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罪人
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「すごい……」
一瞬、ほんの一瞬目を閉じただけ。次に目を開けたとき、二人は見知った場所に立っていた。
アストリッドが暮らしていた家の中。目の前には幽霊でも見たかのような顔でこちらを見るイヴァとアミーラ。
「ただいま、イヴァ」
目玉が飛び出そうなほど驚いていたイヴァの顔がくしゃりと歪み、洪水のように溢れ出した涙を宙に散らしながら駆け寄ってきた。
彼女もアストリッドにとっては大きな子供のようなもので、その身体を受け止め、キツく抱きしめた。
「アストリッド様ぁ! おがえりなざい゙! 絶対帰ってぐるっで信じでまじだぁ!」
アストリッドは人の声が好きだと実感していた。
ルィムの声。イヴァの声。ザファルの声。フィルングの声──いつも彼らの声に励まされて生きてきたのだと。
この安堵の泣き声を悲しみに変えてはいけないと強く思う。
「引き返していたのだな」
「精霊の力も持たない私たちが突っ込んだところで馬もやられてしまいますので」
「いい判断だ」
砂嵐に追いつかれる前に全速力でその場を離れる際、イヴァが抵抗して大変だったことはアミーラの表情を見ればわかる。
イヴァは前に進むつもりで馬から降りようとしたのだろう。アストリッドの歩く道が自分の歩く道だと考えているイヴァにとって砂嵐で捜索を打ち切るわけにはいかない。
それはあの砂嵐の恐ろしさを知らないからこその勇気だが、アミーラはそれを許さなかった。
それでもこの家の中にいたということは、アミーラが説得に成功したということで、ザファルはアミーラの苦労を労うように短くだが頭を撫でた。
現れたときよりも驚いた顔をするアミーラの表情は喜びでも照れでもなく、怪訝なものだった。誰だお前はと言わんばかりに疑いを隠さない表情。
「どごに、どごにいだんでずがぁ! ざが、探じでだんですよぉ! 私が行がながっだらっでぇ!」
「イヴァ、鼻水がすごいわ。拭きましょう」
「もゔ二度ど離れない゙んでずがら~」
「わかったから鼻水を拭いて。心配かけてごめんなさい」
両鼻から大量の鼻水を垂らしてながら泣きじゃくるイヴァをあやしながらテーブルの上に置いてある布を取って鼻水を拭ってやる。
「はい、チーンして」
ブーッとラッパのような大きな音を立てながら鼻を噛んだイヴァはその布を見て「うわーん!」とまた泣き始めた。
「それ布巾でず~!」
やってしまったと苦笑し、砂漠に倒れていたためあまり綺麗ではないが袖で拭おうとするアストリッドの前にアミーラがハンカチを差し出した。
それを受け取って涙を拭いてやるも止まりそうにない。
これほど心配したことはない。フィルングが毒に倒れたときも、投獄されたときも心配ではあったが、支えられる範囲にいた。声をかけて、背中を撫でて、抱きしめることができた。
どこに行ったかも、生死さえもわからない状態で、帰ってくると祈ることしかできない時間は無数の針の上を歩くよりも辛いと思った。
イヴァはアストリッドを支えるためなら自ら牢に入る女だからこそ、アストリッドが消えてしまったことが怖く、それが自分が離れている間に起こったことであることにひどく後悔していた。
絶対に帰ってくると信じていた。死んでいるとは微塵も想像することはなかった。だからアストリッドが帰ってきたことに安堵したイヴァの身体は身体中の水分を涙に変えて放出し続ける。
「陛下」
「いや、ここで話そう」
聞きたいことが山ほどあるアミーラは、ここで聞いてもいいのかわからずザファルに外へ出ないかと視線を送るもザファルは拒んだ。
ルィムがいるとわかっている。自分よりも頼りになり、無敵とも思えるほどの力を持つ精霊が護衛騎士のように傍にいるのだから心配する必要がないとわかっていても、今は片時も視界から外したくはなかった。
