155 / 252
『君と待つ光』
39
しおりを挟む
優しさを捨てない生き物は、実に人間的で非合理だ。強いのならば強いままでいればいいものを、道徳的や道理などというさして腹も膨れない考えで弱さに従属する。
俺は、その非合理性を好ましく思っていた。強きものであるポチが、その素朴な人道を見失わない高潔な存在であることも。
「大丈夫だ、ポチ。俺を誰だと思ってる? いくらお前でも、本気で魔法を使った姿は見たことないだろ」
魔神のいる金具をポケットに突っ込んで、ポチの方へ片手を伸ばした。暗闇に紛れ目だけが爛々と光っている男はふさふさの尻尾をべっちゃりと地面につけ、一生懸命縮こまっている。
まったく、帰ったら風呂にしないといけないな。
「お前が誰かを傷つけたら、責任持って俺が止めてやる。理性を失ったら、また教えてやる。犬の躾は飼い主の責任で、奴隷の質はそのまま主人の質だ」
「……ご主人」
「まぁ任せろ。俺としたことが、今日ニーズヘッグの原種を──分身体とはいえ、斃してきたばかりなんだ」
ノアが叫べる状況であれば誰が斃したと、と絶叫しているだろうが、残念ながら嗅覚に鋭い狼の前でその身を晒すようなヘマはできない。俺は言いたい放題というわけである。
ギラついた目が差し伸べた手を見て、俺の顔を見て、自分を見て、それを何度か繰り返した先、おずおずと手が伸びてきた。
のっそり、と巨躯が月明かりに浮かび上がる。
雨林のぼんやりとした光に、ちかちかと涙らしき粒が反射した。
「……一般的に、人狼は狼が人に化けた存在だ。分類で言えばシェイプシフター。おもに模倣人と同一視されることが多い。ま、普通の魔物だな。オオカミから人への変化を強制している分、最も魔力の増幅する……今日みたいな満月の日は、力が暴走し狼男、と一般に呼ばれる見た目になりやすい」
月がぽっかりと空に浮いている。夜空をまんまるに切り取ったような光は色々と不思議な力があって、誰も研究していないけれど、誰もが知る一つの分野でもある。魔神の力も、魔物の力も、この月明かりによって増幅され、補充されるのだ。
それゆえ月は魔法を使うものにとっては切っても切り離せない存在であり、夜道を照らす街灯のようなあれがなくなれば、世界は瞬く間に混乱に陥るだろう。それはある種にとっては呪いでもあり、別の種にとってみれば祝福でもある。
「終末狼は、人狼などという種族とはまったく違う。見た目が似ているからと語られがちだが失礼な話だよ。当然、人狼の持つあらゆる弱点は概ね終末狼にはない」
「っえ? え?」
「それは月によって人から狼に変わる、なんていうのもな。なにしろ人という器を選んだのは終末狼本体だ。強者がそう望んだのだから、そう生きるに決まっている」
つまり、力とは理不尽そのものである。世界の理不尽というものを、魔法使いや強い魔物はさらなる理不尽で跳ね除ける。終末狼は、その最たる例だ。
実際に何を考えて人間に子を宿したのか、後世の俺ではわからない。
だが今月明かりの下、何の変化もなく、びちゃびちゃの泥に塗れた男が立っている時点で──終末狼の理不尽は、月の呪いを跳ね除けたのだと分かるだろう。
「ポチ、随分汚れたな。しかもどうして裸なんだ? まぁ、洗う手間が省けてよかったが……」
「なっ、何で変身して……今までのご主人、変身するから近付くなって言ってたのに!」
「お前他人の話を聞かないのにもまぁ限度があるぞ」
終末狼が人狼如きの弱点を継承してるわけないだろ。
深々とため息をつき、万一のために羽織っていたローブを着せてやる。生まれたままの姿である男にはあまりにも不格好だが、まぁ、ローブの下から生足が伸びている以外はとりあえず誤魔化せるだろう。
そもそも透明化を掛けるので、ポチに服を着せるのは尊厳を守ってやる目的以外にないんだが。
「お前は元から人として生まれたんだから、狼が混じっているとはいえ人なんだよ。末裔って分かる? お前の親も人間だぞ」
「えっ!? えーーと……あんま覚えてねーけど、ニンゲン? ぽかった気がする……?」
「いや、確定事項なんだよ。一応血液検査もしたって言っただろ? 遺伝子も調べさせてもらった。お前は人間で、その中に狼の血が混ざってるだけだ」
ポチの記憶を辿れと言ったわけではない。手を取って浮かび上がると、そろそろ慣れてもいい頃合いのはずだが相変わらずその目を空中浮遊という事象に輝かせた。
「じゃ、じゃあ、オレって変身しねーの!? 狼になるって聞いたから、元ご主人達が外に出してたんかと思った!」
「そのご主人達とやらも多分そう思ってたよ。感謝すべきは魔物研究の第一人者……を友人に持つ俺がお前の主人だったってことだな」
