顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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夜風の中で

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 両親と話してわかったことがあった。
 ユズリハとシキの関係がどうであろうと自分はユズリハともっと知り合いたいということ。
 形だけの夫婦とだとしても、これから長い時間を積み重ねていく中で今より親しくなりたいと思った。
 二人の間に割って入ることができないからと諦めることはできない。だから通うこともやめない。

「それはおかしい」
「おかしくないんだな、これが」
「一年で一番めでたいはずの日に年玉としてモチを配る奴がどこにおる」
「貧困層は皆そうなんだよ。誰もが金を持ってるわけじゃない」
「それはそうじゃが……」
「お前さんみたいに持ったら持っただけ食いもんに使う人間のが珍しい」
「わらわを食いしん坊みたいに言うのはよせ。正月は祭りじゃ。店がたくさん出ておるせいじゃ」
「あれもこれもって両手に持ってかぶりついて新年早々着物汚して大騒ぎする品のなさは正月のせいじゃないだろうがね」

 ユズリハを訪ねる度にユズリハはいつも何かを食べている。飴だったり和菓子だったりと自国から持ってきた物ばかり口にしては茶を飲むを繰り返しているため食べるのが好きなのだろうとわかってはいたが、シキの言葉に容易に想像がついてしまうその姿に笑ってしまう。

「笑われたではないか! そなたのせいぞ!」
「事実だからしゃーねぇさ」

 このっ、と不愉快そうにコンペイトウを投げつけるとシキは上手くそれを口でキャッチする。何個も連続で投げると一粒も落とすことなく手で受け止めた。
 なんでも器用にこなしてしまうシキが傍にいれば異国であろうと心配はない。それはハロルドにもわかる。だからユズリハはいつもこうして笑顔でいられるのだろう。

「お前たちがデキてたなんて知らなかった」

 思わず口にした言葉に二人が同時に目を見開いて固まった。目を瞬かせることもせず、二人揃ってハロルドを見る。

「急にどうした?」
「ああ、隠さなくていい。知ってるんだ。見たし……」

 あの日、見てしまったことを思い出したくないと思うのに目を開けていても閉じていても思い出してしまう。
 ユズリハの黒い艶髪が顔を傾けるとさらりと流れてハロルドに壁を作った。そして顔を近付けキスをした。
 苦笑するハロルドにシキは頭を掻いて溜息にも似た息を吐き出す。

「見てたのか……」

 呟くようにこぼした言葉が全てだ。

「まあ、そうだよな。こっちまでついてくるぐらいだ。デキてないほうがおかしい。父親公認だったら遠慮する必要もないし、これからずっと二人で暮らすと思ってたわけで……。おかしなことじゃない。一心同体って言うんだから何もおかしな話じゃない」

 なぜ自分がフォローするようなことを言っているのか自分でもわからなかった。でも気まずい雰囲気にしたくないからできるだけ明るい声で伝えるように心がける。
 今のハロルドにできるのはそれぐらいしかないのだ。

「そうか……見られてしもうたのじゃな……」

 気まずくなりたくないのにユズリハの呟きのあと、沈黙が流れる。いっそ別の話題を、とも考えたのだが、上手く出てこない。
 重たい沈黙が流れる空間は気まずい。それでも立ち上がって「今日はこの辺で」とも言えない。
 膝の上で拳を握るハロルドの耳にユズリハの言葉が届いた。

「わらわがシキの目に入ったゴミを取るところを……」

 震えた声に顔を上げると二人は必死に笑いを堪えていた。

「は?」

 なんのことを言っているんだと顔に書くハロルドに二人は同時に吹き出して大笑いする。
 さっきまでの重たい沈黙が嘘のように笑い声が響き渡る空間へと変わり、ハロルドだけが重たい沈黙の中に取り残されていた。

