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一生の思い出
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楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
朝を知らせる太陽が沈んでいくのを寂しいと思ったのは初めてだった。明日が来なければいいと思うのも初めてだった。
夜を迎え、おやすみのキスをして、手を繋いで眠る。たったこれだけのことに幸せを感じることが幸せだと知った。
家に帰ってからも同じことができるだろうかと若干の不安を感じながら三日目の夜を迎えたハロルドは鏡を見ながら自分の違和感に苦笑する。
「僕までする必要ないんじゃないか?」
「郷に入っては郷に従え。そなたの和装も悪ぅないぞ」
「違和感しかないけどな」
「よきかなよきかな」
今日はここらで一番大きな祭りがある。たくさんの出店と花火が打ち上がる。
ユズリハはいつも部屋から花火を眺め、シキが買ってきてくれる出店の食べ物を心待ちにしてばかりだったが、今回は外出の許可が出た。
「俺のが合って良かったな」
「ありがとうございます」
人の物を借りて着るのは落ち着かないはずだが、和装は人のサイズがないため気にならなかった。
「兄上は行かぬのか?」
「リンゴアメ片手にはしゃげって?」
「好きな女でも誘ってはどうじゃ?」
「俺も金髪美女でも狙うかねぇ」
「分不相応ぞ」
「どの口が言ってんだクソガキ」
カカッと笑って舌を出したユズリハに肩を竦めるリンタロウからの「気をつけてな」を受けてハロルドはそわそわしているユズリハの手を取って一緒に外に出た。
自由に歩くのも困難なほど大通りに人が集まっている中を歩くのかと驚くも、隣で腹の虫が盛大に騒いでいるユズリハが引っ張る手をしっかり握ってあとをついていく。
あれもこれもと買っては道の端に寄って二人で食べる。
「花火は何時からだ?」
「もうすぐじゃ。部屋に戻るか? よく見えるぞ」
邪魔されない場所で二人で見るのは理想的と言えるが、ハロルドは離れないようにしっかり手を握って皆が向かう坂を流れに沿って上がっていく。
「ど、どこへ行くのじゃ? あまり遠くへは行くなと言われておるぞ」
「シキがついてきてるから大丈夫だ」
坂を上る際、辺りを何度も見回して確認する。
地元の人間は毎年のことにどこが一番よく見えるのか知っているのだろう、迷いなく進んでいく。
一番よく見えそうな場所を見つけたものの人が多すぎて入れる場所がない。
「部屋に戻って見たほうがよいのではないか?」
「お前、花火を近くで見たことないんだろ?」
「ないが……」
部屋からしか見ていないなら尚更近くで見せてやりたいと思った。
わからないままに歩いていき、辿り着いたのは正面からは少し離れたが、もう一つ坂を上がった所。
「暗いから離れるなよ」
「う、うむ」
誰かの手が伸びてきてもわからないほど暗い。シキが近くにいるといえど、自分の妻なのだから自分が守らなければならない。
繋いでいた手を離して肩を抱き寄せるとユズリハの頬が胸に当たる。
「リンゴアメ、食べるか?」
「僕はいいからお前が食べろ」
「そうか?」
カリッと音を立ててかぶりつくとりんごまで一緒に到達できたのか嬉しそうに断面を見せる。
断ったが、それに口を寄せるとユズリハも食べやすいようにリンゴアメを寄せた。薄いアメのあとにリンゴの酸っぱさがやってくる。アメの甘さが染みていないのがいいと笑顔で頷くハロルドを見てユズリハが嬉しそうに笑う。
「お前様は花火は好きか?」
「一人だったら見ないかな。悪魔祓いで使われたり、祝いで使われたり、なんのためにあるんだろうって思ってた」
「歪んだ子供じゃのう。その美しさを純粋に楽しめばよいじゃろうに」
