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最終話 椿の国の…
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宮殿内にある「祝いの間」の控え室で、ようやく一人になって、雪樹はほっと息をついた。先ほどまで入れ代わり立ち代わり、侍女たちにあれやこれやと世話をやかれ、ありがたいことだが疲れてしまった。
――まあ一人じゃ、こんなのとても着れないけどね。
丸椅子にちょこんと腰掛けた雪樹は、今、純白に染まっている。纏っているのは、いわゆる白無垢だ。
最高級の絹地で仕立てられた衣装の表には白銀の糸で、皇帝・澄花家の紋章である椿が、大小様々な形で刺繍されている。また打ち掛けの裏地には、秋桜を思わせる薄紅色が使われており、年若い花嫁の愛らしさを際立たせていた。
馬子にも衣装というが、そのとおり。長時間に及ぶ着つけが終わったあと、自分の姿を鏡で見た雪樹は、少し自虐的に、だが素直に感動した。
いつもちんくしゃ扱いの自分が、今日はだいぶマシなんじゃないか。ちょっとだけ、ちょっとだけ……美しいかもしれない。
長い髪は、愛用の金の髪飾りと生花でまとめられている。雪樹はウキウキとそれをいじった。
――蓮様は、なんて言ってくれるかしら。
楽しみで、つい口元がだらしなく緩んでしまう。みっともないが、大目に見てもらってしかるべきだ。なぜなら本日の主役は、自分なのだから。
ちょっと意地悪で偏屈だけれど、真面目で、誰よりも優しい幼なじみの妻になる――。
ここまでくるのに紆余曲折あって苦労した雪樹に、だから浮かれるなと言っても、それは無理な話だろう。
「――はい? どうぞ」
控え室の扉が叩かれた。雪樹が返事をすると、幾分歳を召した紳士が入ってくる。
顎鬚が立派で、立ち居振る舞いは気品高く、しかし眼光は鋭い。雪樹の父親である、羽村 芭蕉だ。
「お父様……! お忙しい中、お越しいただき、ありがとうございます」
「ああ、そのままで。そんな格好じゃ、動くのも大変だろう」
立ち上がろうとした雪樹を、芭蕉はやんわりと手で制した。
花嫁衣装を着込んだ娘は、重装備の兵士と同じである。手足を動かすだけで一苦労なのを、察してくれたのだろう。
「……おめでとう、雪樹」
娘の晴れ姿を前に、芭蕉は眩そうに目を細めた。
「ありがとうございます、お父様」
「おまえとこうやって気安く話せるのも、これが最後なのだな……」
「そんなこと……。お父様は、お父様です。お嫁に行っても、それは変わりませんよ」
「それはどうだろうか。おまえもきっと華やかな皇宮での生活に慣れ、侘びしかった実家での暮らしなど、忘れてしまうのではないかね?」
「……………………」
芭蕉は皇帝の一族を快く思っていないから、彼らのもとへ嫁ぐ娘に対し、裏切られたような気持ちになっているのだろうか。だからなのか父の言葉に、若干の棘を感じる。
しかし雪樹は、それに気づかないふりをした。
以前ならば、父の態度にいちいち突っかかっては責めて、諌められていたことだろう。
遠慮がないだけに衝突も多かった。それが今は他人を相手にするかのように、受け流すことができるようになっている。
思えば家族とは、距離が近すぎたのかもしれない。
だから親しくもなれるのだろうし、その逆だってある。
だがよく考えてみれば、自分と彼らは同じ血が流れているだけのことなのだ。
年齢だって性別だって違うのに、お互いを理解し、理解されたいと思っても、それはまた別の話である。
実際雪樹だって、父母や兄のことをどれだけ分かっていたかというと、ほんのわずかだった気がするのだから。
――私のことは、蓮様だけが分かってくれていれば、それでいいや。
多くを望むあまり、傷つけ合って、何になろう。
