たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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当日

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 重厚なドアに取り付けられた錠前の開錠音が今日はやけに大きく聞こえた。
 先に警戒したのはイヴァで、ベッドの上で横たわるアストリッドを隠すように両手を広げる。

「何用ですか……」

 タウロスの部下だろう特徴的なその白と金のローブを纏った男たちが傲慢な顔つきを隠そうともせず前に立った。

「アストリッド=フェイリス・ヴァレンティア、立て」

 その呼び方にカッとなったイヴァが声を張った。

「この方はアストリッド=ルーセラン・エルヴァング王妃陛下です! 敬称をつけなさい!!」

 吠えに近いイヴァの声が響く中、声アストリッドがゆっくりと起き上がる。
 この一週間、アストリッドはほとんど食べていない。イヴァに口に運ばれて食べることもあったが、すぐに吐いてしまっていた。口にする物と言えば、水ぐらい。
 艶のあった髪も、ハリのあった肌も、今はガサついて見える。
 フィルングはアストリッドを妻に迎えてから毎日欠かさず『美しい』と言い続けた。周りが呆れていようとも彼は褒め続けた。
 その美しさが今、翳りを見せている。

「我らが父であるフィルング王を殺した悪しき魔女につける敬称などあるはずもない」
「お前たちが企てたことでしょう! 神をも裏切る重罪! お前たちにこそ神罰が下りますよ!」
「悪魔の手下が神を口にするな!」
「アストリッド様には指一本触れさせません!」
「力なき弱者が──」

 近くにあったグラスを掴み、テーブルに叩きつけたイヴァは凶器と化したそれを男たちに向ける。睨みは鋭く、これが脅しではないことが窺えるが、男たちは怯みはしない。

「イヴァ、やめて」

 静かな声にイヴァが振り向くと男が動いた。しかし、それ以上前には進めない。
 足元で渦巻く小さな風がローブの裾を裂いたからだ。

「この子に手出しをすることがこの国の結末を決めるという話はまだ有効です。下がりなさい」

 弱っているように見えるが、その瞳には強い意思が見える。地下牢で竜巻など起こるはずがない。それも、これほど小さく、これほどまでに鋭利なものが。
 忌々しいとでも言いたげに表情を歪めながら数歩後退する。

「アストリッド様、受け入れてはいけません!」

 この短期間で何百回この言葉を口にしただろう。きっと自分の母親を呼ぶよりも多く口にした言葉だ。

「イヴァ、あなたは別の人生を歩みなさい。いいですね?」
「嫌です! あなただけを行かせるわけにはいきません!」
「お願い、イヴァ。どうか、わかって」

 アストリッドの最後の願いだとしても、受け入れたくなかった。
 この人に仕えると決めた。フィルングが王妃侍女として指名してくれた瞬間から、自分の全てをこの人に捧げようと決めた。今この瞬間もその想いに揺らぎはない。

「私も共に行きます」
「お前は駄目だ」
「何故ですか!?」
「罪亡き者を火刑に処せば神はお怒りになるだろう」
「悪魔の手下だと言ったのはあなたたちですよ!」
「手下だろうが、フィルング王殺害はこの女が単独で行ったことだ」
「その証拠がどこにあるのですか!」
「その女が自白したんだ」
「いい加減なことを──!」

 ベッドから飛び出して襲いかかりそうなイヴァの腕を掴んだアストリッドの力は弱い。頼りないというよりは終わりが近いように思える程度しかない。
 しかし、イヴァを止めるには充分だった。

「アストリッド様……」

 アストリッドは投獄を受ける前から──まだフィルングが生きている頃から胡散臭い男だとは思っていた。
 だから霊園で声をかけられたとき、既に心を決めていた。いや、ずっと前からあったのかもしれない。フィルングが病に臥せたときから、彼がいなくなったあとの世界を想像していた。
 この結果も、数多くあった最悪の結末の一つで、慌てることはない。