「アストリッドはアーン・ハディールにいた」
「え!?」
そこは代々、アレイファーン家だけが挑むことを許された試練の洞窟。
ラフナディールから北へ、かなりの距離がある場所だ。
どうやってそこまで行ったのか。あの周辺は砂嵐が頻発するだけに誘拐されたのだとしてもあの周辺まで移動するのは命懸けとなる。
「アストリッド、何故移動したんだ?」
イヴァの背中を撫でながら振り返ったアストリッドがまだ泣きじゃくるイヴァに誘導されるがままにソファーに座って奥の窓を見た。
「あそこから男性が声をかけてきたんです。声が聞こえる。アストリッドと呼ぶ声が、と。あの人は精霊の声が聞こえると言ったわけではないのに、私は勝手にその声がルィムの声だと思い込んでしまったんです。ルィムが私を呼ぶ声だと……」
自ら騙されに行ったようなものだったと反省するアストリッドの頬にルィムがピッタリとくっつく。目を閉じて微笑むアストリッドを見上げるイヴァが自らの袖で鼻水と涙を拭った。
「ルィムはアストリッド様のお傍にいますよ。ずっと一緒です」
「あのね、イヴァ、ルィムは──」
「あの子はアストリッド様が大好きだったんです! ずっと一緒でしたから! 消えてしまったとしても魂はアストリッド様の心の中にあります!」
「う、うん。あのね、その、ルィムのことなんだけど──」
「私には見えませんでしたが、私もルィムが大好きでした! あの子の風は優しくて、柔らかくて、フィルング陛下もあの子の風は特別だって言ってましたから!」
またボロボロと溢れる涙を何度も袖で拭いながら力説するイヴァに、アストリッドはとりあえず「そうね」と優しく返し、頭を撫でた。
「ルー? ルー?」
イヴァの前に行って自分と彼女を交互に指すルィムに苦笑を向けながら静かに頷くアストリッドはもう少し落ち着いたら話すことに決めた。
「あの瞬間、この手の中から消えてしまったことを受け入れられず、ルィムはまだどこかにいるんだと信じて動いてしまいました」
「あなたとルィムは一緒に育ってきたんだ。あなたがこの世に生まれ落ちると同時にルィムもこちらの世界に生まれたようなもの。魂の片割れと言っても過言ではない。それを失うことがどれほど辛いことか、失ったことがない俺たちには想像もつかない。思い込んでも仕方のないことだ」
カトラを失ったとしても、冷静な判断ができなくなるほど取り乱すことはないだろうと想像できる。それが伝わっているのか、カトラがザファルを見る目が少し冷たい。
「どんな男だったか見ましたか?」
「あまりよく覚えていないの。彼の顔より、ルィムの姿を探していたから」
無理もない、と呟くザファルが手を伸ばしてアストリッドの背中を撫でた。こちらを見上げてくる彼女の額に今すぐ口付けたいのを堪えながらそっと手を離すザファルの変化にアミーラは気付いていた。
「でも……右手の親指がなかった気がする……」
アミーラとザファルが同時に顔を見合わせた。
「手招きしてる手に親指がなかったような……でも、あのときの私の記憶は全然当てにならないものなので──」
「それだけ思い出せれば充分だ」
心当たりがあるように立ち上がったアミーラはそのまま家を飛び出して馬に跨り、駆け出した。
「あの……」
「心配ない。犯人はすぐに見つかるだろう」
アストリッドの表情に安堵が見えないのはザファルの雰囲気があまりに落ち着きすぎているから。冷たいと感じるほどに。
「必要としているのは犯人よりもその後ろにいる依頼者だ」
「依頼者……?」
「大方の予想はついているが、確証が欲しい」
アストリッドも口にはしないが予想はついている。依頼者という言葉にゾッとしながらもどこか腑に落ちる感覚があった。
恨まれている。それは間違いない。最大の疑問は、誰が依頼したか。アストリッドは知りたいだけ。ザファルはそれを絶対に必要としている。
判明までそう時間はかからないだろう。
袖の下で拳を握り締めながらもザファルの心は冷えていた。
