光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ

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 落ちる――なんて経験、普通に日常生活を送っていればするわけがない。

 今の子どもは落とし穴なんて掘らないし、栗栖蓮くりすれんが実家を含め、二十一年間住んでいる地域には掘るような場所もなかった。

 工事現場等の穴、うっかり蓋の開いたままのマンホールなどから落ちる可能性はなきにしもあらずだが、確率はかなり低いはずだ。そんなずさんな管理をすれば、すぐにニュースで取り上げられて、あっという間に請け負う会社の責任問題になる。

 だいたい蓮が歩いていた、駅から自宅マンションへ帰る途中にある、コンビニの前の道路に工事現場などなかったし、マンホールもなかった。代わりに淡い光を放つ地面があって、なんだ? と確認のために近づき、気づけば身体に浮遊感を感じていた。

 不意に、風の流れを肌に感じる。先ほどまでは何も感じなかったのにと蓮は目を開け、空に放り出されていると気づく。は、と息がこぼれて、身体が落下していくのを感じた。

「うわあぁっ」

 まじかよ、と蓮は再度目をぎゅっと閉じる。それなりに、地面までは遠かった。

 状況はまったく把握できてはいないけれど、マンションの屋上から飛び降りたくらいの高さから、落下しているのは間違いない。うそだろ、と心の中で叫びながら、蓮は色々なことを覚悟する。無事でいられるイメージが、まったくなかった。

 どさ、と鈍い音が耳に届き、蓮は身体に衝撃を感じる。けれど、予想よりは痛みを感じなかった。

 あまりの激しい痛みに麻痺しているのか、いっそ死んでしまったのか、と頭の中がパニックになる。現状を確かめるため、そろり、と瞼を上げると綺麗な瞳があった。

「……へ?」

 今度は、頭の中が真っ白になる。それなりの偏差値の大学に通い、頭は悪くないはずなのに、蓮は現状をうまく説明できる言葉が見つからなかった。

「大丈夫か?」
 低い声が、心地好く耳に響く。

「あ、はい」
「木の上で寝ていたのか?」
「まさか」

 尋ねられるままに答えてはいるが、蓮は完全に無意識だ。
 唐突に目の前に現れた綺麗な顔に、意識のすべてが向いていた。

「たしかに、木はないな。魔力制御に、失敗したのか?」
「はい?」

 きちんと声も言葉も届いているのに、蓮は理解できない。視線を合わせたまま、ぱたぱたと瞬きしていると、困惑するように眉が下がった。

「どこから落ちてきたんだ?」

 見上げても、あるのは夜の色に染め上げられた空だけだ。

「さあ?」

 他に、蓮は答えを持ち得ない。むしろ、教えてほしいくらいだ。男が視線を下ろしたせいで、またぱちんと目が合う。

「どうかしたか?」
「すげぇ、きれいな顔してるなって」
「――は?」

 ぱかんとした顔が、先ほどよりも幼く見える。会話したことで少し冷静さを取り戻して、ふと自らの置かれた状況に蓮は気づいた。

 かなり高いところから地面に向けて落下して、身体に軽い衝撃はあっても痛みがなかったのは、目の前の男が受け止めてくれたからだ。

 妙に距離が近く感じたのも当然で、いわゆるお姫様抱っこの状態だった。

 それなりにでかくて体重もある男を軽々とキャッチし、平然としていることに蓮は驚く。そんなことが可能なのかと疑問に思うが、助けられたことは確かだ。

 抱き留めてもらえなければ、間違いなく大けがをしている。打ち所が悪ければ、ぞっとするようなことになっていた。

「あ、と……助けてくれてありがと」
「ああ」

 思い出したように、下ろしてくれる。けれど、蓮はすぐにその場にへたり込んだ。
 足に力が入らない。状況を理解した途端、どっと恐怖が押し寄せてきた。

「大丈夫か?」
「大丈夫、じゃないかも」

 弱々しく笑い返しながら、不意に違和感を覚える。距離ができて、改めて助けてくれた男の全身を眺めると、服装が目に馴染まない。まるで、騎士服のようだ。

 コスプレ、そんな可能性が浮かぶが、思考がありえないと否定する。慌てて辺りをぐるりと見回し、まったく覚えのない場所にいると蓮は知った。

「ここ、どこ、だ?」

 声が、不安に揺れている。それに気づき、落ち着こうと小さく深呼吸した。

「どこ、とは?」
「さっき、コンビニのそばにいたのに、ないから」

 暗い夜道では特に、存在感たっぷりの目立つ建物だ。
 あの明るさが、どこにもない。

「こん、び、とはなんだ?」

 発音が、たどたどしい。いまだ正しく状況を理解できてはいないが、蓮は嫌な予感でざっと血の気が引く。油の切れたロボットのようなぎこちなさで身体を動かし、向き合った。

「あの、俺」

 突然落ちてきたにもかかわらず受け止めてくれ、あぶねぇだろ、と怒鳴ることもなく、初対面で不審者でしかない蓮の相手をしてくれている。逃がしたらだめだ、と直感が告げていた。

 手を伸ばし、ぎゅ、と服の裾を掴む。意図せず、指先が震えていた。

「なんで、落ちてきたのかも、ここが、どこかもわからない」

 だから、と震えそうになる声で蓮は言葉を継ぐ。

「たぶん、帰る場所、ない」

 知らない街並み、景色。見慣れない服装に、日本人には見えない容姿。想像は絶望感を連れてきて、蓮は自然と縋るような眼差しを向けていた。

 そうか、と静かな声が相槌を打つ。こく、と蓮は知らず息を呑んだ。
 急激に喉の渇きを覚えて、ひりつく。

「なら、うちにくるか?」
「いく」

 安堵で、全身の力が抜けた。

 知らない人に着いて行ってはいけません――幼い頃に教え込まれ、理解した後もよく耳にする言葉だけれど、それも時と場合だと知る。右も左もわからない場所に、一人取り残される心細さといったらない。

(なんとなく、善良そうだし)

 女なら、無防備について行くのもどうかと思うが、蓮は男だ。奪われて困るような、持ち物もない。肩にかけていたバッグにも、たいしたものは入っていなかった。

「歩けないなら、おぶる?」
「え、いや、」
「ああ、抱き上げた方が?」

 だき、あげる、と頭の中で繰り返し、蓮は理解した途端、なんでだよ! と心の中で突っ込む。

 一瞬後に、場を和ませるための冗談の類いだったのか? と思ったが、真顔だ。これは親切心以外の、何物でもない。ほんの少し間違っているだけで。

「歩くよ! 歩けます」

 男がお姫様抱っこされたまま、運ばれたいわけがない。知り合いがいる可能性は限りなくゼロに近いとはいえ、ありえない。気持ちの問題だ。

 まだ少し心臓が逸っているけれど、徐々に落ち着いてきている。光の中に唐突に落ちるなんて経験をして、平然としていられるわけがなかった。

「ほら」

 まだへたり込んだままの蓮に、手のひらが差し出される。容姿の印象とは違う、少し無骨な手だ。その手を、蓮は躊躇することなく掴んだ。



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