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第13話 過去に縛られる者たち
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風の匂いが変わった。
灰のような冷気に代わり、どこか鉄の焦げた臭いが混じりはじめる。
黒の神殿へと続く山道は切り立ち、空を覆う雲はますます濃くなっていった。
さっきまで戦っていた封印教団の影が完全に消えたとはいえ、背筋に冷たいものが張り付いている。まるで闇そのものが俺たちを追ってきているようだった。
「リオさん」
ユナの声がした。彼女の呼吸は荒いが、その眼差しは揺れていない。
「さっきの戦いで、光の障壁が限界に達しました。次は……防ぎきれないかもしれません」
「気にするな。お前は充分守ってくれた」
「……いえ、まだ終わっていません。あの教団が完全に動き出した以上、黒の神殿の封印はもう持たないでしょう」
その言葉に、横を歩くシオンが唇を噛みしめた。
「学院でも封印術は学びました。でも、あれほど複雑な構造になるとは……勇者レオンの時代の技術は、今の僕たちじゃ理解しきれない」
兄の名が出るたび、胸の奥で聖剣の欠片が熱を帯びる気がした。
「兄は一人じゃなかった。ユナたち仲間がいて、俺よりずっと遠くを見てた。でも、きっと苦しんでたはずだ。……あの背中を思い出すたび、何かを伝えようとしてる気がする」
歩き続けて半日ほど経ったころ、小さな洞窟を見つけた。
内部は不思議な温かさがあり、岩肌に古い紋章が刻まれている。
「ここ……兄さんが使っていた避難場所かもしれない」
指先で紋章をなぞると、微弱な光が広がって模様が浮かび上がる。円形の魔法陣。その中心には“ラグナ・ヴェイル”の刻印があった。
ユナが小さく呟く。
「レオン様が旅の途中に作った祈りの碑です。“再生の祈り”と呼ばれる魔法儀式……傷ついた者に癒しを与え、心に力を戻すためのものです」
俺は無意識に腰を下ろし、壁に背を預けた。
燃え尽きたような疲労が押し寄せてくる。
ユナが掌を掲げると、淡い光が洞窟の天井に浮かび、柔らかな明かりが周囲を照らした。
「リオさん。少しだけ休みましょう。身体よりも、心を削られています」
その声に従い、目を閉じる。途端に、まぶたの裏に兄の姿が蘇った。
黒の神殿の奥、崩れた祭壇の前。兄が剣を突き立て、何かに叫んでいる。
“このままでは世界が滅びる。俺が封印になるしかないんだ!”
“レオン、待て!まだ方法が――”
声が混じり合う。誰かが泣いている。ユナの声か、それとも別の仲間か。
続いて聞こえた低い囁きに、背筋が凍った。
“お前の魂は我らの糧となる。封印に血を捧げろ”
“黙れ……この命は、俺が決める”
目を開く。息が荒い。
夢ではなく、過去の断片――聖剣が刻んだ記憶だったのだろう。
「……兄さんは、あの時、“選ばされた”んじゃない。“選んだ”んだ」
呟く俺にユナが顔を向ける。彼女の瞳には、わずかに涙が光っていた。
「ええ。彼は誰よりも強かった。そして誰よりも優しかった。だからこそ、自分を犠牲にする道しか選べなかった。私たちが止めても、笑って……」
言葉が途切れる。
静寂が広がり、焚き火の音だけが響く。
シオンがためらいながら口を開いた。
「僕たちが今向かっている神殿、もしレオン様の魂が封印に囚われているなら……解放すべきなんでしょうか?」
その問いに、ユナも俺もすぐには答えられなかった。
封印を壊せば、世界は崩れるかもしれない。だが、このまま放置すれば兄の魂は永遠に囚われたままだ。
「……俺は、兄を救う。それがどんな結果を招いても」
その言葉を発した瞬間、自分でも驚くほど胸の奥が熱くなった。
ユナがゆっくりと頷いた。
「私も覚悟はできています。勇者が残したものを、最後まで見届けます」
「もちろん、僕も一緒に行きます」シオンが続ける。
「もう逃げる理由はありません。闇に立ち向かうために魔法を学んだんですから」
洞窟の入口から赤い光が差しこんだ。
外の空が燃え上がるように赤く染まっていた。
「これは……夕日じゃない」ユナが呟く。
遠くの地平で煙が立ちのぼり、何かが動いている。
シオンが魔法石で望遠図を展開し、血の気が引いた声を上げた。
「村が……燃えてる!」
俺たちは一斉に立ち上がり、駆け出した。
