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4話
5.
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一週間。
アロイスを追い返してからそのあと、キャシディーはずっと彼のことを思った。
あれだけ失礼なことをしでかしたのだ。もう来てくれないかもしれない。
お得意様を立て続けに都合三名失って、時間にも余裕ができた。休憩室でぼんやりと本を読んでいると、店の中がにわかに騒がしくなった。
「?」
不思議に思って店内を覗くと、オヤジさんが大慌てで外に飛び出して行くところだった。それを青ざめた顔で見送るニナに、声をかける。
「どうしたの?」
「それが、アンナが……!」
同僚の説明によると、あのアンナがお得意様に呼び出されたっきり、四日ほど行方知れずなのだそうだ。
娼婦は普通、店の外では客と会わない。
店ならば他の者たちの目に監視されてそこそこお行儀の良い男たちも、一歩外に出た途端、狼藉者へと豹変する。そんなことも少なくないからだ。
「アンナの、そのお得意様って、誰!?」
「それが……」
ニナと会話している途中で、入り口から店主を呼ぶ声があった。
オヤジさんは恐らく知り合いのその筋の人間に、助けを求めに行ったのだろう。仕方なく、店で一番の古株であるキャシディーが応対することにする。
扉の前で仁王立ちになり、待ち構えていたのは、黒いスーツに身を包んだいかつい男だった。
男はぎょろりと目玉を動かすと、険しい顔のままキャシディーを見下ろした。彼が女を買いに来たのではないことは、一目で分かった。
「店主はただいま不在にしております。何か御用ですか」
男は自身を「クルツ」と名乗ってから、居丈高に切り出した。
「単刀直入に言おう。この店の女が、我が主に粗相を働いた。主は娼婦の教育の不行き届きについて、謝罪を求めている」
「……分かりました。店主にはそのように申し伝え、しかるべき対応を取らせていただきます。どちらの家の方か、教えていただけますか」
「あまり遅くなっては、娼婦の命は保証できない。なにしろ我が主は、いたくご立腹なのでな」
「そんな……!」
青ざめるキャシディーの顔をまじまじ眺めたのち、男は声を低くしてつけ加えた。
「黒髪に黒い瞳。おまえがキャシディーか?」
「えっ?」
「我が主お気に入りのおまえが謝罪に参れば、主の機嫌も良くなると思うのだがな。――どうだ?」
「…………」
この男がどこから遣わされてきたのか、なんとなく分かった。
――アーレンス。
そして同僚の命を盾に取られては、キャシディーが断ることなどできようはずもなかった。
同時刻、高級娼館「黄金ウサギ」の控え室で、一番の売れっ子娼婦は入念に身支度を整えていた。
小さな刷毛の先を、形良く伸ばした爪に這わす。今日のマニキュアは、ゴールドにしてみた。昨日は桜色だったから、気恥ずかしくなるようなウブな台詞もスラスラと口にすることができたが、さて本日はどんなことになるやら。
爪の色を変えるだけで、違う人格に成り代わることができる。女とは楽しい生きものだと思いながら、フロレンツィアはぬらぬらと光る指先にふうっと息を吹きかけた。
その直後ドアがノックされたかと思うと、メガネをかけた無愛想な男が顔を出した。
「客だ。アロイス・バーレ。覆面をかぶった軍人だ。覚えているか?」
「あら、その人はお断りしてって言ったじゃない?」
そう言いつけておいたのに、有能な支配人であるこの男がわざわざ自分を呼びに来るということは、それだけの理由があるのだろう。分かっていて、先を促す。
「それが……。色っぽいサービスはいらないので、相談に乗って欲しいと言っている」
「――相談!? 娼婦に!? あははっ!」
思わずよれてしまいそうになった刷毛を慌てて止めてから、フロレンツィアは大口を開けてケラケラ笑い出した。
優雅さに欠けるその様に、支配人は顔をしかめる。
「いいわ、会いましょう。相談ということならば、ベッドは必要ないわね。ここにお通しして」
――それならば、今日は教職者がするような、質素なベージュ色にでもすればよかったかしら。
華やかに輝く黄金の爪を見て、フロレンツィアはそんなことを思った。
