光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ

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 あまり立ち入ることがない人の執務室の前で足を止めると、ディルクは軽い深呼吸をする。ノックをすると、すぐに応えがあった。

「アルフレッド殿下、お呼びでしょうか」
「ああ、レンに関することだ」

 書類から顔を上げたアルフレッドと、ディルクはまっすぐ視線を合わせる。呼び出しを受けたときから、話の内容は予想していた。

「罰は受けます」

 覚悟はできている。アホボン伯爵が騒いでいたような、蓮の意思を無視して、知識や労働力を搾取し続けた事実はない。けれど渡り人である蓮の存在を、伝える機会などいくらでもあったのに、ディルクは沈黙を守っていた。

「相変わらず、生真面目だよなぁ」

 はあ、とアルフレッドが息を吐く。
 手に持っていた書類を、ばさりと机の上に置いた。

「罰なんて、ないよ」

 真剣に告げたディルクの声とは対比的な、軽やかな声が告げる。困惑したのはディルクだ。他に呼び出された理由など、思いつかなかった。

「ですが、渡り人だとわかっていて、報告していませんでした」

 渡り人が訪れる仕組みは、いまだ解明されていない。けれどこの世界を作ったとされる女神の意思でのみ、この世界に渡ると信じられている。豊富な知識でこの世界に発展をもたらすと言われているが、その人物の意思をないがしろにして、発展どころか厄災に見舞われたら取り返しのつかないことだ。

 だからこそ渡り人が不利益を被らず、望む生活を維持できるように、干渉できるような権力が必要で、それが領主への報告で、王宮への報告だった。

「まあ、そうだな」

 すぐに、アルフレッドは認める。けど、と言葉を継いだ。

「報告は義務ではあるが、しないからといって罰則はない。要は、この世界に迷い込んだ異邦人が、ひどいめにあったり、苦労したりしないように、報告を義務としているだけだ」

 権力者がなんらかの思惑を持って介入することもあるが、上に立つ者は語り継がれているように、どこからともなく現れた渡り人の意思を尊重する。搾取しようとするのは、愚か者のすることだ。けれどそんな愚か者がいなくならないから、為政者は頭が痛い。

「報告が上がらない場合もあるしな」

 この世界では珍しい、黒い髪に黒い瞳と、わかりやすい容姿の場合には報告が上がってくるのは早い。けれど特徴的な容姿を持っていなければ、こちらの世界の住人に紛れ込んでわからなくなる。今回の蓮がその例だ。

「ディルクは、知らなかったものとして報告してある」
「いいんですか」
「レン本人にも話を聞いたし、問題ない」

 蓮は自らディルクのもとにいることを選び、暮らしていた。
 働くと決めたのも、蓮だ。私利私欲のみで動く商会や、アホボン伯爵が現れるまでは、蓮にとって不利益はなく、望む生活を送っていた。

 そう言っていたと、アルフレッドが教えてくれる。

「呼びだしたのは、レンの今後を話しておこうと思ったんだ。ディルクが面倒をみていたんだろう? 知りたいだろうと思ってさ」
「はい、知りたいです」

「実はな、レンがこの世界へ渡ったのは少し特殊な事例なんだ」
 頭が痛い、そんな表情だ。ことの重大さは、ディルクにもわかった。

「なぜ渡ったか、わかるんですか?」
「ああ、わかるから問題なんだ。けど、機密事項だから俺の口からは言えない」
「はい」
「ディルクなら、本人の口から聞く機会があるかもしれないが、うっかり知っても黙っていろよ」
「言いません」

 クギを刺され了承するが、内心では困惑する。今はもう、一緒に暮らしているわけではないし、王宮内で暮らす蓮とは気軽に話すこともないはずだ。

 正直なことを言えば、機密事項など知りたくない。ただそれが蓮のことに関するなら、ディルクは知りたいと思ってしまうから性質が悪かった。

「まあ、レンが少し特殊なのは確かだ。だからこそ、早めに後見人を立てるつもりだ」
「はい」
「ディルクが関わってるから、俺が名乗りをあげればいいんだろうが、雑事が付き纏いそうでな」
「雑事、ですか」
「第一王子って肩書きは、それなりに面倒なんだよ」

 苦く笑って、アルフレッドが肩をすくめる。政治の世界は、綺麗なものばかりではできていない。派閥争いに、ディルクの家は関わっていないけれど、そういうものがあるとは知っていた。

「俺はすでにハルの後見人だ。さらにレンの後見人も引き受け、変に邪推されても困るし、レンを利用しようと、有象無象の輩が寄ってこないとも限らない」

 いまだ第一王子を即位させたい面々がいるらしいと、ディルクでも耳にしたことがある。渡り人ではあるが、男である悠真をアルフレッドが婚約者に据えたことで、ずいぶんとそんな声は小さくなっているけれど。