「考える脳が育ってたんだ」
「賢いからのう」
手を伸ばして頭を撫でるからかい混じりのユズリハの手を嫌がるように頭を逆側に傾けると爆発音にも似た轟音と共に空が彩られる。
「おお……」
「すごいな」
中央ではないが、充分に大きく見える。もう一つ坂を上がったおかげで花火は下段にいるよりも近く感じ、穴場なのではないかと思うほど近く大きく見えた。
次々に打ち上がる花火が夜空を彩り、ユズリハの顔が確認できるほど大きい。
「キレイじゃのう……」
家からよく見えはするが、遠かった。火薬の匂いも感じられない場所で花火だけ見ても退屈に思うことが年々増えていった。近くで見たいと言えば父親が心配するから言わなかったが、本当はずっと近くで見たかった。
それが今日こうして近くで見ることができた。夢が叶った気分だ。
「お前様には感謝しかない」
和の国に帰ることも花火を近くで見られたことも全てハロルドのおかげ。
ハロルドはいつも出会った日のことを謝る。それから暴言を吐いたことも。
それを寛容だから許していると思っているが、実際はそうではない。そんなことを思い出して苛立つこともないほど、ハロルドといると楽しいからあの日のことなどどうでもいいと思っているだけ。
ちゃんと向かい合うようになって、一緒に過ごすようになってハロルドの魅力に気付き、幸せを感じ始めた。
ウォルターの言ったことは間違いではなかったと確信し、ハロルドの妻であることに喜びを感じている。
彼と過ごす一瞬一瞬がとても幸せだった。
「お前様とこうして共に花火を見ることができて幸せじゃ」
ユズリハはあまり幸せだ嬉しいだと言葉にしない。それを今こうして素直に告げられると本音なのだと伝わってくる。
「お前様、舌を見せてくりゃれ」
言われるがままに舌を出すと打ち上がる花火の明るさで赤くなった舌が見えたことにユズリハが笑う。
「リンゴアメを食べるとなぜか舌が赤くなるのじゃ」
相手より食べている自分はもっと赤くなっているだろうと舌を出して笑うと唇が触れて舌が軽く吸われた。
驚きに目を見開き慌てて顔を逸らそうとするも顎を取られて逃げられなくなる。
「やめっ……!」
嫌がっている。このまま続ければ嫌われる。
頭ではそうわかっているのに止めたくなかった。
花火を見上げて喜ぶ横顔がキレイだと思った。舌を出して笑う笑顔が好きだと思った。
最近、ユズリハを見る度にそう思うことが増えた。
凹凸のはっきりとした顔ではないのに、化粧だってしないのに、一緒にいるのに落ち着く気持ちはあるのにドキドキしている。触れたくて仕方ない。
「ッ!」
強引にキスを続けていると唇に痛みが走った。
「あ、ごめ……!」
花火に照らされたユズリハの目に涙が溜まっているのが見えた。やってしまったと慌てるハロルドが伸ばす手をユズリハが強く払う。
「ごめん、ユズリハ」
ユズリハは何も言わない。責めもしなければ鼻を啜ることもしない。
ハロルドは分岐点に立っている気分だった。ここで選択肢を間違えればきっとバッドエンドに進むのだろうという危機感さえある。
「ごめん」
嫌がっているとわかっていたのに自分の気持ちを優先してしまった。
拒絶されても仕方ないと頭ではわかっているのに拒絶が怖い。
そっと手を伸ばし、もう一度払われたらやめようと時間をかけて伸ばすも払われることはなかった。
触り心地の良い髪がひんやりと冷たく気持ちいい。それをゆっくり何度も撫でている間もユズリハは黙っている。
「ユズリハごめん。もう二度とお前が嫌がってるのに無理矢理したりしない。許してくれ」
せっかくの花火を台無しにしてしまったと謝るハロルドの胸にユズリハの額が押し当てられる。
「ユズリハ?」
どうしたんだと後頭部に手を当てると声が聞こえたが聞き取れない。
「ん?」
「あ、あのようなことをされては……死んでしまう……」
