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第7話 渦
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しおりを挟む落ちる太陽が空を茜色に染める頃、花咲本皇宮の大門から宮殿までの長い道のりは、整然と列を作った人馬に埋め尽くされた。
力は強いがずんぐりと不格好な軍馬たちの、まとまりのない多様な毛並みが、皇宮を無秩序に卑しく塗り潰す。
不浄な獣の背に跨る男たちは、皆一様に無言、無表情で、彼らの侵入をおめおめと許すしかない非力な皇宮の人々の、不安や動揺を煽った。
皇帝のお住まいが、汚されてしまう……。
宮殿への行進にあぶれた兵たちは、皇宮の東西南北を守る大壁をぐるりと囲み、待機していた。
敵兵の総数は、約二千。対して皇宮の守備を預かる衛兵は、わずか二百である。
突如詰めかけた兵たちの先頭では、とある貴族の男が馬を歩ませていた。艶やかな顎鬚が特徴的なその男は、幾分老いてはいるが、眼光は誰よりも鋭い。
彼こそが、霧椿皇国最高議会議長、羽村 芭蕉。雪樹の父である。
兵を引き連れ、禁忌とされた皇宮へ踏み込んだ芭蕉の身の内は、憤怒の炎で燃えたぎっていた。しかし彼には、己の感情を決して周囲に悟らせないだけの分別があった。振る舞いの全てが、落ち着き払っている。それくらいでなければ、国一番の権力者の座を射止めることはできまい。
後ろに就いて芭蕉を守るのは、三人の息子たちだ。
芭蕉にとって、長男は最高議会における右腕、ならば次男は左腕というべきか。三男は、国軍にて、勇猛果敢な若武者として名を馳せている。
そんな羽村家の面々の前に、この緊迫した場面にそぐわない一群が躍り出た。
「と、止まってくださーい! セッちゃんは返さないから! やっ、でも、セッちゃんが帰りたいっていうならあれだけど……」
「そ、そんなこと! セッちゃん、ここがいいって言ってたもん! 蓮様と結婚して子供産んで、みんなで育てるって言ってた……言ってないっけ?」
最初だけ勢い良く、のちのち尻窄みになってしまったのは、雪樹の侍女の桃と杏だ。三人組の残りの一人のあやめは顔を青くし、だが気丈にも羽村の男たちをまっすぐ見詰めている。
「めっちゃ必死に媚びへつらったのに、私たちに見向きもしなかった陛下が、あのちんちくりんを選んだ! それをなんなの!」
「なんの不満があって、連れ戻そうっていうのよー!」
若く華やかな寵姫たちがやいのやいの甲高い声で、愚痴のように不満のように非難する。
兵たちは面食らいつつ、行く手を遮る女たちのせいで、その場に留まるしかなかった。馬さえも戸惑っているのか、気まずそうに前足で地面を掻いている。
「あんたたちにも事情があるだろうが、こういう強硬手段は感心しないねえ」
侍女や寵姫が集った小さな軍団から、また一人が前に出た。
「だいたい雪樹さんは、もう皇宮の人間――お妃様だ。おいそれとは引き渡せない。あたしらからすれば、あんたたちが雪樹さんを攫いに来たように見えるんだが?」
女――女? 羽村以下、彼らが率いてきた兵士たちも一様に首を傾げた。
なにしろその人物は、男である自分たちよりも背が高く、体格も立派だったからだ。
「えっ……? あんた、もしかして鈴蘭さんか? 女相撲大会で十場所連続優勝中! 無双のスーパー力士!」
「フッ……」
目を見開く羽村家の三男に、鈴蘭は薄く笑うだけで応えた。
「あっ、あっ……! あの豪快な取り組み……! 俺はあんたのファンだ! 今度サインを……!」
「柾! 控えろ!」
