たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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七日前

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  王都ノルセリアの石畳は一夜の雨を吸い、霧を纏ってひんやりと脈打っている。  
 アストリッドは黒い外套の下で震える指を組み、部屋を出た。  
 鐘が二度──忌まわしい裁定の刻を告げる合図として鳴った。  
 昨日までは弔いを示す“鎮魂の鐘”だったが、今日からは“裁きの鐘”として鳴らされることになるのだろうと、アストリッドはぼんやりと考えていた。

「大丈夫です、アストリッド様。私が傍にいますからね」

 侍女イヴァの囁きは震えていたが、その言葉だけでどんな盾を持つよりも心強く感じていた。
 だが、アストリッドは何も答えられなかった。唇を動かそうとするたびに、胸の奥の記憶の中で刺さったままのホワイトヴェニスラの棘が疼く。
 城内は喪の黒布が下ろされ、くすんだ赤の絨毯が敷かれている。  
 “断罪”の色だ。フィルングの死を悼む飾りは夜のうちに剥がされ、アストリッドのための色が敷かれた。

 案内役の近衛が、冷めた声で告げる。

「アストリッド陛下、入室」

 足を踏み入れたのは〈緑玉の間〉と呼ばれる会議室だった。  
 水晶の天蓋から朝日が差し込み、緑の硝子に屈折して翡翠色の光が床を染めている。  
 会議卓の先頭には神官長タウロス。神聖なる白銀の法衣に身を包んだ男の冷笑をイヴァが睨みつける。
 向かって左にはレアナ王妹。喪服の黒を端正に纏いながらもタウロスと似たような笑みを浮かべている。その隣で夫ヴァリム=カストールが黄金の徽章きしょうを撫で、椅子の背に身体を預け、無神経にも脚を組んでいた。

「王妃陛下、ご着席を」

 部屋の中央に配置された一脚の椅子に腰掛ける。これではまるで裁判所だとイヴァが拳を握りながらも背後に立った。
 タウロスより先に口を開いたレアナが扇を打ち鳴らした。

 「まずは王家継承の件。世継ぎ無きまま兄が逝去した現状を受け、評議会は王妃殿下のご懐妊状況を確認したく存じますわ」
「その件は既にアストリッド様のサインが入った報告書が上がっているはずです」

 レアナの扇子がパシンッと不愉快そうに金属音を立てる。
 その隣でタウロスが書簡を掲げた。

 「その前に、国王陛下の検案書を提出いたします」  

 封蝋には王印が捺されている。いや、見慣れた紋章より僅かに歪んでいた。  
 侍医長ミルザが前に進み、震える手で開封し、朗読を始める。

 「……い、遺体検分の結果、血液ならびに肺組織よりホワイトヴェニスラと思しき花粉を検出。これは強力な神経毒を含有し──」

 耳が熱を失い、音だけが遠ざかる。
 ホワイトヴェニスラ──フィルングの温室で聞かされた最凶の毒花。まだ解毒薬の発見に至っていないと言っていた。  
 “呪いの花”とも呼ばれ、花粉を吸い込むだけで血液及び細胞組織を破壊すると。

「王妃陛下、この花に聞き覚えはございますか?」
「まだ解毒薬の発見に至っていない毒花だとフィルングより聞かされています」
「おや、風の谷出身のあなたなら聞かされる前にご存知のはず。そうでしょう?」

 何が言いたいのかと睨むイヴァを一瞥したタウロスが声を張る。

「ホワイトヴェニスラの花粉は風の谷の呪術師が扱うという噂があります!」
「それは噂に過ぎません。風の谷には毒花は咲きませんし、一人のもとに花粉を運ぶように操るなど風使いでも至難の業」
「アストリッド=フェイリス・ヴァレンティアになら可能でしょう。風の精霊に祝福を受けたあなたなら」

