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記念写真
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ルーシィが和の国へ向かい、三ヶ月が経った頃、一枚の手紙が届いた。
ようやく手紙が来たと喜んだのも束の間、封筒の中から便箋を取り出すと一緒に入っていた写真がテーブルの上に落ちた。裏返らず着地した写真に視線を落とした二人は同時に唇を引いて目を見開く。
「マジか……」
「マジらしいのう……」
ルーシィが和の国で落ち着いた報告の写真ではなく、和装花嫁の写真。隣に立つのは新郎の格好をしたリンタロウ。
わかっていた。ルーシィはリンタロウを運命の相手だと信じ、リンタロウが来てもいいと返事をくれたから追いかけて行ったのだ。結婚してもおかしくはない。むしろ自然な話だ。
しかし、なんの報告もなかった。見送ってから今日までの三ヶ月の間、ルーシィは一通だって手紙を寄越しはしなかった。忙しいのだろうと理解していたが、その忙しさがまさか結婚式の準備で忙しいとは誰が想像できるのか。
はあっと息を吐き出して写真を拾い上げれば「薄情者め」と呟くユズリハの表情は笑顔だった。
「サプライズのつもりらしい」
中に入っていた手紙には上機嫌で書いたであろうことが文章から読み取れる。
「ま、確かに驚いたな」
「金髪美女を狙うって言っただろ、じゃと」
「リンタロウさんか」
和の国から帰国する日に軽口で言った言葉を現実にした兄を祝福したい気持ちはあるが、文章が気に入らないと手紙を指先で弾く。
「父上のやつ、帰国してすぐに準備しおったな」
「ありえる」
ダイゴロウなら、と容易に想像できることに二人で顔を見合わせて笑い合う。
テーブルの上に写真を置いて見つめるはルーシィの笑顔。兄、父親、そして祝福に駆けつけた近所の人たち。皆が笑顔だった。
「キレイじゃのう」
和の国の人間でなくとも和装がよく似合っている。母親が着た花嫁衣装は姉が着て持って行ったため、ルーシィの衣装は父親が手配した物。
真っ白な花嫁衣装と金色の髪が黒髪より合うのではないかと思うほどキレイに見えた。
写真を見つめながら目を細めるユズリハを見てハロルドが手紙と写真を一緒に隅に寄せる。
「どうした?」
顔を上げたユズリハの向かいで正座をするハロルドを見て一緒に正座になった。
「やっぱり結婚式しよう」
驚くユズリハの顔がすぐ苦笑に変わる。
「お前様、その話は──」
「わかってる。前にも言ったよな。お祖父様にもそう言った」
頷くユズリハに「でも」と言葉を続ける。
「それは随分と前の話だ。あれから僕たちの関係は前に進んでる。結婚式をしない特別な理由はないだろ?」
「それは……そうじゃが……」
「僕は、お前の花嫁姿が見たい。お前と二人で写真を撮って、こんな風に向こうに手紙を送りたい」
自分たちは夫婦になった。誰にでも夫婦だと胸を張って言えるほど心を通わせている。それなのにユズリハは今も結婚式に乗り気ではない。
一線を引かれているとは思っていないが、苦笑が消えないユズリハにハロルドは打って出た。
「結婚式、お祖父様は楽しみにしてた」
卑怯な手だとわかっている。それがユズリハを傷つけるかもしれないことも。
二人の子供を楽しみにしていたウォルターに子供を見せてやることは生まれ変わりでもしない限りは不可能な現実にいる。だが、結婚式はできる。ユズリハが首を縦に振れば。
ユズリハが来たばかりの頃にウォルターには一度断っている。結婚式をするつもりはないと。そのときの彼の表情をユズリハもよく思い出す。いつも笑顔で、胸を張って生きているウォルター・ヘインズが寂しげな表情を見せた。子宮がないと告白した日ほどではなくとも落ち込んでいた。
「そなたは卑怯じゃのう」
「わがままな妻にはぴったりの男だろ?」
「そうじゃな」
根負けしたように笑うユズリハの手を握れば握り返してくれる。明確な言葉がなくともそれが返事と受け取った。
ハロルドはすぐにウォルターを呼んだ。
「どうした?」
テーブルを挟んだ向かいで二人並んで正座をしている。ハロルドはいつものことだが、今日はユズリハも正座。少し怖いぞ、と笑うウォルターに二人は真剣な顔ではなく笑顔を見せた。
「僕たち、結婚式を挙げようと思うんです」
ウォルターの世界だけ時間が止まっている。数秒間、停止したあと、瞬きを繰り返して「あ……あ……」と声を漏らす。混乱する頭の中を整理しているのだろう。初めて見るウォルターの混乱に二人は大袈裟だと顔を見合わせて笑う。
