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一章
くらやみの中
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月夜は悲しみに浸る時間を与えてもらえず、すぐさま暗い地下へ連れていかれた。
床はひやりとした石畳で、薄い敷物がただ一枚敷いてあるだけ。湿気を含んだ空気が圧しかり、鉄格子の冷たさが肌を刺す。
鍵までついたその部屋は地下牢だった。
「前から用意しておいたのだ。今までは母がいたから止められていたが、今日からここがお前の部屋だ」
すでに月夜の布団と書物などは移動してあった。
月夜は父によって鉄格子の向こう側へ放り込まれ鍵をかけられる。
がちゃんと鈍い音がやけに天井まで響き渡った。
「勝手にここを出ることは許さん。監視は常につけてあるからな」
「せめて、おばあちゃんのお見送りをさせてください」
月夜は冷たい鉄格子を両手で掴み、父に懇願したが、冷たい目を向けられただけだった。
「お前のような人でない者を媛地家の葬儀に出席させるわけにはいかん」
「そんな……」
一番大事な人の見送りができない。
今までもほとんど会わせてもらえなかったのに、これが最後だというのに。
「あなたは今まで生かしてもらっていたのよ。これからは、わたくしたちの命令に背くと死ぬことになりますからね」
母の冷たい眼差しに月夜はぞっとした。
産まなければよかったという母の言葉が頭の中で反響する。
「食事は一日に二回だ。厠は備え付けてある。決して地上に出ることは許さない。わかったな?」
父の命令に月夜は黙って従うしかなかった。
それが生きていくための条件だから。
月夜を蔑むように一瞥し、無言で立ち去っていく父。そのあとを、母も追いかけるようにして月夜に背中を向けた。
「そういえば月夜は義母が名付けたのよね。もうその名を呼びたくもないわ」
「母も月夜を一緒に連れていってくれればよかったのにな」
「はあ……あなた、媛地家の呪いって何なのですか? 月夜を生かしておかなきゃいけないなんて」
「仕方がないだろう。月夜を殺すとご先祖さまの怒りに触れて媛地家が滅亡するという言い伝えがあるんだ。まったく私の代でややこしいことになったものだ」
去っていくふたりの会話を耳にして、月夜は静かに涙を流した。
暗い地下に閉じ込められて数日。
父の言ったとおり食事は朝と夜の二回だけ運ばれてきた。朝は具のない味噌汁と漬物、夜は干した魚と根菜汁だった。
月夜はまったく食欲がわかず、食事のほとんどを残し、ただ布団をかぶって横になって毎日をぼんやり過ごした。
生きる気力を完全に失い、ただ衰弱していく日々。
そんな月夜のもとへ、兄の光汰がやって来た。
「月夜、めしが満足できないんだろ? ほら、あんパンだぞ。めずらしいだろ? 甘くて美味いから食ってみろ」
月夜がまったく見向きしないので光汰がそばに寄り、パンを差しだす。
「食ってみろよ。俺が先に食ってやろうか」
光汰があんパンをかじっているのを月夜が横目でちらりと見る。
見たこともないものだった。それに、ふわっと美味そうな匂いがする。
食べ物に関心を向けたせいなのか、月夜の腹の虫が鳴った。食欲がなくても腹が減るとはおかしなものだと思う。
光汰のパンに目をやると、彼はもう一つを取りだした。
「ほしいだろう?」
月夜はうなずいて光汰に手を伸ばしたが、彼はさっと避けた。
「ただではやらないぞ。これは俺が金を出して買ったんだ。お前も何か俺に差し出せよ」
「……何を?」
光汰はにやりと笑って言う。
「そうだな。着物を脱いでみろよ」
月夜は肌が粟立つような悪寒が走った。固まったままじっと光汰を見ていると、彼はわざとらしくため息をついた。
「そんな簡単なこともできないのかよ」
「……や」
「は? 聞こえねぇよ」
「嫌よ。お兄さまは変よ。怖いよ。もう出ていって!」
「はっ……そうかよ。月夜のくせに生意気な」
光汰は月夜の着物の衿もとを掴んで自分に引き寄せる。
月夜は怯えながら目の前の兄を凝視した。
まるで兄が見たこともないほどおぞましい獣に見える。
「月夜、兄の言うことが聞けないなら、お前は生きていけないぞ」
月夜は恐怖のあまり震え上がるとともに焦りを感じた。
この家で兄以外に月夜に優しく話しかけてくれる者はいない。たとえ、それが偽りの優しさであっても。
月夜はぐっと堪えて黙った。
すると光汰は月夜の顔に触れようとして――
「何やってるの? お兄さま」
鉄格子の向こうから暁未の声がして、光汰は慌てて月夜から離れた。
暁未は気味が悪いものでも見るように、月夜に冷たい視線を向ける。
「月夜の様子を見にきただけさ。こいつ、ぜんぜん食ってないから、兄貴として心配でな」
「ふうん、そう。放っておけばいいのに。どうせ死んだって誰も悲しまないわよ」
月夜は暁未の顔を見て、背筋にひやりと汗をかく。
震える月夜を無視して暁未は光汰に告げる。
「お父さまとお母さまからお話があるそうよ。お兄さまも早くいらして」
「わかったよ。月夜、またな」
光汰のその言葉に月夜はさらに震え上がった。
月夜はひとり残されたあと、布団にくるまって泣きながら祖母に訴えた。
「おばあちゃん……怖い……助けて」
静まり返った地下室に、月夜のすすり泣く声だけが、虚しく響き渡っていた。
床はひやりとした石畳で、薄い敷物がただ一枚敷いてあるだけ。湿気を含んだ空気が圧しかり、鉄格子の冷たさが肌を刺す。
鍵までついたその部屋は地下牢だった。
「前から用意しておいたのだ。今までは母がいたから止められていたが、今日からここがお前の部屋だ」
すでに月夜の布団と書物などは移動してあった。
月夜は父によって鉄格子の向こう側へ放り込まれ鍵をかけられる。
がちゃんと鈍い音がやけに天井まで響き渡った。
「勝手にここを出ることは許さん。監視は常につけてあるからな」
「せめて、おばあちゃんのお見送りをさせてください」
月夜は冷たい鉄格子を両手で掴み、父に懇願したが、冷たい目を向けられただけだった。
「お前のような人でない者を媛地家の葬儀に出席させるわけにはいかん」
「そんな……」
一番大事な人の見送りができない。
今までもほとんど会わせてもらえなかったのに、これが最後だというのに。
「あなたは今まで生かしてもらっていたのよ。これからは、わたくしたちの命令に背くと死ぬことになりますからね」
母の冷たい眼差しに月夜はぞっとした。
産まなければよかったという母の言葉が頭の中で反響する。
「食事は一日に二回だ。厠は備え付けてある。決して地上に出ることは許さない。わかったな?」
父の命令に月夜は黙って従うしかなかった。
それが生きていくための条件だから。
月夜を蔑むように一瞥し、無言で立ち去っていく父。そのあとを、母も追いかけるようにして月夜に背中を向けた。
「そういえば月夜は義母が名付けたのよね。もうその名を呼びたくもないわ」
「母も月夜を一緒に連れていってくれればよかったのにな」
「はあ……あなた、媛地家の呪いって何なのですか? 月夜を生かしておかなきゃいけないなんて」
「仕方がないだろう。月夜を殺すとご先祖さまの怒りに触れて媛地家が滅亡するという言い伝えがあるんだ。まったく私の代でややこしいことになったものだ」
去っていくふたりの会話を耳にして、月夜は静かに涙を流した。
暗い地下に閉じ込められて数日。
父の言ったとおり食事は朝と夜の二回だけ運ばれてきた。朝は具のない味噌汁と漬物、夜は干した魚と根菜汁だった。
月夜はまったく食欲がわかず、食事のほとんどを残し、ただ布団をかぶって横になって毎日をぼんやり過ごした。
生きる気力を完全に失い、ただ衰弱していく日々。
そんな月夜のもとへ、兄の光汰がやって来た。
「月夜、めしが満足できないんだろ? ほら、あんパンだぞ。めずらしいだろ? 甘くて美味いから食ってみろ」
月夜がまったく見向きしないので光汰がそばに寄り、パンを差しだす。
「食ってみろよ。俺が先に食ってやろうか」
光汰があんパンをかじっているのを月夜が横目でちらりと見る。
見たこともないものだった。それに、ふわっと美味そうな匂いがする。
食べ物に関心を向けたせいなのか、月夜の腹の虫が鳴った。食欲がなくても腹が減るとはおかしなものだと思う。
光汰のパンに目をやると、彼はもう一つを取りだした。
「ほしいだろう?」
月夜はうなずいて光汰に手を伸ばしたが、彼はさっと避けた。
「ただではやらないぞ。これは俺が金を出して買ったんだ。お前も何か俺に差し出せよ」
「……何を?」
光汰はにやりと笑って言う。
「そうだな。着物を脱いでみろよ」
月夜は肌が粟立つような悪寒が走った。固まったままじっと光汰を見ていると、彼はわざとらしくため息をついた。
「そんな簡単なこともできないのかよ」
「……や」
「は? 聞こえねぇよ」
「嫌よ。お兄さまは変よ。怖いよ。もう出ていって!」
「はっ……そうかよ。月夜のくせに生意気な」
光汰は月夜の着物の衿もとを掴んで自分に引き寄せる。
月夜は怯えながら目の前の兄を凝視した。
まるで兄が見たこともないほどおぞましい獣に見える。
「月夜、兄の言うことが聞けないなら、お前は生きていけないぞ」
月夜は恐怖のあまり震え上がるとともに焦りを感じた。
この家で兄以外に月夜に優しく話しかけてくれる者はいない。たとえ、それが偽りの優しさであっても。
月夜はぐっと堪えて黙った。
すると光汰は月夜の顔に触れようとして――
「何やってるの? お兄さま」
鉄格子の向こうから暁未の声がして、光汰は慌てて月夜から離れた。
暁未は気味が悪いものでも見るように、月夜に冷たい視線を向ける。
「月夜の様子を見にきただけさ。こいつ、ぜんぜん食ってないから、兄貴として心配でな」
「ふうん、そう。放っておけばいいのに。どうせ死んだって誰も悲しまないわよ」
月夜は暁未の顔を見て、背筋にひやりと汗をかく。
震える月夜を無視して暁未は光汰に告げる。
「お父さまとお母さまからお話があるそうよ。お兄さまも早くいらして」
「わかったよ。月夜、またな」
光汰のその言葉に月夜はさらに震え上がった。
月夜はひとり残されたあと、布団にくるまって泣きながら祖母に訴えた。
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