 王として即位するには、ふさわしい正妃を迎えなければいけない。跡継ぎを設けられることが、必須条件だ。国を乱さないため、無駄な争いを生まないため、国の法として王族のあり方に、いくつかの条件が定められていた。

 聖女の召喚に巻き込まれ、聖女が大切にしている悠真を差し置いて、正妃を娶るなど愚の骨頂でしかなく、実質アルフレッドは継承権を放棄したのと同じだった。

 王太子のエドワードは現在婚約者を定めてはいないが、秋頃に婚約者を選定するための茶会が開かれる。決定すれば、今まで婚約者を定めていなかった者たちの婚約が一気に整っていくはずだ。
 勢力図も変わるかもしれない。

「まあ、そんなわけで、王位継承権争いのゴタゴタに巻き込まないためには、そのあたりから距離を取っている者じゃないとだめだ。達しを出しても、素直に応じる者ばかりではないからな」

 面倒くさいと、アルフレッドの顔に書いてある。王宮に滞在している蓮が、ディルクは心配になった。
 果たして、保護を願い出たのは正解だったのかと自信がなくなりそうだ。

「まあ、俺と同程度の影響力がある後見人を立てることになる」

 王族と同等となると、かなり高位の貴族だ。もしくは揺るぎない地位にいる者――宰相、魔術師塔の主、騎士団総長、何人かの顔が浮かんで消える。選定された後見人の元で、蓮は暮らすことになるのかもしれない。

「残念ながら、今のディルクでは無理だ」
「わかっています」

 ディルクの家は、爵位こそあるが下位貴族の男爵だ。嫡男でもない。
 騎士であっても平民と代わらないディルクでは、爵位が上の者には抗うのも難しい。だからこそ今回の騒動で、王宮へ蓮の保護を願い出ることになった。

「少し意地悪だったな。そんなにむくれるな」

 くつくつと喉を鳴らして、アルフレッドが笑う。わかりにくくからかわれたのだと珍しく察し、ディルクは眉間にシワを刻んだ。

「他人に興味のないおまえが、必死になってるからさ、どういうつもりなのかと思ったんだ」
「どういうつもりもありませんが」
「へえ」

 ヘーゼルの瞳が心の奥底まで見透かすように、ディルクを映す。まっすぐに受け止めながらも、妙な居心地の悪さを感じた。

「今回は適任者がいるから、そんな心配そうな顔をしなくていい」
「適任者?」
「そう、政からは距離をおいていて、しっかり後ろ盾としては役に立つ存在」
 そんな人がいただろうかと、ディルクは思いつかない。

「ジェデオンだよ」

 聞き覚えはある。けれどすぐには、顔も役職も浮かばなかった。
 関係ない部署、特に貴族からは距離を置いていた弊害だ。

「ああ、名前では一般的には浸透していなかったな。神官長だよ。神殿の」
「――は?」
「話はつけてある。神殿内に、レンの部屋を用意しておくと言っていた」

 神殿が関わってくることに、驚く。
 確かに、世界を造った女神を祀る神殿は不可侵であり、王でも、貴族でも命令は下せない。アルフレッドの言った条件を満たしていた。

 この先蓮は、神殿で保護され、そこで暮らすのだろうか。
 王宮ならば、いずれ顔を合わせる機会もあるだろうが、神殿では無理だ。

 絶望感に襲われていると、ふはっとアルフレッドが吹き出す。唐突で、ディルクは面食らった。

「だから、そんな顔しなくていいと言っただろう。ハルも聖女も、神殿内に自室をもっているんだ」
「……そう、なんですね」

 安堵していいものなのか、ディルクはわからない。この場にいる理由も、与えられる情報も想定外すぎて、感情も思考もぐちゃぐちゃに絡み合って、すべてにもやがかかっているように感じた。

「実家のようなものだと、聖女は言っていた」

 無条件で、蓮を受け入れてくれる場所ができてよかったと思う反面、それが自分のところではないことに、ディルクは寂しさを覚える。蓮が使っていた部屋は、あのままになっていた。

「まあ、家出されないよう、気をつけるんだな」

 妙に実感がこもって、ディルクの耳に届く。けれど家出? と、すぐに思考は切り替わる。とくん、と期待で鼓動が軽く跳ねた。

「後見人はジェデオンで、神殿の庇護下に入るが、レンの自由は損なわれない。選択肢は無限だ。何をどう選ぶかは、レン次第だ。レンが望むことが、優先される」

 穏やかな声で紡がれる言葉が、ゆっくりとディルクの中に浸透していく。ふっと、真剣な表情を崩したアルフレッドが、優しく笑んだ。

「と、言うことだ」
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