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Chapter.8
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鹿乃江が休日の平日、ランチには遅くディナーには早い時間が待ち合わせに指定されていた。
落ち合う場所は、以前使った喫茶店の【コリドラス】。
いつもより身だしなみに気を遣った鹿乃江は、どこかソワソワしていた。仕事に行くだけのときはノーメークもざらだが、今日はきちんとしている。服装も、動きやすいことより身ぎれいさを優先した。
(デートだとは思ってないけど……礼儀としてね……なんて自分に言い訳しなくてもいいんだけど)
駅ビルの化粧室で一人、自問自答する。
(……普段うるおいがないと、こーなるよね……)
鏡に苦笑した自分の顔が映る。身ぎれいにしても、顔立ちだけはどうにもならない。
(いいや、もう行こう……)
約束の10分前に目的の場所へ到着した鹿乃江が、店の出入り口をくぐる。上から見る限り、地下フロアは案外席が埋まっている。ある程度の年齢を超えた男性ばかりだから大丈夫だろうけれど、それでも身バレしないかが心配だ。
席の予約をしているそうで、前もって教えられた“マエハラ”ではない名字を店員に告げると、【予約席】のプレートが置かれた半個室の四人席に案内される。スマホを渡すときにも使った席だ。
以前は紫輝が座っていた壁際の席に、今度は鹿乃江が座る。
(思ってたより隔離されてるんだ……)
鹿乃江の座った位置から、フロアの席はほとんど見えない。ということは、フロアからもこちらはあまり見えてないのだろう。
なんとなく、ホッとする。
関係性がどうあれ、相手が自分のことをどう思っているのかをさておいても、はたから見れば“女性と二人で会っている”というのが見たままの事実だ。誤解でもされて迷惑をかけるのは嫌だ。スマホを届けたお礼として~なんていうのは、本当の理由だったとしても言い訳のように聞こえてしまう。自分はどう見られても良いが、紫輝の職業を考えると相手の立場を優先すべきだろう。
しばらくして、紫輝が時間通りに到着した。鹿乃江が先に着いているとは思っていなかったようで、少し驚いている。
「すみません、遅れました」
申し訳なさそうな紫輝に、鹿乃江が首を横に振って否定する。
「私が早く着いちゃっただけなので……」
「何か注文されました?」
「いえ、まだです」
「あ、じゃあ、決まったら教えてください。店員さん呼びます」
「ありがとうございます。もう決めてあるので、いつでも大丈夫です」
「マジっすか。待ってもらっててありがとうございます」
「とんでもないです」
紫輝が近くを通りかかる店員を呼んで、それぞれが前回と同じくミルクティーとカフェオレをオーダーした。
少しの沈黙。
紫輝の職業を知ったことを言おうかどうしようかと悩んでいる鹿乃江に気付き
「どうかしましたか?」
紫輝が優しく誘導した。
「あ、えっと……この間、前原さんをお見掛けして……」
「えっ、マジっすか。声かけてくだされば良かったのに」
「あー……できなかったんです…その……」と逡巡して「テレビの、中に、いらしたので……」遠慮がちに伝えた。
紫輝は一瞬キョトンとして
「あー、バレちゃいました?」
首に手をやり、照れたように苦笑した。
鹿乃江は恐縮して頭を下げる。
「すみません。言おうかどうしようか迷ったんですけど……」
「あっ、いや。知られたくなかったワケじゃないんです。あー、いや。正直、その……そういう仕事してるってわかったら、鶫野さん、気にするかなって……」テーブルの上で手を組み、指を握ったり放したりしながら言葉を続ける。「それで、それが理由で、会うのやめるって言われたくないなーって……すみません」
苦笑したまま紫輝が頭を下げる。
「前原さんが謝ることではないです。ごめんなさい」
慌てた鹿乃江が両手を振りながら言うと、紫輝は優しく微笑んで、ゆっくり首を横に振った。
「……もう、会うのやめるって、思ったり、してますか……?」
上目遣いの紫輝に向かって、鹿乃江はとっさに首を振る。
「思って、ない…ですよ…?」
(えっ? そうなの?)