諦念のような達観のような、そんな心境に至ったのは、雪樹が成長した証でもある。娘とのわずかなやり取りでそれを悟った芭蕉は、寂しそうに微笑みながら、椅子に腰を下ろした。
「ところでおまえ、赤子はどうした?」
「さ、授かっていなかったようですね」
嘘は言っていない。言ってはいないが、心苦しくて、雪樹の目は泳いだ。
芭蕉が娘を取り返そうと、皇宮に挙兵してから、もう半年が経っている。
残念ながら、雪樹は妊娠していなかった。
そのせいで、今すぐにでも結婚を望んだ蓮と雪樹だったが、しかし正式に結ばれるまでに、これだけの時がかかってしまったのだ。
霧椿皇国において、皇帝の后となれるのは、皇帝の子を産んだ女だけである。慣例どおりにするならば、雪樹も蓮の子を宿し、出産しなければ、皇后として認められないはずだった。しかし蓮はそれを良しとせず、典範そのものを変えるべく動き出したのだ。
「男と女が結ばれ、夫婦となる理由は、子供を作るためだけではない!」
それは複雑な生い立ちを経験した蓮だからこそ、世に訴えたいことだったのだろう。
しかし今までになかった事例を認めさせようというのだ。特に皇帝にとって、後継者の問題は重要である。
いざ結婚したものの、雪樹との間に子ができなければどうするのだ。関係者の反発は強く、説得するのに骨が折れた。
単純で面倒くさがりな雪樹などは、「だったら、とっとと子供を作りましょうよ」などと蓮に持ちかけ、「それでは意味がない!」と叱られたりもした。余談ではあるがその結果、皇帝の婚姻に関する定めを変えるまで、子作りは厳禁とあいなったのである。そんなわけで二人はしばらくの間妊娠する余地のない、つまり清らかで節度あるおつき合いをする羽目になった……。
――いきなり人のことを襲ったくせに、今になって禁欲生活とか。順番が激しくおかしい……。
雪樹はどうにも釈然としなかったが、蓮は初志貫徹、一度決めたことをなかなか変えない人だから、しょうがないと諦めるほかなかった。
そしてこの一連の騒動は、最後は蓮の「雪樹と添い遂げられないのなら、一生独身でいる!」という半ば脅しのような意思表明により、幕引きとなった。
つまり周囲が根負けした形で、遂に二人の結婚は許されたのである。
――まあ一人じゃ、こんなのとても着れないけどね。
丸椅子にちょこんと腰掛けた雪樹は、今、純白に染まっている。纏っているのは、いわゆる白無垢だ。
最高級の絹地で仕立てられた衣装の表には白銀の糸で、皇帝・澄花家の紋章である椿が、大小様々な形で刺繍されている。また打ち掛けの裏地には、秋桜を思わせる薄紅色が使われており、年若い花嫁の愛らしさを際立たせていた。
馬子にも衣装というが、そのとおり。長時間に及ぶ着つけが終わったあと、自分の姿を鏡で見た雪樹は、少し自虐的に、だが素直に感動した。
いつもちんくしゃ扱いの自分が、今日はだいぶマシなんじゃないか。ちょっとだけ、ちょっとだけ……美しいかもしれない。
長い髪は、愛用の金の髪飾りと生花でまとめられている。雪樹はウキウキとそれをいじった。
――蓮様は、なんて言ってくれるかしら。
楽しみで、つい口元がだらしなく緩んでしまう。みっともないが、大目に見てもらってしかるべきだ。なぜなら本日の主役は、自分なのだから。
ちょっと意地悪で偏屈だけれど、真面目で、誰よりも優しい幼なじみの妻になる――。
ここまでくるのに紆余曲折あって苦労した雪樹に、だから浮かれるなと言っても、それは無理な話だろう。
「――はい? どうぞ」
控え室の扉が叩かれた。雪樹が返事をすると、幾分歳を召した紳士が入ってくる。
顎鬚が立派で、立ち居振る舞いは気品高く、しかし眼光は鋭い。雪樹の父親である、羽村 芭蕉だ。
「お父様……! お忙しい中、お越しいただき、ありがとうございます」
「ああ、そのままで。そんな格好じゃ、動くのも大変だろう」
立ち上がろうとした雪樹を、芭蕉はやんわりと手で制した。
花嫁衣装を着込んだ娘は、重装備の兵士と同じである。手足を動かすだけで一苦労なのを、察してくれたのだろう。
