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夫婦としての第一歩
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「ダイゴロウが俺にすまねぇと言い続けたのはこれのせいだったわけか。俺はてっきり、じゃじゃ馬娘が世話かけてるって意味だとばかり思ってたぜ」
「父上は話すつもりじゃったが、わらわが話すと言うたのじゃ」
「そうか」
「すまぬな、ジジ様。隠しておったことと相殺して、わらわをじゃじゃ馬と呼んだことは許そう」
笑ってくれるウォルターがまだ無理をしていることはわかっている。動揺するほどの強いショックに一晩で抜けるほど浅いものはない。それでもウォルターは自分の行動を顧みて恥じ、謝罪と笑顔を見せてくれる。だからユズリハもそれに付き合うように笑顔を見せる。
「ユズリハ、俺は嘘は嫌いだから嘘は言わん。今から話すことはお前に気を遣って話すことはではなく全部本音だ」
あらかじめそう言っておかなければならないのはユズリハがすぐに勘繰るから。疑っているとは口にしないし、そういった表情もないが、ウォルターはハロルドよりもユズリハと付き合いが長いだけにわかる。
ちゃんと本音として聞いてほしいから言っておくのだ。
それに対してユズリハが頷きを見せた。
「子は宝だ。でもな、子が全てってわけでもねぇ。俺は親でありながら子よりも自分が大事でな。子に面倒みてもらおうなんざ思ってねぇし、遺産の半分は寄付するつもりだ。アイツらよりお前らに残そうと思ってるってのは内緒だぜ」
「ハロルドが聞いたら驚くじゃろうな」
ハハッとウォルターが笑う。
「夫婦になったら次は子だ、ってのが常識みたいになってるが、そんなもんは気にするな。誰かに常識だって言われたら「誰が決めた常識だ?」って言ってやれ。そんで、夫婦二人で最高に幸せなんだって笑ってやれ。子がいないことに泣くより最愛の夫がいることに笑え。幸せなんだろ?」
「問う必要あるか?」
「お前の言葉で聞かせろ」
ダイゴロウが妻への愛情表現を言葉にしないように、ユズリハも好きだ愛していると言葉にはしない。見慣れても聞き慣れてもいないからどうにも恥ずかしいのだ。
だが、今はハロルドもいない。ウォルターの笑みにユズリハは「幸せじゃ」と答えた。
「それでいい。俺がショックを受けたせいではあるが、もう二度と子ができないことを謝るな。誰にもだ。ダイゴロウにもリンタロウにもハロルドにも。申し訳ないって泣くのもダメだ。お前は悪くない。もし悪い奴がいるとしたらそれはお前に子宮を与えなかった神様だけだ」
「うむ」
素直に受け入れてはいないだろうが、ウォルターは頷く。
子供を産めないことで自分を欠陥品だと思うだろう。女として失格だと。ユズリハがその自己嫌悪に浸ることは誰も望んではいない。
この話をダイゴロウにすればきっと「自分に問題があったからもしれない」と言うだろう。モミジが生きていれば「自分がちゃんと産んであげなかったせいだ」と自分を責めただろう。
ユズリハは間違いなくあの二人の子で、とてもよく似ている。誰かを責めるのではなく自分を責める。仕方ないことだと開き直ることはしないのだ。
だからちゃんと言葉にして言い聞かせなければならない。自分がこうして伝えることは全て本音なのだと言っておかなけれならない。
約束したことは必ず守る。ダイゴロウはいつもそう豪語する。ユズリハもその気質を受け継いでいるからこそ、卑怯な手ではあるが約束させるべく命令のような言い方をした。
「約束しろ」
ユズリハも長い付き合いであるウォルターの性格はわかっている。なぜこういった言い方をするのかも。それでもユズリハは何も問わず「わかった」と返事をした。