「と、突然どうした? 結婚式は挙げないと……」
「そのつもりじゃったが、あの写真を見たら羨ましくなった」
ユズリハはそんな性格ではない。親が困り果てるぐらい頑固で、一度決めたことは天と地がひっくり返ろうと変えはしない。あの日、確かに、はっきりと言った。結婚式をするつもりはないと。
ウォルターはルーシィの結婚式にも出席したからその美しさを生で見ている。確かに美しかった。それは写真にも偽りなく写されているものだが、ユズリハはそれを見てその美しさを手に入れたいと思うことはない。だからウォルターは俯いて目を閉じ、小さく笑う。困っているような、泣きたいような。晴れやかな笑みではない。
うなじに手を当ててパンパンとそこを叩く。
「俺のためか?」
顔を上げずに問うウォルターにユズリハが大笑いする。
「さすがは天下のウォルター・ヘインズじゃ。それはあまりにも自意識過剰というもの。わらわがそなたのために結婚式をすると本気で思うておるのか?」
ユズリハはいつもこうだ。相手に気を遣わせないように相手を小馬鹿にした発言をする。申し訳ないと言われたくも思われたくもないのだ。
それを知っているからかぶりを振る。
「母上に見せたいのじゃ」
それもひとつ本心なのだろうと納得したように頷いた。
「愛する人と正式に愛を誓い合うのも悪うない。わらわは神は信じておらぬが、母上に誓う。それに、結婚式を挙げたら指輪を買ってくれると言うのでな」
左手をひらひらと揺らして笑う姿にウォルターも笑顔を見せる。
「金は俺が出してやる」
「僕が買います」
「一生に一度の物だ。お前がすべきなのはありもしない大金をどうする工面するか考えることではなく、金のことなど心配せず妥協なく愛の証を用意することだろうが」
「で、でも……」
「俺がお前たちにしてやれる最後のことかもしれんからな。させてくれ」
ハロルドは二人の結婚指輪は自分で買いたかった。一生に一度だからこそ自分で買いたかったのだが、二人でデザインも石も全て決めて作る指輪がいくらかかるのか知らないだけに金の心配が頭をよぎらなかったわけではない。いくらするのか見当もつかないが、かと言って両親にも兄にも聞きたくはなかった。祖父に聞くことはできたが、余計な期待をさせてしまってはいけないからと誰にも相談できずにいた。
申し出は嬉しい。金の心配がなくなればユズリハの好みを全て取り入れてやることができるから。だが、それを素直に受け取ることができないでいるハロルドの手をユズリハが握る。
「祖父が孫に頼み事をするのはな、なかなか経験できることではないぞ」
「提案してるつもりなんだがな?」
「出したいのじゃろう?」
「出してやると言ってるんだ」
「随分と強気に出るのう、ジジ様? よいのか? 下手に出ておるほうが楽なのではないか?」
ニヤつくユズリハに呆れながらも表情は笑顔のままで、肩を竦めたウォルターが胸ポケットから小切手帳を取り出してテーブルに放った。
「これが俺からの結婚祝いだ」
信じられないプレゼントに「その豪快さこそウォルター・ヘインズじゃ」と笑うのはユズリハだけで、ハロルドはあまりにもヤバい物だと手を伸ばすこともできなかった。
「ぼ、僕はこういうのはいりません。その代わり、この国で一番腕の良いデザイナーと指輪の職人を呼んでください」
「小切手はいらないと?」
「いりません。こんなの、使えない。僕は、自分の力を信じています。自分が稼いだ金でユズリハを養っていきます」
ユズリハも止めはしなかった。真面目であることがハロルドの魅力でもある。祖父がそう言ってくれたからと小切手帳に飛びつくような人間ではないことも知っている。それはウォルターも同じだ。
テーブルの真ん中にある小切手帳をスッと押し返して「お返しします」と断った。
「俺の好意を無下にすると?」
急に圧をかけるウォルターに反射なのだろうハロルドの背が伸びる。
「俺には金も出させない、小切手も断る。俺は蚊帳の外か?」
「そうではありません。僕はお祖父様に甘えたくないんです。お祖父様が後ろ盾にいてくれるのはとても心強いです。両親と兄の暴走もお祖父様がいるから大きくならないんだと感謝もしています。でも、僕も考えないわけではないんです。お祖父様の加護がいつまでもあるわけじゃないと。こういう物に甘えていたら、お祖父様がいなくなったときに自分の無力さを感じてしまいそうで……怖いんです」
