顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

文字の大きさ
49 / 69

和の国を愛する者

しおりを挟む
 長い長い航海を終えて戻ったハロルドたちはヘインズ邸に着くと急に襲いくる安堵に息を吐き出した。
 ウォルターは船を出してくれた船員たちに充分すぎるほどのお礼をしてから帰ると言って別れた。

「やっと帰ってきたー!!」

 飛び出してきたエルザの大歓迎のハグを受けながらユズリハが苦笑する。
 拒まれないのは嬉しいが、苦しい。

「二人とも帰ってきたらいないし、お義父様たちに聞いたら和の国に行ったって言うじゃない。私も一緒に行きたかった」
「ユズリハの父親が倒れたって知らせがあって飛んで帰ったんだ」

 苦しがってると離させるとユズリハがホッと息を吐き出す。

「体調は?」
「ただの過労じゃった。兄上が大袈裟に書いておっただけのこと。人騒がせな奴じゃ」
「人騒がせで終わってよかったじゃない。本当に何かあったらこうして笑顔で帰ってはこれないわけだし。あなたの元気な顔が見られて嬉しい」
「わらわもまたそなたの笑顔が見られて嬉しいぞ」

 ルーシィの笑顔は見ていると元気になる。上品だが、優しさが柔らかな笑顔に出ていて、見ているだけで元気がもらえる。
 ハロルドはヘインズ邸の窓を一つずつ見てからエルザに視線を移した。

「兄さんは?」
「湖の底」

 うふっ、と笑うエルザの声が冗談に聞こえなかった。前は「こんな人だっただろうか?」と感じたが、今回は「こんな人なんだ」に変わる。
 一緒に帰ってきていなければ今頃両親が大騒ぎしているはず。ルーシィ自身、こんな明るい色のドレスを身につけていないはずだ。
 顔を見せないのは和女を出迎えに行ったのが気に入らないのだろう。
 それで言えば両親も同じ。息子が帰ってきたというのに顔一つ見せようとしない。きっと、息子が部屋に荷物を置きに来たときにでも話を聞くつもりなのだろう。
 
「エルザにたくさん土産を買って帰ってきたのじゃ。見てくれるか?」
「嬉しい! 私も二人にたくさんお土産を買ってきたのよ! 持ってくるわね!」

 小走りで荷物を取りに向かったルーシィの元気さに笑いながら二人は自宅へと戻る。
 大量の荷物はすぐに荷役人夫たちによって運ばれてくる。
 着替えが入ったトランクを居間の端に置いたハロルドが縁側へと向かうのを不思議そうに見ていたユズリハが声をかけた。

「どこへ行くのじゃ?」
「帰ってきたんだからやることやらないとな」

 なんのことだと首を傾げながらも庭に降りたハロルドのあとをついていく。
 魚たちは生きているだろうかと橋を渡る前に見ると意外にも元気にしている。申し訳ないことをしたと橋の下から餌の入った缶を取り出そうとするも缶が見当たらない。

「シキ、餌がないぞ」
「ないわけないだろ」
「ないわけないが、ないのじゃ」
「ないわけないんだからないない言ってないで探せ」
「あるべき場所にない物をどうやって探せと言うのじゃ」
「腹をすかせた魚が缶ごと食べちまったんじゃないかい?」

 バカなことを、と呆れるも餌自体は別の場所にあるため後でやろうと立ち上がってハロルドのあとを再度追いかけた。
 モミジの木の前で立ち止まるハロルドの隣に立つとなぜここへ来たのかと顔を向ける。

「ただいま戻りました。」

 モミジに向かって声を発したハロルドにユズリハが驚く。
 今まで一度だって言ったことはなかったのに、なぜ急に。
 ユズリハはよく眠れない夜にこの木の傍に立って母親に話しかけるように喋ることがあった。何も返ってこなくても話しているだけで満足する。
 まさかそれをハロルドがしてくれるとは思っていなかっただけに戸惑ってしまう。

「ど、どうした?」
「お祖父様がなんでこの木をわざわざここまで運んできたのかを考えた。あの場所で大事にされてた木をなんで運ぶことを許したのかも。お前が一人、異国の地に降り立つことで心の拠り所がなくなってしまうと思って二人は同じ考えのもと、頼み込んで、許可を出した。シキがいるけど、母親じゃない。現実的に言えばこれだって母親じゃない。でも、お前にとって、お前たちにとっては母親との思い出がある大事な木だから……僕も大事にしたいと思った」