「子ができなくてもいい。たくさん笑い合って、たくさん触れて、相手にたくさん恋をしろ。お前たちは夫婦で、ここはお前たちだけの家なんだから朝でも昼でも関係なく中でも外でも抱き合えばいい」
ギョッと目を見開いたが、ウォルターのニヤつきに大声で笑う。
「クソジジイじゃのう」
「セクハラだったか?」
「その発言は老害ぞ」
「アドバイスと言ってくれ」
真剣な話をするべきなのだろうが、ウォルターもユズリハも大声で笑ってテーブルを叩く。
大きな笑い声にいるのが好きな二人にとって傷ついた心を静かに癒すのは性に合わない。
「クソジジイの助言、痛み入る」
ユズリハの頭を撫で、冷めた茶を一気飲みしたハロルドは茶器が割れん勢いでテーブルに叩きつけて立ち上がる。
「また様子を観に来る」
そう言って元気に帰っていった。
ハロルドは夕飯まで部屋に閉じこもって勉強しており、ユズリハは居間で本を読む。夕飯は年始に用意した料理をまた食べるためシキは汁物だけ新たに作って早めに部屋に戻っていった。
食事が豪華というだけで何も変わらない日常。特別な話はしないし、泣きもしない。いつもどおりの夜を過ごす。
だが、一つだけ違ったことがあった。
「お前様、少しよいだろうか?」
ユズリハが部屋を訪ねてきた。
ハロルドから尋ねることはあってもユズリハから訪ねることはなかっただけに驚きながらも障子を開ける。
「入れ。風邪引くぞ」
廊下は寒い。部屋の中は火鉢を焚いているため暖かく、寝巻き一枚でもさほど寒くはない。
中に入るとホッと息を吐き出したユズリハに座るよう促すと火鉢の側で正座する。
「ジジ様に言われたこと、わらわなりに考えてみた」
「僕は絶対に言わないからな」
夕食時に聞いた『ハロルドが一回でも文句を言ったらお前が産めと言ってやれ』と言ったウォルターの言葉。文句など言うつもりもなかったのに心外だと怒った。
否定するユズリハに嫌な考えがよぎる。
「愛人は作らないし、お前以外との子供なんていらない。言っただろ、僕は次男だから後継なんて──」
「そうではない」
遮るユズリハが俯いてもじつく。
「じゃあ、なんの話だ?」
楽しげに笑い合っている二人の笑い声だけ聞いていたハロルドは詳しい内容は知らない。知っているのはユズリハとウォルターだけで、他に何を言われたのかと首を傾げるハロルドに顔を上げたユズリハが意を決したように声を張った。
「そなたと抱き合うこと」
久しぶりに自分の耳を疑ったハロルドが少し前に首を出して固まる。
いつも一線を引いていたユズリハからの言葉。その一線が祖父の言葉によって消されたのだとしたら悔しいし嬉しい。
自分の身体のことを気にしていたユズリハにとって抱き合う行為は“無駄”でしかないと考えていたのだろう。だからいつも必要以上に踏み込ませなかった。踏み込まれたら今よりもっと気持ちが大きくなってしまう。そうすれば今よりもっと欲が出て、相手を欲しいと願ってしまう。手を繋いで歩くだけでいい、笑い合うだけでいいと欲しがらないために一線を引いていた。
「どうして考えようと思ったんだ?」
緊張しているのか、いつもより瞬きが多くなるユズリハが深呼吸をしてから苦笑を滲ませる。
「そなたに色々思われるのが怖かった」
「色々って?」
「種を吐き出すことが無駄だとか、その行為に浸る度に子供ができないのにと思われるのが怖かった。思っているのではないかと思ってしまうことも怖かった。腕や足一本と引き換えに子宮が手に入れられるなら、わらわは喜んで差し出す。でも、そのようなことが起こるはずもない。わらわの身体は永遠にこのままなのじゃ。それで……」
「僕を信じてないってことだよな?」
「ち、違う」
「違わない」
ユズリハの気持ちはわかっているが、ハロルドはあえて怒っていることを態度に出す。口調も表情も変えてユズリハを見ると焦りを見せる。
「だって僕を信じてないからそんなこと思うんだろ? 純粋にお前を抱きたいって言った。子供なんかいなくてもいいとも言った。でもお前は……」