長いキスはユズリハが嫌がるからいつもは触れるだけのキスをする。
でも今日は違った。相手の全てを食い尽くしたいと思う気持ちから何度も食んでは舌を伸ばした。舌を伸ばしたところで唇を噛まれてしまったのだが、声色から感じ取れるのはユズリハは拒絶しているわけではないということ。
戸惑っているのだ。したことがないキスを少し怖いと思う気持ちがあっただけ。
だから嫌がっていると言われ、それを否定するために頭を預けた。
その細い身体を抱きしめても拒まれることはなく、それにひどく安堵して腕を強めるハロルドに合わせるようにユズリハも背中に腕を回す。
「お前にどこまで許されるのかわからない。どこまで許してくれるのかわからないから、探り探りやっていくつもりだけど……お前のことが好きだからもっと欲しくなる。もっともっとお前に触れたいって欲が出る。お前が拒んでるってわかってたけど……ごめん」
口を押さえながら顔を上げたユズリハが警戒していることはわかる。それに苦笑しながらユズリハと目を合わせる。
「い、言うてくれればわらわとて……応えられるよう努力するつもりじゃ」
「本当に?」
「嫌なわけではないのじゃ。ただ、急に迫られるとどうすればいいのかわからぬ故、焦ってしまう。そなたがしたいことを予め教えておいてくれれば応え……る……」
したいことを口にすればキリがなく、その度に引かれるのではないかと思うほどのことがハロルドの頭にはあって、それを今ここで口にすべきではないとわかっているが、言質を取った今、一つここで言ってしまおうと口を開いた。
「じゃあ、僕がしたいことを言って、それを嫌だと思ったら嘘はつかずに嫌だと言ってくれ」
ユズリハが怪訝な顔でかぶりを振る。
「お前様の望みは叶えたい」
「僕だってそうだ。お前が嫌なことはしたくない。暴走だってしたくない。だからお前が嫌じゃなかったら僕はお前が嫌だって言うまでキスするし触れる。でも嫌なのに僕のために我慢してるお前に触れてどうこうしようとは思わない。だからお前の気持ちをそのときそのときで教えてくれ。嘘はなしだ」
「わかった」
ユズリハの手がハロルドに伸ばされ唇に触れた。
「切れるほど噛むつもりはなかったのじゃ。すまぬ。痛いか?」
「僕が無理矢理したからだ。罰みたいなものだ。でもまあ、痛い」
「すまぬ」
苦しさとパニックで反射的にしてしまったことがまさか血を出させることになるとは思っていなかっただけにまだ血の滲む唇を心配するユズリハの前に屈んで目を閉じる。
「帰ったら消毒する」
袖から取り出したハンカチでトントンと血を吸い取るユズリハの手を握って「違う」と伝える。
「消毒はいいからお前からのキスが欲しい」
したいことは伝えると約束した。これは今、ハロルドがしてほしいこと。幸い、周囲には人がいない。いつもスキンシップの際は人の目を気にするユズリハもここなら答えてくれるだろうと願い出た。
目を閉じたままキス待ちすると本当に一瞬、触れるだけのキスをされる。
「よ、よいか?」
「僕にそれを聞くと絶対にもっとって言うぞ」
「お前様は親切じゃのう」
誤魔化すようにはにかむユズリハの顔が花火で照らされる。
「終わったようじゃな」
「そうだな」
「帰るか」
手を繋いで帰る道中、起きている者が多いせいか家のあちこちで明かりがついている。出店もまだある。
落としてしまったリンゴアメを買い直し、土まみれになった物は家の前に置いてアリの餌にすると言って砕いて置いた。
「寝る前にそれなりに長いキスしてもいいか?」
さっそくしたいことを口にするハロルドにユズリハが固まる。
「……三秒か?」
「いや、十分」
「よし、まずは十秒からでどうじゃ?」
「一分」
「二十秒」
「五十秒」
「二十五秒」
「四十秒」
「さん……じゅ……」
「よし、三十五秒な」
