顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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帰国の途

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 三日間はあっという間だった。到着してもう四日目かと驚いてしまうほどに。
 船が着いたときとは違う、正反対の感情で港にやってきたユズリハたちとそれを見送る家族。そして良くしてくれた顔見知り。

「これ、たくさん焼いたから向こうに着くまで食べな! 船員さんたちも! 食べな食べな!」

 団子屋の女将が抱えるほど団子を持ってきてくれた。これから自国へと戻る船の船員たちにも渡して笑顔を見せる。
 船員たちも悪くない感触だったのだろう。和の国の人間に笑顔を見せていた。

「お前のあの顔が見れてよかったよ。安心した」
「父上には絶対に言うでないぞ」

 最後までからかってくるつもりかと恨めしげに目を細めるも後ろからダイゴロウがヌッと顔を覗かせることで指をさして絶対だと念を押した。

「兄上がいかに愚かか話しておったのじゃ」
「確かにな。連絡するなと言ったのに連絡しおって馬鹿者が」
「俺のおかげで会えたんだぞ。感謝こそすれ馬鹿者呼ばわりされる覚えはねぇよ」

 まあなと頬を掻く父親にユズリハが両手を伸ばして抱きつく。普段そういうことを嫌がる娘からの行動に驚くが、それに慣れてしまうほどハロルドはちゃんとハグをしてくれているのだとすぐに笑顔に変わる。
 だからダイゴロウも茶化さずにまだまだ小さな娘を抱きしめた。

「父上、息災であれ」
「お前もな」
「わらわには最強の旦那様がついておる。ここまで引っ張ってくる男じゃぞ。なんの心配いらぬ」
「そうみたいだな」

 大きな腕に抱かれるのはこれが最後かもしれない。そう思ってしっかりと温もりと匂いを感じる。

「だから父上、働きすぎるな。楽に生きよ。父上の傍には兄上がおる。いつかこの家で孫が生まれるじゃろう。その日のためにも健康でおらねばならぬ。それは父上の使命であり義務じゃ」
「孫、な」
「俺もひ孫を楽しみにしているぞ!」

 間に割って入ってきたウォルターの笑顔に誰も乗らなかった。
 いつものダイゴロウなら「頑張れよ!」と娘を叩いて囃し立てるのに、それをしないことが不思議で首を傾げるウォルターだけが真実を知らない。

「ウォルター、実はな──」
「よい、父上。向こうでわらわが話す」
「なんだ?」

 なんの話だと戸惑うウォルターの背中をハロルドが軽く押す。

「お祖父様、そろそろ船に乗りましょう。時間です」
「あ、ああ、そうだな」

 何を隠しているのか。隠していることは確かだ。でもそれがなんなのかがわからない。秘密があったのならこの三日の間に話せたはず。でもダイゴロウはそうしようとはしなかった。
 そしてダイゴロウではなくユズリハが話すと主張したからにはユズリハの話なのだろうとそこまでは察しがつく。
 問題はそれがなんなのか。

「お前、ユズリハと子供の話はしたのか?」
「しています」

 していないのならわからないが、しているのなら子供の話だろうと確信し、ダイゴロウたちに片手を上げて船に乗り込んだ。
 生涯、絆で結ばれていたいと思うほど大切な存在となった親友に隠し事をされていたことは悲しいが、親友だからとなんでも話せるわけではないことも理解している。ましてや娘の話となれば尚更。
 ユズリハももう子供ではない。幼い頃から自分のことは自分でするタイプだっただけに、話すなと言っていたのかもしれないと話を待つことにした。

「父上も兄上も元気で! 姉上に会うことがあったら伝えてくりゃれ!」

 二人が手を上げ、港に見送りに来てくれていた者たちは嫌な顔を見せることなく笑顔で手を振ってくれる。

「わーっはっはっはっはっはっはっ!」

 突然ダイゴロウが大声で笑い始めたことにハロルドは驚いたが、ユズリハはその理由がすぐにわかった。

「兄上!! 言うなと言うたであろうが!!」

 約束はしていないと立てた小指を振って見せる兄にベーッと舌を出すも別れ際の涙ではなく笑顔が見れたほうがいいかと肩の力を抜いて、何度も大きく手を振り、船が離れて遠くなるまで続けた。
 またこれから長い長い航海が始まる。
 水も酒も食料も、船員たちの分までありったけ詰んでの帰国。船員たちは行きほど緊張しておらず、笑い声を響かせている。
 
「お前様には本当に感謝しておる。お前様がああしてくれなければわらわはどうしておったことか」
「僕が来たかっただけだ」

 感謝しろと茶化すことはしない、恩に着せようともしないハロルドの優しさにユズリハが腕に頭を預けて寄りかかる。

「それでも、お前様には感謝しておるのじゃ」
「いいよ、感謝なんて。お祖父様が三日もいると言い出したときは驚いたけど、三日はあっという間だった」
「お前様の目に和の国はどう映った?」
「意外とフレンドリーなんだなって思った。笑顔が多くて、声が大きくて……ああ、お前が生まれ育った国なんだなって感じたよ」

 和の国に持っていたイメージがこの三日で変わった。貧しく卑しい国だと思っていたが、それは自分の考え方がそうなのであって実際の和の国は違った。
 自分たちが暮らしているような屋敷はなく、平屋建てばかりのせいで貧しいイメージを湧かせてしまうがそうじゃない。これが和の国の建築物なのだとわかった。
 ボロ布で作ったようなキモノを着ている者もいたが、誰かがそれを馬鹿にすることもなく、差別を感じない町だった。
 男も女も関係なく楽しければ大口を開けて大声で笑う、それが普通の国だった。
 何も知らないのに下品だと罵倒していた自分が恥ずかしくなるほど和の国について知っていることは一つもなかった。

