たとえば、この恋に終わりがないと言われても──

永江寧々

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七星

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「うんうん! やっぱりアストリッド様はこうじゃなくちゃ!」

 鏡越しに何度も頷くイヴァの目にはザファルが用意した美しいドレスで着飾ったアストリッドが映っている。

「肌も髪もボロボロで恥ずかしいわ」
「これから良くなっていきますよ。お肌も髪もピッカピカだったあの頃にあっという間に戻れますから。私が戻します」

 トンッと自分の胸を叩いて微笑むイヴァに小さく笑いながら鏡に映る自分の姿を見る。

「もう王妃じゃないんだから着飾る必要なんてないのに」
「私は王妃とは呼んでませんよ? アストリッド様ですから」
「私たちの間にはもう、上下関係なんて存在しないはずでしょ?」
「でも、私はアストリッド様を慕ってるんです。憧れですし、尊敬もしてます。大好きなんです。だからこのままがいいんです」

 手慣れたように迷いなく動いたイヴァによる身支度は速く、ザファルから夕食の誘いを受けてからそれほど待たせずに済みそうだった。

「帝国の食事ってどんな感じなんでしょうね? 暑い国だし、やっぱり冷たい物が多いとか?」
「どうかしら。ラフナディールとは交流がなかったからよく知らないのよ」
「陛下が受け取っていたのはお手紙だけでしたしね」
「美味しくても大急ぎで食べないようにね?」
「任せてください! お上品にお腹いっぱい食べてみせますから!」

 がっつくところは見たことはないが、イヴァは食べるのが大好きで、侍女になりたての頃はアストリッドのおやつを見ては涎を飲み込み、腹の虫を鳴らしていた。
 イヴァは礼儀を弁えている。一緒にどうかと誘っても自分は侍女だからと断っていたのだが、何度か誘うと恐る恐る受け取り、いつの間にか一緒にお茶をするようになった。
 上品と呼べるほどの作法は身につけてはいないが、イヴァが見せる自然体の食べ方がアストリッドは好きだった。

「お待たせしました」

 アストリッドがドアの前に立つ前に使用人がドアを開け、広間へと入る。
 広間の真ん中には長テーブルがあり、既にザファルと部下四人が席に着いていた。

「疲れてはいないだろうか? まだ本調子ではないだろうに、無神経に誘ってしまって申し訳ない」
「いえ、嬉しいです。お誘いいただきありがとうございます」

 誘われれば断ることができない立場だとアストリッドが思っているのではないかとザファルは勘繰る。
 風の谷で治療は受けたと聞いた。風の谷には癒し手がおり、治療は他国よりレベルが高いと聞いた。
 しかし、アストリッドの身体は食事をしないことで弱っていた。人間が得るべき基礎を失った身体は癒し手ではどうにもできないだろうことはわかっているだけに部屋でゆっくり食事をさせるべきだったと数分前に後悔が込み上げていた。

「向かいに座ってくれ」

 指示された席へと向かうとイヴァが椅子を引き、ゆっくりと腰掛けた。

「王妃、私の部下の自己紹介をさせてくれるか? ラフナディールが誇る剣と盾たちだ」

 立ち上がった四人全員が椅子から外れて整列し、アストリッドに頭を下げる。
 最前列、深紅ターバンの男。金細工の額飾りがチリッと鳴り、宵色の瞳がまっすぐアストリッドを射抜いた。

「筆頭・サラディーン。陛下の軍略を預かる参謀長にして、七星しちせいの指揮を任されております」

 サラディーンのキリッとした声がよく通る。
 続いて漆黒の馬紋マントをまとった長身が歩み出る。露わな二の腕、走る無数の古傷。戦場に出て長いことが伺える。

「騎兵頭のハイルと申します」

 物静かなのだろうハイルの声は小さいがはっきりとはしている。口ごもっているわけではなく、静寂に近い。二十歳前後に見える若き青年にアストリッドは頷いた。
 それを見た三番手の青年の紫の薄い瞳が猫のように細まる。

「密偵のイフラーシュ。ザファル様の影でございます。暗殺などのご命令は、このイフラーシュにお任せください」

 優男の風貌をしたイフラーシュの最後の一節にイヴァが思わず嫌そうな表情を見せた。
 暗殺という言葉をアストリッドに聞かせたくなかった。フィルングは暗殺されたわけではなかったが、エルヴァングは長い歴史の中で王族の暗殺が多かっただけに男は毒への耐性を身につけることとなった。
 毒によって夫を亡くしたアストリッドに向ける言葉としては無神経だと思ったのだ。
 そんなイヴァの表情を見た女がイフラーシュを下がらせ、アストリッドに頭を下げた。

「セラフィスのアミーラと申します」
「セラフィス?」

 聞いたことがない役職にイヴァが首を傾げる。

「癒し手を専門とする人のことよ」
「ヒーラーではないんですか?」
「セラフィスは治癒能力が高い人だけが就けるの。それこそ細胞まで活性化させられるほどの力を持つ人だけ。その人たちは、神に遣わされた癒し手とも呼ばれるほどよ」
「よくご存じですね」
「風の谷にも一人だけセラフィスがいるの」

 アストリッドはまだ痩せてはいるが、顔色は悪くない。風の谷にいたセラフィスのおかげなのだろう。

「あれ? でも、七星なんですよね? 四人しかいませんけど……」

 四人だけ来たのだろうかと純粋な疑問を口にするイヴァにザファルが答えた。

「三名は殉職した」
「あ……ご、ごめんなさい!」

 慌てて立ち上がり、深く頭を下げるイヴァを睨む者は誰もいない。

「ラフナディールは東方最大の帝国で、世界でもトップクラスの富裕国が故に敵も多い。自国のために戦い、命を落とした英雄たちがいた。彼らの席は私が亡くなるまでそのままにしておくつもりだ」

 仲間を失ってきた彼らにとって新しい者で席を埋めるという考えはないのだろう。誇りですらあったのかもしれないと思わせるのは、このテーブルに空白の三席があるから。
 七星を名乗る場だからこそ、アストリッドにとって名も知らぬ存在だとしても、示しておきたいとザファルは考えた。

「わ、私も自己紹介しておいたほうがいいですかね?」
「そうね。これからお世話になるわけだし、しておきましょうか」

 コソコソと耳打ちしてきたイヴァに頷くとゴホンと咳払いが聞こえた。

「イヴァ・タリアと申します!」

 広間に響き渡るほどの大きな自己紹介に皆が驚きに目を丸くする。

「十二歳で使用人として働き始め、ニョキニョキと頭角を現した私は、二年後の十四歳のときにアストリッド様の侍女に指名されました。それから五年、現在の私は鼻も恥じらう十九歳の乙女です! 生涯、アストリッド様のお世話をすることを使命とし、生きていくつもりです!」
「イヴァ、元気があなたの取り柄なのはわかってるけれど、その声に彼らも驚いているわ」
「あ、すみません! 挨拶は元気良くとメイド長に言われていたものですから」

 メイド長は挨拶に厳しい人だった。メイドは仕事よりもまず声を出す練習から始まり、声が出せない者は仕事をさせてもらえなかった。
 だからイヴァはメイド長の教育を受けずに済むよう、声を張るようになった。その癖はどの場面においてもなかなか抜けない。

「掃除、洗濯、裁縫、お菓子作り、パン焼き、茶葉の選別、なんでも得意です」

 少し声を控えめにして自分が得意なことを告げ、ニコッと笑ったのを最後に椅子に座った。
 それと交代するようにアストリッドが立ち上がった。

「言うのが遅れてごめんなさい。どうぞ座ってください」

 四人が座り直すとアストリッドが頭を下げる。

「アストリッド──ルーセランと申します」

 迷った。どう名乗るかを。
 夫を失い、国を出た自分が名乗れる姓は何か。
 エルヴァングの人間でも風の谷の人間でもなくなった自分の証明がどこにも存在しないような気がした。まるでどこか、灰色の霧の中を彷徨っているような──

「助けていただき、ありがとうございました」

 言えるのはそれだけ。これからのことはどうなるかわからない。ラフナディールという名前しか知らない場所に向かい、着いた先でどう生きていくのかもわからない。想像することすらできないのだ。

「王妃、座ってくれ。これからの時間のほうが長いのだ。ゆっくり知り合っていけばいい」

 ザファルの言葉に頷き、腰掛けたアストリッドの前に食事が並び始めた。
 イヴァは目を輝かせ、久しぶりのラフナディールの食事に七星たちもごくりと喉を鳴らす。
 それぞれが好き勝手に話す中、ザファルだけはアストリッドを見つめていた。 
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