終末狼は研究したことがなかったので、変身する可能性もまぁあったが。一応主人としての強制力も働いているだろうと賭けに出た。当然暴走した場合は俺が収めるつもりだったが、まぁとりあえず必要がないようでよかった。
「お、おお……? よく分かんねーけど、ご主人がご主人で良かったぜ!」
そう素直に言われると恥ずかしいものもあるが。
俺は、その非合理性を好ましく思っていた。強きものであるポチが、その素朴な人道を見失わない高潔な存在であることも。
「大丈夫だ、ポチ。俺を誰だと思ってる? いくらお前でも、本気で魔法を使った姿は見たことないだろ」
魔神のいる金具をポケットに突っ込んで、ポチの方へ片手を伸ばした。暗闇に紛れ目だけが爛々と光っている男はふさふさの尻尾をべっちゃりと地面につけ、一生懸命縮こまっている。
まったく、帰ったら風呂にしないといけないな。
「お前が誰かを傷つけたら、責任持って俺が止めてやる。理性を失ったら、また教えてやる。犬の躾は飼い主の責任で、奴隷の質はそのまま主人の質だ」
「……ご主人」
「まぁ任せろ。俺としたことが、今日ニーズヘッグの原種を──分身体とはいえ、斃してきたばかりなんだ」
ノアが叫べる状況であれば誰が斃したと、と絶叫しているだろうが、残念ながら嗅覚に鋭い狼の前でその身を晒すようなヘマはできない。俺は言いたい放題というわけである。
ギラついた目が差し伸べた手を見て、俺の顔を見て、自分を見て、それを何度か繰り返した先、おずおずと手が伸びてきた。
のっそり、と巨躯が月明かりに浮かび上がる。
雨林のぼんやりとした光に、ちかちかと涙らしき粒が反射した。
「……一般的に、人狼は狼が人に化けた存在だ。分類で言えばシェイプシフター。おもに模倣人と同一視されることが多い。ま、普通の魔物だな。オオカミから人への変化を強制している分、最も魔力の増幅する……今日みたいな満月の日は、力が暴走し狼男、と一般に呼ばれる見た目になりやすい」
月がぽっかりと空に浮いている。夜空をまんまるに切り取ったような光は色々と不思議な力があって、誰も研究していないけれど、誰もが知る一つの分野でもある。魔神の力も、魔物の力も、この月明かりによって増幅され、補充されるのだ。
それゆえ月は魔法を使うものにとっては切っても切り離せない存在であり、夜道を照らす街灯のようなあれがなくなれば、世界は瞬く間に混乱に陥るだろう。それはある種にとっては呪いでもあり、別の種にとってみれば祝福でもある。
「終末狼は、人狼などという種族とはまったく違う。見た目が似ているからと語られがちだが失礼な話だよ。当然、人狼の持つあらゆる弱点は概ね終末狼にはない」
「っえ? え?」
「それは月によって人から狼に変わる、なんていうのもな。なにしろ人という器を選んだのは終末狼本体だ。強者がそう望んだのだから、そう生きるに決まっている」
つまり、力とは理不尽そのものである。世界の理不尽というものを、魔法使いや強い魔物はさらなる理不尽で跳ね除ける。終末狼は、その最たる例だ。
実際に何を考えて人間に子を宿したのか、後世の俺ではわからない。
だが今月明かりの下、何の変化もなく、びちゃびちゃの泥に塗れた男が立っている時点で──終末狼の理不尽は、月の呪いを跳ね除けたのだと分かるだろう。
「ポチ、随分汚れたな。しかもどうして裸なんだ? まぁ、洗う手間が省けてよかったが……」
「なっ、何で変身して……今までのご主人、変身するから近付くなって言ってたのに!」
「お前他人の話を聞かないのにもまぁ限度があるぞ」
終末狼が人狼如きの弱点を継承してるわけないだろ。
深々とため息をつき、万一のために羽織っていたローブを着せてやる。生まれたままの姿である男にはあまりにも不格好だが、まぁ、ローブの下から生足が伸びている以外はとりあえず誤魔化せるだろう。
そもそも透明化を掛けるので、ポチに服を着せるのは尊厳を守ってやる目的以外にないんだが。
「お前は元から人として生まれたんだから、狼が混じっているとはいえ人なんだよ。末裔って分かる? お前の親も人間だぞ」
「えっ!? えーーと……あんま覚えてねーけど、ニンゲン? ぽかった気がする……?」
「いや、確定事項なんだよ。一応血液検査もしたって言っただろ? 遺伝子も調べさせてもらった。お前は人間で、その中に狼の血が混ざってるだけだ」
ポチの記憶を辿れと言ったわけではない。手を取って浮かび上がると、そろそろ慣れてもいい頃合いのはずだが相変わらずその目を空中浮遊という事象に輝かせた。