 どこまでも調べ上げている。王族でもない人間が王家に嫁ぐのだから当然だが、それにしても気分が悪い。
 タウロスの声は勝利者の鈴のように続く。

「この花粉が検出された以上、王妃殿下の関与は疑い得ません。されど我らは慈悲深き神の代行者。真実を明らかにするため殿下を拘束し、調査が完了するまで身柄を地下第七層に移送することを決議いたします」

 議場がざわめき、いくつかの椅子が引きずられる音がした。  
 タウロスの勝手な決定に老貴族シリオン卿が立ち上がる。

「待たれよ! 花粉検出と王妃の呪術を結び付ける根拠は――」  

 その声はレアナの扇一振りで掻き消えた。  

「叔父上、民は真実をお望みなのですわ。私情はお控えになって」  

 瞳が爛々と燃え、王妃の冤罪を解き明かすよりも新たな王冠を欲する炎を隠そうとしない。

 アストリッドは膝の上に置いていた手を握った。
 言い返したい言葉はあれど、嫁いだはずのレアナとその夫がタウロスの隣にいるということは既に計画は進んでいるのだろうことが予想される以上は、ここで声を荒げて反論したところで冤罪が無罪と証明される可能性は低い。
 それに、アストリッドには冤罪だと反論し、タウロスと戦う気力がほとんど残っていなかった。

「王妃殿下。自らの潔白をお示しになるためにも、拘束をお受けください」

 鎖は氷のように冷たかった。
 イヴァが震える手で鎖を止めようとするが、近衛兵が二人、無言で押さえ込む。  
 鎖が重しのように垂れ下がり、錠の閉まる音が甲高く室内に跳ねた。  
 その瞬間、窓外で鐘が再び二度鳴る。  
 早朝の霧が揺れ、音の波が王都を走るのが見えた気がした。

「王妃を地下牢へ。民衆には本日正午、公開告示を行う」

 異国の人間であるはずのヴァリムの低い声が評議会に落ち、老貴族たちが立ち上がるもタウロスの睨みに誰も声を上げられなかった。  
 王妹レアナは扇を閉じ、満足げに目を細める。
 足下が床に吸い寄せられているように重い足に力を入れて促されるままに立ち上がったアストリッドにイヴァが手を伸ばそうともがく。

「アストリッド様! 罪を認めるような姿勢を見せてはいけません! 全てあの神官の思いどおりになってしまいます!! あなたはエルヴァングに必要なお方です! 陛下が愛したこの国にはあなたの愛が必要なのです!!」

 鎖の冷たさより、その言葉の温かさのほうが痛かった。  

「イヴァ、国を出て、自分の道を見つけて」
「ダメです! 私の生涯はアストリッド様にお仕えして終わると決めているんです!! やめて! 離してッ! アストリッド様ぁッ!!」

 イヴァの手は届くことなく、アストリッドは近衛に連れられ、部屋を出た。
 地下牢へと続く階段を歩くたび、鎖が鳴る。耳朶を打つ金属音が、遠い温室で揺れた花の音を思い出させる。
 フィルングの指が震えていた夜。  
 “臆病という名の呪いを絶つ”と笑った彼の震えを、握り返した自分の指先だけが知っている。

 地下へと続く長い階段の下で、兵が鉄扉を開いた。  
 ベッド、テーブル、イスがあるだけ他の罪人より良い扱いだと他人事のように目の前の光景を見ている。

「お進みください」
 
 アストリッドは鎖を見下ろし、息を吸った。  

「イヴァに罰は与えないようお願いします」
「それは私の一存ではどうにも──」
「もしイヴァの身に何かあったと風の精から知らせがあれば……この国を──終わらせます」

 自分にはそれだけの力があるとでも言っているように聞こえるその迫力に近衛はごくりと喉を鳴らし、「神官にお伝えします」と小さく返事をした。
 もしこの投獄が冤罪ではないとすれば、王妃のそれは脅しではないのかもしれない。そう思わせた。

「よろしくお願いしますね」

 背を向け、奥へと歩いていったアストリッドの背中を近衛たちは不安げに見つめていた。

 ──処刑まで、あと七日。
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