇◇



彩音あやねー!もう起きなさーい」

(ん…誰の声…?)

「ほら!学校に遅れるわよ!!」

「はぁ…?」

 学校ってなんのこと?私はもう28だけど?っていうか、この声だれ??

「あんたってば寝ぼけて!早く学校行きなさい!」

「え…?」

「ほらさっさと顔洗う!」

 促されるまま、洗面所に向かう。そして洗面台の鏡に映る顔を見て、息が止まるかと思った。

「は…?これ、誰…?」

 赤い緩くカールした長い髪に、赤紫の瞳の色白の整った顔の美少女がそこに映っていた。は?どういうこと??

「どうしたの姉ちゃん。早くしなよ。っていうかそこ避けて」
「うん、うぅん??って、かなで君…!?」
「は?なにその君付け、キモい」

 しばし呆然とする。さっき鏡に映った自分は全く知らない顔だった。っていうか、知らないけどこの画風には既視感がある。そして目の前にいる男子はもっと既視感がある!!

 これ、私の大好きな乙女ゲーム「聖なる音を紡ぐ鐘」の攻略対象じゃん!!

 クセのある赤茶色い猫っ毛、丸くて大きい赤紫の瞳、どっからどう見ても神崎奏くんじゃん!!!なにこれ!寝癖のある姿とかマジ尊い!!
 奏君、歯磨きしてるぅう!やだー!かわいい!

「うん…と、いうことは…」

 そっか、夢か。なるほど、納得。

 音楽学園に通って、攻略対象と恋愛を楽しむ全年齢型の乙女ゲーム。私が高校生の頃に発売されたそれは、今でも続編やドラマCDが発売されるなど、何年経っても乙女の夢を終わらせない、素晴らしい名作だ。
 昨日はそのドラマCDを楽しみにしてたんだった…うーんと?なんだろ、聞きながら寝ちゃったのかなぁ?
 そして奏君にお姉ちゃんなんていなかったはず…。少なくともそんな描写はゲーム内ではなかった。

 っていうことは、私ってばモブか。
 いいよ、いいよー!私にヒロインなんて荷が重い!夢で楽しむにはモブ最高!しかも美少女だし!

「あぁ!この制服を着られる日が来るなんて…!!」

 私はウキウキと麗華音楽学園の夏服である白の地に銀と青の刺繍が入った見慣れた制服に袖を通した。


 ◇◇◇◇◇


 (来ちゃった、来ちゃった…!)

 私は制服のピンを見るに、どうやら2年生らしい。奏君は1年生で、ヴァイオリンを弾くキャラだ。
 私がこのゲームを、もう何年、何回プレイしたか…!いわばこれは聖地巡礼。いきなり学生になってしまっても全く問題ないくらいに、学校の教室の位置、間取りに至るまで完璧に脳内に刻み込まれている。

 私である、神崎彩音はどうやらピアノを専攻しているらしい。授業でピアノを演奏することになった。良かった、全くやったことない楽器じゃなくて。

 でもピアノなんて中学生の時にやめて以来なので、全然指が動かないよ…と思いきや、身体はスラスラと音を奏でた。
 うっわ楽しーい!まぁ夢だしね。

 あぁ音楽って楽しかったんだなぁ。社畜してたから忘れてたぁ。いい夢だなぁ。

 …そして、夢なのだから、多少のことは無理がきくはず…。
 例え空を飛ぶことが無理だとしても、このゲームの夢を見たからにはどうしても叶えたい野望があった。
 それは!大好きなルイ先輩に会うこと!
 講堂横の自習室でルイ先輩はいつも放課後ピアノの自習をしている。私の高校生の頃からの大好きな思い人、大河内瑠依先輩。

 もうね、パッケージを見た瞬間恋に落ちたの。そして声を聞いて二度目の恋をして、プレイして先輩の心に触れて三度目の恋をした…。

 音楽に対する純粋なまでの情熱、繊細な演奏、そして親密度が上がってきた時に見せる笑顔、そして私ヒロインにだけ見せたあの日の涙…。

 せっかくこのゲームの夢を見てるんだから、絶対ルイ先輩に会いたい!

(なんでこんな授業のシーンとか長いんだろ…?パッと次の場面に転換してよぉ!)

 私はじれもだしながら、放課後を待った。


 ◇◇◇◇◇


(あ、ピアノの音…この曲…!!)

 ルイ先輩のコンクールの課題曲、リストの『愛の夢』だ!
 自習室の扉の前に立ち、その漏れ聞こえる音に聞き惚れる。
 あぁ、この音が生で聞ける日が来るなんて…。

 先輩らしく繊細で、この曲の甘美なメロディが凛々しく、でも優しく聞こえる…。
 あぁ、僥倖ってこういうことを言うんだ…!自然と涙がこみ上げる。自習室の扉の前、いつの間にか目頭を押さえるように、俯いた額の前で手を合わせていた。
 
 (あぁ、こんな夢を見るなんて、生きてて良かったぁ)

 うっとりとその音に浸っていると、ふと音が止んだ。

 「?」

 顔をあげると自習室の扉の小窓越しにルイ先輩と目があった。

 「え…?」

 ルイ先輩はゆっくりと立ち上がると、扉を開けた。

「君は…?二年生の…?」

 その声の低くて甘い響きに脳が痺れる。目の前に恋い焦がれてやまなかった、その人がいる。すらりとした長身、襟足の長い黒い髪、切れ長の濃い青い瞳。何度も何度も繰り返し見たスチルそのままの人。私はルイ先輩を凝視したまま、動けなくなってしまった。

(あぁ本当に、なんていい夢…!!)
 
「ど、どうしたの…?あの、入って…?」

 ルイ先輩にそっと背中を促されて、自習室の中に招き入れられる。
 そっと近づいたその時、ルイ先輩の香りがした。
 ゲームなら、匂いなんてしない。そしてこれは夢だから、脳の誤作動だ。でも、いい。透き通った、でも甘い、ルイ先輩らしい香り。

 また自然と涙が溢れてくる。

 あぁもう、夢だ。これが夢ならやることは一つだ。

 私はぎゅっと目をつむると、思いきった。

「あの…私…、ずっと大河内先輩のことが、す、好きで…!」

「え…?」

「一度でいいんです…!私を抱いてくれませんか…!」
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