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本編
41.二人
しおりを挟む瑛士君はすぐに眉を顰め、怪訝そうな顔をこちらに向けてきた。今になって何で俺がそんな事を言い出すのか、意味が分からないと思われてるんだろうな。
「いいわよ、聞くわ。他には?」
「とりあえず、それだけ。お願い」
ローズさんも分からないだろうに、何も聞かないまま請け負ってくれる。ツンと顎を上げて髪を掻き上げる姿も様になっていて、つくづく格好良い人だなぁと思った。
「フィー、どういう事だ?」
「ごめんね。エイジの事なのに俺が勝手にして」
「そんなのは別に良い。ただ説明だけはしろよ」
うん、ちゃんと話すつもりだった。瑛士君に返事をして、ローズさんにお願いをして、帰るには少し早かったけれど帰る事にした。ローズさんが王城に残る事を決めてから、作りかけの辞典を城の人達が複写し始めたので、辞典を手放す時間もあった方が喜ばれるのだ。そんな姿を見かけるたび、城の人達にローズさんが受け入れられているようで嬉しい。
帰り道、瑛士君はずっと手を握ってくれていたけれど、何をどう説明するべきか、まだ考えている最中で俺はかなりうわの空だったと思う。兄ちゃん達が働いてる横を通って、部屋に上がる。
うん。言うべきことがやっと決まった。
気合いを入れる為に深呼吸して、立ったまま瑛士君と向かい合う。両方の手をしっかり握って目を合わした。
「――エイジの会いたかった人は、この世界のどこかに居ると俺は思う。もしかしたら相手にはその記憶がないかもしれないけど。でも会うなら女神に場所を聞いておかないと」
緊張で声が驚くほど震えた。でも何とか言えた。
本音を言えば、好きだった人に会って欲しくなんてないけれど、まだチャンスが残されているのに、それを黙って見過ごす事は小心者の俺にはきっと無理だから――
不思議と目の前の瑛士君が俺の言葉に驚く事はなかった。
俺が妙な事を言い出したから帰り道に……いやもっと前から瑛士君の頭にもあったのかもしれない。ただ俺を見定めるような目でじっと見ていた。
「それで、フィーは?」
「え?」
「身を引くとか考えてんの? 俺を差し出して平気なんだ」
その声にも目にも、俺への失望が浮かんでいた。予期せず傷つけてしまった事に気づいて、握った手に力を込める。全然違う。全然平気じゃないし、言いたい事はまだ半分も言えてない。
「会ってもエイジは俺を選ぶって信じてるから言ったんだよ。会ってスッキリさせられるなら、俺はそっちの方が良い」
「スッキリも何も……俺は、」
「会って伝えられる相手が居るなら言おうよ!」
瑛士君は割り切ってるつもりでも、わだかまりは残る。胸の中に小さなしこりになっていつまでも。今は大掃除のチャンスなのだ。瑛士君も――そして俺も。
勢いに任せた前の告白とは違うけれど、俺はやっぱり大きく息を吸い込んで、気持ちの大きさと相応に、声を張り上げて言うのだ。言え、頑張れ俺。
「――俺、瑛士君がずっと好きでした!」
こんな単純な言葉をずっとずっと伝えられなかった。
「今だから言えるけど、俺、瑛士君のこと最初から知ってた。日本で、中学生だった頃の瑛士君を。知ってて黙っててごめん。昔も今もずっと好き。この世界でこうしてもう一度瑛士君に会えて、毎日が嬉しくて堪んなかった」
今と昔、どっちの自分が伝えたい言葉なのか、もうよく分からなくなってきた。生まれてきた時から自分の中にあった人生は俺の中にずっと溶け込んでいたから。どこまで行っても俺は俺なんだろう。
「大好きだよ、エイジ」
俺は言えた。全部残らず伝えられた。これでもう何一つ思い残す事はない。いや、まだ死ぬ予定なんて全くないけど。
今度は瑛士君の番だよ、って満足気に見上げると、そこには魂が抜けたような瑛士君が居た。音にならずに唇だけが戦慄く。その声を聞かせて欲しい。
「――――田中?」
ようやく絞り出された言葉にビクッと全身が震えた。
まさか中学ってキーワードだけで、一発でキッチリ当てられるとは思わなくて。覚えてくれてたんだって嬉しさはあるけれど、とにかくばつが悪い。背を縮こまらせて小さく頷くと、瑛士君はとてもとても大きな、それはもう特大の溜め息を吐き出した。
「っえ、何かごめん。俺、田中でごめん」
田中じゃ駄目だっただろうか。俺の顔は今も昔も平凡の域を出ないが、昔は日本人らしいのっぺり感があった……中身が田中と知って落胆した? 田中なら無理とか言う? 瑛士君は言わないよね?
