椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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第5話 住めば都

5-3

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 冷静に――冷静に? なったはずであった。少なくとも雪樹は、自らそう信じていた。
 が、寵姫たちと杏からは「は?」と、責めるような馬鹿にするかのような、残酷な目を向けられる。だからムキになって説明した。

「心が穏やかでないこんなとき、何を言っても争いにしかなりません! ならば言葉を捨て、肉体で語り合いましょう! だいたい運動不足なんですよ。私も、あなたたちも! 汗を流せばお肌も綺麗になるし、カロリーを消費できて痩せるし、いいことばかり! なによりスッキリしますからね!」
「……………」

 この娘は正気なのだろうか……? 寵姫たちの顔が疑問に歪む。
 どう応じるべきなのか分からず、女たちが出方を探っていると、背後の館――後宮の本屋敷の縁側を下り、一人の寵姫が雪駄をペタペタさせながら近づいてきた。

「なにやら騒いでいるから、聞き耳を立てていたけれど……。なかなか面白いことを言うねえ、お嬢ちゃん」

 寵姫。――寵姫?
 雪樹は目を見張った。

 ――確かにある意味、美しい人だけれど。

 新たに現れた寵姫は、この場の誰よりも大きかった。男性と比べても遜色ないほど逞しく、肩には筋肉が山のように盛り上がっている。腕も足も丸太のようだ。顔といえば目は細く、だが瞳がギョロっとしている。中央にある鼻は高く、いわゆる鷲鼻だった。

「あたしは鈴蘭って言うんだ。あんたが雪樹さんだろ? 皇帝にご贔屓されているっていう。――で、相撲ねえ」

 鈴蘭はくっくっと喉の奥で笑った。

「確かにあたしら、皇帝に振り回されて、色々溜まってるよ。ならばあんたで、晴らさせてもらおうか」
「……………」

 雪樹の顔は引きつる。

 ――ここって、後宮だよね?

 鈴蘭の鋭い眼光に射すくめられると、自分が今どこにいるのか分からなくなってしまう。どこぞの裏道で不良にカツアゲでもされているような、雪樹はそんな錯覚に陥るのだった。





 話は決まり、早速皆で本屋敷前に移動した。

「入口から門まで距離があるから、なにかやるならここがいいだろう。――さあ、『土俵』を作るよ」

 鈴蘭の指示に従い、全員で広い地面をズリズリ足で抉る。大きな円を描き終わると、その中央に二本、仕切り線を引いた。これで舞台は完成だ。
 ひらひらした服は邪魔だから脱ぎ、女たちは皆、長襦袢を重ね着した。
 最初は及び腰だった寵姫たちも、合法的に雪樹を痛めつけることができると考え直したのか、次々名乗りを上げた。
 が、一対全員など、無謀な話である。「ただのリンチはダメだ」としわがれた声で鈴蘭が諭すと、寵姫たちは渋々納得し、此度の「女相撲・後宮場所」は総当たり戦となった。
 誰も逆らわないところを見ると、鈴蘭は寵姫たちに一目置かれているらしい。――理由は、述べるまでもないだろう。ここでも「力こそ正義」のきらいはあるようだ。

「なかなかスジがいい」

 何戦かを白星で終えた雪樹を見て、鈴蘭は感心した様子だ。

「兄に鍛えられましたから!」

 雪樹は得意げに胸を張った。

「頑張れー! 押せ押せ! ぶちかませ!」
「やったー! なんて鋭い突きでしょう!」

 最初はなんとか雪樹を倒そうと必死だった寵姫たちだったが、そのうち体を動かすのが楽しくなってきたのか、投げたり投げられたりするたび大はしゃぎしている。
 雪樹も勝ったり負けたりだ。勝敗はどちらでも、爽快だった。
 全白星で優勝したのは、もちろん鈴蘭だ。――この寵姫は、なんというか、異次元の強さである。

「なんで、こんなガチアスリートが寵姫に?」

 取り組みの合間、雪樹はそっと杏に尋ねた。
 霧椿皇国では日々、陸上や球技、武闘など、様々な競技会が開かれている。予想どおり鈴蘭は、それらの常勝者だったという。

「美人ばっか集めたのに、蓮様ったら、後宮に見向きもしなかったからさあ。とち狂った珀桜皇太后が、『息子はいっそこういうのが好みかも!』って、あちこちの大会で名を馳せてた鈴蘭姐さんを連れてきたんだよ」
「ううん……」

 皇太后の焦燥を思うと、なんとも言えなくなる話である。雪樹は唸った。

「鈴蘭姐さんはね、漢らしくて優しいの! 私、大好き!」

 杏はニコッと屈託なく笑い、雪樹も頷く。
 ほんのわずかやり取りしただけでも、鈴蘭のきっぷの良さや、公明正大で朗らかな人柄は伝わってきた。
 そんな女性の見た目を、腐すつもりはない。が、やはり適材適所である。これだけ身体能力が高い女性が、着飾って皇帝に媚を売るだけの生き方をするというのは間違っているように思えるし、第一勿体ない。もちろん、鈴蘭がそうしたいなら別だが。
 雪樹は鈴蘭の前に再び立った。

「さっき、あっさり負けちゃったけど……! 星は別にして、もうひと勝負お願いします!」
「いいよ、かかってきな」

 鈴蘭に対峙し、地面をトンと拳で突く。

「うおー!」

 ひりつくような仕切りを経て、立ち会い、雪樹は一目散にまわし代わりの帯を取りにいくが、なんとかそれを掴んだ頃には、もう土俵際に追い込まれていた。
 頭ひとつ分、いやもっと大柄な鈴蘭だったが、しかしぐっと沈み込んだ彼女の腰の位置は、雪樹のずっと下だ。

「んきーっ!」

 なんとか踏ん張って押し返すが、微動だにしない。汗ひとつかいていない鈴蘭は、雪樹を持ち上げ、優しくぽいっと土俵の外に投げた。

「勝てない~!」

 地べたに尻をつけたまま、情けなく嘆く雪樹を、鈴蘭は笑みを浮かべながら見下ろす。

「ふふ。力任せは、あたしには通用しないよ。どの競技においても、最適な型(フォーム)がある。走るのにも飛ぶのにも、相撲にもね。まずはそれを身に着けることが大事なんだよ」
「……………!」

 意外にも理論派らしい鈴蘭を、雪樹はほれぼれと眩しそうに見上げた。

「――馬鹿は、なにごとにも勝てないんだよ。脳筋だなんだと言うけどね、競技で食っていけるような奴は、普通に賢いんだ」
「……!」

 胸を打たれた雪樹はガバっと飛び起きた。

「鈴蘭さん! 私に稽古をつけてください!」
「しょうがないね。あたしも専門じゃないけど」

 そう断りを入れながらも悪い気はしないようで、鈴蘭は雪樹が踏んだ四股を見て、あれこれ指導し始めた。雪樹もハキハキと、言われたとおり姿勢を改める。
 そんなふたりを真似して、寵姫たちも一斉に膝に手をやり、足を左右にそれぞれ上げた。高く高く……。
 大勢の女たちが皇宮の大地を踏み抜く。ドスンと力強い音が、晴れ渡った夏の空の下、鳴り響いた。

「なに、これ……」

 突如開催された女相撲・後宮場所の一部始終に立ち会った侍女・杏だけは、己を失わず、女たちを白々眺めるのであった……。




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