その時々どう装うか真っ先に考えるこの女は、根っからの娼婦なのである。
アロイスを追い返してからそのあと、キャシディーはずっと彼のことを思った。
あれだけ失礼なことをしでかしたのだ。もう来てくれないかもしれない。
お得意様を立て続けに都合三名失って、時間にも余裕ができた。休憩室でぼんやりと本を読んでいると、店の中がにわかに騒がしくなった。
「?」
不思議に思って店内を覗くと、オヤジさんが大慌てで外に飛び出して行くところだった。それを青ざめた顔で見送るニナに、声をかける。
「どうしたの?」
「それが、アンナが……!」
同僚の説明によると、あのアンナがお得意様に呼び出されたっきり、四日ほど行方知れずなのだそうだ。
娼婦は普通、店の外では客と会わない。
店ならば他の者たちの目に監視されてそこそこお行儀の良い男たちも、一歩外に出た途端、狼藉者へと豹変する。そんなことも少なくないからだ。
「アンナの、そのお得意様って、誰!?」
「それが……」
ニナと会話している途中で、入り口から店主を呼ぶ声があった。
オヤジさんは恐らく知り合いのその筋の人間に、助けを求めに行ったのだろう。仕方なく、店で一番の古株であるキャシディーが応対することにする。
扉の前で仁王立ちになり、待ち構えていたのは、黒いスーツに身を包んだいかつい男だった。
男はぎょろりと目玉を動かすと、険しい顔のままキャシディーを見下ろした。彼が女を買いに来たのではないことは、一目で分かった。
「店主はただいま不在にしております。何か御用ですか」
男は自身を「クルツ」と名乗ってから、居丈高に切り出した。
「単刀直入に言おう。この店の女が、我が主に粗相を働いた。主は娼婦の教育の不行き届きについて、謝罪を求めている」
「……分かりました。店主にはそのように申し伝え、しかるべき対応を取らせていただきます。どちらの家の方か、教えていただけますか」
「あまり遅くなっては、娼婦の命は保証できない。なにしろ我が主は、いたくご立腹なのでな」
「そんな……!」
青ざめるキャシディーの顔をまじまじ眺めたのち、男は声を低くしてつけ加えた。
「黒髪に黒い瞳。おまえがキャシディーか?」
「えっ?」
「我が主お気に入りのおまえが謝罪に参れば、主の機嫌も良くなると思うのだがな。――どうだ?」
「…………」
この男がどこから遣わされてきたのか、なんとなく分かった。
――アーレンス。
そして同僚の命を盾に取られては、キャシディーが断ることなどできようはずもなかった。
同時刻、高級娼館「黄金ウサギ」の控え室で、一番の売れっ子娼婦は入念に身支度を整えていた。
小さな刷毛の先を、形良く伸ばした爪に這わす。今日のマニキュアは、ゴールドにしてみた。昨日は桜色だったから、気恥ずかしくなるようなウブな台詞もスラスラと口にすることができたが、さて本日はどんなことになるやら。
爪の色を変えるだけで、違う人格に成り代わることができる。女とは楽しい生きものだと思いながら、フロレンツィアはぬらぬらと光る指先にふうっと息を吹きかけた。
その直後ドアがノックされたかと思うと、メガネをかけた無愛想な男が顔を出した。
「客だ。アロイス・バーレ。覆面をかぶった軍人だ。覚えているか?」
「あら、その人はお断りしてって言ったじゃない?」
そう言いつけておいたのに、有能な支配人であるこの男がわざわざ自分を呼びに来るということは、それだけの理由があるのだろう。分かっていて、先を促す。
「それが……。色っぽいサービスはいらないので、相談に乗って欲しいと言っている」
「――相談!? 娼婦に!? あははっ!」
思わずよれてしまいそうになった刷毛を慌てて止めてから、フロレンツィアは大口を開けてケラケラ笑い出した。
優雅さに欠けるその様に、支配人は顔をしかめる。
「いいわ、会いましょう。相談ということならば、ベッドは必要ないわね。ここにお通しして」
――それならば、今日は教職者がするような、質素なベージュ色にでもすればよかったかしら。
華やかに輝く黄金の爪を見て、フロレンツィアはそんなことを思った。
その時々どう装うか真っ先に考えるこの女は、根っからの娼婦なのである。
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