一瞬、ほんの一瞬目を閉じただけ。次に目を開けたとき、二人は見知った場所に立っていた。
アストリッドが暮らしていた家の中。目の前には幽霊でも見たかのような顔でこちらを見るイヴァとアミーラ。
「ただいま、イヴァ」
目玉が飛び出そうなほど驚いていたイヴァの顔がくしゃりと歪み、洪水のように溢れ出した涙を宙に散らしながら駆け寄ってきた。
彼女もアストリッドにとっては大きな子供のようなもので、その身体を受け止め、キツく抱きしめた。
「アストリッド様ぁ! おがえりなざい゙! 絶対帰ってぐるっで信じでまじだぁ!」
アストリッドは人の声が好きだと実感していた。
ルィムの声。イヴァの声。ザファルの声。フィルングの声──いつも彼らの声に励まされて生きてきたのだと。
この安堵の泣き声を悲しみに変えてはいけないと強く思う。
「引き返していたのだな」
「精霊の力も持たない私たちが突っ込んだところで馬もやられてしまいますので」
「いい判断だ」
砂嵐に追いつかれる前に全速力でその場を離れる際、イヴァが抵抗して大変だったことはアミーラの表情を見ればわかる。
イヴァは前に進むつもりで馬から降りようとしたのだろう。アストリッドの歩く道が自分の歩く道だと考えているイヴァにとって砂嵐で捜索を打ち切るわけにはいかない。
それはあの砂嵐の恐ろしさを知らないからこその勇気だが、アミーラはそれを許さなかった。
それでもこの家の中にいたということは、アミーラが説得に成功したということで、ザファルはアミーラの苦労を労うように短くだが頭を撫でた。
現れたときよりも驚いた顔をするアミーラの表情は喜びでも照れでもなく、怪訝なものだった。誰だお前はと言わんばかりに疑いを隠さない表情。
「どごに、どごにいだんでずがぁ! ざが、探じでだんですよぉ! 私が行がながっだらっでぇ!」
「イヴァ、鼻水がすごいわ。拭きましょう」
「もゔ二度ど離れない゙んでずがら~」
「わかったから鼻水を拭いて。心配かけてごめんなさい」
両鼻から大量の鼻水を垂らしてながら泣きじゃくるイヴァをあやしながらテーブルの上に置いてある布を取って鼻水を拭ってやる。
「はい、チーンして」
ブーッとラッパのような大きな音を立てながら鼻を噛んだイヴァはその布を見て「うわーん!」とまた泣き始めた。
「それ布巾でず~!」
やってしまったと苦笑し、砂漠に倒れていたためあまり綺麗ではないが袖で拭おうとするアストリッドの前にアミーラがハンカチを差し出した。
それを受け取って涙を拭いてやるも止まりそうにない。
これほど心配したことはない。フィルングが毒に倒れたときも、投獄されたときも心配ではあったが、支えられる範囲にいた。声をかけて、背中を撫でて、抱きしめることができた。
どこに行ったかも、生死さえもわからない状態で、帰ってくると祈ることしかできない時間は無数の針の上を歩くよりも辛いと思った。
イヴァはアストリッドを支えるためなら自ら牢に入る女だからこそ、アストリッドが消えてしまったことが怖く、それが自分が離れている間に起こったことであることにひどく後悔していた。
絶対に帰ってくると信じていた。死んでいるとは微塵も想像することはなかった。だからアストリッドが帰ってきたことに安堵したイヴァの身体は身体中の水分を涙に変えて放出し続ける。
「陛下」
「いや、ここで話そう」
聞きたいことが山ほどあるアミーラは、ここで聞いてもいいのかわからずザファルに外へ出ないかと視線を送るもザファルは拒んだ。
ルィムがいるとわかっている。自分よりも頼りになり、無敵とも思えるほどの力を持つ精霊が護衛騎士のように傍にいるのだから心配する必要がないとわかっていても、今は片時も視界から外したくはなかった。
「アストリッドはアーン・ハディールにいた」
「え!?」
そこは代々、アレイファーン家だけが挑むことを許された試練の洞窟。
ラフナディールから北へ、かなりの距離がある場所だ。
