たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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帰宅

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「おかえりなさーい!」

 既に起きていたイヴァが空を見上げながら両手を振っている。

「早起きね、イヴァ」
「毎朝四時に起きていた猛者ですからね」
「あら、じゃあ最近は少しお寝坊さんなんじゃない?」

 ギクッと肩を跳ねさせた様子見て、冗談だと言って笑うアストリッドにイヴァは無性に嬉しくなった。

「楽しかったですか?」

 無邪気に問いかけるイヴァに今度は二人がギクッとする。
 何かあったわけではない。何もなかった。だが、接触はあった。それが妙に後ろめたく感じる。
 だが、アストリッドは微笑みとともに頷いた。

「ええ、とても」

 ザファルを喜ばせるには充分すぎる言葉だ。

「星の話をたくさんしてくださったの」
「へー! よかったですね!」

 アストリッドが笑ってくれているだけでイヴァは嬉しい。
 夜に見送ってからずっと心配だった。アストリッドは一人で考え込んでしまうから、ザファルの好意に悩んでしまうのではないかと。
 イヴァにとってもフィルングの死はあまりにも大きな出来事で、ショックではある。まだ一年も経っていないと分かっていても、前に進んでほしいと思う。
 すぐに愛さなくてもいいから、応えなくてもいいから、どうか彼を拒まないでほしいと。

「陛下、それは……」
「ルィムにやったんだ」

 宙にガラス玉が浮いているのを見て、精霊が持っているのだろうと理解しているが、それを取り返そうとしないことにアミーラは驚いていた。
 そのガラス玉は誰が触れることも許さなかった物だから。

「もしよろしければ、精霊用に新しい物を買ってきましょうか?」
「いや、これがいいらしい」

 雰囲気がずいぶんと柔らかくなっている。アミーラからすれば何もない場所だが、そこにいるのだろう精霊を見つめる瞳には慈愛が満ちているように見えた。
 初めて見る雰囲気であり、表情でもあった。
 これが恋かと、まるで具現化した物を見ている気分になる。

「アストリッド、ゆっくり眠ってくれ」
「ザファル陛下も」
「私は眠れなければ秘策があるから問題ない」
「そうですね」

 まるで通じ合っているような会話にイヴァとアミーラは目を瞬かせる。一体、夜に何があったのか。
 二人は顔を見合わせて首を傾げながらも間に割って入ろうとはしなかった。
 無粋な足音と違って──

「何をされているのですか、陛下」

 回廊の角から衣擦れと香の匂い。アリアが二人の侍女を従えてこちらに向かって歩いてきている。一見、穏やかな笑顔だけれど、誰の目から見ても彼女の目は笑っていない。
 アミーラが一歩前に出る。

「アリア」
「昨夜は、私のお部屋にお越しになるご予定でした。それはきちんと記されております。先週から一度の延期、そして昨夜。約束の時間でしたが、陛下の中では予定にすら入っていなかったということでしょうか?」

 アリアの視線が、絨毯と宙に浮くガラス玉を一瞥する。

「息子にさえ触らせない物を精霊に?」
「忘れていたのは私の落ち度だ。忙しさを言い訳にはしない。訪問は改めて予定に組み込む」

 ザファルは短く言い切り、絨毯から降りた。

「アストリッド様は、どうお考えなのでしょうか?」
「彼女は関係ない。私の予定を知っているわけではないからな」
「夫が亡くなって日が浅いのに、もう他の男に狙いをつけているのですか?」

 ザファルの目が鋭くなり、視線だけで圧をかける。
 震えるほど恐ろしく冷たいが、侮辱を受けた以上はアリアも引くつもりはなかった。

「妻でもなければ候補でもない女性が自分の夫と一夜を過ごしたとなれば黙っていられないのは当然です」
「私が誘った」
「客人の夜間外出に陛下が同行なさるのは、いつからの慣例です?」

 アリアは嫌味な笑みを崩さない。

「ファリドが可哀想だとは思わないのですか?」
「彼との約束を破ったわけではない」
「母が悲しめば子は悲しむのです。妻を悲しませないことが夫の務めではないのですか?」

