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2話
4.
しおりを挟む高級娼館「黄金ウサギ」内にあるラウンジは、そこらのバーよりよっぽど酒の品ぞろえが充実しており、しかも優れたバーテンを雇っている。
「やっぱり飲んだくれるのが、正しい休日ってもんよねえ」
カクテルメニューの上から下まで。
フロレンツィアの、その美貌に似合わぬ大雑把なオーダーにも、バーテンは快く応じてくれている。
「せっかくの休みなのに行くところがないとは、悲しい奴め」
ラウンジにいる客は、フロレンツィア一人だけだ。その斜め後ろに、ひょろりと細い、スーツ姿の男が立っていた。まだそれほど歳はいっていないようだが、険のある目と、ムスッと不機嫌そうに曲がった口元が、男を老けて見せている。
薄暗い照明の下で、ほのかに輝く金の髪をかき上げ、フロレンツィアは笑った。
「ここだけじゃないわよお。『カーク・カッツェ』にも遊びに行ってきちゃった」
「……何しに」
眉をひそめ、男はフロレンツィアの隣のスツールに腰を下ろした。
「支配人~。プライベートまで詮索しないでよねえ」
「いざこざは困るぞ。この店の評判を落とすようなことがあったら……。」
「あそこには友達がいっぱいいるのよお。それとも、娼婦にも友情だとか、人間らしい気持ちがあったらご不満?」
「…………」
男は答えず、銀縁のメガネを中指で押し上げた。
カウンターに立っているバーテンは困ったように笑い、男にはミネラルウォーターを、フロレンツィアには真紅のカクテルを差し出した。
「あらっ、これ美味しいわねえ」
「『ジャックローズ』です。口当たりは甘いですが、度数は強いので……と、フロレンツィアさんには心配無用でしたね」
「うふふ、りんごの風味がいいわあ。これ、女の子にウケるわよ!」
底の浅いグラスをカパカパ傾けながら、バーテンと談笑する娼婦を、男は横目で睨んだ。
「この間、おまえを指名した、覆面の男……。あの男は『カーク・カッツェ』に通っていたとのことだが、その件か?」
万一のことを考え、客の素性は職業から家族構成、総資産、病歴まで調べ上げる。
「黄金ウサギ」を訪れた者が、初回は娼婦との面会止まりで帰されるのは、これが理由である。
「まあねえ。筋は通しておこうと思って」
「で、どうするんだ?」
「あのマスクの人は、今度来てもお断りして」
「ま、あの男は、大して金も持ってないようだがな。ただあいつは、軍では英雄扱いされている。たらしこんでおいて、損はなさそうだが」
「……………」
フロレンツィアは返事もしない。
男はため息を吐いた。が、無理強いはしない。この店では、女が嫌だと言ったらそれまでなのだ。
「おまえの友達とかいう奴、どんな女だ。おまえみたいに性格の悪いのとつき合えるなんて、相当な捻くれ者……」
話の途中で、フロレンツィアは男の太ももをギリギリとつまみ上げた。
「あんたも知ってるはずよ。覚えてない? キャシディーちゃん」
「ああ……。十年前の、あの田舎娘か。おまえが気まぐれで助けてやった……」
男はミネラルウォーターの入ったグラスをぐっと煽った。
「それで、あの娘はいい娼婦になったのか?」
「そうねえ。娼婦としては二流……いえ、三流かしら。まったくなってないわ」
次のカクテルは、珍しく黒い。炭酸ワインベースの、「ブラック・レイン」と名づけられたそれをちびちび口に運びながら、フロレンツィアは数多くの男を虜にした美しい微笑を浮かべた。
「でも、私はキャシディーが好きなの。私が捨てたものを、健気に持ち続けているから、かしらね……。あの子には絶対に幸せになって欲しいわ」
「まあ、難しいだろうな」
フロレンツィアは、今度は男の腕をつねった。
――高級娼婦の久しぶりの休日は、こうして終わっていくのだった。
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