違うとかぶりを振る。
「お前がそう思うのは仕方ないよ。お前にとって子宮がないことはコンプレックスなんて言葉じゃ言い表せないほど大きな問題だ。でも僕は子作りのためにお前を抱くんじゃない。お前を抱きたいから抱くだけだ」
「そうじゃな。だからここへ来た」
夫婦なのだから。
当たり前の言葉がとても重く響いた。
ハロルドが言い続けてくれた言葉を信用していなかった自分がなぜ胸を張ってハロルド・ヘインズの妻であると言えるのか。
ずっと言葉にし続けてくれた相手を拒み続けることは妻であることを拒否しているも同然だと思った。
一度もしたことがないのだから合うか合わないか、不快かどうかさえもわからないのに一人で不安を抱えて拒否し続けていた。
相手が理解してくれることに甘えて自分だけを大事にしてきた。それをもうやめようと決めた。
「子宮の有無より未成熟な身体であることにショックを受けそうでのう」
「お前の身体が成長しきってないことは見ればわかる。期待してない」
「これからじゃというに、ひどい男じゃ」
笑顔を見せるユズリハに両手を広げると素直にやってくる。それでも抱きつきはしないが、膝が当たるほど近い距離に座った。
「期待してるか?」
「わからぬ」
期待してきたのではなく覚悟してきただけ。苦笑混じりに正直に話すユズリハの唇ではなく額にキスをして抱きしめると緊張しているのが固さでわかる。
「僕はずっとお前を抱きたいと思ってた。お前が子供ができない身体だってわかってても、胸がなくてもな。僕はお前の全てに触れたいと思ってたんだ」
「またせてすまぬ」
もうすぐ春を迎える。春になれば二人が出会って一年が経つ。
あっという間だったし、色々あった。苦笑したくなることも苛立つことも笑顔になれることも。
その中で妻に欲情することもあった。
それでも耐えられたのは心から愛おしいと思っているから。
それは今この瞬間も同じ。
背中に伸ばした手は帯ではなく背中に当たり、ポンポンと叩く。
「僕はお前の心の準備ができるまで待つつもりだ」
「できておる」
「お前の口から期待してるって言葉が聞けるまでって意味だよ」
わからないと答えてしまったあとでそれを言うのは反則だと瞳を揺らす。
「なら、明日じゃのう」
きっと聞けるだろう。でもきっと強がりだとわかってしまう。だからハロルドはその小さな身体を腕の中にしっかりと抱いて天井を見上げる。
「お前が焦ってる姿は見たくない」
「焦ってなどおらぬ」
「そうか? 僕にはお前が子供ができないから夫婦としてせめて身体を繋げておかないとって焦ってるように見えるけどな」
ウォルターほど付き合いは長くない。ユズリハという女を知ったのはこの一年。だけど、ハロルドはユズリハについてわかったことがいくつもあった。
強がりであること。淑女のように振る舞えないこと。豪快な性格であること。でも繊細でもあること。寛大であること。そして、怖がりであること。
「……読心術などいつの間に習得した……」
当たった。でもこれは読心術などではない。
「夫だからな」
ただそれだけ。
「問題が起きたとき、一気に解決するのはまず不可能だ」
「ならばどうする?」
「一つずつクリアしていくんだ」
抱きしめたまま敷き布団の上に横になり、そのまま掛け布団をかぶった。
「毎日こうして一つの布団で寝ることから始めないか? いつまでも別々じゃ寂しい」
和の国でも一つの布団では眠らなかった。隣り合わせた別々の布団から手を出して手を繋いで眠っていただけ。
でもここは自分たちの家。夫婦が暮らす家。冷え切った仲の夫婦ならわかるが、愛し合っている夫婦が別々の部屋で眠るのは寂しすぎる。
怖がりなのはハロルドも同じ。だからその一言がちゃんと言えなかった。
でもユズリハが覚悟を決めてくれたのなら遠慮はしない。
一線は消えてないかもしれない。またどこかで拒絶されるかもしれない。でもそれはきっと拒絶というより怯え。だからそのときは問題として一つずつ解決しようと決めた。