いつかはなくなってしまう後ろ盾。ウォルター・ヘインズが律してきた物はあまりにも多く、彼が没すれば抑えつけられていた暴れ馬のようになる人間は少なからずいる。それをユズリハを守りながら止められるかが不安で仕方ない。
ウォルターの好意には甘えたい。金があればなんでもできるし、困ることはない。金のない生活をしたことがないハロルドにとって稼げない将来は考えられない。目の前の小切手帳に好きな額を書き込んで銀行に行けばそんな不安も消えるだろうが、そんなカッコ悪いことはしたくなかった。自分は男だから。
「そうか」
膝の上で拳を握りながら俯いて決意を述べる孫に向ける顔には優しい笑みが宿っており、声にもそれが現れていた。
「なら、俺はこれに祝い金を書き込んでお前たちに渡す。それをどう使うかはお前たち次第だ」
ユズリハを見ると頷いている。再度ウォルターを見たハロルドはその場で深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
小切手帳を取って一緒に入れていた万年筆で書き込みながら「甘えりゃいいのによぉ」とボヤくウォルターは孫の言葉が誇りでもあり寂しくもあった。
クリフォードなら奪い取るように受け取って小躍りまでしただろう。そしてあっという間に使ってしまう。そしてまた新しいのを、と口上手くねだりに来る。
ハロルドはそうじゃない。自分の将来を自分で道を作ってその上を自分の足で歩いていくつもりなのだ。【ウォルター・ヘインズの孫】【ヘインズ家の息子さん】に甘えるのではなく、祖父のように【ハロルド・ヘインズ】として名を残すために。
「お前たちはよく似てるな」
「わらわはこんなに頑固ではない」
「僕はこんなにわがままじゃありません」
「似た者夫婦だ」
結果オーライに自分の目は間違っていなかったと言うつもりはない。これは自分の功績ではなく二人がただ惹かれ合っただけ。互いにどうにか向かい合ってくれたから今の結果がある。それがただただ嬉しかった。
「指輪を作る職人たちは俺に任せろ。最高の職人を呼んでやる」
小切手を一枚裏返してテーブルに置いたウォルターが立ち上がり、そう言って帰っていった。
二人はしばらくその小切手を見つめていた。ひっくり返すのが恐ろしいと。ユズリハでさえそう思った。
ひっくり返すのはハロルドの役目。小切手に伸びる手が少し震えている。薄っぺらいただの紙に見えるそれには二人が悲鳴を上げることすらできないほどの驚愕の数字が書かれていた。
ようやく手紙が来たと喜んだのも束の間、封筒の中から便箋を取り出すと一緒に入っていた写真がテーブルの上に落ちた。裏返らず着地した写真に視線を落とした二人は同時に唇を引いて目を見開く。
「マジか……」
「マジらしいのう……」
ルーシィが和の国で落ち着いた報告の写真ではなく、和装花嫁の写真。隣に立つのは新郎の格好をしたリンタロウ。
わかっていた。ルーシィはリンタロウを運命の相手だと信じ、リンタロウが来てもいいと返事をくれたから追いかけて行ったのだ。結婚してもおかしくはない。むしろ自然な話だ。
しかし、なんの報告もなかった。見送ってから今日までの三ヶ月の間、ルーシィは一通だって手紙を寄越しはしなかった。忙しいのだろうと理解していたが、その忙しさがまさか結婚式の準備で忙しいとは誰が想像できるのか。
はあっと息を吐き出して写真を拾い上げれば「薄情者め」と呟くユズリハの表情は笑顔だった。
「サプライズのつもりらしい」
中に入っていた手紙には上機嫌で書いたであろうことが文章から読み取れる。
「ま、確かに驚いたな」
「金髪美女を狙うって言っただろ、じゃと」
「リンタロウさんか」
和の国から帰国する日に軽口で言った言葉を現実にした兄を祝福したい気持ちはあるが、文章が気に入らないと手紙を指先で弾く。
「父上のやつ、帰国してすぐに準備しおったな」
「ありえる」
ダイゴロウなら、と容易に想像できることに二人で顔を見合わせて笑い合う。
テーブルの上に写真を置いて見つめるはルーシィの笑顔。兄、父親、そして祝福に駆けつけた近所の人たち。皆が笑顔だった。
「キレイじゃのう」
和の国の人間でなくとも和装がよく似合っている。母親が着た花嫁衣装は姉が着て持って行ったため、ルーシィの衣装は父親が手配した物。
真っ白な花嫁衣装と金色の髪が黒髪より合うのではないかと思うほどキレイに見えた。
写真を見つめながら目を細めるユズリハを見てハロルドが手紙と写真を一緒に隅に寄せる。
「どうした?」
顔を上げたユズリハの向かいで正座をするハロルドを見て一緒に正座になった。