 挨拶をしたぐらいで大事にしていることにはならないが、第一歩として始めたことが挨拶だった。
 もしこれに魂が宿っていたとしたら心配していただろうから、何もなかったと報告したかった。

「木がないあの場所を見て思ったんだ。ここに帰ってきたらきっと、この木はまた違って見えるんだろうなって」
「違って見えたか?」
「ああ」

 どう見えたかなど聞く必要もないほど、彼のその笑顔がその答えを物語っている。

「母上、父上も兄上も息災であった。母上がおられたらきっと怒っておったことじゃろう。母上の代わりにわらわがうんと叱っておいた故、安心してくりゃれ」
「夫婦としてまた一つ、前に進めたかなと思っています」
「余計な報告はせんでよい」

 なんの報告だと笑うユズリハがベンチに腰掛けるとハロルドがその隣に腰掛けて木を見上げる。

「雪が降ったらまたキレイなんだろうな」
「ああ、雪化粧された姿はまた別格じゃ」
「楽しみだ」

 遠くから聞こえるユズリハたちを呼ぶ声に顔を向けると家の中からルーシィが手を振っている。
 足元には大量の品。

「まさかあれ全部、土産ってことはないよな?」
「すごい財力じゃのう」

 和の国と比べると段違いで物価が高い。ユズリハも負けず劣らず大量に土産を購入したが、金額で考えると桁が一つ違うのではないかと想像するだけで苦笑が滲む。
 立ち上がって戻る道中、二人は触れ合った手をどちらからともなく握った。

「あ、そうだ! 言っておかなきゃいけないことがあったの! 魚に餌をあげてたんだけど、よかったかしら?」
「ああ、そなたがやってくれておったのか」
「お祖父様の部屋を漁って魚の餌やりについて読んでからあげたから大丈夫だと思うんだけど」
「行く前と変わらぬ様子で安心した。感謝する」

 安堵したように笑ったエルザが台所の戸棚を開けて缶を持ってきた。

「ここ数日、雨が結構降ったから中に入れておいたの。錆びちゃうと開かなくなっちゃうから」
「そなたはなんと気がきくおなごであろうか」
「ふふっ、和の国から持ってきた大事な缶だものね」

 気を遣ってくれたエルザには申し訳ないが、この缶はこっちで餌を入れるために出発前に購入した物であって思い出はない。
 優しい心の持ち主だと胸が暖かくなるのを感じながら「そうじゃ」と返事をしてとりあえず缶を石段へと置いた。

「義姉さん、それ全部土産?」
「そうよ。どれがいいか決められなくて、あげたい物全部買ってきちゃった」
「兄さんがよく許したな」

 兄はケチではないが、和女のために買うと聞けばいい顔はしなかっただろうことは容易に想像がつく。
 気が強いほうではないと思っていただけに強行して買ってきたエルザには驚きしかない。

「湖の底にいる人の許可なんて取れないから勝手に買っちゃった」
「……冗談、だよね?」
「さあね」

 まだ引っ張る冗談に本当は真実なんじゃないかと心配になってしまう。家に帰って存在を確認したほうがいいのではないかと思うぐらいにはエルザの言葉が読めない。
 
「わらわはまだそなたのことに詳しくない故、何が欲しいのかわからなんだ。父上が母上に贈った物や和の国での流行りを参考に買ってきた」
「嬉しいわ! カンザシって髪飾りはある?」

 厚かましいとわかっていながらも一番欲しかった物を聞くと「何種類かは」と返ってきた瞬間、エルザの感情が爆発する。
 ありがとうを連呼しながら抱きしめて左右に揺さぶり、早く見てみたいと荷物が届くのを心待ちにしていた。

「私はワンピースをたくさん買ってきたの。オーダーメイドも良いけど、既製品も悪くないの」
「貴族の女であるそなたが既製品を買うとはな」
「オーダーメイドってその人のイメージに合った物を作るのよ。デザイナーが譲らない場合もあるしね。イメージと好みって別物だったりするじゃない? だから既製品ならサイズさえ合えば好きなのが買えるし、意外と悪くないのよ」

 貴族の娘でありながらこの世に二つとないものではなく選べるなら他に誰かが同じ物を着ていても構わないと言うエルザの意外性がユズリハは好きだった。
 ハロルドの両親のように気取らない性格も相性が良く、山積みにされた箱から次々出されていくワンピースを興味深げに見つめる。