「名案じゃな」
腕の中で笑うユズリハとキスをして抱き合って眠る。
これが二人の夫婦としての第一歩。
「父上は話すつもりじゃったが、わらわが話すと言うたのじゃ」
「そうか」
「すまぬな、ジジ様。隠しておったことと相殺して、わらわをじゃじゃ馬と呼んだことは許そう」
笑ってくれるウォルターがまだ無理をしていることはわかっている。動揺するほどの強いショックに一晩で抜けるほど浅いものはない。それでもウォルターは自分の行動を顧みて恥じ、謝罪と笑顔を見せてくれる。だからユズリハもそれに付き合うように笑顔を見せる。
「ユズリハ、俺は嘘は嫌いだから嘘は言わん。今から話すことはお前に気を遣って話すことはではなく全部本音だ」
あらかじめそう言っておかなければならないのはユズリハがすぐに勘繰るから。疑っているとは口にしないし、そういった表情もないが、ウォルターはハロルドよりもユズリハと付き合いが長いだけにわかる。
ちゃんと本音として聞いてほしいから言っておくのだ。
それに対してユズリハが頷きを見せた。
「子は宝だ。でもな、子が全てってわけでもねぇ。俺は親でありながら子よりも自分が大事でな。子に面倒みてもらおうなんざ思ってねぇし、遺産の半分は寄付するつもりだ。アイツらよりお前らに残そうと思ってるってのは内緒だぜ」
「ハロルドが聞いたら驚くじゃろうな」
ハハッとウォルターが笑う。
「夫婦になったら次は子だ、ってのが常識みたいになってるが、そんなもんは気にするな。誰かに常識だって言われたら「誰が決めた常識だ?」って言ってやれ。そんで、夫婦二人で最高に幸せなんだって笑ってやれ。子がいないことに泣くより最愛の夫がいることに笑え。幸せなんだろ?」
「問う必要あるか?」
「お前の言葉で聞かせろ」
ダイゴロウが妻への愛情表現を言葉にしないように、ユズリハも好きだ愛していると言葉にはしない。見慣れても聞き慣れてもいないからどうにも恥ずかしいのだ。
だが、今はハロルドもいない。ウォルターの笑みにユズリハは「幸せじゃ」と答えた。
「それでいい。俺がショックを受けたせいではあるが、もう二度と子ができないことを謝るな。誰にもだ。ダイゴロウにもリンタロウにもハロルドにも。申し訳ないって泣くのもダメだ。お前は悪くない。もし悪い奴がいるとしたらそれはお前に子宮を与えなかった神様だけだ」
「うむ」
素直に受け入れてはいないだろうが、ウォルターは頷く。
子供を産めないことで自分を欠陥品だと思うだろう。女として失格だと。ユズリハがその自己嫌悪に浸ることは誰も望んではいない。
この話をダイゴロウにすればきっと「自分に問題があったからもしれない」と言うだろう。モミジが生きていれば「自分がちゃんと産んであげなかったせいだ」と自分を責めただろう。
ユズリハは間違いなくあの二人の子で、とてもよく似ている。誰かを責めるのではなく自分を責める。仕方ないことだと開き直ることはしないのだ。
だからちゃんと言葉にして言い聞かせなければならない。自分がこうして伝えることは全て本音なのだと言っておかなけれならない。
約束したことは必ず守る。ダイゴロウはいつもそう豪語する。ユズリハもその気質を受け継いでいるからこそ、卑怯な手ではあるが約束させるべく命令のような言い方をした。
「約束しろ」
ユズリハも長い付き合いであるウォルターの性格はわかっている。なぜこういった言い方をするのかも。それでもユズリハは何も問わず「わかった」と返事をした。
「子ができなくてもいい。たくさん笑い合って、たくさん触れて、相手にたくさん恋をしろ。お前たちは夫婦で、ここはお前たちだけの家なんだから朝でも昼でも関係なく中でも外でも抱き合えばいい」
ギョッと目を見開いたが、ウォルターのニヤつきに大声で笑う。
「クソジジイじゃのう」
「セクハラだったか?」