「やっぱり結婚式しよう」
驚くユズリハの顔がすぐ苦笑に変わる。
「お前様、その話は──」
「わかってる。前にも言ったよな。お祖父様にもそう言った」
頷くユズリハに「でも」と言葉を続ける。
「それは随分と前の話だ。あれから僕たちの関係は前に進んでる。結婚式をしない特別な理由はないだろ?」
「それは……そうじゃが……」
「僕は、お前の花嫁姿が見たい。お前と二人で写真を撮って、こんな風に向こうに手紙を送りたい」
自分たちは夫婦になった。誰にでも夫婦だと胸を張って言えるほど心を通わせている。それなのにユズリハは今も結婚式に乗り気ではない。
一線を引かれているとは思っていないが、苦笑が消えないユズリハにハロルドは打って出た。
「結婚式、お祖父様は楽しみにしてた」
卑怯な手だとわかっている。それがユズリハを傷つけるかもしれないことも。
二人の子供を楽しみにしていたウォルターに子供を見せてやることは生まれ変わりでもしない限りは不可能な現実にいる。だが、結婚式はできる。ユズリハが首を縦に振れば。
ユズリハが来たばかりの頃にウォルターには一度断っている。結婚式をするつもりはないと。そのときの彼の表情をユズリハもよく思い出す。いつも笑顔で、胸を張って生きているウォルター・ヘインズが寂しげな表情を見せた。子宮がないと告白した日ほどではなくとも落ち込んでいた。
「そなたは卑怯じゃのう」
「わがままな妻にはぴったりの男だろ?」
「そうじゃな」
根負けしたように笑うユズリハの手を握れば握り返してくれる。明確な言葉がなくともそれが返事と受け取った。
ハロルドはすぐにウォルターを呼んだ。
「どうした?」
テーブルを挟んだ向かいで二人並んで正座をしている。ハロルドはいつものことだが、今日はユズリハも正座。少し怖いぞ、と笑うウォルターに二人は真剣な顔ではなく笑顔を見せた。
「僕たち、結婚式を挙げようと思うんです」
ウォルターの世界だけ時間が止まっている。数秒間、停止したあと、瞬きを繰り返して「あ……あ……」と声を漏らす。混乱する頭の中を整理しているのだろう。初めて見るウォルターの混乱に二人は大袈裟だと顔を見合わせて笑う。
「と、突然どうした? 結婚式は挙げないと……」
「そのつもりじゃったが、あの写真を見たら羨ましくなった」
ユズリハはそんな性格ではない。親が困り果てるぐらい頑固で、一度決めたことは天と地がひっくり返ろうと変えはしない。あの日、確かに、はっきりと言った。結婚式をするつもりはないと。
ウォルターはルーシィの結婚式にも出席したからその美しさを生で見ている。確かに美しかった。それは写真にも偽りなく写されているものだが、ユズリハはそれを見てその美しさを手に入れたいと思うことはない。だからウォルターは俯いて目を閉じ、小さく笑う。困っているような、泣きたいような。晴れやかな笑みではない。
うなじに手を当ててパンパンとそこを叩く。
「俺のためか?」
顔を上げずに問うウォルターにユズリハが大笑いする。
「さすがは天下のウォルター・ヘインズじゃ。それはあまりにも自意識過剰というもの。わらわがそなたのために結婚式をすると本気で思うておるのか?」
ユズリハはいつもこうだ。相手に気を遣わせないように相手を小馬鹿にした発言をする。申し訳ないと言われたくも思われたくもないのだ。
それを知っているからかぶりを振る。
「母上に見せたいのじゃ」
それもひとつ本心なのだろうと納得したように頷いた。
「愛する人と正式に愛を誓い合うのも悪うない。わらわは神は信じておらぬが、母上に誓う。それに、結婚式を挙げたら指輪を買ってくれると言うのでな」
左手をひらひらと揺らして笑う姿にウォルターも笑顔を見せる。
「金は俺が出してやる」
「僕が買います」
「一生に一度の物だ。お前がすべきなのはありもしない大金をどうする工面するか考えることではなく、金のことなど心配せず妥協なく愛の証を用意することだろうが」
「で、でも……」
「俺がお前たちにしてやれる最後のことかもしれんからな。させてくれ」
ハロルドは二人の結婚指輪は自分で買いたかった。一生に一度だからこそ自分で買いたかったのだが、二人でデザインも石も全て決めて作る指輪がいくらかかるのか知らないだけに金の心配が頭をよぎらなかったわけではない。いくらするのか見当もつかないが、かと言って両親にも兄にも聞きたくはなかった。祖父に聞くことはできたが、余計な期待をさせてしまってはいけないからと誰にも相談できずにいた。
