光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ

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 決めてからは、ディルクの行動は早かった。

 食事を終えると、蓮にこのままダーフィットの所に泊まるよう言い置き、職場に行ってくると出ていく。
 慌ただしさに唖然としたが、考えてみればアホボン伯爵が現れるまでの猶予は、三日しかない。対処に動くならば、早いほうがよかった。

 その日ディルクが戻ってきたのは蓮が眠ってからで、再び顔を合わせたのは朝食時だったが、食事を終えるとまた仕事のために出ていく。
 共に居られる時間が区切られてしまったのに、そのせいで一緒に過ごす時間もなくなった。つい先日までの、ディルクと過ごす穏やかな生活が嘘のようだ。

 日常が崩れるのは唐突で、あっという間なのだと蓮は思い出す。嘆き、悲しみたくなるが、ぐっと堪え前を向く。

 蓮に関わったことで、先が見えない状況に陥っている優しい人たちがいる。それなのに迷惑な顔ひとつせずに、打開策を講じてくれているのだから、するべきは感謝だ。

 そして願うのは、店と従業員たちの、元通りの平穏。

「大丈夫だ、レンの心配しているようなことにはならない」

 嘘を言わないディルクにそう言われ、蓮の気持ちはほんの少しだが軽くなる。けれど猶予は、本当に残りわずかだ。明日の夜になれば、アホボン伯爵が店に来るとなれば落ち着かない。

 詳しい説明はなくても、ディルクの家での最後の夜になるとわかっている蓮は、誘い、一緒に酒を飲むことにした。

(最後くらい、がっつり酔わせて潰してやろうかな)

 なんて悪戯心が、蓮はむくむくとわく。けれど、楽しかった、で終わらせたくなって、悪戯心はむぎゅっと押さえ込んだ。

 キッチンに立ち、簡単で腹にも溜まるようなつまみを用意していく。すっかり覚えたディルクの好きなものと、眉間のシワを見るための、少し苦手なもの。

 楽しい時間を引き延ばすように、つまみは多めにたっぷりと。

「色々作ったんだな」
「まあな、ゆっくり食べながら飲もうと思って」
「ああ、いいな」

 運ぶのは、ディルクが手伝ってくれる。選んだ酒は炭酸で腹が膨れないように、飲み口の軽いワインだ。

 グラスに注ぎ合い、乾杯、と軽くグラスを持ち上げてから口をつける。冷やしてあったので、喉をひやりと心地好くうるおしてくれた。
 うっかりごくごくと飲みそうになり、空腹で飲んだら酔うと慌ててやめる。まずは何か食べてからと、チーズをベーコンで巻いて焼いたものを、蓮は口に放り込んだ。

 向かいでは、ディルクがボイルしただけのウインナーに、粒マスタードをつけて食べている。熱くなった肉汁が口の中に飛び出したのか、軽く眉をひそめていた。

 かわいいな、と蓮は笑ってしまう。前にも、同じことをしていた。

「かじるだけの野菜もあるよ」

 まるごとではなく、スティック状になっているけれど。
 それだけで、なんとなく見栄えのするつまみになるのだから、簡単だ。

「レンのおかげで、切り方次第ってわかったよ」

 野菜スティックを手に取って、睨むように眺めている。普段から蓮の手伝いを率先して申し出たディルクは、最初の頃より料理らしきものが出来るようになっていた。
 だからきっと、大丈夫だ。カルラも代わらず来てくれている。この家から蓮が居なくなっても、ディルクが困ることはない。それが淋しいなんて、思ったらだめだ。

 キッチンの方で、オーブンが完成を知らせている。焼き上がったのはミートパイで、取ってくると、蓮は席を外した。

「豪華だな」

 焼きたてのパイを切り分けてテーブルに並べると、感心したようにディルクがこぼす。確かに、並んだ品数は多い。

「つくりおきを合わせただけだよ。ほんと便利なバッグだよな」

 生ハムとサラダを巻いたクレープも、作ってあったものだ。
 今もまだ、蓮が作った料理の数々と、菓子類が入っている。明日には、中身もバッグ自体も、ディルクに渡すつもりでいた。

