顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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初デート2

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「僕はここで飲む紅茶が好きなんだ」
「わらわは自宅で飲む茶が好きじゃ」
「アイスティー頼んだだろ」
「エルザが飲ませてくれて以来、お気に入りじゃ」

 エルザに先を越されてしまったのは悔しいが、メニューに困らなかったのはいい。
 お気に入りの店は静かでいいが、やはり注目を浴びてしまう。
 ユズリハはなんでもない顔をしているが、実際は嫌な思いをしているだろう。

「テイクアウトにして歩きながら飲むか」
「よいよい。お前様が贔屓にしておる店でわらわも飲んでみたい」
「いいのか?」
「うむ」

 自分だけで入ったときは誰も注目することなく静かに会話する者が多かったが、ここも所詮はただのカフェ。聖域ではないと反省する。

「お待たせしました」

 運ばれてきた紅茶がそれぞれの前に並ぶとハロルドが眉を寄せた。

「おい」
「はい?」
「これはどういうことだ?」
 
 紅茶に詳しいか否かの問題ではなく、見れば誰もがわかる差別にハロルドがアイスティーのグラスを手に取った。
 氷の入ったグラスには透き通った紅茶が注がれているはずなのに、ユズリハの前に置かれたアイスティーには茶葉がそのまま入っている。
 ハロルドも汗ばむほど暑い日には、この店でアイスティーを注文するためこの店のアイスティーを知っている。だからこそ許せない。

「和の国の人間は紅茶なんか知らないからこうやって出しても何も思わず飲むだろうと思ったか?」
「よいよいよいよい。お前様、それをこっちへ……」

 立ち上がったユズリハがそれを受け取ろうとするもグラスが遠ざけられる。

「この店は差別主義者がオーナーなのか? それともお前が差別主義者なのか?」
「これは手違いでして……」

 グラスに手を伸ばす店員からグラスを遠ざけてからもう一度目の前に突きつけた。

「お前はこれをアイスティーだと出されたら飲むのか?」
「だからそれは手違いで……」
「だったら作った奴を呼んでこい」
「それは……」
「僕が引きずり出してもいいんだぞ!!」

 静かな店内に響き渡る怒声に店員がハロルドを睨みつける。

「連れてこい」

 踵を返した際、小さくだが聞こえた舌打ちに一歩踏み出したハロルドをユズリハが手を掴んで止める。

「怒らずともよい。出ればいいだけのこと」
「僕はそうは思わない」
「お気に入りの店で問題を起こせば利用できなくなってしまうぞ」
「もう利用しないから平気だ」

 ユズリハの手を握るハロルドが奥から出てきた厨房担当の青年が口を開く前に手に持っていたグラスの中身を顔にかけた。

「出るぞ」

 握った手を引いて外へ出たハロルドが背中で暴言を受けるも振り返って中指を立てて去っていく。
 紳士にあるまじき行為だ。
 本当は空になったグラスを床に叩きつけてやりたかったが、ユズリハの足に飛んでは困ると自重した。 

「い、痛い」
「ッ!? あ、悪い」

 慌てて話した手を再度取って撫でるとユズリハが小さく笑う声が聞こえた。

「なんで笑うんだ? バカにされたんだぞ」
「お前様が怒ってくれたではないか」
「でもお前だって怒るべきなんだ」
「わらわはそうは思わぬ」

 ユズリハはいつだって怒らない。そう心がけているし、それを実行できている。
 ハロルドも見習おうと思っているし、学校では何を言われても気にしないようにしている。
 だが、それは自分に向けられた物だから気にしないことができるのであって、ユズリハ本人にされるとどうにも我慢できない。
 アイスティーを運んできた際の店員のニヤつき。目を配ってはいなかったが、こちらを覗いていた厨房担当もきっと笑っていただろう。
 それを怒るなというほうが無理だとまだ憤慨した気持ちを抑えきれずにいるハロルドの手を軽くユズリハが握り、歩き出した。