「お前様にそう言ってもらえて嬉しい」

 もう二度と帰ることがなくてもいい。相手がそう思ってくれただけで充分すぎるほど幸せだった。
 吹き抜ける潮風と降り注ぐ太陽に目を細めながらだだっ広い海を眺めるユズリハの横顔を見てハロルドが顔を寄せる。

「キスしてもいいか?」

 ちゃんと確認を取るハロルドだが、ユズリハはダメだと首を振る。

「ダメか?」

 甘えるように問いかけると目を逸らす。ユズリハがこの顔に弱いことがわかってから自分の願いを押し通したいときに使うようにしているのだが、両手で口を塞がれて拒否される。
 甲板の上には人がいないわけではない。何人もの船員が掃除をしたり歩いたりしている。聞かれていてもおかしくないと辺りを確認するユズリハにハロルドがニヤつく。
 口を押さえる手を掴んで離させ「キスしたいって言っただけだろ」と言うとまた押さえられる。

「公衆の面前で何を言い出すのじゃ!」

 聞こえていたのだろう船員たちの何人かがこちらを見てニヤつく。
 ユズリハも外でキスやハグをしている者たちを見たことがないわけではない。公園で当たり前のようにしているカップルを何人も見たし、それを見ても誰も茶化そうとはしなかった。むしろ景色の一部であるかのように近くを通りすぎていく。
 キスしているところを誰かに見られることに羞恥はないのかと驚いたのを覚えている。
 きっとニヤつく彼らにとっても当たり前で、ここで自分たちがキスしても茶化すことはないのだろうと頭ではわかっているが、見られたくない気持ちのほうが強かった。

「キスするのかい?」

 キスという単語だけわかった船員が無粋にも声をかけてくる。

「せぬ! 向こうへ行け!!」

 大声で否定するユズリハに笑いながら離れていく船員たちに気を取られた瞬間、手から逃れたハロルドがユズリハにキスをする。
 反射的にすぐ離れたユズリハの身体を抱きしめてもう一度キスをした。今度は触れるだけではないしっかりと重なったもの。
 突き放されたらやめようと決めていたが、意外にもユズリハは胸を叩くことも突き飛ばすこともしなかった。胸元で握られた拳がある。そうする意思はあったのだろうが、受け入れた。
 昨夜、寝る前に布団の上でありったけの気持ちを伝えながらキスをした効果だろうかと嬉しくなり、調子に乗って少し長めのキスをして離すときに軽く下唇を吸うと音がした。

「真っ赤だぞ」

 唇が触れ合うことは肌に触れられるよりずっと恥ずかしいとユズリハは言った。だからキスは得意ではないと。でも嫌なわけでもない。
 時間をかければ慣れてくれる。ハロルドはそう確信した。
 この真っ赤な顔が見れなくなってしまうのは寂しいが、積極的に首に腕を回して受け入れてくれるユズリハも見たいと思う。
 今はまだしゃがみ込んでしまうユズリハを追ってハロルドもしゃがむ。

「は、恥ずかしくないのか?」

 部屋で二人きりの状態でしても恥ずかしいのに人前で平気でしてしまうハロルドの神経は図太いと勝手に決めつけるユズリハの頬に触れると大袈裟なほど肩が跳ねる。

「あれだけ散々夜這いを期待してるとか言って僕をからかっておきながらキスぐらいで真っ赤になるなんてなぁ。夜這いしたらどうなるんだ?」

 ハロルドの声色がどこか艶っぽさが混じったことに警戒したユズリハが慌てて逃げようとするのを手を掴んで阻止する。

「今日からまた部屋が別々なわけだけど、夜這いしてもいいのか?」
「ならぬ!」
「夫婦なのにか?」
「和の国には親しき仲にも礼儀あり、という諺があってじゃな、夫婦という言葉で全てが許されるわけではない。相手への尊敬を持って、接さねばならぬ。わらわたちにはまだ早い!」

 きっと今、顔だけではなく全身真っ赤に染まっているのだろうと思うと脱がせたくなる。

「わらわの嫌がることはせぬと言うたこと、忘れたわけではあるまいな?」
「でも嫌じゃないんだろ?」

 嫌だと言えるはずがない。喜びさえ感じているぐらいなのに、嘘でも嫌とは言いたくないが、これ以上を許すと人前で平気でするようになってしまう危機感もある。

「人前でなければ……」
「なら部屋ならいいのか?」
「い、今は海を見ぬか? 土産物もたくさん買ったし、エルザが喜ぶ顔が早く見たいのう」

 子供は作れなくてもいい。でも夫婦としての営みはしたい。そこに子供のことは関係なく、相手に触れたいからするだけ。
 今日じゃなくても明日じゃなくてもいいから、いつかは許してほしいと願う。
 こうして少しずつ触れていくことで崩れていくだろう警戒が完全に解かれる日を待ちながら今日はユズリハに付き合って海を眺めることにした。
 迫られなくなったことに安堵する様子を見るのは少し悔しいが、笑顔が見れたからいいかとも思う。

「今夜、準備しとけよ」
「ッ!?」

 だから意地悪だけはする。
 囁かれた耳を押さえながら餌を求める魚のようにパクパクと口を動かすユズリハに目を細めながらハロルドは和の国があったほうに顔を向けた。
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