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第2話 夢から覚めない
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しおりを挟む蓮皇帝御自ら、後宮に寵姫をお招きあそばれた。
皇宮内を騒がすそんな噂が耳に入ってくると、珀桜皇太后は色めきたった。
後宮に寄りつかなかった朴念仁の息子が、ようやく世継ぎを作る気になってくれたのか。
しかしその喜びも、あっという間に潰えることとなる。
ことの仔細を知ったのち、皇太后の生白い顔からは、ますます血の気が失せたのだった。
「羽村議長のご息女……? 羽村様には、息子さんしかいらっしゃらなかったのでは?」
「いえ、いたのです。一匹。ま、とんでもない跳ねっ返りですので、もしかしたら議長自ら、息子と勘違いしていたのかもしれませんが」
冗談だか皮肉だかを口にし、蓮はカラカラと笑った。
長身で筋骨たくましい体に、鋭すぎる目つき。雑で横柄な身振り。貴人どころか、どこに出しても恥ずかしくない不良(ヤンキー)といった風情のこの青年は、澄花信乃香蓮。霧椿皇国、第七代皇帝である。
珀桜皇太后は息子に、飛びつくように迫った。
「そんな……! 蓮! 早くそのお嬢さんを、羽村議長のお宅へお返しなさい! 皆様、さぞご心配なさっていることでしょう!」
「――お断りします」
さっと母から離れ、蓮はにべなく切り捨てる。皇太后は息子を叱りつけた。
「蓮! あなた、状況を分かっているのですか? 羽村様を……! 今の私たちは、議会を敵に回すべきではありません!」
「今も昔も関係ありません。母上」
蓮は冷たい目で、自分の胸のあたりまでしか背丈のない母を見下ろした。
皇太后が小柄なのではない。蓮が育ち過ぎたのだ。
「初代皇帝が玉座に就いたときから、国土も臣民も我が財産の一端に過ぎません。なにを、誰を、どのように扱おうと、今上帝たる俺の勝手です」
「蓮……!」
皇太后は眉を吊り上げると同時に、その顔を困惑で曇らせた。
我が息子はこのような傲慢なことを、いけしゃあしゃあと言ってのける青年だったろうか。
これでは先の皇帝、夢蕨にそっくりだ。暴君と謗られた亡き夫のことを、蓮は蔑み、「ああなったらおしまいだ」と常々非難していたのに。
夢蕨を反面教師とした息子は、文武を学び、礼儀を重んじ――まあこれはヤンキーにかぶれてしまったせいで、できていない部分も多いが、ともかく民に寄り添い、民のために皇帝家ができることを模索していこうと励んでいたのだ。
――それなのに、なぜ急に、このような暴挙に出たのか。
なにか言いたげな母の前で、蓮はふざけた態度を引っ込め、真顔になった。
「俺は雪樹を、后(きさき)にします。だからあいつには、俺の子を産んでもらう」
「な……!」
珀桜皇太后は絶句した。
霧椿皇国では皇子あるいは皇女を無事に出産した女性に、皇后の座が与えられることになっている。「子が先」という形の婚姻制度なのだ。
「どうしました、母上。俺が子を成すことは、あなたの悲願だったはずでしょうに」
「……!」
手にした扇を握り締め、ブルブル震えている母を、蓮は煽るように嘲笑った。
国家の頂きたる皇帝の、その跡継ぎを産むことは、言うまでもなく大変な名誉である。また皇宮内での豪華絢爛な生活も、魅力的な話だろう。だから后にと請われれば、女なら誰だって嬉々としてまかりこすに違いない。
――だが。
羽村議長の娘となれば、話は別である。
「蓮……! お願いです! 考え直して!
皇太后は取り乱し、息子にすがった。この婦人は、「羽村家」が皇帝家と縁づくことを絶対に良しとしないだろうことを、誰よりも知っているのだ。
今や実質的にこの霧椿皇国を支配している最高議会の、その長である羽村 芭蕉は、ある事情から皇帝家をひどく嫌っている。
憎い相手に大切な娘を、しかも何の断りもなく突然奪われて、黙っている親がいるだろうか? 無事に済むとは思えない――。
「芭蕉様を怒らせれば、我が一族を弑しようとなさるかもしれませんよ……!?」
だいそれたことのように思えるが、「神より生まれし」と崇められる皇帝への叛逆も、今の羽村家なら十分実現可能なのだ。
更に言えば、民主主義を広く根づかせようとしている議会にとって、皇家のような「旧」支配者は、目の上のたんこぶなのだからして。
「殺されるまではなくとも、地位や財産を剥奪され、皇宮を追われるようなことになったら、私たちは野垂れ死ぬしかないのですよ……! 羽村様のお嬢様の後宮入りなんて、わたくしは絶対に許しません! 蓮!」
「あなたの許しなど、俺には必要ありません」
蓮は母を一瞥すると、なにごともなかったかのように踵を返した。
「蓮! 蓮!」
遠ざかっていく背中に何度も呼びかけるも、無視され――蓮の姿はとうとう見えなくなる。
皇太后は力なく肩を落とした。俯いた口元は、だがクッと端が上がる。
「そうなの……。新しい姫は、羽村様の……檀(まゆみ)様の姪御さんでいらっしゃるのですね……」
本人も気づいていないだろうその顔つきは、なぜか飴玉を口に放り込まれたような、ささやかな幸福に酔っているかのようだった。
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