「差別をなくすなど不可能。人を変えることも不可能。絶対に無理だとわかっていることにムキになったところで時間の無駄じゃ」
「でも怒るべきだ」
「観光船を小舟で引っ張れるか? 巨大な壁を拳で破壊できるか? 海を割って大陸を繋げられるか? どれも不可能なこと。奴らに差別をするなと怒ったとて差別はやめぬ。そんなことでお前様との時間を無駄にしとうない。笑顔でお前様と一日を終えたいのじゃ。」

 ユズリハの言っていることはわかる。わかるが、ハロルドにはできない。

「僕は和の国の人間は差別されても仕方ない。差別されて当然。差別されても言い返すこともできないからやってやれと言われているのが嫌なんだ」

 立ち止まって俯くハロルドに眉を下げながら傍に寄って真正面から見上げる。
 これほど近くで見上げることも見下ろすこともなかった二人にとっては新鮮なもの。

「僕は悔しい……」

 なぜ涙が滲むのかわからない。泣くほどのことではないはずなのに、どこへ行っても差別を目にする。その差別に傷ついているはずなのに平気だと笑顔を見せるユズリハを見ているのが辛い。
 大事な人を侮辱されることがこんなにも悔しいことだとは知らなかった。

「何を泣くことがある。お前様はあんなにも男らしく戦ってくれたではないか。惚れ惚れしたぞ」
「お前を傷つけたくないのに……どこへ行ってもお前は奇異の目に晒される……」
「お前様と並んで歩いておるのに人の目など気にならぬ。お前様は気にしすぎじゃ……っと……」

 歩道の真ん中で抱きしめられる恥ずかしさはあれど、それよりも自分が言われたわけではないのに涙するハロルドの優しさを受け止めたかった。
 背中に腕を回して胸に頬を押し当てながら幼子をあやすように背中を叩く。

「ふふふっ、お前様は泣き虫であったか」
「僕は泣き虫じゃない。泣いてない」
「そうか。わらわの勘違いじゃったな」

 背が高く大人びて見えはするが、ハロルドも十六歳。たった一つしか違わない相手を大人と見るほうがおかしい。悔しさを噛み殺して何もなかったことにはできないのだろう。涙を堪えきれないこともある。
 身体を離して顔を背けながら目元を拭うハロルドの姿を見ないようにして待つと手を引かれる。

「ニックの店に戻るのはどうじゃ? アイスティーぐらいあるじゃろう」
「なさそうだけどな」
「つべこべ言うな! ほれ、行くぞ!」

 馬車に乗って朝の店に向かうと困った顔をされた。

「アイスティーはない!」

 困った顔でハッキリ告げられるとそのおかしさにユズリハが笑う。
 食べ歩きで喉が渇いている。何か飲みたいハロルドの顔を見て店主のニックがニヤつく。
 しゃがんでガサゴソと何かを出している気配に不安になりながらも待っていると目の前に赤い飲み物が入ったグラスが出された。

「おお、赤いのう」
「これはジャムを溶かした飲み物だ! 新商品にするつもりだから感想くれ!」
「ジャムを……溶かした……?」

 ジャムは塗る物であって溶かして飲む物じゃないと言いたげなハロルドにニックがチッチッと音を鳴らして指を振る。

「これは売れる! 絶対売れる! ジャムは豊富だし、湯で割れば寒い日も飲め、氷を入れれば暑い日も飲める! 最高だ! ニックは賢い!」
「ニックは賢い! じゃが、好かん!」
「なんッ!?」

 嫌いだとは言わなかったが、もはやそれに近しい感想。
 ガクッと膝をついて灰になるニック。

「僕は意外と嫌いじゃないかもしれない」
 
 ハロルドの一言で息を吹き返し輝き始めた。

「そなたの口には合うたか」
「意外とな」
「わらわの分も飲んでくりゃれ」
「それはいらない」
「えー!?」
「甘すぎる」

 一杯ぐらいが丁度良く、二杯は甘すぎる。それにこれはケーキと一緒に、ではなく、単独で楽しむもの。
 ニックが言うように暑い日や寒い日には適した温度のこれを飲みながら歩くのは良いだろう。