「わらわもそなたに似合うと思うて反物をいくつか持って帰ってきた。父上からの贈り物じゃ。もし着たければシキが仕立ててくれる故、コキ使こうてやってくりゃれ」
「お裁縫できる男性がいるなんてビックリだわ!」
「成長期のお嬢がいると何かと覚えさせられるもんでね。といっても止まっちまったみたいだがね……っと、危ない危ない」

 投げられた座布団を片手で止めて肩を竦めるシキに笑うエルザ。

「兄さんに怒られなかった?」
「怒ってるわ。湖の底でね」
「……とりあえず先に両親に帰国の挨拶してくるよ」
「よろしく伝えてくりゃれ」

 本気で心配になってきたと立ち上がったハロルドが小走りで向かうのを見てエルザがまた笑う。

「あの子、お兄さんが本当に亡くなったら悲しむのかしら?」
「優しい男じゃからのう」
「そう。残念ね」

 エルザの雰囲気が一瞬、ほんの一瞬だけ変化が見えた。淑女というよりは暗殺者のようなゾッとするほど冷たい雰囲気。
 気のせいかと思うほど一瞬で戻ったが、シキはその変化に気付いていた。

「夫を殺したいかい?」
「まさか。未亡人になるのはお断り」
「愛してるから、じゃないとはね」
「夫婦って色々あるのよ」
「結婚したばかりじゃなかったかい?」
「婚約者としての期間が長かったの」
「なるほどね」

 帰ってきて早々物騒な話はやめてくれと二人の会話を遮るように手を揺らして中断させる。
 エルザとクリフォードも政略結婚であるため愛がないと言われても驚きはしないが、殺したい云々の感情はないと信じたい。
 政略結婚でハロルドに嫌悪されていた過去はあれど、今は愛されている。そう変化することもあるのだからと。
 クリフォードの印象は横柄で傲慢な人間。ほぼ初対面も同然の相手に平気で嫌味をぶつけてくる嫌な男だったが、相手にしなければなんてことはない人物。ウォルターの前では強く出られないのだから哀れな男だとさえ思った。
 クリフォードにエルザは出来すぎた女だと思うが、決められた結婚は変えられない。
 彼にはなくとも彼女には抱えている感情があるのだろう。
 シキの言うとおり、そこにあるのが愛ではないとしてもユズリハはエルザがここにいてくれることが嬉しかった。

「お、荷物が届いたようじゃな」
「ほいじゃ、受け取ってくるかねぇ」
「私も手伝うわ」
「そんな細腕で何ができるってんだい? 邪魔されたくないんでお茶でも飲んでてくれるかい?」
「大丈夫よ。こう見えて力はあるから」

 自分が大切にしている者を大切にしてくれる者が現れることほど嬉しいことはない。
 和人だからと差別することなく、むしろその国の言葉を話せるほどに愛してくれている者と出会えたことは奇跡に近い。
 この国は和人が受け入れられにくい国だというのに、自分の居場所であるこの場所があまりに恵まれすぎていて涙が出そうになる。
 大切なものは少なくていい。失う物が少なければ少ないほど恐怖心は薄くなるから。
 でも、もう少ないとは言えなくなってしまった。ユズリハと名前を呼んで笑顔をくれる者たちは片手では数えきれなくなり、自分もその者たちを大切に思ってしまっているから。

「ユズリハ、開けてもいい!?」
「ああ、かまわぬぞ」

 この幸せが少しでも長く続くことを祈らずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!! お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。 皆様、お気に入り登録ありがとうございました。 現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。 辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
恋愛
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

妖狐の嫁入り

山田あとり
恋愛
「――おまえを祓うなどできない。あきらめて、俺と生きてくれ」 稲荷神社の娘・遥香(はるか)は、妖狐の血をひくために狐憑きとさげすまれ、ひっそり生きてきた。 ある日、村八分となっている遥香を探して来たのは怨霊や魔物を祓う軍人・彰良(あきら)。 彼は陰陽師の名門・芳川家の男だった。 帝国陸軍で共に任務にあたることになった二人だったが、実は彰良にもある秘密が――。 自己評価は低いが芯に強さを秘める女が、理解者を得て才能を開花させる!   & 苦しみを抱え屈折した男が、真っ直ぐな優しさに触れ愛を知る! 明治中期風の横浜と帝都を駆ける、あやかし異能ロマンス譚です。 可愛い妖怪・豆腐小僧も戦うよ! ※この作品は、カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく

たまこ
恋愛
 10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。  多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。  もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。

処理中です...