「大人しくついて来い」

 ベッドから降りた瞬間、よろめいたアストリッドをイヴァが慌てて支える。

「アストリッド様、こんなお身体では無理です」
「逆よ。こんな身体だからいいの……」

 食欲が失せた今、あと一週間もしないうちに死んでしまうだろう。だからもういいと思える。一週間で筋肉と脂肪が落ち、体力が失われた。
 寝たきりだったせいもあって、真っ直ぐは歩けない。

「さっさと歩け!」
「触るな!!」

 地上まで響きそうなイヴァの威嚇に男たちは若干の怯みを見せた。獣の如き鋭さと怒りに先を歩く。
 そのあとをアストリッドが歩いていく。イヴァはそれを支えることしかできない。それがただただ悔しかった。

「お前はここまでだ」

 地下から地上へと出ると同時にイヴァは強制的に引き離された。

「広場までお供させてください!!」
「駄目だ。良からぬことを考えているかもしれんからな」
「力なき者に何ができると言うのですか!」
「お前以外にも仲間がいるかもしれんからな」
「ありえない! 仲間なんていません!!」
「そんな話を誰が信じるのか」

 そう言ってアストリッドは両手と腰に縄紐をかけられ、まるで奴隷のように連れて行かれる。
 背中にぶつかるイヴァの悲鳴を受けながらもアストリッドは何も言わずに離れた。何か言おうとすれば泣いてしまいそうだったから。

 灰色にくすんだ空の下、城門が軋んで開いた。
 アストリッドは、近衛の槍先に背を押されるまま広場へ一歩踏み出した。
 詰めかけた民が一斉に息を呑む。次の瞬間、そのざわめきは罵声に変わった。

「人殺し!」

 最初に飛んだのは泥の塊だった。乾いた音で砕け、王妃の頬を茶色に汚す。続けざまに拳大の石が飛び、肩を打ち、ボロ布のような服を裂く。
 石が当たるたび紐が揺れ、痩せた体はよろめくが、アストリッドは倒れなかった。
 白金だった髪は汚れ、憎たらしいほどに降り注ぐ太陽の光が肌を焼く。

「王を返せ!」
「呪いを断て!」
「地獄の業火で焼かれろ!」

 罵声が波のように押し寄せ、音の壁となってアストリッドの耳を打つ。
 十年前には祝福の声を送ってくれた顔が、今や赤き憎悪に染め上がっていた。
 処刑台は広場の中央、高く組まれた木造の足場だ。
 四方を囲む松明の火が昼間でも朱い刃のように揺れ、薪束の乾いた匂いと脂の焦げ臭さが混ざって鼻を刺す。
 王妃を燃やすためだけに存在する舞台へと続く一本道を、自らの足でゆっくりと進んでいく。
 石畳には今朝打ち込まれた鉄杭が並び、群衆を押し留める木柵には無数の手が伸びる。
 誰かが掴んだ石を王妃の足もとへ叩きつけると、地面に当たって砕け、それが刃となって足に傷を作った。 
 背後で城の鐘が二度、乾いた鉄槌のように鳴る。
 処刑の刻を知らせるような重々しい音色を裂くように民の怒りを含んだ石が飛び始めた。

「悪魔め!」
「嘘つき!」
「フィルング陛下を返してちょうだい!!」

 飛び交う石はアストリッドの身体を傷つけ、血を流させる。しかし、アストリッドは声一つ上げなかった。
 処刑台の階段の前で、近衛が紐を引いた。
 王妃は踏み台に足を乗せる。板はギシッと乾いた悲鳴を上げ、視界は石を投げ続ける群衆の影を揺らす。
 彼らの怒号は遠雷に似て、耳の奥でこもる。

「燃やせ!」
「魔女は火炙りだ!」
「苦しんで死ねばいいのよ!!」

 鋭い石が最後に腹を打った。ふっと息が漏れる。けれど、震える膝を伸ばし、王妃は一段ずつ登った。
 縄紐が台の支柱に絡められ、杭へと結ばれる。
 荒い息遣いの中、アストリッドは空を仰いだ。天までが祝福しているような清々しい青空を目に焼き付ける。

(あの人の瞳の色だわ……)

 ──眩しすぎて、世界が白く溶けていく。

 太陽が眩しい──……
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