椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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第2話 夢から覚めない

2-4

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 再会の機会は、唐突にやってきた。

「皇帝の『お渡り』です。ご準備をよろしくお願いします」

 昼過ぎのこと。身だしなみのきっちりした年嵩の女が、雪樹を訪ねてきた。「皇帝は今夜、この離れで過ごす」との先触れをしに来たのだという。後宮の長だというその女は平静を装っていたものの、顔も声も強張っていて、緊張しているのが丸わかりだった。
 告げることだけ告げて、長が帰っていったあとが――それはまた大変だったのである。

「後宮から支給された衣じゃ地味ですよねえ! ああ~! 今からお衣装、町に買いに行きますか!?」
「メイク道具も、もっと揃えておけば良かった! 流行遅れの色ばっかりじゃん!」

「お渡り」というのは、皇帝が後宮の寵姫のところへやってくることらしいが。
 しかしたったそれだけのことで、雪樹の周囲――身の回りの世話をしてくれる侍女は大騒ぎしている。女たちは慌て、はしゃぎ――最後には雪樹を責めた。

「も~! 雪樹様がなにも欲しがらないから、ここには最低限のものしかないんですよォ!」
「寵姫なんて、おねだりしてなんぼなのに!」
「えぇ……」

 なぜ怒られるのか納得がいかず、雪樹はふくれっつらになった。
 雪樹についている侍女は三人。興奮して、ああでもないこうでもないとあちこち走り回っているのが「桃(もも)」と「杏(あんず)」。まだ十五歳で、元気ハツラツな……ハツラツ過ぎる少女たちである。

「久しぶりの……蓮様が皇帝になられて二年、初めてのお渡りですものね。皆が浮かれるのも仕方のないことです。お許しくださいませ」

 三人の侍女の最後のひとりは、「あやめ」という。雪樹より八つ上の二十六歳で、スラリと背の高い、寵姫にも劣らぬほどの美女だった。
 あやめは、後宮に閉じ込められるきっかけとなったあの日に駆けつけ、ボロボロだった雪樹の手を引き、面倒をみてくれた女性でもある。優しく寄り添ってくれたその恩もあるが、落ち着いていて、素敵な大人の彼女と、雪樹は仲良くなりたいと思っていた。が、当のあやめから距離を取られているような気がして、どうにも近寄りがたいのだった。
 あやめは畳の上に並べられた衣服と化粧道具を検分してから、妹分たちにテキパキ指示を出し始めた。

「そうね、雪樹様は華奢でいらっしゃるから、身幅を少し詰めて……。刺繍でも入れましょうか。桃、あなた、裁縫が得意だったわよね。杏はお化粧をお願い。私はお香を見繕ってくるわ」
「がってんしょーち!」

 桃と杏が声を揃え、自らの袖をまくる。
 状況を把握しきれていない雪樹はこうして侍女たちのお人形となり、「こっちがいい、いややっぱりあっちがいい」と何度も服を取り替えさせられたり、パンパンと勢い良くおしろいを顔にはたかれたりと、されるがままになった。

「むううう……。お渡りって、蓮様がここに来るだけでしょ? なんでこんなごてごて着飾ったり、厚塗りしたりする必要が……」

 雪樹が唇を尖らせていると、桃と杏はなんだかませた口ぶりで言った。

「やだ、雪樹様! 陛下だって、ただ遊びに来るわけじゃないでしょ! 女っぷりを上げて、たあああっぷり楽しませて差し上げないと!」
「雪樹様が頑張ってくれれば、侍女の私たちの待遇も良くなりますからね! 頼みましたよ!」
「えぇ……」

 ――なんだか誤解がある……。

 雪樹はむっつりと押し黙った。
 蓮は自分にひどいことをしたクソ男だ。歓待なんかするわけもない。
 そして、自分は後宮に入ったつもりもなければ、寵姫にだってなったつもりもないし。そもそもそのような要請を、蓮から受けたわけでもないのだ。
 こういうのを五里霧中というのだろうか。なにがなんだか分からず、曖昧な霧の中で途方に暮れている……。

 ――でも蓮様が来るっていうなら、ちょうどいい。なにがどうなっているのか、問いただしてやる!

 ついでに土下座して謝らせて、なんなら数発殴ってやって――。
 雪樹は侍女たちに体を預けつつ、そっと拳を握り締めた。

「雪樹様、ちょっとこっち向いてください! アイシャドウはピンクがいいかな、オレンジがいいかな……」
「うーん、刺繍は袖の袂に入れましょうか。お花……ううん、陛下は動物がお好きらしいから、いっそ小鳥とか……」
「どっちでもいいよぉ……」

 侍女たちと、熱量に差があり過ぎる……。
 うんざり顔で返事をし、雪樹は今夜の蓮の訪問について、再び思いを馳せた。

 ――蓮様が謝って謝って謝って、反省してくれたなら……また友達になってやってもいいかな……。

 自分だって性別を偽っていたという弱みがある。お互いの過失を相殺して、復縁するというのはおかしいことではない……ないだろう。
 少々強引に納得してから、雪樹は頬を緩めた。








 後宮の離れ。雪樹が押し込められている別邸の奥には、二十畳ほどの座敷がある。
 皇帝陛下がお渡りになった際、寵姫と過ごすための特別な、いわゆる「閨」である。
 その部屋に入ってすぐのところで、雪樹は正座で待機していた。
 面持ちは固く、鼓動が早い。緊張しているのは自分でも分かった。
 今まで頻繁に会っていたはずなのに、もう何年も蓮の顔を見ていないような気がする。

「蓮陛下がお越しになりました」

 侍女・あやめの凛とした声が告げると同時に、眼前の襖がサッと開く。

「……!」

 顔を上げれば、そこには――蓮が立っていた。
 紺色の襦袢を身に着けただけの、質素な装い。それでも颯爽として見える。いつも頭上に戴いている漆黒の冠がなく、普段はその中へ納めているのだろう長く艷やかな髪が、背中の半ばまで垂らされていた。

「……………」

 蓮は無言で雪樹を見下ろしている。まるで知らない男のようだった。

 ――獣。

 組み敷かれたときの力の強さ、そして直後襲われた体を引き裂くような痛み。それらを思い出し、雪樹はぶるっと震えてしまう。

 ――だが、ここで逃げたら負けだ。きっと家にも帰れないし、学問所にも入れない。

 思い直し、眼(まなこ)に力を入れると、雪樹は蓮を精一杯睨みつけた。
 ふたりの視線がぶつかり合い、しばらく火花を散らす。
 フッと、蓮の唇がほころぶ。そしてふいっと雪樹から目を逸らした。

「こうして見れば、どこからどう見ても女なのに……。俺はなぜ気づかなかったのか……」

 腹立たしいのと滑稽なのとが混ざったような口ぶりだ。
 雪樹はひたすら待った。
「すまなかった」、「ごめん」。その一言が欲しい。
 だが蓮は雪樹の手を掴んで強引に立たせると、数歩先、部屋の端に敷かれた布団へと引きずっていった。
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