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憂鬱な転生【カノンの場合】
36.どちらが現か
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朱に碧、松葉に牡丹。陽光をはじく金糸銀糸。
様々な彩が水面を遊ぶ魚のように、目に鮮やかに飛び込んでくる。
30畳ほどの畳敷きの広間の中には、色とりどりのきらびやかな反物が広げられていた。季節の折々に城野院家で行われるいつもの光景だ。
「それじゃあ、光之助さんあとは必要なものを選んでおいてちょうだいね。村越さん今日は有難う。あとはよろしくね」
「はい、わかりました。母さんもお気をつけて」
今日もたくさんの買い物をして、大変上機嫌な様子だ。城野院によく似た顔を綻ばせてそう告げると、それもまた先日買ったばかりだという繊細な模様に彩られた大島紬を翻し、母親は席を立った。
村越と呼ばれた馴染みの呉服店の女将は「かしこまりました。行ってらっしゃいませ奥様」と深く礼をした。そうして共に席をたった城野院も母親を戸口まで見送ると、改めて反物に目を向けた。
顎に手をあて思案する城野院は、今日は藤色の紬を着流し、艶やかな黒髪はラフに右肩に寄せ、組み紐で結って前に垂らしている。
女性よりもいっそ女性らしい優美な所作で伏し目がちにしているその立ち姿は、そのまま絵画になりそうな美しさだった。
そんな城野院の姿に、年若い従業員が思わず見惚れて手を止めてしまうのを、女将が厳しい視線で制した。
だが、彩りのなか思考の海を漂う城野院は、そんなやり取りも目には入らない。
(あぁ、この色は似あうだろな。きっと彼女の髪色が映える)
加賀友禅の艶やかな花々が描かれた色の反物を眺めながら、愛しい彼女のことを考える。
最近少し浮かれすぎているのか、美しいものや、輝くものを見ると必ず彼女のことを思い出してしまう自分に、苦笑をこぼした。
(まだこれを贈り物にするには、早いよねぇ)
いくらなんでもいきなり彼女に着物を仕立てるだなんて、重いことこの上ないだろう。そして恐縮して受け取ってくれるはずもないことが、容易に思い浮かぶ。
忘れそうになるが、自分はまだ十代の学生だ。
きっと十代らしくない思考をしてしまうのは、学園にいて制服を着ている時だけそのことを思い出すといった風で、普段は仕事に家業と忙しく過ごしていることの弊害だ。
目線を外した先に並べられていた帯留めには、珊瑚に美しい菊の花の透かし彫りが施されていた。その穏やかな桃色を眺めていると自然にまた、はにかみながらも嬉しそうに微笑む彼女が浮かび、口元が綻ぶ。
――今自分が学生ではなく、気持ちのままに動くことが出来る地位があるとしたら、それはもちろん彼女を囲ってしまいたい。
彼女の学園内での注目度といったら、神崎彩音といい勝負だ。つまり、学園中の注目を集めている存在だといっても過言ではない。
当初は話題の編入性のお手並み拝見といったところで猜疑的だった生徒達も、見た目の可愛らしさだけでなく、朗らかながらも芯の通った姿に、影ながらファンになるものが多いと聞く。
なによりもチャリティーコンサートのあの演奏。
あの日から随分とファンの数を増やしたそうだが、それも頷ける。
……まぁそんな有象無象はもとより相手にしないとしても、彼女はあまりに無自覚だ。そこも、魅力の一つなのだけれど。
(今度改めて、釘をさしておいた方がいいかもねぇ)
そうして使いやすそうな意匠を選び、紫水晶の髪留めを手に取った。これならば普段も使えるだろう。
――願わくは彼女には、僕の選んだものを、僕の色だけを纏っていてほしい。
誰にも傷つけられない優しい空間に囲って、そこで僕の帰り待っていてほしい。嫌なことや、彼女を傷つける全てを忘れて、好きなことを好きなだけして、僕だけに笑っていてほしい。
お気にいりのものは箱に入れて大事に閉まっておきたい。他人に踏み荒らされるのを好む者などいないように、大事なものは囲っておくのが正しい作法だ。
「……」
そこまで思ったところで、城野院は一つため息をついた。
――僕はもともと、そういう思考の人間だっていう自覚があったんだけれど……。
これまで、誰に対しても本気になったことはなかった。感情を揺さぶられるような相手に出会えなかったということもあるけれど、こんな気持ちは彼女に対してが初めてだ。
だけれど今、囲いたいというにも違和がある。独占したいという気持ちは大きいけれど、僕が彼女に対して抱く気持ちは、それとも少し、違うような気がする。
「――光之助坊ちゃま? いかがいたしましょうか。何かお気に召すものはございましたか?」
女将の声に引き戻されるようにして、思案にゆっくりと蓋をすると、城野院はいつもの外向きの笑顔を返した。
「うーん、今回はそうだねぇ。僕はこれがいいかな。皐は今日も来られないだろうから、皐の分もこれに合わせて一揃えお願いするよ」
「かしこまりました、それではいつもの通りに。……こちらのご用意はよろしいですか?」
黒い留袖を身にまとった女将は、城野院が先ほど見つめていたカノンに似合いそうだと思っていた反物を手にそう尋ねてきた。
「うん、それは――……まだ、いいかな。歯止めが利かなくなりそうだからね」
「そうでございますか。気がお変わりになりましたらいつでも」
そう目元の皺を更に深めて言う女将に、胸の内を見透かされていたようで、城野院は「頼むよ」とだけ短く返した。
その時、城野院の袖元が短く振動した。プライベートな電話を鳴らす可能性が一番高い彼女のことを思い、すぐにそれを確認する。
「……ッ」
まるでその目に入る文字に心臓を掴まれたかのように、鼓動が跳ねあがった。
さっきの仄暗い想像に気づかれていたかのようなこのタイミングに、一瞬うしろめたさも走るが、喜びがそれに勝る。
「あら光之助坊ちゃま、お幸せそうですね。そんな表情をされるなんて、初めて見ましたわ」
物心がつくよりも前からの付き合いの女将は、手際よく反物を片付ける指示を出しながら、皺の入った目元をさらに深く皺を刻み、そんなことを言ってきた。
季節や折々の行事の際、いつも顔を合わせているからこそ、この一見無表情を作りこんでいるこの城野院の些細な変化にも気が付いたのだ。
「……。うちの者には内緒だよ? 特に椿姉さんはうるさいから」
「はい、勿論でございます」
微笑を浮かべながら暖かく見守る視線は、メッセージを返すのに指先を走らせる城野院には、もう届いていなかった。
『今度先輩の家に遊びに行ってもいいですか?』
様々な彩が水面を遊ぶ魚のように、目に鮮やかに飛び込んでくる。
30畳ほどの畳敷きの広間の中には、色とりどりのきらびやかな反物が広げられていた。季節の折々に城野院家で行われるいつもの光景だ。
「それじゃあ、光之助さんあとは必要なものを選んでおいてちょうだいね。村越さん今日は有難う。あとはよろしくね」
「はい、わかりました。母さんもお気をつけて」
今日もたくさんの買い物をして、大変上機嫌な様子だ。城野院によく似た顔を綻ばせてそう告げると、それもまた先日買ったばかりだという繊細な模様に彩られた大島紬を翻し、母親は席を立った。
村越と呼ばれた馴染みの呉服店の女将は「かしこまりました。行ってらっしゃいませ奥様」と深く礼をした。そうして共に席をたった城野院も母親を戸口まで見送ると、改めて反物に目を向けた。
顎に手をあて思案する城野院は、今日は藤色の紬を着流し、艶やかな黒髪はラフに右肩に寄せ、組み紐で結って前に垂らしている。
女性よりもいっそ女性らしい優美な所作で伏し目がちにしているその立ち姿は、そのまま絵画になりそうな美しさだった。
そんな城野院の姿に、年若い従業員が思わず見惚れて手を止めてしまうのを、女将が厳しい視線で制した。
だが、彩りのなか思考の海を漂う城野院は、そんなやり取りも目には入らない。
(あぁ、この色は似あうだろな。きっと彼女の髪色が映える)
加賀友禅の艶やかな花々が描かれた色の反物を眺めながら、愛しい彼女のことを考える。
最近少し浮かれすぎているのか、美しいものや、輝くものを見ると必ず彼女のことを思い出してしまう自分に、苦笑をこぼした。
(まだこれを贈り物にするには、早いよねぇ)
いくらなんでもいきなり彼女に着物を仕立てるだなんて、重いことこの上ないだろう。そして恐縮して受け取ってくれるはずもないことが、容易に思い浮かぶ。
忘れそうになるが、自分はまだ十代の学生だ。
