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第1話 牢の中へ
1-5(完)
しおりを挟む気が遠くなるほど長かったように思えたが、実際は一時間も経っていないだろう。
「雪……」
最後に思いきり強く雪樹の体を抱いたかと思うと、蓮は彼女の背中から離れていった。
「う……」
体の奥、自分が存在を知らなかったような箇所が痛む。
――汚されてしまった。雪樹には泣く気力すら残っていなかった。
このまま心臓が止まってしまえば、どれだけ楽だろう……。
「……………」
蓮は雪樹の衣服を雑に元に戻すと、自らの身支度も素早く整えた。そして座卓の上にあった呼び鈴を振る。強く振り過ぎているのか、ひび割れた耳障りな音が響き、すぐに先ほどの侍女たちが現れた。
「雪を。あそこにいる――女を、湯に入れて介抱してやれ。そのあとは、離れへ入れておくように。念のため、真百合婆(まゆりばあ)に診せろ。あいつが欲しいというものがあれば、何でも与えてやれ。――ただし、外には一歩も出すな」
何かに追い立てられるように矢継ぎ早に指示を出すと、蓮は雪樹を顧みることなく、部屋を出て行った。
――逃げるんだ……。
大きな背中をぼんやりと眺めながら、雪樹は責めるでもなく怒るでもなく思った。
――感情が湧いてこない。
「おめでとうございます、姫様! 大変な名誉でございますわ!」
身も心もズタズタの、畳に横たわったままの雪樹を囲んで、侍女たちはなぜかはしゃいでいる。
「ねえ、姫様! おつきの者には、是非わたくしを指名なさってくださいませ! わたくし、後宮のことは何でも存じておりますから、お役に立てますわ!」
「あら、わたくしのほうが! おつきの者は、わたくしになさって! わたくし、美味しいお茶をお淹れできますのよ!」
「なにそれ! だったら、わたくしだって!」
「……………」
楽器をかき鳴らしたようなやかましさだ。
痛む体を抱えながら、雪樹は段々イライラしてきた。
百烈ビンタでもお見舞いしてやろうか。そう思ったとき――。
「あとになさい!」
ピリッと鋭い叱責が飛ぶ。騒いでいた侍女たちは、ピタリと口を閉じた。
雪樹は思わず声の主を見上げた。
侍女たちは皆、若く可愛らしい娘たちである。が、先ほど雷を落とした女は、中でも美しい女だった。
「さあ、立てますか……?」
同僚を叱り飛ばしたその女は、涼し気な一重の目を気遣わしげに伏せ、雪樹に手を差し伸べた。
「は、はい……」
雪樹は女の手を取り、よろよろと起き上がった。
「ゆっくりでいいですからね。まずは湯を使いましょう。その……すぐに綺麗にして差し上げますからね……」
「……………」
女の労りが目に染みて、泣きそうになる。
雪樹は女に支えられながら、おぼつかない足取りで歩き出した。
その後ろを、侍女たちがしずしずとついてくる。
――なんだ、これ……。
もし今の自分たちのありさまを俯瞰して見ることができたなら、シュール過ぎて、きっと現実とは思えなかっただろう。
――ボロボロにされたのに「おめでとう」と祝福され、それでなんだか華々しい行列みたいに……。
脳みそが機能せず、思考が霞がかる。灰色の視界の中で、景色だけはどんどん移り変わっていった。
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そこは、「後宮」だった。
――夢、なのかな……。
いつものとおり朝起きて、意気揚々と皇宮へ向かい、そして蓮に挨拶して……。
ほんの数時前までは、なんら普段と変わらなかったのに。
「あ」
――ダメだ。帰らなきゃ。お父様もお母様もお兄様も、みんな心配する……。
だが気づいたときには、もう遅い。
振り向いた雪樹のほんの少し先で、ガシャンと重たい音を立て、門は閉まってしまった。
――もう、帰れない……。
~ 続 ~
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