「……おめでとう、雪樹」
娘の晴れ姿を前に、芭蕉は眩そうに目を細めた。
「ありがとうございます、お父様」
「おまえとこうやって気安く話せるのも、これが最後なのだな……」
「そんなこと……。お父様は、お父様です。お嫁に行っても、それは変わりませんよ」
「それはどうだろうか。おまえもきっと華やかな皇宮での生活に慣れ、侘びしかった実家での暮らしなど、忘れてしまうのではないかね?」
「……………………」
芭蕉は皇帝の一族を快く思っていないから、彼らのもとへ嫁ぐ娘に対し、裏切られたような気持ちになっているのだろうか。だからなのか父の言葉に、若干の棘を感じる。
しかし雪樹は、それに気づかないふりをした。
以前ならば、父の態度にいちいち突っかかっては責めて、諌められていたことだろう。
遠慮がないだけに衝突も多かった。それが今は他人を相手にするかのように、受け流すことができるようになっている。
思えば家族とは、距離が近すぎたのかもしれない。
だから親しくもなれるのだろうし、その逆だってある。
だがよく考えてみれば、自分と彼らは同じ血が流れているだけのことなのだ。
年齢だって性別だって違うのに、お互いを理解し、理解されたいと思っても、それはまた別の話である。
実際雪樹だって、父母や兄のことをどれだけ分かっていたかというと、ほんのわずかだった気がするのだから。
――私のことは、蓮様だけが分かってくれていれば、それでいいや。
多くを望むあまり、傷つけ合って、何になろう。
諦念のような達観のような、そんな心境に至ったのは、雪樹が成長した証でもある。娘とのわずかなやり取りでそれを悟った芭蕉は、寂しそうに微笑みながら、椅子に腰を下ろした。
「ところでおまえ、赤子はどうした?」
「さ、授かっていなかったようですね」
嘘は言っていない。言ってはいないが、心苦しくて、雪樹の目は泳いだ。
芭蕉が娘を取り返そうと、皇宮に挙兵してから、もう半年が経っている。
残念ながら、雪樹は妊娠していなかった。
そのせいで、今すぐにでも結婚を望んだ蓮と雪樹だったが、しかし正式に結ばれるまでに、これだけの時がかかってしまったのだ。
霧椿皇国において、皇帝の后となれるのは、皇帝の子を産んだ女だけである。慣例どおりにするならば、雪樹も蓮の子を宿し、出産しなければ、皇后として認められないはずだった。しかし蓮はそれを良しとせず、典範そのものを変えるべく動き出したのだ。
「男と女が結ばれ、夫婦となる理由は、子供を作るためだけではない!」
それは複雑な生い立ちを経験した蓮だからこそ、世に訴えたいことだったのだろう。
しかし今までになかった事例を認めさせようというのだ。特に皇帝にとって、後継者の問題は重要である。
いざ結婚したものの、雪樹との間に子ができなければどうするのだ。関係者の反発は強く、説得するのに骨が折れた。
単純で面倒くさがりな雪樹などは、「だったら、とっとと子供を作りましょうよ」などと蓮に持ちかけ、「それでは意味がない!」と叱られたりもした。余談ではあるがその結果、皇帝の婚姻に関する定めを変えるまで、子作りは厳禁とあいなったのである。そんなわけで二人はしばらくの間妊娠する余地のない、つまり清らかで節度あるおつき合いをする羽目になった……。
――いきなり人のことを襲ったくせに、今になって禁欲生活とか。順番が激しくおかしい……。
雪樹はどうにも釈然としなかったが、蓮は初志貫徹、一度決めたことをなかなか変えない人だから、しょうがないと諦めるほかなかった。
そしてこの一連の騒動は、最後は蓮の「雪樹と添い遂げられないのなら、一生独身でいる!」という半ば脅しのような意思表明により、幕引きとなった。
つまり周囲が根負けした形で、遂に二人の結婚は許されたのである。
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