公爵さま、私が本物です!

水川サキ

文字の大きさ
4 / 22

4、10年ぶりの再会

しおりを挟む

 フローラは裏庭でひとり泣いた。
 ちょうど花が咲く季節で、庭は華やかだった。
 風も気持ちよく、暖かい陽光はフローラの冷えた心を溶かしてくれる。


「あのときも、こんな暖かい日だったわ」





 10年前。
 公爵家の人々が訪れた日、フローラは狭い部屋に閉じ込められ、しばらくそこで大人しくしておくよう父に言われた。
 しかし、水を与えてもらうことができず、喉が渇いたフローラはこっそり抜け出してキッチンへ向かった。
 忙しく動きまわる使用人たちの目を盗んで、水を飲み、お菓子をこっそり持ち出して、裏庭に出ていった。

 木の上に登り、がっしりした枝に腰をかけて、フローラはポケットに入れていたお菓子を食べた。
 そのとき、眼下から声をかけられたのだ。


「君、どうやってこの木を登ったの?」

 セオドアとの出会いだった。


 フローラは慌てて降りようとしたが、セオドアも気に登りたいと言ったので、彼が登ってくるのを手伝った。
 セオドアは木登りが苦手なようだったが、フローラが手を貸すとすんなり登ってきた。

 そして、彼はフローラのとなりに腰を下ろしたのだった。


「いい眺めだね。ここで何してたの?」
「お菓子を食べていたの。あなたも食べる?」
「いいの? ありがとう」

 セオドアの無邪気な笑顔にフローラの胸が高鳴った。


 お菓子を食べながら、お互いに自己紹介をした。
 フローラはこの家のひとり娘であること、セオドアは公爵家の長男であること。
 そして、ふたりはお互いの趣味や好きなものについて語った。
 フローラは大好きな書物について話すと、セオドアも興味を持った。


「うちには大きな書庫があるんだ。今度うちへ遊びにおいでよ」
「ほんと? 嬉しいわ」
「君はどんな本が好きなの?」
「何でも好きよ。何でも読むもの。だけど、一番心に残っている本があるわ。そこに書いてある言葉がとても印象的なの」
「どんな言葉?」
「それはね……」





 昔の記憶を辿っていたとき、ふいにガサッと音がして、フローラは振り向いた。
 その視線の先には大人びたセオドアの姿あった。
 幼い頃の面影を残したまま、背丈はすらりと高く伸び、可愛らしい表情は凛々しくなっている。

 セオドア……。
 そう名前を呼ぼうとしたが、声が出なかった。

 彼の名前さえも、口にすることができないのだろうか。


 フローラはぺこりとお辞儀をして、この場から立ち去ろうとした。
 しかし、いきなりセオドアに腕をつかまれた。


「大丈夫ですか? あなた、泣いている」
「えっ……」

 振り返った瞬間、セオドアの顔がすぐそばにあった。
 フローラは耐えきれず、涙をぼろぼろと流した。


「すみません……お見苦しいものを、お見せして……」
「いいえ、大丈夫です。どうぞ、これで涙を拭いて」

 セオドアはハンカチを差し出した。
 公爵家の家門が刺繍された立派なものだ。


「そのような、高価なものを汚してしまうわけにはいきません」
「いいんですよ。使ってください」

 セオドアは半ば強引にハンカチをフローラに渡した。
 フローラは呆気にとられてセオドアを見つめる。
 彼は優しく微笑んでいる。


「あまり、自分を責めないで。せっかくの綺麗な瞳が腫れてしまいます」

 そう言って、セオドアは立ち去ってしまった。


 フローラはその場に立ち尽くしたまま、再び静かに涙を流した。
 ハンカチを握りしめ、歯を食いしばりながら、必死に彼の名を口にしようとする。


「セ……っ!」

 セオドア……。
 あなたは約束を覚えてくれていた。
 それなのに、私はあなたに名乗り出ることができない。


 ああ、セオドア。
 こんなに名前を呼びたいのに。
 フローラと呼びかけてほしいのに。

 叶わない。
 あなたとの未来はもう、永遠に叶わないんだわ。


「ううぅ……」

 フローラは地面に座り込んで、ひとり声を殺して泣いた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】少年の懺悔、少女の願い

干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。 そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい―― なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。 後悔しても、もう遅いのだ。 ※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。 ※長編のスピンオフですが、単体で読めます。

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

【完結】愛くるしい彼女。

たまこ
恋愛
侯爵令嬢のキャロラインは、所謂悪役令嬢のような容姿と性格で、人から敬遠されてばかり。唯一心を許していた幼馴染のロビンとの婚約話が持ち上がり、大喜びしたのも束の間「この話は無かったことに。」とバッサリ断られてしまう。失意の中、第二王子にアプローチを受けるが、何故かいつもロビンが現れて•••。 2023.3.15 HOTランキング35位/24hランキング63位 ありがとうございました!