雪を蹴り、岩場を越えて坂を下りる。風の向こうに見えたのは、つい先日に宿を借りた谷の村だった。
炎が建物を飲み、逃げ惑う人々の悲鳴が風に巻かれている。
「封印教団が来たのね……!」ユナが杖を構え、光を放つ。
空から黒衣の影が降り立ち、炎の中に消えていく。
彼らは冷静に村人を追い立て、中心の広場に集めていた。
「奴ら、何をする気だ!」
俺が叫ぶと、ユナが目を細める。
「儀式よ。封印の血を呼び出すための供犠――人々の命で再生を行う気です!」
怒りが爆発した。
俺は聖剣の欠片を引き抜き、光を放つ。
「もう誰も奪わせない!」
光の刃が生まれ、炎を切り裂く。瞬間、教団の仮面がこちらを振り向いた。
「来たか、勇者の血……」
彼らは異様な静けさで一斉に呪文を唱え、再び黒炎が巻き起こる。
戦いの音が響く。
ユナの光柱が炎を押し返し、シオンの雷撃が仮面の群れを打ちのめす。
俺は正面の指揮官と思われる仮面に突進した。
「お前たちはいつまで過去に囚われている!」
「我らにとって過去は神の声だ。未来を選べぬ者が愚かなる希望を語るな」
刃と刃がぶつかる。火花が散るたび、兄の記憶の声が脳裏によみがえる。
――過去に縛られるな。お前が選んで進め。
兄の声が背中を押す。
俺は全身の力を込め、叫びながら切り裂いた。
光が閃き、仮面が崩れ落ちる。
教団たちは一瞬怯み、闇の霧となって逃げていった。
炎の中、残された村人たちは膝をついていた。
泣きながら、俺たちに向かって手を合わせる。
「もう大丈夫です……」ユナが優しく声をかける。
そう言う彼女の目には、わずかに涙が滲んでいた。
夜が来る。
焼け落ちた村の跡に立ちながら、俺は黒い空を見上げた。
「過去に縛られていたのは、俺も同じだったのかもしれない」
その独白に、ユナは静かに微笑む。
「でも今は違います。あなたはもう、自分の願いで戦っている」
欠片がわずかに光った。
その光は、まるで兄の背から流れた想いが再び息づいたように見えた。
「行こう、神殿へ」
そう言って歩き出す。
足跡が黒い大地に刻まれ、炎の残り火がその道をわずかに照らしていた。
(続く)
灰のような冷気に代わり、どこか鉄の焦げた臭いが混じりはじめる。
黒の神殿へと続く山道は切り立ち、空を覆う雲はますます濃くなっていった。
さっきまで戦っていた封印教団の影が完全に消えたとはいえ、背筋に冷たいものが張り付いている。まるで闇そのものが俺たちを追ってきているようだった。
「リオさん」
ユナの声がした。彼女の呼吸は荒いが、その眼差しは揺れていない。
「さっきの戦いで、光の障壁が限界に達しました。次は……防ぎきれないかもしれません」
「気にするな。お前は充分守ってくれた」
「……いえ、まだ終わっていません。あの教団が完全に動き出した以上、黒の神殿の封印はもう持たないでしょう」
その言葉に、横を歩くシオンが唇を噛みしめた。
「学院でも封印術は学びました。でも、あれほど複雑な構造になるとは……勇者レオンの時代の技術は、今の僕たちじゃ理解しきれない」
兄の名が出るたび、胸の奥で聖剣の欠片が熱を帯びる気がした。
「兄は一人じゃなかった。ユナたち仲間がいて、俺よりずっと遠くを見てた。でも、きっと苦しんでたはずだ。……あの背中を思い出すたび、何かを伝えようとしてる気がする」
歩き続けて半日ほど経ったころ、小さな洞窟を見つけた。
内部は不思議な温かさがあり、岩肌に古い紋章が刻まれている。
「ここ……兄さんが使っていた避難場所かもしれない」
指先で紋章をなぞると、微弱な光が広がって模様が浮かび上がる。円形の魔法陣。その中心には“ラグナ・ヴェイル”の刻印があった。
ユナが小さく呟く。
「レオン様が旅の途中に作った祈りの碑です。“再生の祈り”と呼ばれる魔法儀式……傷ついた者に癒しを与え、心に力を戻すためのものです」
俺は無意識に腰を下ろし、壁に背を預けた。
燃え尽きたような疲労が押し寄せてくる。
ユナが掌を掲げると、淡い光が洞窟の天井に浮かび、柔らかな明かりが周囲を照らした。
「リオさん。少しだけ休みましょう。身体よりも、心を削られています」
その声に従い、目を閉じる。途端に、まぶたの裏に兄の姿が蘇った。
黒の神殿の奥、崩れた祭壇の前。兄が剣を突き立て、何かに叫んでいる。
“このままでは世界が滅びる。俺が封印になるしかないんだ!”
