顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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焦り

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 ハロルドの前で男が足を止めた。

「なんでお前がここにいるんだ? パーティーはどうした?」
「俺は行くとは言ってねぇよ」

 確かに男は言っていない。パーティーについて言っていたのはアーリーンに気がある男だ。味方していればそのうち自分にもチャンスがやってくると思っている浅はかで哀れな男。
 この男は違う。

「で? 聖夜祭にパートナーも連れずに一人、夜の街を歩いているのか?」
「そういう楽しみ方も悪くはないだろ。街での出会いもあるかもしれねぇし」
「親が聞いたら泣くだろうな」
「次男のお前にはわからないだろうけど、七男ともなれば期待なんてされもしない。どこで誰と結婚しようと親は興味ないんだよ。それこそ捨て山で女を見つける以外は何をしたってかまわない」

 長男から順番に期待をかけられていく令息令嬢たちにとって下になればなるほど親からの期待は薄くなる。それが本人にとって良いか悪いかは次男であるハロルドにはわからない。
 後ろに隠したユズリハを覗き込もうと身体を動かす男に合わせてハロルドも身体を動かす。

「見るぐらいいいだろ」
「見せたくないんだ」
「ハロルド・ヘインズが独占欲の強い男だったとは驚きだな」
「なんとでも言えばいいさ。和人を見下して笑い者にするお前たちに見せるつもりはない」

 顔を見せたらどうせ明日教室でまた何か言うつもりなのだろうと睨みつけるハロルドの耳に驚きの言葉が届いた。

「俺は見下してない」
「ッ!? なん……」

 和の国の言葉で答えた男に目を見開く。それにはユズリハも驚いたのか、思わず顔を見せた。

「よお、やっぱりアンタか」
「おお、そなたはいつぞやの」
「知り合いか?」

 二人で顔を見合って笑顔を見せる様子にハロルドだけが蚊帳の外にいる気分になる。
 できるだけユズリハを前に出さないように腕で制しながら顔を向けると頷きが返ってきた。

「いつだったか、ニックの店に立ち寄った際、近くを通った男じゃ。話はせなんだが、片手を上げて挨拶をしてくれた」
「よく覚えてるな」
「好意的な人間の顔は覚えておる」
「まだ少ないか?」
「多いとは言わぬが、意外と少なくもない。そなたのようにな」

 笑い合う二人の様子が面白くないハロルドが不機嫌そうに表情を変える。
 
「俺はノーマン・ハーシュだ」
「ユズリハじゃ」

 ノーマンはユズリハが手を差し出すのを待っていたが、ユズリハは握手の習慣がないだけに手を出すことはしなかった。
 
「今日は洋装か。ハロルドのために?」
「義姉が張り切ってくれたのじゃ。慣れぬ格好はどうにも気恥ずかしくてたまらぬ」
「よく似合ってるぜ」
「そんなのわかってる」

 よその男が自分の妻を褒めるのは嬉しくないし面白くもない。二人が以前から友人だったように話すことも、だ。
 自分がこれほどまでに嫉妬深い男という自覚はなかったが、できればノーマンとの接触はこれ以上させたくなかった。

「そなたはなぜ和の国の言葉を?」
「和の国に興味を持ってる奴は意外にも多い。でもこの国はまだ差別主義者がデカい顔して蔓延ってる。誰だってそうだが、差別は受けたくないし嘲笑の的にもなりたくないから黙ってる」

 ルーシィのような人間は他にもいるということだ。最近はニックも和の国の言葉を少し覚えようとしている。特に挨拶。
 人を知れば嫌悪がなくなるように、学ぼうと思う気持ちも芽生える。その気持ちはハロルドにもわかる。

「独学か?」
「いや、うちは家族が和の国好きでな。特に和の国好きな父親から教わった。和女を嫁として迎えさせるか、養子にって考えるぐらいには和の国が好きなんだよ」
「それは……よっぽどじゃな」
「だろ? その歳で養子迎えるつもりかよって笑っちまった」

