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第10話 兄の背中、俺の足跡
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北へ向かう道は長く、厳しかった。
雪解けの泥が靴を重くし、吹きつける風が頬を裂いた。
それでも俺たちは進み続けた。立ち止まれば、心まで凍りつく気がしたからだ。
ユナとシオンは黙々と歩き、時折短い言葉だけを交わしていた。
背中の向こうに見えるのは、遠く霞む黒い山脈。そこに“封印の神殿”があるという。
「本当に……あれが勇者レオンが最後に辿り着いた場所なんですね」
シオンが吐く息を白く漂わせながら言う。
「そうだ。兄はあの神殿で、世界を救って──そして命を落とした」
「伝説としてしか知らなかったことが、今こうして現実に見えるなんて」
ユナは前を向いたまま、静かに答える。
「伝説というのは、誰かが真実を隠すための覆いでもあるのです。私はあの封印に携わりました。でも、世界のためだと信じきれなかった」
その声に、雪を踏む音が少し重くなった。
俺は背中に感じる風を受けながら歩いた。
兄の影は、どこまでも遠い。
英雄と呼ばれ、誰よりも強く、誰よりも人を背負って歩いた人。
けれど、俺の心の彼は“兄”であり、“届かない背中”の象徴でもあった。
***
三人は途中の村で休息をとることになった。
谷間にひっそりと佇むその村は、どこか寂れていた。
かつて魔王戦争で壊滅した後、生き残りが寄り集まってできた集落だという。
人々の目にはおびえと虚ろさが宿っていた。しかし、誰も絶望してはいなかった。かすかに薪の匂いと人の息遣いの暖かさがあった。
宿で出されたスープは薄味でも、今の俺にはそれが妙に沁みた。
シオンは暖炉の前で書を広げ、魔法式の記号を読み取っている。
「神殿の構造を調べてます。たぶん、中枢には“複数の封印層”があります」
「封印層?」
ユナが首を傾げる。
「はい。外郭の封印は形だけで、内側にもう一つ……“魂の封印”と呼ばれるものがあるはずです」
その言葉に、胸の奥が少しざわついた。
魂の封印。まるで兄の魂そのものを閉じ込めた装置のように聞こえる。
「……兄さんは、死んだのではなく、封印の中に取り込まれたのかもしれない」
自分で口にして、唇が震えた。
ユナが目を見張る。
「その可能性は、あります。レオン様が自らの命と魂を代償として封印を完成させたのですから」
シオンがページをめくりながら頷く。
「もしそれが本当なら、“封印の崩壊”とは兄さんの魂が弱っていることを意味するのかもしれません」
俺は拳を握った。
兄を失った痛み。それが今になって、新しい形で胸に突き刺さる。
ただ死んだだけではなかった。まだ苦しんでいるのかもしれない。俺の知らない場所で。
***
夜、宿の外に出ると、月が山々の間から顔を出していた。
雪の上に自分の影が伸びる。
その影を見ていると、いつものように兄を思い出した。
どんな時も前を歩いていた人。俺が転べば立たせ、迷えば手を引いてくれた。
でも、その背中は決して追いつけない距離にあった。
「兄さん……今、どこで見てる?」
呟いた声は夜気に溶けた。
だが次の瞬間、胸の欠片が淡く光る。
まるで答えるように。
その光の中に、ふと幻が見えた。
剣を背負い、こちらを振り向く兄の姿。
『お前の道は、お前の足で作れ。俺の背中を追うんじゃなく、踏み出せ』
声が確かに聞こえた気がした。
目を覚ますように光が消える。
そこにはもう誰もいない。
風が流れ、雪が舞った。
俺は深く息を吸い込み、拳を胸に当てた。
「……そうだよな。兄さん。俺の足で、歩かなきゃ意味がない」
***
翌朝、出発の準備を終えると、村人たちが見送りに来てくれた。
年老いた男がひとつの小瓶を差し出す。
「これは“聖水”と呼ばれるものだ。神殿から流れ出る清流の源でとれた水だ。瘴気を和らげる力がある」
「ありがとうございます」
ユナが受け取り、深く頭を下げる。
道を歩きながら、俺はその瓶を見つめた。
透明な中に、微かに青白い光が漂っている。
まるで、穏やかな魂のような輝きだった。
「リオさん」
ユナの声が背後から届く。
「昨日、外で兄上に語りかけていましたね」
「……見られてたか」
「ええ。でも答えを得られた顔をしていました」
俺はうなずいた。
「兄さんは、もう俺に何も教えてくれない。でも、今なら分かる。俺が追ってたのは“兄の影”じゃなくて、“兄の生き方”だった」
「優しい方ですね、あなたも兄上も」
ユナがどこか寂しげに笑った。
その横でシオンが地図を広げる。
「この道を抜けた先に、“竜の谷”があります。そこを越えないと神殿には行けません。瘴気の源も近くにあります」
「竜の谷、ね……面白そうだ」
「面白いとかそういう問題じゃないです!」
シオンが思わず声を張ったが、俺は笑って肩をすくめた。
この旅の苦難が少しだけ軽く感じられた。
兄が残したのは、戦う力だけじゃない。
恐れを乗り越える勇気、仲間を信じる心、そして揺るがない意志。
それが、俺がこれから刻む“足跡”なのだろう。
遠くの山の向こうで雷鳴が鳴った。
嵐の兆しか、それとも封印の歪みが広がっているのか。
俺はその音を聞きながら剣の欠片を握りしめた。
今度こそ、迷わずに進む。兄の背中をなぞるのではなく、自分の道を切り拓くために。
「行こう。神殿が呼んでる」
