椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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第5話 住めば都

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 ひととおりの取り組みを終えたあと、女たちは雪樹と鈴蘭を中心に囲み、輪になって休憩した。
 寵姫たちは地面に直に座り、侍女たちが運んできた冷たい水を美味しそうに飲みながら、晴れやかな顔をしている。

『人間関係が煮詰まったときや、相手を真に理解したいときこそ、拳で語り合うんだ!』

 それは羽村家の三番目の息子、「柾」の口癖であった。ほかの兄や母などは呆れていたが、父の芭蕉などは「柾はそのまっすぐな心根が小気味よい」と目を細めていたものだ。
 雪樹も半信半疑だったが、しかし柾の信条は、確かに効果があったといえる。

「ふーん。あんた、香蓮陛下と幼馴染だったんだ」
「はい」

 鈴蘭やほかの寵姫たちには、蓮との関係をあらかた説明した。男と間違われていたとか、そういった事情は、面倒なので言わないでおく。寵姫たちが劣っているとかそうではなく、自分が昔からの知り合いだから、蓮は気安く接してくるのだろう、と。「蓮様は人見知りのコミュ障だから、皆さんのような話したこともない美女がきっと怖いんですよ」と付け加えると、さもありなんと納得してくれたようだ。

「そっかー。陛下って、いかにも硬派って感じだもんね」
「セッちんみたいな素朴な子がお好きなの、分かるかもー」

 最後は鈴蘭が締めくくる。

「じゃあ、しょうがない。あたしらは、あんたたちの歴史と絆には勝てなかった。こんなちんちくりんのお嬢さんに完敗だ」
「そうね、ちんちくりんでも、付き合いが長いのならね」
「ちんちくりんだけどね」
「ほんと、ちんちくりん」
「……………」

 多数の声に「ちんちんくりん」と奏でられ、雪樹は唇をグッと噛み締めた。

「ま、でも、やっと自分を取り戻せた気がするよ。きらびやかな暮らしに釣られて、しかも皇帝の子供を産めば、皇后として絶大な権力が手に入る……。つい身分不相応な欲望に駆られちまってねえ」

 鈴蘭が気まずそうに頬をかくと、ほかの寵姫たちも恥じ入るようにうなだれてしまった。

「ほんと、つまらん生活だったよ。たとえ金はなくとも、あたしは誰の顔色も伺うことなく、好きなことをして、自分自身を食わせていくほうが向いているようだ」
「鈴蘭さん……」

 拳を握り、開いて、カラカラと笑う。そんな鈴蘭は力強く美しいと、雪樹は心から思った。
 それを言ったら、ほかの寵姫たちだって、見た目以外にも良いところはいっぱいあるに違いない。じっくり話してみれば、みんな気持ちの良い人たちだったのだから。

 ――皇帝に捧げられたからって、彼女たちが誰にも愛されないのはおかしいよ! 後宮って、やっぱり変だ!

 雪樹は改めて強くそう思った。








 その夜、後宮の離れで、香蓮陛下は待ちぼうけを食らう羽目となった。

「申し訳ございません、陛下。雪樹様は、その……」

 奥の閨に入った途端、侍女のあやめに、雪樹不在の理由を申し述べられた。詳らかに聞き、蓮は目を丸くする。

「寵姫たちと一緒に? いや、そもそも、寵姫たちが相撲? ――相撲?」

 何度か繰り返して、首を傾げる。なかなか理解が追いつかないようだ。それはそうだろう。伝言役のあやめですら、事情を知ったときは、何が何だか分からなかったのだから。
 急に体調を崩した自分が診療室へ向かったあと、まさかあの一触即発の雰囲気だった女たちが相撲を取り、意気投合するなどと――。
 しかしあの場に残った杏が、興奮混じりに報告してくれたのだから、間違いはない。

「それで、あの……。皆さんで本屋敷に向かい、お風呂に入って、ご飯を食べてくるそうです。ですのでこちらに戻られるのに、あと一、二時間ほどかかると、その……」

 皇帝陛下を、寵姫が自分の都合でお待たせするなど、言語道断。言うまでもなく不敬である。
 首筋がゾクッと冷える想いで、あやめは何度も頭を下げた。
 が、蓮は肩を揺らし、大笑いし始める。

「ははははは! あいつらしい! それで、その相撲の勝率はどうだったんだ?」
「ええと、雪樹様は確か五勝六敗だったかと」
「なんだ、負け越しか。まああいつは、所詮小兵だからな」