本件とは無関係のところで、敵に組み敷かれそうになっている弟を、羽村家の兄が叱咤する。
「皆、ご苦労。下がっているように。こやつらは俺の客人だ」
「ひっ」と驚きと感動の混じった短い悲鳴を上げ、女たちの山が割れる。そうしてできた道を、一人の青年が、ゆっくり優雅な足取りで歩いてくる。
澄花志乃香蓮だ。
「陛下……!」
羽村 芭蕉と蓮の間は、馬三頭が横に並ぶほどの距離か。
蓮の背後には寵姫たちと、それ以外の皇宮の住民が押し寄せ、人垣ができている。
彼らも本当は皇帝を守り、背に庇いたいのに――『下がっていろ』、そう命が下ってしまった。皇帝の御前に罷り越すことは不敬に当たるから、もう叶わない。
衛兵、侍女、使用人、寵姫。皆々、鎮痛な面持ちで、皇帝と芭蕉、二人を見守っている。
蓮にはいつもと変わった様子はない。相変わらず身分には不釣り合いな木綿でできた質素な略装に身を包み、口元には不敵な笑みを浮かべている。
「お久しゅうございます、香蓮陛下」
馬上から皇帝を見下ろす芭蕉の目が、ほんのわずかに揺れた。
一応は遠縁にある二人が直接言葉を交わすのは、十年ぶりである。
「うむ、おまえの活躍は聞いているぞ。息災でなによりだ。――そこの猿も、元気か?」
「……………」
蓮は芭蕉の後ろにひょいと目をやった。その視線の先にいた芭蕉の三男・柾は、苦虫を噛み潰したような顔になった。
柾は、先日宮殿に乗り込んで来たはいいが、蓮にからかわれるまま退却したあの短気な男である。
「これは何事か!」
にわかに蓮の背面が騒がしくなったかと思うと、侍従長が飛び出てくる。息を切らしながら蓮の隣に並び立つと、唾を飛ばしながら怒鳴った。
「ええい、騎乗のまま、皇帝陛下に拝謁するとは、なんたる無礼! いくら最高議会議長といえど、このような狼藉、許されませんぞ!」
「良いのだ、侍従長。下がっていろ」
「香蓮様……?」
義憤に駆られる忠実な部下を制しながら、蓮は芭蕉たちと見合った。
「これより羽村 芭蕉、その者以外の発言を一切禁ずる。これは朕の勅(みことのり)である!」
侍従長も、そして芭蕉の息子たちも、そしてそれ以外の人々も困惑の表情を浮かべた。
しかし逆らうことは許されない。皆が口を噤み、重たい静寂が訪れる。
「……おまえたち、兵を下げてくれ。陛下に失礼だ」
父の指示に頷くと、三人の息子たちは自分たちの兵をだいぶ後方へ遠ざけた。だが息子たちは油断なく蓮を見据えたままだ。芭蕉の命令いかんによっては、すぐに兵を動かせるよう身構えている。
「さて、羽村 芭蕉よ。わざわざ無粋な男たちを引き連れ、ここを訪れた理由を、一応は聞こうか」
まず口火を切ったのは、蓮だった。
「お断りしておきますが、私が連れて参ったのは、我が国の軍とは無縁の者たちです。有志を募り、協力してもらっただけのこと。国の財産である兵を、私事(わたくしごと)に使うなど、もってのほかにございますゆえ」
芭蕉は如才なくそう前置きした。自分が不利になるような材料は潰す。政治家とはそういう生きものなのだろう。
蓮は肩をすくめた。
「まあ、その辺はどうでもいい。だが我が宮に攻め入るとは、大それた罪を犯したものだ。咎を負う覚悟はあるのか?」
「攻め入るなどとは、失礼ながら、人聞きが悪い」
芭蕉は射竦めるように、蓮を睨みつけた。
「私はただ、娘を返していただきにあがっただけです」
その言葉を待っていたとばかりに、蓮は唇の端をにいっと上げた。
「雪樹を、返すつもりはない」
炎のような鮮やかな夕焼けに照らされ、男たちの顔は燃え上がるようだった。
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