ユナとシオンが頷き、三人は北へと再び歩き出した。
雪煙の中、足跡がまっすぐに続いていく。
(続く)
雪解けの泥が靴を重くし、吹きつける風が頬を裂いた。
それでも俺たちは進み続けた。立ち止まれば、心まで凍りつく気がしたからだ。
ユナとシオンは黙々と歩き、時折短い言葉だけを交わしていた。
背中の向こうに見えるのは、遠く霞む黒い山脈。そこに“封印の神殿”があるという。
「本当に……あれが勇者レオンが最後に辿り着いた場所なんですね」
シオンが吐く息を白く漂わせながら言う。
「そうだ。兄はあの神殿で、世界を救って──そして命を落とした」
「伝説としてしか知らなかったことが、今こうして現実に見えるなんて」
ユナは前を向いたまま、静かに答える。
「伝説というのは、誰かが真実を隠すための覆いでもあるのです。私はあの封印に携わりました。でも、世界のためだと信じきれなかった」
その声に、雪を踏む音が少し重くなった。
俺は背中に感じる風を受けながら歩いた。
兄の影は、どこまでも遠い。
英雄と呼ばれ、誰よりも強く、誰よりも人を背負って歩いた人。
けれど、俺の心の彼は“兄”であり、“届かない背中”の象徴でもあった。
***
三人は途中の村で休息をとることになった。
谷間にひっそりと佇むその村は、どこか寂れていた。
かつて魔王戦争で壊滅した後、生き残りが寄り集まってできた集落だという。
人々の目にはおびえと虚ろさが宿っていた。しかし、誰も絶望してはいなかった。かすかに薪の匂いと人の息遣いの暖かさがあった。
宿で出されたスープは薄味でも、今の俺にはそれが妙に沁みた。
シオンは暖炉の前で書を広げ、魔法式の記号を読み取っている。
「神殿の構造を調べてます。たぶん、中枢には“複数の封印層”があります」
「封印層?」
ユナが首を傾げる。
「はい。外郭の封印は形だけで、内側にもう一つ……“魂の封印”と呼ばれるものがあるはずです」
その言葉に、胸の奥が少しざわついた。
魂の封印。まるで兄の魂そのものを閉じ込めた装置のように聞こえる。
「……兄さんは、死んだのではなく、封印の中に取り込まれたのかもしれない」
自分で口にして、唇が震えた。
ユナが目を見張る。
「その可能性は、あります。レオン様が自らの命と魂を代償として封印を完成させたのですから」
シオンがページをめくりながら頷く。
「もしそれが本当なら、“封印の崩壊”とは兄さんの魂が弱っていることを意味するのかもしれません」
俺は拳を握った。
兄を失った痛み。それが今になって、新しい形で胸に突き刺さる。
ただ死んだだけではなかった。まだ苦しんでいるのかもしれない。俺の知らない場所で。
***
夜、宿の外に出ると、月が山々の間から顔を出していた。
雪の上に自分の影が伸びる。
その影を見ていると、いつものように兄を思い出した。
どんな時も前を歩いていた人。俺が転べば立たせ、迷えば手を引いてくれた。
でも、その背中は決して追いつけない距離にあった。
「兄さん……今、どこで見てる?」
呟いた声は夜気に溶けた。
だが次の瞬間、胸の欠片が淡く光る。
まるで答えるように。
その光の中に、ふと幻が見えた。
剣を背負い、こちらを振り向く兄の姿。
『お前の道は、お前の足で作れ。俺の背中を追うんじゃなく、踏み出せ』
声が確かに聞こえた気がした。
目を覚ますように光が消える。
そこにはもう誰もいない。
風が流れ、雪が舞った。
俺は深く息を吸い込み、拳を胸に当てた。
「……そうだよな。兄さん。俺の足で、歩かなきゃ意味がない」
***
翌朝、出発の準備を終えると、村人たちが見送りに来てくれた。
年老いた男がひとつの小瓶を差し出す。
「これは“聖水”と呼ばれるものだ。神殿から流れ出る清流の源でとれた水だ。瘴気を和らげる力がある」
「ありがとうございます」
ユナが受け取り、深く頭を下げる。
道を歩きながら、俺はその瓶を見つめた。
透明な中に、微かに青白い光が漂っている。
まるで、穏やかな魂のような輝きだった。
「リオさん」
ユナの声が背後から届く。
「昨日、外で兄上に語りかけていましたね」
「……見られてたか」
「ええ。でも答えを得られた顔をしていました」
俺はうなずいた。
「兄さんは、もう俺に何も教えてくれない。でも、今なら分かる。俺が追ってたのは“兄の影”じゃなくて、“兄の生き方”だった」
「優しい方ですね、あなたも兄上も」
ユナがどこか寂しげに笑った。
その横でシオンが地図を広げる。
「この道を抜けた先に、“竜の谷”があります。そこを越えないと神殿には行けません。瘴気の源も近くにあります」
「竜の谷、ね……面白そうだ」
「面白いとかそういう問題じゃないです!」
シオンが思わず声を張ったが、俺は笑って肩をすくめた。
この旅の苦難が少しだけ軽く感じられた。
兄が残したのは、戦う力だけじゃない。
恐れを乗り越える勇気、仲間を信じる心、そして揺るがない意志。
それが、俺がこれから刻む“足跡”なのだろう。
遠くの山の向こうで雷鳴が鳴った。
嵐の兆しか、それとも封印の歪みが広がっているのか。
俺はその音を聞きながら剣の欠片を握りしめた。
今度こそ、迷わずに進む。兄の背中をなぞるのではなく、自分の道を切り拓くために。
「行こう。神殿が呼んでる」
ユナとシオンが頷き、三人は北へと再び歩き出した。
雪煙の中、足跡がまっすぐに続いていく。
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