「お前さんが俺たちの関係をそう思ったのはあれだろ? 縁側で俺がこいつに膝枕されてた日のことじゃねぇのかい?」
「そ、そうだけど……」
「こいつが俺に顔を近付けたのを見て接吻したと思ったんだろ」
「接吻?」
「キスな」

 大当たり。だが、まだハロルドは自分の勘違いだったと素直に思うことができない。
 シキは気配に敏感で、あの日、自分が家を訪ねた気配に気付いていた。だから今こうして誤魔化そうとしているのではないかと疑っている。

「目は口ほどに物を言うとはよく言ったもんで、お前さんはわかりやすいねぇ」
「なんだよ……」

 いや、と口元に笑みを浮かべながら首を振るシキが横目でユズリハを見た。

「俺がこいつと接吻なんざするわけないだろ。こないだ初めてが終わったばっかの女を相手にする勇気はねぇよ。俺は色気ある大人な女が好きなんでね。こんな乳臭いクソガキはお断りいだだだだだ!」
「貴様! 人前でわらわを侮辱するとはいい度胸じゃな! わらわとてそなたのようないい加減な男はいらぬ! なぜわらわがそなたに断られねばならぬ! そなたに断る権利があると思うておるのか!」

 三つ編みにしている長い襟足を思いきり引っ張るユズリハの手加減のなさに悲鳴を上げるシキが「事実だろ!」と叫ぶ。そうすると「まだ言うか!」と今度は引っ張ったまま後ろに倒れようとするユズリハに合わせてシキも倒れる。
 襟足を奪い返したシキを逃すまいと背中に乗るとそのまま頭を叩くユズリハの鬼の形相を見てようやく自分の勘違いだったことに気付いたハロルドが声を漏らす。

「じ、じゃあ……二人は……」

 ハッとしてぴたりと止まるユズリハの手。シキの背中から降りて咳払いをしてからハロルドの隣に戻る。

「ただの主従関係じゃ。一心同体、運命共同体ではあるが、それは恋仲という意味ではない」

 ハッキリ告げられるその言葉にとりあえずの安堵はあるが、まだ疑問が残っている。

「恋仲でもないのに膝枕をするのか?」
「わらわが幼い頃からしておること故、それほど気にしてはおらなんだ」
「幼い頃から?」
「うむ。まあ、母上が父上にしておるのを真似したくてやり始めたのじゃ」

 なんでも母親の真似をしたい年頃もあったと懐かしそうに目を細めるユズリハに納得して大きな溜息を吐き出した。安堵で胸を撫で下ろしたハロルドは抱え込んでいたモヤつきが綺麗に晴れたことに再度大きく息を吐き出す。

「俺を勝手に間男扱いしないでもらいたいもんだ」
「そんなつもりはなかったけど……」
「人様のもんに手を出す趣味はないんでね。それはダイゴロウの旦那からも口酸っぱく言われてんだわ」
「そ、そうだったのか」

 てっきり許しているものだとばかり思っていたためそれにも安堵する。
 なんでもわかりやすく表情に出る男は珍しいとまた笑ってしまいそうになるのをシキは顔を逸らすことで堪えた。

「悩んでおったのか?」
「べ、別に悩んでなんか……」
「本当か~?」
「ほ、本当だ!」

 人をからかうことを生き甲斐にしているような性格にムキになるハロルドにユズリハが微笑みながら部屋の隅にある机を指差した。

「あそこの引き出しに便箋が入っておる。もし、そなたが言いたくても言えないような悩みを抱えておるなら書いてくれ。口に出して言いにくいことはわらわもよくそうしたものよ」
「うちは手紙に書くぐらいなら言えって言われる」
「やり方は各々あってよいじゃろう。わらわはそうしてほしいからそなたにそう頼んでおる」
「……わかった」

 手紙に書くことも男らしく素直に聞くこともできず、一人で抱え込んでモヤついては寝不足になっていた自分が情けない。
 彼女の夫であることにサインした時点で遠慮など必要ないはずなのに、ユズリハが引く一線が気になってそこに踏み込むことができないでいる。
 