冷淡姫の恋心

玉響なつめ
恋愛
冷淡姫、そうあだ名される貴族令嬢のイリアネと、平民の生まれだがその実力から貴族家の養子になったアリオスは縁あって婚約した。 そんな二人にアリオスと同じように才能を見込まれて貴族家の養子になったというマリアンナの存在が加わり、一見仲良く過ごす彼らだが次第に貴族たちの慣習や矜持に翻弄される。 我慢すれば済む、それは本当に? 貴族らしくある、そればかりに目を向けていない? 不器用な二人と、そんな二人を振り回す周囲の人々が織りなすなんでもない日常。 ※カクヨム・小説家になろう・Talesにも載せています

不愛想な婚約者のメガネをこっそりかけたら

柳葉うら
恋愛
男爵令嬢のアダリーシアは、婚約者で伯爵家の令息のエディングと上手くいっていない。ある日、エディングに会いに行ったアダリーシアは、エディングが置いていったメガネを出来心でかけてみることに。そんなアダリーシアの姿を見たエディングは――。 「か・わ・い・い~っ!!」 これまでの態度から一変して、アダリーシアのギャップにメロメロになるのだった。 出来心でメガネをかけたヒロインのギャップに、本当は溺愛しているのに不器用であるがゆえにぶっきらぼうに接してしまったヒーローがノックアウトされるお話。

私の婚約者様には恋人がいるようです?

鳴哉
恋愛
自称潔い性格の子爵令嬢 と 勧められて彼女と婚約した伯爵    の話 短いのでサクッと読んでいただけると思います。 読みやすいように、5話に分けました。 毎日一話、予約投稿します。

幸せな結婚生活に妻が幼馴染と不倫関係、夫は許すことができるか悩み人生を閉じて妻は後悔と罪の意識に苦しむ

佐藤 美奈
恋愛
王太子ハリー・アレクサンディア・テオドール殿下と公爵令嬢オリビア・フランソワ・シルフォードはお互い惹かれ合うように恋に落ちて結婚した。 夫ハリー殿下と妻オリビア夫人と一人娘のカミ-ユは人生の幸福を満たしている家庭。 ささいな夫婦喧嘩からハリー殿下がただただ愛している妻オリビア夫人が不倫関係を結んでいる男性がいることを察する。 歳の差があり溺愛している年下の妻は最初に相手の名前を問いただしてもはぐらかそうとして教えてくれない。夫は胸に湧き上がるものすごい違和感を感じた。 ある日、子供と遊んでいると想像の域を遥かに超えた出来事を次々に教えられて今までの幸せな家族の日々が崩れていく。 自然な安らぎのある家庭があるのに禁断の恋愛をしているオリビア夫人をハリー殿下は許すことができるのか日々胸を痛めてぼんやり考える。 長い期間積み重ねた愛情を深めた夫婦は元の関係に戻れるのか頭を悩ませる。オリビア夫人は道ならぬ恋の相手と男女の関係にピリオドを打つことができるのか。

婚約解消したはずなのに、元婚約者が嫉妬心剥き出しで怖いのですが……

マルローネ
恋愛
伯爵令嬢のフローラと侯爵令息のカルロス。二人は恋愛感情から婚約をしたのだったが……。 カルロスは隣国の侯爵令嬢と婚約をするとのことで、フローラに別れて欲しいと告げる。 国益を考えれば確かに頷ける行為だ。フローラはカルロスとの婚約解消を受け入れることにした。 さて、悲しみのフローラは幼馴染のグラン伯爵令息と婚約を考える仲になっていくのだが……。 なぜかカルロスの妨害が入るのだった……えっ、どういうこと? フローラとグランは全く意味が分からず対処する羽目になってしまう。 「お願いだから、邪魔しないでもらえませんか?」

処理中です...