きっと十代らしくない思考をしてしまうのは、学園にいて制服を着ている時だけそのことを思い出すといった風で、普段は仕事に家業と忙しく過ごしていることの弊害だ。
目線を外した先に並べられていた帯留めには、珊瑚に美しい菊の花の透かし彫りが施されていた。その穏やかな桃色を眺めていると自然にまた、はにかみながらも嬉しそうに微笑む彼女が浮かび、口元が綻ぶ。
――今自分が学生ではなく、気持ちのままに動くことが出来る地位があるとしたら、それはもちろん彼女を囲ってしまいたい。
彼女の学園内での注目度といったら、神崎彩音といい勝負だ。つまり、学園中の注目を集めている存在だといっても過言ではない。
当初は話題の編入性のお手並み拝見といったところで猜疑的だった生徒達も、見た目の可愛らしさだけでなく、朗らかながらも芯の通った姿に、影ながらファンになるものが多いと聞く。
なによりもチャリティーコンサートのあの演奏。
あの日から随分とファンの数を増やしたそうだが、それも頷ける。
……まぁそんな有象無象はもとより相手にしないとしても、彼女はあまりに無自覚だ。そこも、魅力の一つなのだけれど。
(今度改めて、釘をさしておいた方がいいかもねぇ)
そうして使いやすそうな意匠を選び、紫水晶の髪留めを手に取った。これならば普段も使えるだろう。
――願わくは彼女には、僕の選んだものを、僕の色だけを纏っていてほしい。
誰にも傷つけられない優しい空間に囲って、そこで僕の帰り待っていてほしい。嫌なことや、彼女を傷つける全てを忘れて、好きなことを好きなだけして、僕だけに笑っていてほしい。
お気にいりのものは箱に入れて大事に閉まっておきたい。他人に踏み荒らされるのを好む者などいないように、大事なものは囲っておくのが正しい作法だ。
「……」
そこまで思ったところで、城野院は一つため息をついた。
――僕はもともと、そういう思考の人間だっていう自覚があったんだけれど……。
これまで、誰に対しても本気になったことはなかった。感情を揺さぶられるような相手に出会えなかったということもあるけれど、こんな気持ちは彼女に対してが初めてだ。
だけれど今、囲いたいというにも違和がある。独占したいという気持ちは大きいけれど、僕が彼女に対して抱く気持ちは、それとも少し、違うような気がする。
「――光之助坊ちゃま? いかがいたしましょうか。何かお気に召すものはございましたか?」
女将の声に引き戻されるようにして、思案にゆっくりと蓋をすると、城野院はいつもの外向きの笑顔を返した。
「うーん、今回はそうだねぇ。僕はこれがいいかな。皐は今日も来られないだろうから、皐の分もこれに合わせて一揃えお願いするよ」
「かしこまりました、それではいつもの通りに。……こちらのご用意はよろしいですか?」
黒い留袖を身にまとった女将は、城野院が先ほど見つめていたカノンに似合いそうだと思っていた反物を手にそう尋ねてきた。
「うん、それは――……まだ、いいかな。歯止めが利かなくなりそうだからね」
「そうでございますか。気がお変わりになりましたらいつでも」
そう目元の皺を更に深めて言う女将に、胸の内を見透かされていたようで、城野院は「頼むよ」とだけ短く返した。
その時、城野院の袖元が短く振動した。プライベートな電話を鳴らす可能性が一番高い彼女のことを思い、すぐにそれを確認する。
「……ッ」
まるでその目に入る文字に心臓を掴まれたかのように、鼓動が跳ねあがった。
さっきの仄暗い想像に気づかれていたかのようなこのタイミングに、一瞬うしろめたさも走るが、喜びがそれに勝る。
「あら光之助坊ちゃま、お幸せそうですね。そんな表情をされるなんて、初めて見ましたわ」
物心がつくよりも前からの付き合いの女将は、手際よく反物を片付ける指示を出しながら、皺の入った目元をさらに深く皺を刻み、そんなことを言ってきた。
季節や折々の行事の際、いつも顔を合わせているからこそ、この一見無表情を作りこんでいるこの城野院の些細な変化にも気が付いたのだ。
「……。うちの者には内緒だよ? 特に椿姉さんはうるさいから」
「はい、勿論でございます」
微笑を浮かべながら暖かく見守る視線は、メッセージを返すのに指先を走らせる城野院には、もう届いていなかった。
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