椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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第3話 閨の中の奇妙な二人

3-1

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 老いた医師は、このように前置きした。

「雪樹さん。これからあなたに色々なことを教えるのは、あなたのためを思ってのことじゃないの。申し訳ないけれど、蓮坊のためなのよ」








 紙の上に筆を走らせては止めて、また動かしては止める。上の空なのではなく、むしろ興味深い講義に集中しているがゆえだ。
 そして――。

「男性の勃起した性器を、女性の――」
「……………」

 ――あれをこうして、ああして、そうするんだよね……。

 聞き取った内容から実際の行為を想起してしまい、顔が赤く熱くなって手が止まってしまう。
 だから雪樹の帳面は、なかなか埋まらないのだった。

「男女の営みについては以上です。さて、性交の主目的は子供をもうけることですが、ではどのように妊娠に至るのか、そのプロセスについてお話しますね」

 雪樹の正面に座った医師・清田 真百合が、滑舌も良く話を続ける。性にまつわるきわどい事柄を説明しているというのに、照れもなく気負いもなく、その口調は平坦だった。この手の話はし慣れているのもあるだろうが、とても分かりやすく、同時にこの老女の知性の高さも伺い知ることができて、雪樹は感心しながら聞き入った。
 そもそも医師である真百合からすれば、セックスなどただの生殖行動に過ぎないのだろう。いやらしいとか、いやらしくないとか、きっとそういう次元の話ではないのだ。
 それは分かるが――聞かされるほう、特にうら若き乙女である雪樹からすれば、冷静に耳を傾けるのになかなか苦労する。

「赤ちゃんを作るには、今更だけど男と女が揃っていることが条件ね。医者たちは、男性が持つ因子を精子、女性が持つ因子を卵子と呼んでいます。精子は――あれね、男性が陰茎から放つ、あの白い……」
「あっ、ど、どんなのかは、分かりますので、はい……。そんな細かくは大丈夫です……」

 汗をかきながら、雪樹は真百合の生々しい解説を遮った。

「じゃあ、卵子についてね。卵子は女の人の体の中で作られるものです」
「……………」

 つい雪樹は自分の腹をさすってしまった。自分の体内にも、その「卵子」とやらがあるのだろうか。
 ――霧椿皇国の皇帝のお住まい、花咲本皇宮には、国内の美女たちが集められた後宮がある。
 その別邸にて、女医・清田 真百合による今回の授業は開催中だ。
 生徒は今上帝のお気に入りと噂される羽村 雪樹、一人のみ。
 そして学びのテーマは、「妊娠について」である。

「卵子が精子を受け入れること、これを受精と言います。その受精した卵子が、女性の子宮という器官へ無事辿り着けば、ひとまず妊娠成立ということになります。受精卵が、つまり赤ちゃんのもととなるものね。女の人はお腹の中で受精卵――赤ちゃんを育てて、時が満ちたら生むわけです」
「ふむふむ、なるほど……」
「それでね、多くの人が誤解しているのだけど、受精というのはいつでもできるわけじゃないの。卵子というのは、常に女の人の中にあるわけじゃないのよねえ」
「えっ!」

 雪樹は目を丸くした。
 ――知らなかった。だがよくよく考えてみれば、合点がいく。雪樹の周りにだって、結婚していつまで経っても子供ができず、悩んでいる女性もいたのだから。

「えっと、どういうことなんでしょう……? 卵子はあったりなかったりするんですか?」

 好奇心は疼くが、性に関することはやっぱり聞きづらい。雪樹はおずおずと小さな声で尋ねた。

「卵子には、精子もだけど、その活動期間には限界があるの。受精を果たさなかった卵子は死んでしまい、体の外へ排出される。これが生理ね。そして月に一度だけ作り直され、また精子と結ばれるのを待つ。新しい卵子が完成する直前か直後、そこで性交すれば受精が叶うというわけ。もちろんほかの色々な条件をクリアする必要があるけど、妊娠を可能とする前提は今お話したとおりです」
「うん……うん……」

 二重の大きな目の中で、雪樹の瞳がぐっと上がる。聞いたばかりの話を脳内で図式化し、理解しようと努めるが、初めて知ったことばかりで飲み込むのが大変だ。自分なりにまとめて、帳面に書きつけてから、紅潮した顔をガバッと上げる。

「全然知りませんでした! 生理のことだって『大人になった証』とか『みんなに来るものだ』って言われただけで納得してしまって、私は自分の体にどういう変化があったのか知ろうともしなかった! 迂闊でした!」
「まあまあ、そんなことありませんよ。さっきお話したのは、最近ようやく分かってきたことですからね。知らなくて当たり前よ」
「……………」

 どうしてだろう。雪樹は疑問に思った。

 ――自分の体に関わる、とても大事なことなのに……。

 最新の知識だから、広く伝わるのに時間がかかるというのは分かる。
 だが今知った情報のほんの片鱗さえも、一切耳にしたことがない。これは不自然じゃないだろうか。

 ――私がそういったことに興味がなかったから、無意識に知らんぷりしてたとか?

 だがこんな重要なこと、例えば学校で教えてくれてもいいのではないか――。
 雲のようにモヤモヤ広がる雪樹の猜疑心を払うように、真百合は話を次の段階へ移した。

「さて、それでは今回の話の肝です。卵子が作られるサイクルについてね。『妊娠しないように』、ようく理解しておかなければいけませんよ」
「……!」

 卵子が作られる周期。卵子と精子の寿命の差について。それらを鑑み、性交を避けるべき日は、具体的にいつなのか――。
 眉間にシワを寄せ、雪樹は真剣な顔で筆を動かした。力を入れ過ぎたせいか、綴られる文字が太くなる。
 妊娠、出産、育児。
 女性に課せられるそれらの役目は、まだ若く、やりたいことがたくさんある雪樹にとって、足枷としか思えなかった。

 ――それに蓮様の子を宿したら、きっともう私は皇宮から出られない……!

 だからきちんと理解しなければ。気負ってから、ふとあることに気づき、雪樹は指を折った。

「ん……?」

 いわゆる、赤ちゃんができやすい日、できにくい日――危険日、安全日を、生理の周期に当てはめて数える。
 皇帝の「お渡り」。蓮が雪樹のもとへやってきた日を真百合の説明と照らし合わせて振り返ってみれば、見事に全て安全日だった。そして危険日中、蓮は後宮に足を踏み入れなかったのだ。

「えっと、もしかして……。蓮様の『お渡り』……。その調整みたいなことを、真百合先生がなさったのですか……?」

 あまりに謙虚で本人は固辞したものの、無理に据えさせた上座で、真百合は小柄な体をより一層小さくしている。

「お節介でごめんなさいねえ。あなたの生理がいつ来ていつ終わったか、後宮付きの医師である私は把握していたから……。該当日には後宮に行かないよう、蓮坊に言い含めておいたの。でもデリケートなことだし、気持ち悪いわよねえ」
「いいえ! いいえ! 助かりました! 今の状況で妊娠なんて、そんなの……! 困ってしまったでしょうし!」

 申し訳なさそうな顔をしている真百合に、雪樹は慌てて礼を言った。

 ――いやもう、真百合先生の口添えがなかったなら、とっくに赤ちゃんができて、おかしくなかったかも……!

 それくらい蓮の行為は苛烈なのだ――と、真っ昼間から思い出し、雪樹は顔を真っ赤にした。
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