「その発言は老害ぞ」
「アドバイスと言ってくれ」
真剣な話をするべきなのだろうが、ウォルターもユズリハも大声で笑ってテーブルを叩く。
大きな笑い声にいるのが好きな二人にとって傷ついた心を静かに癒すのは性に合わない。
「クソジジイの助言、痛み入る」
ユズリハの頭を撫で、冷めた茶を一気飲みしたハロルドは茶器が割れん勢いでテーブルに叩きつけて立ち上がる。
「また様子を観に来る」
そう言って元気に帰っていった。
ハロルドは夕飯まで部屋に閉じこもって勉強しており、ユズリハは居間で本を読む。夕飯は年始に用意した料理をまた食べるためシキは汁物だけ新たに作って早めに部屋に戻っていった。
食事が豪華というだけで何も変わらない日常。特別な話はしないし、泣きもしない。いつもどおりの夜を過ごす。
だが、一つだけ違ったことがあった。
「お前様、少しよいだろうか?」
ユズリハが部屋を訪ねてきた。
ハロルドから尋ねることはあってもユズリハから訪ねることはなかっただけに驚きながらも障子を開ける。
「入れ。風邪引くぞ」
廊下は寒い。部屋の中は火鉢を焚いているため暖かく、寝巻き一枚でもさほど寒くはない。
中に入るとホッと息を吐き出したユズリハに座るよう促すと火鉢の側で正座する。
「ジジ様に言われたこと、わらわなりに考えてみた」
「僕は絶対に言わないからな」
夕食時に聞いた『ハロルドが一回でも文句を言ったらお前が産めと言ってやれ』と言ったウォルターの言葉。文句など言うつもりもなかったのに心外だと怒った。
否定するユズリハに嫌な考えがよぎる。
「愛人は作らないし、お前以外との子供なんていらない。言っただろ、僕は次男だから後継なんて──」
「そうではない」
遮るユズリハが俯いてもじつく。
「じゃあ、なんの話だ?」
楽しげに笑い合っている二人の笑い声だけ聞いていたハロルドは詳しい内容は知らない。知っているのはユズリハとウォルターだけで、他に何を言われたのかと首を傾げるハロルドに顔を上げたユズリハが意を決したように声を張った。
「そなたと抱き合うこと」
久しぶりに自分の耳を疑ったハロルドが少し前に首を出して固まる。
いつも一線を引いていたユズリハからの言葉。その一線が祖父の言葉によって消されたのだとしたら悔しいし嬉しい。
自分の身体のことを気にしていたユズリハにとって抱き合う行為は“無駄”でしかないと考えていたのだろう。だからいつも必要以上に踏み込ませなかった。踏み込まれたら今よりもっと気持ちが大きくなってしまう。そうすれば今よりもっと欲が出て、相手を欲しいと願ってしまう。手を繋いで歩くだけでいい、笑い合うだけでいいと欲しがらないために一線を引いていた。
「どうして考えようと思ったんだ?」
緊張しているのか、いつもより瞬きが多くなるユズリハが深呼吸をしてから苦笑を滲ませる。
「そなたに色々思われるのが怖かった」
「色々って?」
「種を吐き出すことが無駄だとか、その行為に浸る度に子供ができないのにと思われるのが怖かった。思っているのではないかと思ってしまうことも怖かった。腕や足一本と引き換えに子宮が手に入れられるなら、わらわは喜んで差し出す。でも、そのようなことが起こるはずもない。わらわの身体は永遠にこのままなのじゃ。それで……」
「僕を信じてないってことだよな?」
「ち、違う」
「違わない」
ユズリハの気持ちはわかっているが、ハロルドはあえて怒っていることを態度に出す。口調も表情も変えてユズリハを見ると焦りを見せる。
「だって僕を信じてないからそんなこと思うんだろ? 純粋にお前を抱きたいって言った。子供なんかいなくてもいいとも言った。でもお前は……」
違うとかぶりを振る。
「お前がそう思うのは仕方ないよ。お前にとって子宮がないことはコンプレックスなんて言葉じゃ言い表せないほど大きな問題だ。でも僕は子作りのためにお前を抱くんじゃない。お前を抱きたいから抱くだけだ」