考えてみれば三十五秒などあっという間だと日頃の時間の感じ方と同様に考えたユズリハはこのとき「まあいいか」と安易に許可を出した。
そしてその後、布団の上で三十五秒があまりにも長く感じたことに許可を出した自分を恨んだ。
朝を知らせる太陽が沈んでいくのを寂しいと思ったのは初めてだった。明日が来なければいいと思うのも初めてだった。
夜を迎え、おやすみのキスをして、手を繋いで眠る。たったこれだけのことに幸せを感じることが幸せだと知った。
家に帰ってからも同じことができるだろうかと若干の不安を感じながら三日目の夜を迎えたハロルドは鏡を見ながら自分の違和感に苦笑する。
「僕までする必要ないんじゃないか?」
「郷に入っては郷に従え。そなたの和装も悪ぅないぞ」
「違和感しかないけどな」
「よきかなよきかな」
今日はここらで一番大きな祭りがある。たくさんの出店と花火が打ち上がる。
ユズリハはいつも部屋から花火を眺め、シキが買ってきてくれる出店の食べ物を心待ちにしてばかりだったが、今回は外出の許可が出た。
「俺のが合って良かったな」
「ありがとうございます」
人の物を借りて着るのは落ち着かないはずだが、和装は人のサイズがないため気にならなかった。
「兄上は行かぬのか?」
「リンゴアメ片手にはしゃげって?」
「好きな女でも誘ってはどうじゃ?」
「俺も金髪美女でも狙うかねぇ」
「分不相応ぞ」
「どの口が言ってんだクソガキ」
カカッと笑って舌を出したユズリハに肩を竦めるリンタロウからの「気をつけてな」を受けてハロルドはそわそわしているユズリハの手を取って一緒に外に出た。
自由に歩くのも困難なほど大通りに人が集まっている中を歩くのかと驚くも、隣で腹の虫が盛大に騒いでいるユズリハが引っ張る手をしっかり握ってあとをついていく。
あれもこれもと買っては道の端に寄って二人で食べる。
「花火は何時からだ?」
「もうすぐじゃ。部屋に戻るか? よく見えるぞ」
邪魔されない場所で二人で見るのは理想的と言えるが、ハロルドは離れないようにしっかり手を握って皆が向かう坂を流れに沿って上がっていく。
「ど、どこへ行くのじゃ? あまり遠くへは行くなと言われておるぞ」
「シキがついてきてるから大丈夫だ」
坂を上る際、辺りを何度も見回して確認する。
地元の人間は毎年のことにどこが一番よく見えるのか知っているのだろう、迷いなく進んでいく。
一番よく見えそうな場所を見つけたものの人が多すぎて入れる場所がない。
「部屋に戻って見たほうがよいのではないか?」
「お前、花火を近くで見たことないんだろ?」
「ないが……」
部屋からしか見ていないなら尚更近くで見せてやりたいと思った。
わからないままに歩いていき、辿り着いたのは正面からは少し離れたが、もう一つ坂を上がった所。
「暗いから離れるなよ」
「う、うむ」
誰かの手が伸びてきてもわからないほど暗い。シキが近くにいるといえど、自分の妻なのだから自分が守らなければならない。
繋いでいた手を離して肩を抱き寄せるとユズリハの頬が胸に当たる。
「リンゴアメ、食べるか?」
「僕はいいからお前が食べろ」
「そうか?」
カリッと音を立ててかぶりつくとりんごまで一緒に到達できたのか嬉しそうに断面を見せる。
断ったが、それに口を寄せるとユズリハも食べやすいようにリンゴアメを寄せた。薄いアメのあとにリンゴの酸っぱさがやってくる。アメの甘さが染みていないのがいいと笑顔で頷くハロルドを見てユズリハが嬉しそうに笑う。
「お前様は花火は好きか?」
「一人だったら見ないかな。悪魔祓いで使われたり、祝いで使われたり、なんのためにあるんだろうって思ってた」
「歪んだ子供じゃのう。その美しさを純粋に楽しめばよいじゃろうに」
「考える脳が育ってたんだ」
「賢いからのう」
手を伸ばして頭を撫でるからかい混じりのユズリハの手を嫌がるように頭を逆側に傾けると爆発音にも似た轟音と共に空が彩られる。