申し出は嬉しい。金の心配がなくなればユズリハの好みを全て取り入れてやることができるから。だが、それを素直に受け取ることができないでいるハロルドの手をユズリハが握る。
「祖父が孫に頼み事をするのはな、なかなか経験できることではないぞ」
「提案してるつもりなんだがな?」
「出したいのじゃろう?」
「出してやると言ってるんだ」
「随分と強気に出るのう、ジジ様? よいのか? 下手に出ておるほうが楽なのではないか?」
ニヤつくユズリハに呆れながらも表情は笑顔のままで、肩を竦めたウォルターが胸ポケットから小切手帳を取り出してテーブルに放った。
「これが俺からの結婚祝いだ」
信じられないプレゼントに「その豪快さこそウォルター・ヘインズじゃ」と笑うのはユズリハだけで、ハロルドはあまりにもヤバい物だと手を伸ばすこともできなかった。
「ぼ、僕はこういうのはいりません。その代わり、この国で一番腕の良いデザイナーと指輪の職人を呼んでください」
「小切手はいらないと?」
「いりません。こんなの、使えない。僕は、自分の力を信じています。自分が稼いだ金でユズリハを養っていきます」
ユズリハも止めはしなかった。真面目であることがハロルドの魅力でもある。祖父がそう言ってくれたからと小切手帳に飛びつくような人間ではないことも知っている。それはウォルターも同じだ。
テーブルの真ん中にある小切手帳をスッと押し返して「お返しします」と断った。
「俺の好意を無下にすると?」
急に圧をかけるウォルターに反射なのだろうハロルドの背が伸びる。
「俺には金も出させない、小切手も断る。俺は蚊帳の外か?」
「そうではありません。僕はお祖父様に甘えたくないんです。お祖父様が後ろ盾にいてくれるのはとても心強いです。両親と兄の暴走もお祖父様がいるから大きくならないんだと感謝もしています。でも、僕も考えないわけではないんです。お祖父様の加護がいつまでもあるわけじゃないと。こういう物に甘えていたら、お祖父様がいなくなったときに自分の無力さを感じてしまいそうで……怖いんです」
いつかはなくなってしまう後ろ盾。ウォルター・ヘインズが律してきた物はあまりにも多く、彼が没すれば抑えつけられていた暴れ馬のようになる人間は少なからずいる。それをユズリハを守りながら止められるかが不安で仕方ない。
ウォルターの好意には甘えたい。金があればなんでもできるし、困ることはない。金のない生活をしたことがないハロルドにとって稼げない将来は考えられない。目の前の小切手帳に好きな額を書き込んで銀行に行けばそんな不安も消えるだろうが、そんなカッコ悪いことはしたくなかった。自分は男だから。
「そうか」
膝の上で拳を握りながら俯いて決意を述べる孫に向ける顔には優しい笑みが宿っており、声にもそれが現れていた。
「なら、俺はこれに祝い金を書き込んでお前たちに渡す。それをどう使うかはお前たち次第だ」
ユズリハを見ると頷いている。再度ウォルターを見たハロルドはその場で深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
小切手帳を取って一緒に入れていた万年筆で書き込みながら「甘えりゃいいのによぉ」とボヤくウォルターは孫の言葉が誇りでもあり寂しくもあった。
クリフォードなら奪い取るように受け取って小躍りまでしただろう。そしてあっという間に使ってしまう。そしてまた新しいのを、と口上手くねだりに来る。
ハロルドはそうじゃない。自分の将来を自分で道を作ってその上を自分の足で歩いていくつもりなのだ。【ウォルター・ヘインズの孫】【ヘインズ家の息子さん】に甘えるのではなく、祖父のように【ハロルド・ヘインズ】として名を残すために。
「お前たちはよく似てるな」
「わらわはこんなに頑固ではない」
「僕はこんなにわがままじゃありません」
「似た者夫婦だ」
結果オーライに自分の目は間違っていなかったと言うつもりはない。これは自分の功績ではなく二人がただ惹かれ合っただけ。互いにどうにか向かい合ってくれたから今の結果がある。それがただただ嬉しかった。
「指輪を作る職人たちは俺に任せろ。最高の職人を呼んでやる」
小切手を一枚裏返してテーブルに置いたウォルターが立ち上がり、そう言って帰っていった。
二人はしばらくその小切手を見つめていた。ひっくり返すのが恐ろしいと。ユズリハでさえそう思った。
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