たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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狂おしいほどに

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 ザファルはまだアストリッドを抱きしめたままだったが、彼女が少し身じろぎすると、はっと我に返った。

「すまない……」

 そっと腕を離して解放するも手は腕に添えている。

「何もされていないか?」
「お茶を飲んでいただけですので」

 バシールがアストリッドに触れようとしたのを見たときの、あの激しい嫉妬と独占欲を説明することはできなかった。
 幼稚な嫉妬でしかないことはわかっている。それがどれほどみっともないことかも。だが、耐えられない。できればここに囲ってしまいたい。美しい鳥を手に入れたあのときのように、籠の中に入れて、大事に世話をしたい。そんな想いが沸々と湧き上がっては溢れそうになる。
 
「よろしければ、お茶を飲んでいきませんか? 落ち着かれると思います」
「あ、ああ……そうさせてもらおう」

 アストリッドの言葉に、ザファルは苦い笑いを浮かべた。
 あまりの感情の揺れは落ち着いてから考えるとひどく幼稚で、まるでザイードのようだと思った。あれほど呆れていた兄に似ている部分があることはザファルにとって最悪の発見でもあった。
 キッチンへと向かうアストリッドをイヴァは目で追うだけにして、ザファルを見た。

「私は、何があってもアストリッド様の味方です」

 突然の宣言に何が言いたいのかわからず、ザファルの顔がイヴァに向く。

「どんな道であろうとアストリッド様が決められたことなら私も一緒に歩きます」
「そうだろうな」
「ですが──」

 イヴァの声が小さくなる。潜めているのではなく、どこか寂しげにすら聞こえた声はイヴァの表情と同調している。

「一生、フィルング陛下を想いながら生きるのは……応援できません」

 それでアストリッドが幸せならいいが、思い出せば辛くなってしまうことのほうが多いと知っているだけに、このままでいいとは思っていない。
 アストリッドは声を押し殺しているつもりだろうが、聞こえてくるときがある。悲しみと苦しみに涙し喘ぐアストリッドの悲痛な声を。
 当然だ。あの装置がある以上はいつでも彼の声と姿を見ることができるのだから。呪いのような愛の言葉も。それを聞き続ける限り、呪縛から解かれることはないだろう。
 
「前に、進んでほしいんです」
「……彼女は進もうとしている。私を必要としないほどに」

 そうじゃないとかぶりを振るイヴァが何を言いたいのかわかっていても、ザファルは口を開かなかった。

「心を……フィルング陛下に捧げ続けたままにしないでほしいと、思ってしまうんです。……アストリッド様にとってあの十年は間違いなく宝物のような時間だったと思います。泣いて、笑って、怒って、からかって、愛し合って……その毎日は私から見てもとても眩しく、輝かしいものでしたから」

 誰よりも近くで見てきたイヴァだからこそ、思うことがある。
 
「忘れることはできないと思います。あの人を忘れられる人なんていないと思いますから」
「そうだな。彼は強烈だった。あの笑顔は、あの心は、忘れられない」

 恋愛感情などなくても忘れられないのだ。愛し合った者なら尚更だろう。
 
「この世は愛が全てではない。それはわかっています。ですが、一度知ってしまった愛を失ったまま生きることは……」

 それ以上は言えなかった。断言すべきことではないし、できるわけもない。
 あくまでも自分の願いであって、それをザファルに言ったところで叶うわけでもないことを理解している。
 ただ、吐き出したかった。他の誰でもない、ザファルに。

「ありがとうございます、陛下」
「俺は何もできていない」

 そんなことはないとかぶりを振るイヴァの雰囲気はいつもとはかけ離れた落ち着きを見せており、静かに笑っている。
 誰よりもアストリッドの幸せを願う者。

「お待たせしました」
「あわわわわ! 私が持ちます!」
「置くだけだからいいのよ」

 先程まで使っていた器を下げ、テーブルを空けたイヴァにお礼を言いながらザファルの前にお茶を置いた。

「二人で何の話をしていたの?」
「アストリッド様の美しさについてですよ!」
「もう、何言ってるの」
「本当だ」

 ザファルの援護に何度も頷き続けるイヴァを見て苦笑しながらアストリッドもソファーに腰掛ける。

「バシールはメルバを好んでいたか?」
「ええ、とても」
「怪しいな」
「何故です?」
「バシールは極度の甘い物好きだ。なんでも甘くしなければ満足しないから料理人も困っていた」

 メルバは味よりも香りを味わうお茶であるため砂糖は入れなかった。
 甘いお茶菓子と一緒に出すことはしなかったが、それでもお茶をおかわりしていた。あれが演技だとすれば誰も見抜けないだろう。

「みっともない姿を見せて申し訳ない」
「みっともなくないです!」
「イヴァ?」

 何故イヴァが答えるのかと不思議そうに見つめるアストリッドに向けるイヴァの表情は同意を求めるように迫力のあるもので、アストリッドは思わず首を傾げた。
 
「だって、バシール様は許可なくアストリッド様に触れようとしたんですよ? ラフナディールでは当たり前のことでも、本来は人に触れるには許可がいるんです! 陛下はそれを防いでくれた王子様ですよ!」
「皇帝よ?」
「そうではなくて!」

 ボケたのだろうかとアストリッドを見るとキョトンとした顔でこちらを見ている。
 イヴァはバシールに良い印象を抱いていない。もちろん、好みのせいではあるのだが。

「とにかく! ザファル陛下が来てくださってよかったです!」

 ザファルが来なければ触ろうとすることもなかったような気がすると思いながらもアストリッドは何も言わなかった。

「バシールは……」

 ザファルは言いかけて、再び口を閉じた。バシールの女性関係のことを、アストリッドに話すべきではない。

「甘やかすと調子に乗る。連日ここで茶をせびるだろうから、あまり甘やかさないように。あなたも暇ではないのだから」

 問いかけたい言葉はあったが、ザファルの真剣な表情にアストリッドは小さく頷き返した。
 警戒すべきはバシールか、それともアリアたちか。アストリッドにはわからない。
 
「わかりました」

 その後、ザファルは茶をゆっくり味わってからアストリッドの宮を離れたが、足取りは重かった。
 自分でも制御できないほどの感情が湧き上がったことに、彼は戸惑っていた。
 アストリッドへの想いは、告白を断られた後も消えるどころか、より一層強くなっているようだった。
 何もかもが愛おしいと感じる。笑顔や声はもちろんのこと、揺れるまつ毛を見ているだけでも愛おしく感じてしまう。

(異常だ……)

 フィルングでもここまでではなかったのではないだろうかという呆れに、苦笑を浮かべることもできない。
 だが、止められない。またあの宮で過ごすことができたらどんなにいいだろうか。

(また……)

 最悪の考えが頭をよぎったことに自己嫌悪に陥り、生まれて初めて机に額を乗せた。 
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