 二人が楽しげに笑い合う様子に思わずユズリハの肩を抱き寄せた。 

「ユズリハを見に来たのか?」
「正直に言えばそれもある。デートって言ってただろ。絶対にここに来るだろうと思ってたからな」

 相手がとぼければ嫌味の一つでも言ってやろうかと思っていたが、正直に答えられてしまい嫌味を言えなくなってしまった。
 
「見るのと嫁に迎えるのではわけが違うぞ」
「わかってる。だから簡単には考えちゃいねぇよ。でもそれはどこの人間でも同じなんだよな。近所の令嬢を嫁に迎えても合わなきゃ愛せねぇ。逆に和女であろうと気が合えば愛せる。和女だからってのは差別する理由にはならねぇだろ」
「笑い者になってもそう言えるか?」
「笑いたい奴には笑わせとけばいい。俺の人生にそいつは必要ねぇし、そいつに笑われたからって俺の人生が壊れることもねぇしな」

 ほう、と感心を見せるユズリハにノーマンが笑顔を向ける。

「こいつはそうはしなかったが、俺はむかついたらぶっ飛ばす」

 拳を見せるノーマンにユズリハが声を上げて笑う。

「暴力的な男じゃのう」
「口で言ってもわからねぇ奴に何度も説明してやる義理はねぇ。殴らなきゃわからねぇときもあるんだよ、男にはな」
「女にはないとでも言いたげじゃな?」
「あるのか?」
「どうかのう?」

 ユズリハのこういう態度は自分にだけ向けられるものだと思っていた。ニックには向けないし、エルザにも向けない。シキには向けるが、シキとは長すぎる付き合いがあるため考える対象にもならない。
 でもノーマンは違う。過去に一度だけ、それも手を上げての挨拶をしただけの相手なのに二人はもう友人のよう。
 今日のユズリハはいつもよりずっと美人で、笑顔も輝いている。その笑顔をノーマンに向けてほしくはなかった。

「もういいか? 知ってのとおり、今日はデートなんだ」

 情けないとわかっている。かっこ悪い、ダサいとわかっている。それでもこのまま二人の会話を許していればあっという間に仲良くなってしまう。
 妻が他の男と仲良くすることが許せない。せっかく和の国の言葉を喋れる歳の近い相手なのに、男というだけで関係を奪ってしまうような器の小さい男であることが恥ずかしい。
 でも、耐えられなかった。

「ああ、悪いな。ユズリハ、またな」
「うむ、またな」

 また、なんてない。そう言いたかったのを必死に堪えた。それだけは言ってはいけないことだとわかっているから。
 外に出れば気の合う相手ができるかもしれない。ルーシィのように和の国の言葉を話せる相手がいるかもしれない。和の国の言葉を話せなくとも和女というだけで美しいと思う男もいるのだ。豪華な花束を贈った男もいる。そんなことはわかっていただろう。それでも許可を出したのは自分だと心の中で自分を叱るが、ハロルドは気付いた。

 そうなるとは思っていなかった、と。

 差別する者ばかりでユズリハに興味を持つ者などいないだろうと考えていた。もし持っていたとしても遠目に見るばかりだろうと。
 だが実際はそうじゃない。和女に興味を持ち、周りの目を気にすることなくフレンドリーに接する者が意外にも多かった。でも危惧していなかったのは心配する必要のない人物ばかりだったから。
 既婚者で妻溺愛のニックに義姉のエルザ。そしてシキ。どれも親心で接している。
 ノーマンは違う。同級生であり、和の国に興味を持っている父親から継いできた感情があるように見えるからこそ不安になる。

「人が増えてきたのう」
「ノーマンのこと、どう思う?」

 こんな日に、こんな場所で聞くことではない。ユズリハがせっかくノーマンについての感想を口にしなかったのだから自分から墓穴を掘りに行く必要はないのに、聞かずにはいられなかった。

「ノーマン、良い奴だと思うか?」

 ジッと顔を見つめるユズリハにはお見通しなのだろう。

「顔に書いてあると何度言えばわかるのかのう、お前様は」

 笑うユズリハに眉を寄せる。

「わらわは愛されておるのう」

 からかい混じりの言葉に話すのはユズリハの悪い癖だが、それよりも悪いのは子供のように拗ねるハロルドの幼稚さ。
 ユズリハはハロルドのそんなところも好きだった。

「ノーマンは良い奴じゃが、お前様が心配するような感情は持たぬよ」
「わからないじゃないか……」
「わらわの心を疑うのか?」
「……そうじゃないけど……僕は過去にお前をひどく傷つけた」
「おや、お前様の言葉でわらわが傷ついたと? 随分脆く見られたものじゃな」