「そうじゃな。だからここへ来た」
夫婦なのだから。
当たり前の言葉がとても重く響いた。
ハロルドが言い続けてくれた言葉を信用していなかった自分がなぜ胸を張ってハロルド・ヘインズの妻であると言えるのか。
ずっと言葉にし続けてくれた相手を拒み続けることは妻であることを拒否しているも同然だと思った。
一度もしたことがないのだから合うか合わないか、不快かどうかさえもわからないのに一人で不安を抱えて拒否し続けていた。
相手が理解してくれることに甘えて自分だけを大事にしてきた。それをもうやめようと決めた。
「子宮の有無より未成熟な身体であることにショックを受けそうでのう」
「お前の身体が成長しきってないことは見ればわかる。期待してない」
「これからじゃというに、ひどい男じゃ」
笑顔を見せるユズリハに両手を広げると素直にやってくる。それでも抱きつきはしないが、膝が当たるほど近い距離に座った。
「期待してるか?」
「わからぬ」
期待してきたのではなく覚悟してきただけ。苦笑混じりに正直に話すユズリハの唇ではなく額にキスをして抱きしめると緊張しているのが固さでわかる。
「僕はずっとお前を抱きたいと思ってた。お前が子供ができない身体だってわかってても、胸がなくてもな。僕はお前の全てに触れたいと思ってたんだ」
「またせてすまぬ」
もうすぐ春を迎える。春になれば二人が出会って一年が経つ。
あっという間だったし、色々あった。苦笑したくなることも苛立つことも笑顔になれることも。
その中で妻に欲情することもあった。
それでも耐えられたのは心から愛おしいと思っているから。
それは今この瞬間も同じ。
背中に伸ばした手は帯ではなく背中に当たり、ポンポンと叩く。
「僕はお前の心の準備ができるまで待つつもりだ」
「できておる」
「お前の口から期待してるって言葉が聞けるまでって意味だよ」
わからないと答えてしまったあとでそれを言うのは反則だと瞳を揺らす。
「なら、明日じゃのう」
きっと聞けるだろう。でもきっと強がりだとわかってしまう。だからハロルドはその小さな身体を腕の中にしっかりと抱いて天井を見上げる。
「お前が焦ってる姿は見たくない」
「焦ってなどおらぬ」
「そうか? 僕にはお前が子供ができないから夫婦としてせめて身体を繋げておかないとって焦ってるように見えるけどな」
ウォルターほど付き合いは長くない。ユズリハという女を知ったのはこの一年。だけど、ハロルドはユズリハについてわかったことがいくつもあった。
強がりであること。淑女のように振る舞えないこと。豪快な性格であること。でも繊細でもあること。寛大であること。そして、怖がりであること。
「……読心術などいつの間に習得した……」
当たった。でもこれは読心術などではない。
「夫だからな」
ただそれだけ。
「問題が起きたとき、一気に解決するのはまず不可能だ」
「ならばどうする?」
「一つずつクリアしていくんだ」
抱きしめたまま敷き布団の上に横になり、そのまま掛け布団をかぶった。
「毎日こうして一つの布団で寝ることから始めないか? いつまでも別々じゃ寂しい」
和の国でも一つの布団では眠らなかった。隣り合わせた別々の布団から手を出して手を繋いで眠っていただけ。
でもここは自分たちの家。夫婦が暮らす家。冷え切った仲の夫婦ならわかるが、愛し合っている夫婦が別々の部屋で眠るのは寂しすぎる。
怖がりなのはハロルドも同じ。だからその一言がちゃんと言えなかった。
でもユズリハが覚悟を決めてくれたのなら遠慮はしない。
一線は消えてないかもしれない。またどこかで拒絶されるかもしれない。でもそれはきっと拒絶というより怯え。だからそのときは問題として一つずつ解決しようと決めた。
「名案じゃな」
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