どうやってそこまで行ったのか。あの周辺は砂嵐が頻発するだけに誘拐されたのだとしてもあの周辺まで移動するのは命懸けとなる。
「アストリッド、何故移動したんだ?」
イヴァの背中を撫でながら振り返ったアストリッドがまだ泣きじゃくるイヴァに誘導されるがままにソファーに座って奥の窓を見た。
「あそこから男性が声をかけてきたんです。声が聞こえる。アストリッドと呼ぶ声が、と。あの人は精霊の声が聞こえると言ったわけではないのに、私は勝手にその声がルィムの声だと思い込んでしまったんです。ルィムが私を呼ぶ声だと……」
自ら騙されに行ったようなものだったと反省するアストリッドの頬にルィムがピッタリとくっつく。目を閉じて微笑むアストリッドを見上げるイヴァが自らの袖で鼻水と涙を拭った。
「ルィムはアストリッド様のお傍にいますよ。ずっと一緒です」
「あのね、イヴァ、ルィムは──」
「あの子はアストリッド様が大好きだったんです! ずっと一緒でしたから! 消えてしまったとしても魂はアストリッド様の心の中にあります!」
「う、うん。あのね、その、ルィムのことなんだけど──」
「私には見えませんでしたが、私もルィムが大好きでした! あの子の風は優しくて、柔らかくて、フィルング陛下もあの子の風は特別だって言ってましたから!」
またボロボロと溢れる涙を何度も袖で拭いながら力説するイヴァに、アストリッドはとりあえず「そうね」と優しく返し、頭を撫でた。
「ルー? ルー?」
イヴァの前に行って自分と彼女を交互に指すルィムに苦笑を向けながら静かに頷くアストリッドはもう少し落ち着いたら話すことに決めた。
「あの瞬間、この手の中から消えてしまったことを受け入れられず、ルィムはまだどこかにいるんだと信じて動いてしまいました」
「あなたとルィムは一緒に育ってきたんだ。あなたがこの世に生まれ落ちると同時にルィムもこちらの世界に生まれたようなもの。魂の片割れと言っても過言ではない。それを失うことがどれほど辛いことか、失ったことがない俺たちには想像もつかない。思い込んでも仕方のないことだ」
カトラを失ったとしても、冷静な判断ができなくなるほど取り乱すことはないだろうと想像できる。それが伝わっているのか、カトラがザファルを見る目が少し冷たい。
「どんな男だったか見ましたか?」
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無理もない、と呟くザファルが手を伸ばしてアストリッドの背中を撫でた。こちらを見上げてくる彼女の額に今すぐ口付けたいのを堪えながらそっと手を離すザファルの変化にアミーラは気付いていた。
「でも……右手の親指がなかった気がする……」
アミーラとザファルが同時に顔を見合わせた。
「手招きしてる手に親指がなかったような……でも、あのときの私の記憶は全然当てにならないものなので──」
「それだけ思い出せれば充分だ」
心当たりがあるように立ち上がったアミーラはそのまま家を飛び出して馬に跨り、駆け出した。
「あの……」
「心配ない。犯人はすぐに見つかるだろう」
アストリッドの表情に安堵が見えないのはザファルの雰囲気があまりに落ち着きすぎているから。冷たいと感じるほどに。
「必要としているのは犯人よりもその後ろにいる依頼者だ」
「依頼者……?」
「大方の予想はついているが、確証が欲しい」
アストリッドも口にはしないが予想はついている。依頼者という言葉にゾッとしながらもどこか腑に落ちる感覚があった。
恨まれている。それは間違いない。最大の疑問は、誰が依頼したか。アストリッドは知りたいだけ。ザファルはそれを絶対に必要としている。
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袖の下で拳を握り締めながらもザファルの心は冷えていた。
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