沙汰を待つ気分で硬直する俺の手が、繋いだままに瑛士君の胸に押し当てられ、ぽけーっと見上げる俺に瑛士君が言った。
「俺も……俺もずっと田中の事が好きだった」
熱っぽい目が潤んでいて、胸が詰まる。
「中二で同じクラスになって、たぶんもうずっと好きだったのに、どうしても言えなかった。高校違ってたっていくらでも告りに行けたのにって……異世界行って死ぬほど後悔した」
知ってる。瑛士君がずっと苦しんでいた事。
俺も見てきた。会いたくて会えなくて足掻いて嘆いて、それでももう一度だけでも会いたいと望んでいた事……。
「もう一度会って、好きって言って、お前に卒業前の最後の言葉の意味を聞くまではって、それだけで耐えられた――ありがとう、田中。遅くなってごめん」
瑛士君の目が俺だけを映している。フィーブルではなく、これは田中へと捧げられた言葉だと思う。つまり、俺だ。瑛士君がずっと会いたかったのも俺。ちっとも実感が湧かないけれど。
でも、そう。卒業前の言葉には心当たりがあった。
「最後の言葉って……もしかして……変わらないでねとか言っちゃったやつ?」
「あぁ。ずっと気になってて」
「駄目! それ覚えてなくて良いやつだから! 全然良い事っぽくも意味深でもないんだよ! 忘れてくれて良かったのに! 最悪だ、俺」
消え入りたい。瑛士君の探し人は確かに俺だった。
「……瑛士君が変わらないでくれたら、絶対目立つから。そしたら高校入っても、どこかで瑛士君の姿が見られるかなって。TLで流れてきたりしそうじゃん?」
推しの姿を少しでも垣間見たいだけの一言が瑛士君を長い間惑わせていたなんて、どんだけ迷惑な奴なんだろう。
マジか……と上擦った声で呟かれて軽く死にたくなったが、次の瞬間、瑛士君が壊れたみたいに笑い出した。やばい、俺のせいで瑛士君がおかしくなってしまった。
「何なの、お前。田中らしすぎてウケる。田中らしくて、フィーらしい……本当、本当に田中でフィーなんだな」
「だからそう言ってんじゃん」
「拗ねんなよ。あーヤバ。涙出てきた……」
見たかったのに、すぐ抱きつかれて見えなくされた。俺の方が背が低いから、たぶん瑛士君はちょっと丸くなって俺の肩に顔を押し付ける。身体をぐるりと包む腕は、息が苦しく感じるほど力強い。いつもされてるみたいに、瑛士君の背中を宥めるみたいにポンポン叩いた。
「早く気付けば良かった」
瑛士君はちょっと鼻声だ。泣いても良いよ、見ないから。思ったけれど口には出さなかった。
「無理だよ。顔全然違うでしょ」
「顔以外は全部一緒じゃん」
今までずっと、比べる事が罪だと思っていたのだと教えてくれた。大事にしていた田中との思い出が、日々俺との思い出に上書きされていってる事に気づき、恐怖した事もあったらしい。
「前の世界の時は、本当に毎日毎日、田中の事ばっか思い出してたのに、こっちに来てどんどん薄れてく気がして……自分のこと薄情なやつって嫌いになったわ」
それもこれも、俺が出会って早々に打ち明けなかったからなのだが。本当に申し訳ない。
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