「おお……」
「すごいな」
中央ではないが、充分に大きく見える。もう一つ坂を上がったおかげで花火は下段にいるよりも近く感じ、穴場なのではないかと思うほど近く大きく見えた。
次々に打ち上がる花火が夜空を彩り、ユズリハの顔が確認できるほど大きい。
「キレイじゃのう……」
家からよく見えはするが、遠かった。火薬の匂いも感じられない場所で花火だけ見ても退屈に思うことが年々増えていった。近くで見たいと言えば父親が心配するから言わなかったが、本当はずっと近くで見たかった。
それが今日こうして近くで見ることができた。夢が叶った気分だ。
「お前様には感謝しかない」
和の国に帰ることも花火を近くで見られたことも全てハロルドのおかげ。
ハロルドはいつも出会った日のことを謝る。それから暴言を吐いたことも。
それを寛容だから許していると思っているが、実際はそうではない。そんなことを思い出して苛立つこともないほど、ハロルドといると楽しいからあの日のことなどどうでもいいと思っているだけ。
ちゃんと向かい合うようになって、一緒に過ごすようになってハロルドの魅力に気付き、幸せを感じ始めた。
ウォルターの言ったことは間違いではなかったと確信し、ハロルドの妻であることに喜びを感じている。
彼と過ごす一瞬一瞬がとても幸せだった。
「お前様とこうして共に花火を見ることができて幸せじゃ」
ユズリハはあまり幸せだ嬉しいだと言葉にしない。それを今こうして素直に告げられると本音なのだと伝わってくる。
「お前様、舌を見せてくりゃれ」
言われるがままに舌を出すと打ち上がる花火の明るさで赤くなった舌が見えたことにユズリハが笑う。
「リンゴアメを食べるとなぜか舌が赤くなるのじゃ」
相手より食べている自分はもっと赤くなっているだろうと舌を出して笑うと唇が触れて舌が軽く吸われた。
驚きに目を見開き慌てて顔を逸らそうとするも顎を取られて逃げられなくなる。
「やめっ……!」
嫌がっている。このまま続ければ嫌われる。
頭ではそうわかっているのに止めたくなかった。
花火を見上げて喜ぶ横顔がキレイだと思った。舌を出して笑う笑顔が好きだと思った。
最近、ユズリハを見る度にそう思うことが増えた。
凹凸のはっきりとした顔ではないのに、化粧だってしないのに、一緒にいるのに落ち着く気持ちはあるのにドキドキしている。触れたくて仕方ない。
「ッ!」
強引にキスを続けていると唇に痛みが走った。
「あ、ごめ……!」
花火に照らされたユズリハの目に涙が溜まっているのが見えた。やってしまったと慌てるハロルドが伸ばす手をユズリハが強く払う。
「ごめん、ユズリハ」
ユズリハは何も言わない。責めもしなければ鼻を啜ることもしない。
ハロルドは分岐点に立っている気分だった。ここで選択肢を間違えればきっとバッドエンドに進むのだろうという危機感さえある。
「ごめん」
嫌がっているとわかっていたのに自分の気持ちを優先してしまった。
拒絶されても仕方ないと頭ではわかっているのに拒絶が怖い。
そっと手を伸ばし、もう一度払われたらやめようと時間をかけて伸ばすも払われることはなかった。
触り心地の良い髪がひんやりと冷たく気持ちいい。それをゆっくり何度も撫でている間もユズリハは黙っている。
「ユズリハごめん。もう二度とお前が嫌がってるのに無理矢理したりしない。許してくれ」
せっかくの花火を台無しにしてしまったと謝るハロルドの胸にユズリハの額が押し当てられる。
「ユズリハ?」
どうしたんだと後頭部に手を当てると声が聞こえたが聞き取れない。
「ん?」
「あ、あのようなことをされては……死んでしまう……」
長いキスはユズリハが嫌がるからいつもは触れるだけのキスをする。
でも今日は違った。相手の全てを食い尽くしたいと思う気持ちから何度も食んでは舌を伸ばした。舌を伸ばしたところで唇を噛まれてしまったのだが、声色から感じ取れるのはユズリハは拒絶しているわけではないということ。