 皇帝陛下は怒っていないようだ。あやめはホッと胸を撫で下ろした。

「実は、全勝なさった女丈夫がいらしたとかで」
「ほう?」

 あやめが鈴蘭の話題を振ると、蓮は興味深そうに耳を傾けた。

「そんな面白い女がいたのなら、もっと早く後宮に来るべきだったか?」

 そう言った後、手を振り、自ら否定する。

「いや……。その気もないのに後宮遊びなど、かえって寵姫たちの心を乱すな……」

 そこであやめは口を一文字(いちもんじ)に閉じ、真顔にてひとつ頷いた。

「このたびは、後宮をお閉めになるとのこと。誠、ご英断であらせられるかと存じます」

 後宮で働く女にそのような評価を受けるとは思わなかったのか、蓮は美形の侍女の顔をまじまじと見下ろした。
 侍女の職は給金が高く、また世間のまっとうな職において女性の求人数が少ないこともあって、人気がある。
 だから蓮は後宮を閉めるに際し、寵姫はもちろん、ここで働く侍女やその他からの反発も予想していたのだが。

「生意気なことを申しました。お許しください」
「いや」

 顔を伏せ、詫び入るあやめに、蓮は不快なそぶりを欠片も見せず、問いかけた。

「うっすらとだが、おまえの顔には見覚えがある……。もしや父の代の頃も、ここで働いていたか?」
「はい……。夢蕨様の寵姫であらせられた、葵様に仕えておりました」
「あおい……。すまぬが、父上の寵姫の名までは記憶しておらぬ。だが、やはりそうだったか」

 蓮の父、夢蕨は、好色家で有名だった。三十人もの女を囲い、後宮はすし詰め状態だったという。
 ところで皇帝の代替わりと共に、寵姫も入れ替えることになっている。いくらなんでも父と息子が同じ女と契るなど、あまりにもおぞましいからだ。だからあやめの前の主人である葵も、蓮が皇帝に即位したときに、後宮から出されたはずである。あやめは葵が国元に下がる数年のみ、彼女の世話をしたとのことだ。

「葵様は大変お優しく、わたくしたちのような下々の者にまで、とても良くしてくださいました。ただ、万事控えめな方でしたから、夢蕨様のお目に止まることはほとんどなく……。後宮にいらした十五年の間、お渡りがあったのは、一度か二度ほどかと……」
「十五年……か」

 蓮の顔が歪む。
 なんの罪もない娘を縛り付け、その若さが枯れるまで飼い殺しにする。それが後宮の実態だ。
 なんという残酷なことだろうか――。

「その寵姫には、すまないことをした……。俺がもっと父に進言すれば……」
「いいえ。夢蕨様がどういう御方かは存じております。どなたが何を仰っても、お聞き入れになることはなかったでしょう……」

 姿も知らぬ寵姫の、踏みにじられた人生を哀れに想い、蓮は葵のその後について尋ねた。

「その姫は、息災なのだろうか?」
「はい。ある富豪の後妻として輿入れし、それなりに幸せにやっていると、一度お手紙を頂戴しました」
「それは良かった……」

 いや、ちっとも良くはない。蓮は自分の言葉を虚しく思った。
 後宮でただただ無為に過ごすしかなかった十五年――。葵という女は、ほとんどの可能性を奪われたことになる。
 例えば心を燃やし、男を愛すること、愛されること。子供を生み育てることだとか。
 色恋沙汰だけではなく、若くなければできなかったこと。その全ての芽を刈り取られてしまったのだ。

「女にとって……。いえ人にとって、花咲ける青春時代は貴重なものです。それを無闇に摘まれる後宮を、わたくしは憎く思います」

 前の主人を慕うがゆえの感傷だろう。そこまで言うと、あやめは顔を上げた。顎まで切り揃えた髪をパッと揺らし、整った顔を明るく輝かせる。

「ですから蓮様のご決断は、ここにいらっしゃる姫様たちにとっても、雪樹様にとっても、素晴らしきことです!」
「……………」

 蓮はあやめから視線を外し、どこか遠くを眺めた。

「――雪のこと、頼んだぞ」
「は、はい……!」

 蓮の反応が薄いのは、自分が喋り過ぎたからかと、あやめは冷や汗をかきつつ反省する。それでも好ましく思っている主人・雪樹を任されたのは、この真面目な侍女にとっては誇らしいことだった。
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