「きっと売れると思う」

 自分はそんなに買いには来ないだろうが、公園内でこうして屋台を構え続けられるほどには売り上げがあるのだ。
 座って飲むのがマナーである貴族とは違い、食べ物片手に立ち話をしている庶民があちらこちらにいるのを見れば、飲み歩きや食べ歩きは何もおかしな話ではないのだと感じる。
 暖かい店に入って身体を休めながら温かい飲み物もいいが、寒空の下で白い息を吐き出しながら温かい物を飲むのもいいのだとユズリハと二人でそうする光景を想像する。

「寒くなったら飲みに来るか」
「また誘ってくれるか?」
「断るなよ」
「どうかのう」

 可愛くない。だが、ハロルドの表情には笑顔が浮かび、それを見るユズリハも笑顔になる。

「お似合いだな、お二人さん」

 ニックの言葉に二人は驚いた。きっと周りに人がいれば聞いていた者たち全員が驚いただろう。
 洋人と和人が一緒にいて「お似合いだ」と誰が言うだろう。誰が言えるのだろう。
 朝、ここに立ち寄ってからもう一度ここに戻ってくるまでの間、一体どれだけの人に『不釣り合い』だ『似合ってない』と言われたことか。
 それが聞こえていながらも聞こえないフリをし続けた一日だった。

「ああ、嬉しいな」

 涙が出そうになる。滲んでくる涙を隠すために瞳が見えなくなるほどにっこり笑って見せるが、まつ毛が濡れてしまう。
 誰かにそう言ってもらえる日が来るなど想像もしたことがなかった。
 だって、不釣り合いであることは、彼に相応しくないことは傍にいる自分が一番よくわかっていることだから。
 それなのにニックだけはお似合いだと言ってくれた。笑顔で、まるで祝福するように明るい声で。

「泣き虫」
「お前は泣き虫だったのか」
「わらわは泣き虫ではない! 泣いておらぬ!」
「こら、化粧が落ちるぞ」

 目を擦ろうとするユズリハの手を掴んで離し、頬を包んで顔を上げさせると目尻から溢れそうな涙に口付けた。
 ヒューと口笛を鳴らすニックに視線だけ向けて笑っては「帰るか」と声を出す。
 予定よりは少し早いが、ハロルドは急いで馬車に戻りたかった。

「も、もう帰るのか?」
「まだデートしてたいか?」

 答えに迷っているように黙るユズリハの手を取って手の甲にキスを落とす。

「また誘う。今度は完璧なエスコートをしてみせる」
「楽しみじゃ」
「また来てくれよ」

 ニックの見送りを受けて二人同時に手を上げれば公園の外に停めていた馬車に乗り込んだ。

「今日はとても楽しか──ッ!?」

 嫌なこともあったが、それはきっと今日中に消えてしまうことで、ニックの言ってくれた言葉のほうがずっと長く残るだろうとユズリハの中で確信があった。
 先に馬車に乗り、あとから入ってきたハロルドにデートの感想を伝えようとすると視界をハロルドの顔が覆い、そのまま唇が重なる。
 バンッとドアを叩くと馬車が発車する。

「はッ……お、お前様、す、少し落ち着──!」

 落ち着けないと言わんばかりに再度口付けるハロルドの勢いに浮く手をどうしていいのかわからず、宙で動かしていると唇が少し離れ

「手はこっちだ」

 首に回せと腕を動かされ、戸惑いながらも従うとまた唇が重なった。
 あのときのキスが初めてなど絶対に嘘だと思いながらも今はただ、胸いっぱいに広がる幸せな瞬間に身も心も浸っていたかった。
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