戸惑っているのだ。したことがないキスを少し怖いと思う気持ちがあっただけ。
だから嫌がっていると言われ、それを否定するために頭を預けた。
その細い身体を抱きしめても拒まれることはなく、それにひどく安堵して腕を強めるハロルドに合わせるようにユズリハも背中に腕を回す。
「お前にどこまで許されるのかわからない。どこまで許してくれるのかわからないから、探り探りやっていくつもりだけど……お前のことが好きだからもっと欲しくなる。もっともっとお前に触れたいって欲が出る。お前が拒んでるってわかってたけど……ごめん」
口を押さえながら顔を上げたユズリハが警戒していることはわかる。それに苦笑しながらユズリハと目を合わせる。
「い、言うてくれればわらわとて……応えられるよう努力するつもりじゃ」
「本当に?」
「嫌なわけではないのじゃ。ただ、急に迫られるとどうすればいいのかわからぬ故、焦ってしまう。そなたがしたいことを予め教えておいてくれれば応え……る……」
したいことを口にすればキリがなく、その度に引かれるのではないかと思うほどのことがハロルドの頭にはあって、それを今ここで口にすべきではないとわかっているが、言質を取った今、一つここで言ってしまおうと口を開いた。
「じゃあ、僕がしたいことを言って、それを嫌だと思ったら嘘はつかずに嫌だと言ってくれ」
ユズリハが怪訝な顔でかぶりを振る。
「お前様の望みは叶えたい」
「僕だってそうだ。お前が嫌なことはしたくない。暴走だってしたくない。だからお前が嫌じゃなかったら僕はお前が嫌だって言うまでキスするし触れる。でも嫌なのに僕のために我慢してるお前に触れてどうこうしようとは思わない。だからお前の気持ちをそのときそのときで教えてくれ。嘘はなしだ」
「わかった」
ユズリハの手がハロルドに伸ばされ唇に触れた。
「切れるほど噛むつもりはなかったのじゃ。すまぬ。痛いか?」
「僕が無理矢理したからだ。罰みたいなものだ。でもまあ、痛い」
「すまぬ」
苦しさとパニックで反射的にしてしまったことがまさか血を出させることになるとは思っていなかっただけにまだ血の滲む唇を心配するユズリハの前に屈んで目を閉じる。
「帰ったら消毒する」
袖から取り出したハンカチでトントンと血を吸い取るユズリハの手を握って「違う」と伝える。
「消毒はいいからお前からのキスが欲しい」
したいことは伝えると約束した。これは今、ハロルドがしてほしいこと。幸い、周囲には人がいない。いつもスキンシップの際は人の目を気にするユズリハもここなら答えてくれるだろうと願い出た。
目を閉じたままキス待ちすると本当に一瞬、触れるだけのキスをされる。
「よ、よいか?」
「僕にそれを聞くと絶対にもっとって言うぞ」
「お前様は親切じゃのう」
誤魔化すようにはにかむユズリハの顔が花火で照らされる。
「終わったようじゃな」
「そうだな」
「帰るか」
手を繋いで帰る道中、起きている者が多いせいか家のあちこちで明かりがついている。出店もまだある。
落としてしまったリンゴアメを買い直し、土まみれになった物は家の前に置いてアリの餌にすると言って砕いて置いた。
「寝る前にそれなりに長いキスしてもいいか?」
さっそくしたいことを口にするハロルドにユズリハが固まる。
「……三秒か?」
「いや、十分」
「よし、まずは十秒からでどうじゃ?」
「一分」
「二十秒」
「五十秒」
「二十五秒」
「四十秒」
「さん……じゅ……」
「よし、三十五秒な」
考えてみれば三十五秒などあっという間だと日頃の時間の感じ方と同様に考えたユズリハはこのとき「まあいいか」と安易に許可を出した。
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