 先程まで驚くほど柔らかかったザファルの雰囲気が一瞬で戻ってしまう。

「すみません。私の配慮不足で──」

 ザファルがそれを止めるように腕を出し、それがまたアリアを苛立たせる。
 自分のことは一度だって庇ったことはない。息子のこともそうだ。叱ったことはないが、それは関心を持っていないから叱らないだけで愛ではない。

「午後に時間を取る。それでいいだろう」

 アストリッドが同じように責めてもこんな面倒そうには答えないだろう。そう考えると尚更腹が立つ。 
 この怒りをここでぶつけるのは簡単だが、もし他の夫人にでも見られたら何を言われるかわからない。特にリアーナやサミーヤに見られることだけは避けたい。

「いいえ。今日一日、これからお時間を頂戴いたします。よろしいですね?」
「陛下が多忙であることはあなたも──」
 
 それが当然だと言わんばかりの言い方に反論したのはアミーラだが、ザファルが止めた。
 ここで突き放すことは得策とは言えない。アリアが面倒な性格であることを知っているだけに、自分が忘れていた失態だと受け入れることにした。

「では、参りましょうか」
「ああ」

 ザファルと腕を組んで三人に背を向けるアリアは、先程までの怒りなど存在しないかのように笑顔だった
 勝ち誇っている気分なのだろう。苛立っているのはアミーラのほうだった。

「くたばれ……」

 ボソッと極小で呟いたつもりだったが、イヴァとアストリッドの視線はアミーラに注がれている。
 静かな朝だ。聞こえてしまった。
 だからアミーラはその場で笑顔を見せた。見たことがないほどにっこりとした笑顔にキレているのが伝わってくる。

「あの人、大嫌いなんです。ほんっっっっっっとうに」

 開き直ったように告げるアミーラに二人は「言わずともわかる」と心の中で呟いた。

「朝食を作ります! アミーラさんも今日はガッツリと食べてください!」
「そうします」
「私も一緒に──」
「いいえ! アストリッド様にはすぐに温かいお茶をお淹れしますから休んでいてください!」

 三人で宮の中に入り、イヴァはいつもよりテキパキと動き始めた。
 心を落ち着けるために精神集中の儀に入ったアミーラと思ったより冷えていた身体をお茶で温めるアストリッド。
 
「アストリッド様、どうかザファル様と距離を置こうなどと考えないようにしてください」

 ただ黙ってお茶を飲んでいただけなのに見透かしたように言われてドキッとした。
 彼の告白を勘違いはしていない。強制してこなかった彼の言動に詰まった思いやりと純粋な思いに自分はどう対応すべきかと決めかねていたのだが、アリアの登場で気持ちはほぼ固まった状態だった。
 夫人がいるのだから、彼女が言うように二人きりでいるのは良くないと。
 アミーラにはアストリッドの考えが手に取るようにわかった。だから指摘した。
 アストリッドの反応から当たりだとわかり、フーッと長く息を吐き出して向かいのソファーに腰掛ける。

「あのガラス玉を精霊に渡したということがどういうことか、あなたにはおわかりだと思います」

 宝物を他人に渡すというのは簡単なようで実は難しい。思い出は記憶の中にあるといえど、その品が側にあるかどうかというのはそこそこ重要だとアミーラは思っている。
 
「ルー……?」
「いいえ、返さなくていいのよ。ザファル陛下があなたにってくれた物でしょう?」
「ルー?」
「返してくれと言われたら返しましょう」
「……ルー」

 気にしているルィムの小さな小さな頭を指先で撫でるも元気は出ない。アリアが現れるまではあんなにも元気だったのに。

「出来ましたよー!」

 ワゴンに大量の朝食を乗せて走ってきたイヴァの明るい声がリビングを満たす。
 テーブルの上にずらりと並べられる出来立ての朝食。
 要領の良いイヴァはあまり挑戦したことがなかった料理もすぐに上手くなった。
 自分が覚える何倍ものスピードで。
 今の自分にできることはなんだろう。しなければならないことは──
 それがまだ、アストリッドの中でハッキリしていなかった。
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