「それは蓮のために用意したんだ、これからも活用したらいい」
「え」
「もう、蓮のものだ」
「それは……」
「ああ」

 ぐ、と喉の奥が苦しくなって、蓮は何も言えなくなる。何か言ったら均衡が崩れて、今の楽しい空気が霧散する予感がした。
 だから、無粋な言葉は呑み込んだ。優しさに甘えるという選択肢を、蓮は選ぶことにした。

「食べ物系は置いてくから、食べて。ディルクのために作ったもんだしさ。苦手なものもあるだろうけど、好き嫌いはだめだからな!」
「そんな子どもじゃない」

 そうは言うが、嫌いまではいかなくても、苦手なものはさりげなく避けていたり、眉間のシワがすごいことになっていたりする。本人は無意識なのかもしれないが。

「ディルクの方こそ、俺のこと子ども扱いしてるよな?」

 送り迎えだったり、何かと買い与えようとしたり、世話を焼こうとしたりする。おまけに幼子のように抱き上げられた記憶は、まだ新しい。本当に、成人男性に対する態度ではなかった。

「子ども扱い、ねぇ」

 ふ、と息をこぼして、ディルクは表情を緩める。仏頂面が緩むだけで、かなり印象が変わった。

「ディルクはさ、そうやってもっと笑えばいいのに」

 整った容姿をしているのだから、笑いかけるだけで好感度は上がる。女性陣を、虜にすること間違いなしだ。

「レンもこわいか?」

 仏頂面が、怖がられている自覚はあるらしい。
 ディルクの表情に、苦みが混ざった。

「え、ぜんぜん」
「なら、いい」
 えぇ、と蓮は不満をもらす。良くない。

「ディルク、誤解されてそうだからさ。こんなに、優しいのに」
「まわりがどう思おうが、どうでもいい」

 ディルクはグラスを空にしてテーブルに置くと、少し伸びた前髪を鬱陶しそうにかきあげる。おかわりを注ごうと、ワインボトルに手を伸ばす蓮に向けられる眼差しが、妙に熱を含んで色っぽく思えた。

「レン」

 存外、真剣なディルクの声に名を呼ばれる。まとう空気が変わったような気がして、蓮は瞳を瞬いた。

「なに?」

 ボトルを、テーブルに戻す。ディルクに向き直ると視線を合わせ、蓮は口を開くのを待った。
 ふたりの間に、沈黙が流れる。わずかな間の後、ディルクが緩く頭を振った。

「……いや、いい」
 言葉を呑み込んだのが、わかる。

「なんだよ、気になるだろ」

 聞く機会は、今しかないかもしれない。じいっと濃紺の瞳を蓮がのぞき込んでいると、ディルクが苦笑いを浮かべた。

「やっぱり、駆け落ちすればよかったな」
「無理に決まってるだろ」

 蓮のせいで、ディルクに今の生活、家族を捨てさせるわけにはいかない。何より、騎士としての誇りを、傷をつけるわけにはいかなかった。

「冗談だ」

 軽く、ディルクが肩をすくめる。ごまかされたのはわかったが、言いたくないことをむりやり聞き出すのも気が引けた。

 それ以上はもう触れず、食べて、飲んで、とりとめのない話をする。この時間を終わらせるのが名残惜しくて、もう少し、もう少しと、ふたりで色々な酒を開けていった。

「ディルクはさ、」

 酔いがまわり、蓮はもう何を話しているのかもわからなくなる。思考はぼんやりしていて、ふわりとあくびがこぼれた。

 楽しい時間は、そろそろおしまいだ。
 酔っていても、それを感じる。後片付けは明日にして、もう寝ることにした。

「なんか、この世界へ来てから今日まで、あっという間だった気がする」

 落下して、受け止めてもらって、そのまま拾ってくれたディルクには感謝しかない。受けた恩が大きすぎて、蓮は返しきれていない気がする。それどころか最後には結局、最大の迷惑をかけてしまった。

(ずっと、ここに居たかったな)

 本音は、思うだけに留める。言えば、優しいディルクを困らせるだけだった。

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