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1、名前を奪われた日
しおりを挟む「フローラ、お前は今日からマギーだ。二度と自分の名前を口にするんじゃない」
伯爵である父にそう告げられて、フローラは絶望した。
ずっと想い続けていた公爵家の令息セオドアから求婚されて、ようやく結ばれると思っていたときだった。
セオドアとは幼い頃に一度しか会っていないが、そのときお互いに結婚の約束をした。
彼はその約束を守り、正式に伯爵家に求婚してきたのだった。
セオドアとはもう10年会っていないが、3年前に彼の姿を見かけたことがある。
とても顔立ちの整った好青年だった。
そのときは話ができなかったことを残念に思ったが、こうして約束を果たそうとしてくれることに、フローラは感激し、やっと彼と会えると喜びをかみしめていた。
だが、信じられないことが起こったのだ。
「公爵に嫁ぐのはお前じゃない」
父の伯爵は冷たく言い放った。
3年前から屋根裏部屋に押しやられ、使用人として扱われているフローラ。
フローラが使っていた綺麗な部屋は後妻の娘マギーのものとなった。
それまで令嬢だったフローラは使用人として伯爵家の家事を行っている。
財政難に陥っている伯爵家には多くの使用人を雇うことができず、フローラはこき使われているのだった。
伯爵は後妻とその娘のマギーを溺愛した。
フローラはその様子を見て苦しんだが、3年も経つと心も乾いた。
そんなときに訪れたセオドアとの結婚話。
フローラは喜びに満ちたが、伯爵はマギーを代わりに嫁がせると言ったのだ。
「お父さま、どうかお考え直しくださいませ! フローラは私です。公爵さまと幼い頃にお約束したのです。どうか、私を彼のもとへ……」
「黙りなさい! 娼婦の娘が!」
伯爵はフローラの頬を引っ叩いた。
叩かれた衝撃で、フローラは床に倒れる。
そのとき、部屋に後妻とマギーが入室した。
マギーは真っ赤なドレスを着ていて、フローラを見るなり嫌な顔をした。
「まあ、汚らしい。身分不相応なくせに公爵さまと結婚できると本気で思っているのかしら?」
フローラは唇をかみしめる。
「お父さま、私が公爵さまと結婚できるのよね?」
明るく質問をするマギーに対し、伯爵は笑顔で答える。
「ああ、そうだよ。私の一人娘であるお前が公爵夫人となるのだ」
「まあ、素敵だわ」
フローラはマギーを睨みつけて叫ぶ。
「公爵さまはあなたではなく、私に求婚したの。今までは何をされても我慢してきたけど、これだけは譲れないわ」
必死に訴えるフローラを、マギーは冷たく見やり、テーブルの上のワインボトルを手にして、それをフローラの頭にぶっかけた。
「あははは、嫌だわ。ワインをこぼしてしまったわね。これ、とっても高いのに」
「心配しなくていいわ、マギー。フローラに罰を与えれば済むだけのこと。この子は使用人なのだから」
「それもそうね、お母さま」
全身ワインまみれになったフローラはふたりを睨みつける。
「明日は公爵さまがうちに来ることになっている。お前はフローラとして接するのだ。間違えるんじゃないぞ」
「わかっているわ、お父さま。今日から私がフローラよ」
そんなことを言うマギーに対し、フローラは怒りの抗議をする。
「やめて! フローラは私よ! 私の名前なの!」
「ああ、うるさいな。呪術師はまだか?」
フローラはどきりとした。
使用人がやって来て、黒いフードを被った老婆が入室した。
それを見た伯爵はにやりと笑った。
「ああ、待っていたよ。さあ、早く。この女に呪いをかけてくれ」
「呪い!? 」
近づいてくる呪術師からフローラが逃げようとすると、使用人たちに手をつかまれ、床にうつ伏せに押しつけられた。
「いやっ! 離して!」
必死に暴れたが身動きできず、老婆に頭をつかまれた瞬間、フローラは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「きゃあああああっ!!!」
意識を消失しそうになると、老婆が使用人に命令し、フローラは頭から水をかけられた。
「さあ、終わりましたよ。これで、この子は自分の名前も身分も口にすることができない」
「それはいつまで持続する? しばらくは名乗られると困るのだが」
伯爵の問いに老婆が答える。
「呪いを解かない限り、一生名乗れないでしょう」
それを聞いた伯爵はにやりと不気味な笑みを浮かべた。
マギーはフローラの髪をつかんで、煽り立てる。
「ほら、自分の名前を言ってみなさいよ。ほら、早く言いなさい」
「うっ……ふ、ぉ……」
名前を口にしようとすると声が出なくなる。
それを見たマギーは目を見開いて嘲笑する。
「あはははは、惨めだわね。今日から私がフローラよ。公爵さまと結婚するのはこの私。あははははは!」
フローラはマギーを睨みつけながら涙を流した。
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