前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

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Chapter.47

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 ──伝えかけて、目が覚めた。
(夢オチって……)
 カーテンの隙間から光が漏れている。
(思春期みたいな夢みたな……)
 思い返すと、昨日観たライブの衣装を着ていた気がする。よほど印象に残っていたのだろう。
(起きなきゃ……仕事いかないと……)
 重い身体を起こして身支度を始めた。
 昨日のライブがあまりにも現実とかけ離れた世界で、なんだか記憶がおぼろげだ。しかし身体の疲れは現実で、仕事に行かなければならないのも残念ながら現実である。
 なんとか出勤していつも通り業務にとりかかる。次第に体も目覚めてきて、ようやく現実に戻った気分だ。
 普段通り、前日の終業以降に発生した事務作業の対応をする。締切に向けて計画し動いているので、特に慌てることもなく業務は進む。
 大抵の勤務日は穏やかで、スケジュール管理さえできていれば定時に上がれる。しかし、何故だか忙しい日が月に4~5日ある。どんなに素早くこなしても、業務があとからあとから追加され終わらない。定時内に終わらせようと最速で動いているのに、否応なしに残業になってしまう。
 今日がその日だった。
 午前中は通常通りの緩やかさだったのに、午後からその状況が一転した。締め切りのある業務と割り込みの業務とが幾重にもなり、更に人事関係とは別に管理している倉庫搬入作業の物量も、着荷日が急遽前倒しになったため膨大で、予想外に大幅な残業となった。頭と身体、両方使う業務をこなしたため、かなりの疲労度だ。
(うわ。半過ぎてるじゃん)
 タイムレコーダーの時計を見て、小さく息を吐く。事務所内に「お疲れさまでーす」と挨拶をして、職場を出た。辺りはすっかり暗くなっていた。
(ごはんなにしよかな…どこも混んでそう…まぁもう19時回ってるし……19時……!)
 業務中には思い出しもしなかったのに、その時間がキーワードになり、寝しなに届いたメッセが脳内に浮かび上がる。
 今から電車に乗っても目的地に着くには30分以上はかかる。待ち合わせに指定された19時も、もう30分以上過ぎてしまっている。いまから移動したとして、どんなに速く着いたところで1時間以上は待たせることになる。
(えっ、どうしよどうしよ)
 唇に指を当て、実際に右往左往したいくらいの気持ちで信号を待つ。
(いやでも、待ってないよね。……いや、でも……)
 実直な紫輝の性格を考えると、きっと本当にあの店で待っているだろう。
(だって会ってどうするの? 伝えたいことって、きっと……)
 もうすぐ、信号が赤から青に変わる。
(応えられるの? またはぐらかすんじゃないの?)
 答えの出ない疑問は鹿乃江の心にモヤをかける。予想している“伝えたいこと”だって、単なる勘違いで的外れな思い上がりかもしれないのに。
 さっきまで忘れていたくせに、思い出したらいても立ってもいられなくなってしまった。
 このまま家路に着けば、本当にすべてなかったことになるはずだ。
 なにも伝えず、なにも聞かず、自分の気持ちにも紫輝の気持ちにも向き合わずに放置して、ただ後悔の念と一緒にたたずむ。
(そんなの……嫌だ……)
 行かないという選択肢の先にある未来を想像して、眉根を寄せる。
 信号が青に変わり、周囲の人々が動き出した。
(本当に、最後……!)
 何度目かの決意をして、駅に向かう。しかし……
「マジか……」
 ホームに入って思わず呟く。
 帰宅ラッシュを少し過ぎたというのに、ホームから溢れかえりそうな人数が電車の到着を待っている。
 人身事故の影響でダイヤが大幅に遅れていることを、構内放送が繰り返し伝え続けていた。この路線あるあるとはいえ、なにもこんなタイミングで起きないでいいじゃない、などと身勝手なことを考えながら、比較的短い列の最後尾に並ぶ。
 十数分後、ドアと仕切り板の隙間にうまく身を滑り込ませてなんとか乗車するが、前の電車が詰まっているのか、長い区間で徐行運転のまま電車は進む。
 ぎゅう詰めの車内。最小限の行動範囲内でスマホを操作する。【コリドラス 営業時間】と打ち込み、出てきた結果と画面上部の時計を見比べる。この電車の速度では、閉店時間に間に合うかどうか微妙なラインだ。
 焦る気持ちと反比例した速度で電車は進む。ゆるゆると流れる景色がもどかしさを募らせる。
 通常の倍近くかかり、ようやっと電車は目的駅に到着した。ターミナル駅なこともあり、乗客の大半が同じ駅で下車する。じりじりと流れる人波にもまれながらホームへ出たが、その波から抜け出せたのは改札を出る直前だった。
 早足で改札を抜け、そのまま構内をひた進む。
 広大さを感じさせないほど利用客は多く、帰宅ラッシュを過ぎても絶えず人が行き交う。その人波を巧みにすりぬけ、地上に繋がる階段をのぼる。息はとうに切れているが、それでもスピードは緩めない。
 これ以上、紫輝を待たせたくない。その想いが鹿乃江の足を動かす。
 冬だというのに背中に汗がにじむ。体中の血管が脈打って、喉の奥から鉄の匂いが微かに立ちのぼる。たすき掛けにしているバッグが、だんだんと重みを増していくように感じる、
(たいりょく……なさすぎ……)
 息を弾ませ駅からしばらく進んだところで路地に入る。大通り沿いに比べて人通りの少ない道を5分ほど進むと、見覚えのある店構えの前に出た。電車内で調べた閉店時間まであと20分弱。
 浅く呼吸を繰り返しながら大股で入口をくぐると、店員が申し訳なさそうに近付いてきた。
「申し訳ございません、ラストオーダーのお時間を過ぎておりまして」
「待ち合わせを…してるんです……」
「かしこまりました」
 息を切らせて用途を伝える鹿乃江に笑顔を向け、店員は地下階へ誘導した。
 一人階段を降りて店内を見渡す。フロアの入り口から見える席にはまばらな数の客が滞在している。その中に目的の人物がいないのを確認してから、いつも待ち合わせに使っていた半個室の席へ向かう。

 速くなっていた鼓動が強さを増していく。
 耳元で心臓が脈打つような感覚。
 どんな顔をすればいいか。一言目に何を言うか。どんな言葉が返ってくるのか。
 不安と期待がごちゃまぜになって思考を混乱させる。
 その間わずか数十秒。
 うつむいたまま懐かしい空間へ足を踏み入れ、顔を、あげる──
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