「お前も……そうしろよ。僕に言いたくても言えないことがあったら手紙に書け」
「そなたがこうして通うてくれるだけで充分じゃ。それ以上に何を望むことがあると言うのか」
「あったら、だ」
「わかった」

 ユズリハの本音が聞いてみたい。どれだけの思いを抱えて今を過ごしているのだろう。
 自白剤を飲ませて全てを聞き出すことが許されるのであればそうしたいと危ないことを考えてしまう。実行する勇気もないため、いつも頭の中の想像で終わる。
 そこでは自分に都合の良い話ばかり出てくるのだ。しかし、自分の頭のことなのに自分を苦しめる言葉をユズリハが吐くこともある。

「ところでそなた、わらわがシキと深い仲ではないかと心配して元気がなかったのじゃな?」
「は、はあ!? 僕がいつ元気がなかったんだよ!」
「考えすぎて眠れなんだか? でかい熊を目の下に飼っておるぞ。若いのにそうなるまで神経を消費させるとは繊細じゃのう」
「ほ、本が面白くて眠れなかっただけだ! 最初から最後まで面白かったからな! 今日は寝る!!」
「おお、そうじゃったか。眠れぬのならまたそなたに子守唄を歌ってやろうかと思うたのじゃが……いらぬか」

 人を試すような言葉を吐きながら細めた目を向けてくるユズリハの意地悪さにハロルドが表情を歪ませる。
 膝枕をされての子守唄はとても心地良く、驚くほど早く深い眠りに落ち、朝まで目が覚めることはなかった。
 寝不足で頭痛がしている今この瞬間にでもそうしてほしいと思うが、猫のようにゴロンと床に寝転ぶことはプライドが邪魔してできない。
 黙っているハロルドの顔には本音がびっしりと書かれており、一度鏡を見せてやりたいと思うほどの素直さに笑いながら立ち上がったユズリハが縁側に移動して座り直した。
 
「今日は良い風が吹いておる。夕飯までの時間、少し眠るのもよいものじゃぞ」

 問いかけないのはハロルドに答えさせないため。ぽんぽんと膝を叩いて微笑むユズリハに何も言わず近付き、ゆっくり寝転んで頭を置くと優しく髪を撫でられる。

「そなたの髪はきれいじゃのう」
「普通だろ」
「陽の光に当たるとキラキラしておるのじ、知っておったか?」
「知らない」
「もったいないのう」
「自分でキラキラしてるって思ってたら変だろ」
「そうか? よいと思うがのう」

 普段と変わらない会話なのに、サーッと抜けていく風が気持ち良くて口元に笑みが浮かぶ。

「気持ちいいな」
「そうじゃろう。ここは風通りが良い。ジジ様に感謝じゃ」 

 自分も今日は祖父に感謝した。あの笑顔が見れたことが嬉しかった。ユズリハに接しているからではなく、自ら学ぼうとしている自分に向けられたものと確信があるからこそ舞い上がるほど嬉しかったのだ。
 風を胸いっぱいに吸い込んでゆっくり吐き出したのを合図のようにユズリハの子守唄が始まる。
 どんな歌なのだろう。最後まで聴いたことがないためわからない。いつもすぐ眠りに落ちてしまう。今日は少し聴いてみるかと思っていたが、庭でシキが炭を起こすよりも早くスッと眠りに落ちてしまった。
 柔らかな頬を手の甲で撫でたあと、前後左右を確認したユズリハはそっと身を前に屈める。
 触れ合う唇はハロルドがしたときよりもずっと短く、ほんの一瞬程度だったが、顔が赤く染まっていく。

「そなたにしか捧げぬよ」

 熱くなった頬を冷ますように顔を上げて風を感じながら夜風の中、暫く歌い続けていた。
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