自分の口から出た言葉に自分で驚いた。行動に言葉が付いてきた感覚が拭えない。
紫輝は鹿乃江の回答を聞くと大きく息を吐いて「良かったー!」と背もたれに体を預けた。
鹿乃江の胸がギュッと締め付けられる。
(あ…これは、やばい……)
気付いてはいけない感情が、頭をもたげて表面化しようとする。
この先があるかわからないのに、その感情を抱いて傷つくのはもう嫌だ。
甘い胸の痛みは、苦い思い出の箱を開ける。
「あの、これはホントにお願いで」紫輝が前置きをして続ける。「ボクの仕事のことが理由で、お気遣いいただいて、会うのやめようっていうのは、やめてくださいね」
慎重に言葉を選び、誤解のないように伝えようとしているのがわかる。
その気持ちに嘘はつけなくて、
「…はい」
答えと同時に頷く。
それから紫輝は、ずっと笑顔で楽しそうに話をしていた。
鹿乃江も、同じように笑顔で会話を楽しんでいた。きっと、気持ちも同じだろうと感じている。なのに、どこかに刺さった小さなトゲが、ここぞとばかりに主張してくる。
楽しいのに、心の底で不安要素が渦を巻く。払おうとすればするほど悪いイメージが頭をよぎる。それは、自分の意志とは関係なく行われる鹿乃江の悪い癖。
けれどそれも、紫輝と話すうちに薄らいで、消えていった。
お茶と会話を楽しんでから、食事のために場所を移動することになった。
「私あとから行きますね」
「いや、一緒に行きましょう」
「誰かに見つかったら大変でしょうし」
「でも誘ったのオレなのに……」
「じゃあ……少し後ろを歩きます」
「…………はい」
長考後、紫輝が折れて承諾し、キャップを目深にかぶって席を立った。
落ち合う場所は、以前使った喫茶店の【コリドラス】。
いつもより身だしなみに気を遣った鹿乃江は、どこかソワソワしていた。仕事に行くだけのときはノーメークもざらだが、今日はきちんとしている。服装も、動きやすいことより身ぎれいさを優先した。
(デートだとは思ってないけど……礼儀としてね……なんて自分に言い訳しなくてもいいんだけど)
駅ビルの化粧室で一人、自問自答する。
(……普段うるおいがないと、こーなるよね……)
鏡に苦笑した自分の顔が映る。身ぎれいにしても、顔立ちだけはどうにもならない。
(いいや、もう行こう……)
約束の10分前に目的の場所へ到着した鹿乃江が、店の出入り口をくぐる。上から見る限り、地下フロアは案外席が埋まっている。ある程度の年齢を超えた男性ばかりだから大丈夫だろうけれど、それでも身バレしないかが心配だ。
席の予約をしているそうで、前もって教えられた“マエハラ”ではない名字を店員に告げると、【予約席】のプレートが置かれた半個室の四人席に案内される。スマホを渡すときにも使った席だ。
以前は紫輝が座っていた壁際の席に、今度は鹿乃江が座る。
(思ってたより隔離されてるんだ……)
鹿乃江の座った位置から、フロアの席はほとんど見えない。ということは、フロアからもこちらはあまり見えてないのだろう。
なんとなく、ホッとする。
関係性がどうあれ、相手が自分のことをどう思っているのかをさておいても、はたから見れば“女性と二人で会っている”というのが見たままの事実だ。誤解でもされて迷惑をかけるのは嫌だ。スマホを届けたお礼として~なんていうのは、本当の理由だったとしても言い訳のように聞こえてしまう。自分はどう見られても良いが、紫輝の職業を考えると相手の立場を優先すべきだろう。
しばらくして、紫輝が時間通りに到着した。鹿乃江が先に着いているとは思っていなかったようで、少し驚いている。
「すみません、遅れました」
申し訳なさそうな紫輝に、鹿乃江が首を横に振って否定する。
「私が早く着いちゃっただけなので……」
「何か注文されました?」
「いえ、まだです」
「あ、じゃあ、決まったら教えてください。店員さん呼びます」
「ありがとうございます。もう決めてあるので、いつでも大丈夫です」
「マジっすか。待ってもらっててありがとうございます」
「とんでもないです」
紫輝が近くを通りかかる店員を呼んで、それぞれが前回と同じくミルクティーとカフェオレをオーダーした。
少しの沈黙。
紫輝の職業を知ったことを言おうかどうしようかと悩んでいる鹿乃江に気付き
「どうかしましたか?」
紫輝が優しく誘導した。
「あ、えっと……この間、前原さんをお見掛けして……」
「えっ、マジっすか。声かけてくだされば良かったのに」
「あー……できなかったんです…その……」と逡巡して「テレビの、中に、いらしたので……」遠慮がちに伝えた。
紫輝は一瞬キョトンとして
「あー、バレちゃいました?」
首に手をやり、照れたように苦笑した。
鹿乃江は恐縮して頭を下げる。
「すみません。言おうかどうしようか迷ったんですけど……」
「あっ、いや。知られたくなかったワケじゃないんです。あー、いや。正直、その……そういう仕事してるってわかったら、鶫野さん、気にするかなって……」テーブルの上で手を組み、指を握ったり放したりしながら言葉を続ける。「それで、それが理由で、会うのやめるって言われたくないなーって……すみません」
苦笑したまま紫輝が頭を下げる。
「前原さんが謝ることではないです。ごめんなさい」
慌てた鹿乃江が両手を振りながら言うと、紫輝は優しく微笑んで、ゆっくり首を横に振った。
「……もう、会うのやめるって、思ったり、してますか……?」
上目遣いの紫輝に向かって、鹿乃江はとっさに首を振る。
「思って、ない…ですよ…?」
(えっ? そうなの?)
自分の口から出た言葉に自分で驚いた。行動に言葉が付いてきた感覚が拭えない。
紫輝は鹿乃江の回答を聞くと大きく息を吐いて「良かったー!」と背もたれに体を預けた。
鹿乃江の胸がギュッと締め付けられる。
(あ…これは、やばい……)
気付いてはいけない感情が、頭をもたげて表面化しようとする。
この先があるかわからないのに、その感情を抱いて傷つくのはもう嫌だ。
甘い胸の痛みは、苦い思い出の箱を開ける。
「あの、これはホントにお願いで」紫輝が前置きをして続ける。「ボクの仕事のことが理由で、お気遣いいただいて、会うのやめようっていうのは、やめてくださいね」
慎重に言葉を選び、誤解のないように伝えようとしているのがわかる。
その気持ちに嘘はつけなくて、
「…はい」
答えと同時に頷く。
それから紫輝は、ずっと笑顔で楽しそうに話をしていた。
鹿乃江も、同じように笑顔で会話を楽しんでいた。きっと、気持ちも同じだろうと感じている。なのに、どこかに刺さった小さなトゲが、ここぞとばかりに主張してくる。
楽しいのに、心の底で不安要素が渦を巻く。払おうとすればするほど悪いイメージが頭をよぎる。それは、自分の意志とは関係なく行われる鹿乃江の悪い癖。
けれどそれも、紫輝と話すうちに薄らいで、消えていった。
お茶と会話を楽しんでから、食事のために場所を移動することになった。
「私あとから行きますね」
「いや、一緒に行きましょう」
「誰かに見つかったら大変でしょうし」
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