椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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第1話 牢の中へ

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 声が枯れるほど泣き叫んでも、誰も助けに来てはくれない。
 あなたの言ったとおりだ。
 ここでは、あなたは、したい放題。
 主だから、支配者だから。
 ――この国で一番偉い人だから。

「気が済んだか」
「近寄らないでください……!」

 大声で喚き散らしたせいで疲れ果て、肩で息をしながら、私は睨む。
 だけどあなたもまた、私の目をまっすぐ見返した。
 ――どうして。
 あなたはひどいことをしようとしているのに、私を正面から見定めることができるんだろう。
 良心の呵責だとか、罪悪感だとか、そういった気持ちはないのだろうか。
 あなたの人の心は食い破られてしまったのだろうか。
 ――やっぱり、「獣」に……?

「蓮、様。お願い……! こんなことはやめてください!」

 常になにかに挑んでいるような、不敵に光る切れ長の目は、だけどよくよく見詰めれば、中心の漆黒にはぬくもりがあって。
 だからあなたの前に立ち、語り合うのは恐ろしくもなく、むしろ楽しかった。
 馬鹿げた喧嘩をして、じゃれ合い、最後には笑って。
 恐れ多いことだけれど、私たちの間には温かな絆があったはずだ、と。
 あなたに賜る視線に、私は親愛の情を感じていたのに。

「きょ、今日の蓮様はおかしいです……! どうしたの!? いったい何があったんですか!?」

 裏返った声で、獰猛かつ野蛮に変じてしまった、あなたの真意を確かめる。
 いや、縋っているのだ。彼の、本来は堅固であったはずの理性に。

「おまえに何が分かる? おまえが俺の何を知っていたというんだ?」

 形良い大きな口元には、乾いた笑みが刻まれている。
 見慣れた――そう、以前から彼は時折、こういった笑顔を浮かべることがあった。
 寂しそうな悲しそうな。
 ――違う、諦め。
 全てを受け入れたがゆえの――。

「ああ、気にするな。俺だっておまえのことを、何も分かっていなかったんだからな。チビで痩せっぽちのガキだと思っていたおまえが――」

 そしてあなたは、先ほど私から剥ぎ取った衣を床に投げ捨てる。

「女、だったなんてな!」

 呵呵大笑するあなたの目が、また明滅する。薄汚くギラギラ光ったかと思えば、次の間その輝きは、風に吹かれた蝋燭の炎のごとく、か細くなって――。
 消える。
 彼の、なにか大事なものが消えてしまう。

「蓮様、お願いです。話し合い……ましょう」

 服を力づくで奪われ、下着しか残っていない上半身を、私は自ら抱き締めながら懇願する。
 あなたのたくましさに比べて、私の体は薄く、貧弱だ。
 圧倒的に不利で、追い詰められているのは私のほう。
 だけど。

 ――可哀想。

 危機に瀕していながらも同情してしまうのは、私たちの柔らかく穏やかな過去のせい。
 これもあなたの策略なの?
 どうしても心から憎むことができない。
 ずるい。

「あっ……!」

 一息に距離を詰められ、床に押し倒される。
 したたか打つはずだった背には、いつのまにか彼の手が添えられていて、たいした衝撃は受けなかった。
 仰向けにひっくり返った私の目と鼻の先に、整った顔がある。
 凛々しい――それをあえて下卑に歪めて、あなたは笑う。

「哀れだな、雪(せつ)。どこまでも広がる大空が待っていたのに、おまえはもう飛び立てない。これからおまえは後宮という籠の中で、俺に飼われて、生きていくのだ……」
「……!」

 この期に及んで、私はまだ信じることができない。
 これが現実だなんて。あなたがそのような男だったなんて。
 言葉が出ない。ただ視界がぼやけて、涙が頬を伝っていく。
 嘘だ。嘘だ。
 私はあなたを尊敬していて、あなたも私を「弟」のように憎からず思っていてくれたではないか。

 ――やがて「獣」が覆いかぶさってきて、私は暗闇に沈む。

 知らなかった。知りたくなかった。
 その重さも、体温も、荒々しい息遣いも。
 そして私を真っ二つに裂く、恐ろしいほどの痛みも――。




 この日、全てが変わってしまったのだ。
 あなたも、私も。
 二人の運命も。


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