 ユズリハの考えがわからないときがある。
 傷ついている表情は多少はわかるようになっても、こうした明るい表情のときは本音か否かがまだわからない。平気で強がって見せるからそれが嘘か本当か見抜けないのも悔しさの一つ。

「わらわは誰の妻じゃ?」
「僕だ」
「わらわが唇を許しておる男は誰じゃ?」
「僕だ」
「わらわの身体のことを知っても受け止めた男は誰じゃ?」
「僕だ」

 ふっ、と柔らかくなるユズリハがハロルドの頬に手を伸ばして触れる。

「わらわはハロルド・ヘインズに嫁いだのじゃ。それも望んでな」

 二人の間には契約がある。それは事実。

「契約で始まった結婚であろうと、そなたはわらわに愛をくれるではないか。わらわとて同じこと」

 顔にそこまで書いてあっただろうかと思わず頬を擦ればユズリハが首を振る。

「わらわのことを愛してくれておるのじゃろう?」
「当たり前だ」

 その答えが正解であると示すように頷くユズリハがハロルドの首に腕を回す。
 期待が高まっているハロルドを裏切ることなくユズリハは自ら唇を重ねた。
 人通りの多い往来だということを忘れたわけではないが、気にならなかった。
 聖夜祭のせいか、どこに目を向けてもキスをする恋人や夫婦が目に入る。自分たちだって夫婦なのだから往来でキスをしてもおかしくないはずだと開き直ってキスをした。
 そうすることで少しでも安心してほしかったのだ。自分が夫をどれほど大切に思っているのかを。心配するだけムダなのだから必要ないことで不安になってほしくはない。
 キスをしている時間は短かったが、ユズリハからされたことで溜息にも似た息を吐き出したハロルドが強く抱きしめる。

「僕は、自分に自信がない。僕なんかよりずっと和の国が好きな男が現れて、話が合って、そいつがお前に紳士的に接するような男だったら……」

 むにゅっと両手で頬を挟まれ言葉が止まる。

「どのような男が現れようとも、そなたに敵う者はおらぬ。どれほど和の国を愛していようと、どれほど和の国の言葉を流暢に話そうと、どれほど紳士的な男であろうとも、わらわが一生尽くしたい相手はハロルド・ヘインズただ一人。お前様しかおらぬよ」

 真っ直ぐ目を見つめて告げられる言葉にハロルドは胸がいっぱいになって息をすることさえ忘れてもう一度ユズリハを抱きしめた。
 苦しいと背中を叩きながらも笑うユズリハが愛おしくてたまらない。それと同時にそこまで言わせてしまう自分の情けなさを恥じた。
 ユズリハに会うまで自分を情けないと思ったことなどないのに、ユズリハに会ってからもう何度自分を情けないと恥じたかわからない。
 
「雪じゃ、お前様」

 空を見上げると晴れていた空にはいつの間にか雪雲がかかっていた。触れるとあっという間に溶けてしまうそれに手を伸ばし、手のひらに乗っては消えていく様子を楽しんでいるユズリハの頬に口付けると「今宵は特別じゃぞ」と笑顔が向けられる。

「情けない夫でごめん」
「完璧でごめんと言われるよりずっといい」
「僕はそんな男じゃない」
「知っておる。だからよいのじゃ。素敵な夜の贈り物をしてくれる素晴らしい夫の妻になれて幸せじゃ」

 あっという間に人が増えた大通り、手を繋いでゆっくり歩く。
 上から降る雪が少し多くなれば明日は積もるだろうかと話をする。
 豪華な料理も贈り物も必要ない。雪が降るいつもとは違うロマンチックな世界を二人で歩けるだけで互いに幸せだった。

 聖夜祭に雪降る夜は祝福の鐘が鳴り響く。

 遠くで聞こえる鐘の音に二人はもう一度キスをした。

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