“レオン、待て!まだ方法が――”
声が混じり合う。誰かが泣いている。ユナの声か、それとも別の仲間か。
続いて聞こえた低い囁きに、背筋が凍った。
“お前の魂は我らの糧となる。封印に血を捧げろ”
“黙れ……この命は、俺が決める”
目を開く。息が荒い。
夢ではなく、過去の断片――聖剣が刻んだ記憶だったのだろう。
「……兄さんは、あの時、“選ばされた”んじゃない。“選んだ”んだ」
呟く俺にユナが顔を向ける。彼女の瞳には、わずかに涙が光っていた。
「ええ。彼は誰よりも強かった。そして誰よりも優しかった。だからこそ、自分を犠牲にする道しか選べなかった。私たちが止めても、笑って……」
言葉が途切れる。
静寂が広がり、焚き火の音だけが響く。
シオンがためらいながら口を開いた。
「僕たちが今向かっている神殿、もしレオン様の魂が封印に囚われているなら……解放すべきなんでしょうか?」
その問いに、ユナも俺もすぐには答えられなかった。
封印を壊せば、世界は崩れるかもしれない。だが、このまま放置すれば兄の魂は永遠に囚われたままだ。
「……俺は、兄を救う。それがどんな結果を招いても」
その言葉を発した瞬間、自分でも驚くほど胸の奥が熱くなった。
ユナがゆっくりと頷いた。
「私も覚悟はできています。勇者が残したものを、最後まで見届けます」
「もちろん、僕も一緒に行きます」シオンが続ける。
「もう逃げる理由はありません。闇に立ち向かうために魔法を学んだんですから」
洞窟の入口から赤い光が差しこんだ。
外の空が燃え上がるように赤く染まっていた。
「これは……夕日じゃない」ユナが呟く。
遠くの地平で煙が立ちのぼり、何かが動いている。
シオンが魔法石で望遠図を展開し、血の気が引いた声を上げた。
「村が……燃えてる!」
俺たちは一斉に立ち上がり、駆け出した。
雪を蹴り、岩場を越えて坂を下りる。風の向こうに見えたのは、つい先日に宿を借りた谷の村だった。
炎が建物を飲み、逃げ惑う人々の悲鳴が風に巻かれている。
「封印教団が来たのね……!」ユナが杖を構え、光を放つ。
空から黒衣の影が降り立ち、炎の中に消えていく。
彼らは冷静に村人を追い立て、中心の広場に集めていた。
「奴ら、何をする気だ!」
俺が叫ぶと、ユナが目を細める。
「儀式よ。封印の血を呼び出すための供犠――人々の命で再生を行う気です!」
怒りが爆発した。
俺は聖剣の欠片を引き抜き、光を放つ。
「もう誰も奪わせない!」
光の刃が生まれ、炎を切り裂く。瞬間、教団の仮面がこちらを振り向いた。
「来たか、勇者の血……」
彼らは異様な静けさで一斉に呪文を唱え、再び黒炎が巻き起こる。
戦いの音が響く。
ユナの光柱が炎を押し返し、シオンの雷撃が仮面の群れを打ちのめす。
俺は正面の指揮官と思われる仮面に突進した。
「お前たちはいつまで過去に囚われている!」
「我らにとって過去は神の声だ。未来を選べぬ者が愚かなる希望を語るな」
刃と刃がぶつかる。火花が散るたび、兄の記憶の声が脳裏によみがえる。
――過去に縛られるな。お前が選んで進め。
兄の声が背中を押す。
俺は全身の力を込め、叫びながら切り裂いた。
光が閃き、仮面が崩れ落ちる。
教団たちは一瞬怯み、闇の霧となって逃げていった。
炎の中、残された村人たちは膝をついていた。
泣きながら、俺たちに向かって手を合わせる。
「もう大丈夫です……」ユナが優しく声をかける。
そう言う彼女の目には、わずかに涙が滲んでいた。
夜が来る。
焼け落ちた村の跡に立ちながら、俺は黒い空を見上げた。
「過去に縛られていたのは、俺も同じだったのかもしれない」
その独白に、ユナは静かに微笑む。
「でも今は違います。あなたはもう、自分の願いで戦っている」
欠片がわずかに光った。
その光は、まるで兄の背から流れた想いが再び息づいたように見えた。
「行こう、神殿へ」
そう言って歩き出す。
足跡が黒い大地に刻まれ、炎の残り火がその道をわずかに照らしていた。
(続く)
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