「じゃ、じゃあ、オレって変身しねーの!? 狼になるって聞いたから、元ご主人達が外に出してたんかと思った!」
「そのご主人達とやらも多分そう思ってたよ。感謝すべきは魔物研究の第一人者……を友人に持つ俺がお前の主人だったってことだな」
終末狼は研究したことがなかったので、変身する可能性もまぁあったが。一応主人としての強制力も働いているだろうと賭けに出た。当然暴走した場合は俺が収めるつもりだったが、まぁとりあえず必要がないようでよかった。
「お、おお……? よく分かんねーけど、ご主人がご主人で良かったぜ!」
そう素直に言われると恥ずかしいものもあるが。
370
あなたにおすすめの小説
モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。
神獣様の森にて。
しゅ
BL
どこ、ここ.......?
俺は橋本 俊。
残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。
そう。そのはずである。
いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。
7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。
最弱白魔導士(♂)ですが最強魔王の奥様になりました。
はやしかわともえ
BL
のんびり書いていきます。
2023.04.03
閲覧、お気に入り、栞、ありがとうございます。m(_ _)m
お待たせしています。
お待ちくださると幸いです。
2023.04.15
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
更新頻度が遅く、申し訳ないです。
今月中には完結できたらと思っています。
2023.04.17
完結しました。
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます!
すずり様にてこの物語の短編を0円配信しています。よろしければご覧下さい。
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
悪役令息の兄って需要ありますか?
焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。
その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。
これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。
乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について
はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。
ガラスの靴を作ったのは俺ですが、執着されるなんて聞いてません!
或波夏
BL
「探せ!この靴を作った者を!」
***
日々、大量注文に追われるガラス職人、リヨ。
疲労の末倒れた彼が目を開くと、そこには見知らぬ世界が広がっていた。
彼が転移した世界は《ガラス》がキーアイテムになる『シンデレラ』の世界!
リヨは魔女から童話通りの結末に導くため、ガラスの靴を作ってくれと依頼される。
しかし、王子様はなぜかシンデレラではなく、リヨの作ったガラスの靴に夢中になってしまった?!
さらにシンデレラも魔女も何やらリヨに特別な感情を抱いていているようで……?
執着系王子様+訳ありシンデレラ+謎だらけの魔女?×夢に真っ直ぐな職人
ガラス職人リヨによって、童話の歯車が狂い出すーー
※素人調べ、知識のためガラス細工描写は現実とは異なる場合があります。あたたかく見守って頂けると嬉しいです🙇♀️
※受けと女性キャラのカップリングはありません。シンデレラも魔女もワケありです
※執着王子様攻めがメインですが、総受け、愛され要素多分に含みます
朝or夜(時間未定)1話更新予定です。
1話が長くなってしまった場合、分割して2話更新する場合もあります。
♡、お気に入り、しおり、エールありがとうございます!とても励みになっております!
感想も頂けると泣いて喜びます!
第13回BL大賞にエントリーさせていただいています!もし良ければ投票していただけると大変嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる